呑気な冒険者たちシリーズ読者さんのための一対の英雄エピローグ
アンナは毎週土の曜日は、何かがなければリッツの部屋に泊まる。
ジョーは『何かされちゃうかも知れないよ?』なんて心配そうに、そのくせ興味深そうに言うのだけれど、アンナはリッツにキス以外、何もされたことはない。それを聞くとフランツは安堵したようにため息をつき、ジョーも肩の力を抜くのだが、その意味をまだアンナは分からずにいる。
今日も話が終わってから、いつも通りにリッツの部屋のベッドに座っていた。酒の入ったリッツは、いつもより疲れているみたいで、ベッドに寝転がったままだ。そんなリッツを見ながら、アンナは今日の話を思い出していた。
リッツは本当にユリスラの英雄だった。
リッツが英雄として初めて姿を現した時のことは、色々な本に書かれていた。道化の姿、羽根の仮面、その片手には剣。長身の体から発せられた、周りの人々の動きを封じてしまうほどに威厳ある言葉……。それはどの本でも同じで、ものすごく格好良く書かれていた。
リッツをよく知るアンナは、まさかこの通りではないだろうと思っていたのに、リッツ自身が語った状況では、本で読んだままの英雄を演じていたようだった。想像するだけで、あまりの格好良さにぞくりとする。恋人であるアンナですらうっとりしてしまうのだから、きっとシアーズの人々に、リッツは鮮烈な印象を与えたのだろう。
でも同時にリッツの苦しみも知った。
夢を見ているみたいで、幸せすぎるから醒めるのが怖かったとリッツは言っていた。エドワードが生きている間だけ、リッツは幸せな夢が見られるのだ。だから思うように生きようと思ったのだと、リッツは初めてエドワードに語ったのだ。
言われたエドワードの方が、言葉を失っていた。まさか一緒にいる日々が……エドワードが生きている日々が、リッツの中では総て幸福な夢になっていたとは思わなかっただろう。
話が続いていくから、誰も質問を口にすることは出来なかった。でもおそらくみんながこうリッツに聞きたかったのではないだろうか。
アンナは寝転がったままのリッツにそっと近づいた。
「リッツ、寝ちゃった?」
顔を寄せて尋ねると、リッツが目を開けた。アンナを見つめるリッツの瞳は、綺麗なダークブラウンをしている。
「起きてる」
「よかった。聞きたかったことがあるの」
「何だ?」
軽く身を起こして笑みを浮かべながらこちらを見るリッツを、アンナは見つめ返す。
「あのね……」
言いかけて一瞬迷うが、でもちゃんと口に出した。
「リッツはまだ……夢の中にいるの?」
リッツの顔が強ばった。答えたくない時は、いつも一瞬顔が強ばる。でもリッツはアンナに隠し事をしないと約束してくれている。しばらく黙ってから、リッツはようやく顔を上げた。
「だよなぁ。あの話をしちまうと、そうくるよなぁ」
「うん。だってエドさんが生きている間は夢の中だって言ってたもん。だったらまだ、リッツは夢の中にいるの?」
真剣にリッツを見つめると、やがてリッツは小さく息をついてアンナを見返してきた。
「怒らないでくれよ」
「怒らないよ」
静かに頷くと、リッツは小さく息をついてアンナを見つめた。
「俺はまだ夢の中にいる。お前のことを愛して、そんでお前に愛されて、すっげえいい夢を見ている気分だ。それにエドとは世界を旅できた。あいつの本当の夢が一緒に叶えられた」
「リッツ……」
「エドたちと別れてから俺の夢は止まってた。夢も見ないで、現実の戦場で戦ってた。そうやって心をすり減らすことしか出来なかった。でもお前と出会ってから、俺の中の幸福な夢がまた始まったんだ。そしてお前がここにいる今も、俺は幸せな夢を見てる。絶対に醒めたくない夢だ」
リッツはそう言うと、目を閉じた。アンナはベットに乗り、そっとリッツに寄り添うと、ゆっくりと身をかがめて口づけた。目を開いたリッツと至近距離で目が合う。唇を離して見つめると、リッツは小さくアンナを呼ぶ。
「アンナ……?」
「もう夢から覚めていいよ」
「え?」
「私がここにいるのは夢じゃない。現実だよ。現実だから醒める事なんてないの。私は永遠にリッツの側にいるもん」
「……アンナ……」
「それにエドさんも生きてるよ。エドさんが死んだら夢から覚めるなんて、そんなの悲しすぎるよ。現実だから、もっといっぱいに幸せを満たしていこうよ。ずっとずっと醒めない幸せを作っていこうよ。ね?」
そう言って微笑むと、身を起こしたリッツに抱きしめられた。気がつくとベットに転がされていて、リッツにのしかかられるように抱きしめられていた。黙ったままアンナを抱きしめているリッツは、やっぱり今まで話を聞いてきた、若い頃のリッツと変わらない。
アンナは自分の倍以上もあるリッツの重みを受け止めながら、背中に手を回してその逞しい体を抱きしめた。
出会った時のリッツは、とっても冷静な大人に見えたけど、本当は自分で自分の心をすり減らした、疲れたリッツだったのかも知れない。そのリッツがアンナとフランツと出会って、少し昔のリッツを取り戻し、エドワードと再会してまた心を取り戻していった。そして今、アンナと愛し合うことで、自分の足下を固めようとしている。
リッツはきっと、回り道をしたのだろう。でもリッツが回り道をしてくれたからこそ、アンナはこうしてリッツを抱きしめることが出来る。
「アンナ、ひとこと言わせてくれるか?」
アンナを抱きしめたまま、リッツが耳元で囁いた。
「なあに?」
「俺、本当にお前が好きだ。すっげぇ、愛してる。お前が側にいてくれるなら、目覚めるのも怖くない」
アンナは抱きしめる腕に力を込めた。
「私も大好き。だから一緒に幸せ、積み上げようね。夢じゃなくて現実の、私たちが今生きているこの時に、自分の手で」
「ああ……」
暖かなリッツの体を抱きしめていると、何だかリッツがぬくもりを求めてたって言うのが分かる気がする。もっと愛する人を暖めてあげたい。なんだかこれじゃ足りない気がする。
「ね、リッツ」
「ん?」
「私ね、娼婦とか、娼館とか、分からないんだけど……」
一瞬リッツが強ばった。また聞かれたくないことを聞いてしまったようだ。でも顔が見えないから続ける。
「その人たちにぬくもりを分けて貰ってたんだよね? どうやって分けて貰ってたのか分からないけど、欲しかったら同じように私がぬくもりをあげるよ。だってリッツ、毎日娼婦の人と過ごしてたんでしょ?」
リッツの体が更に強ばった。
「私からはぬくもりが欲しくないの?」
「ち、ちがっ……!」
焦ったようにリッツが身を起こした。
「私じゃ、リッツを暖めてあげられない? 私に出来る事なら、毎日でもちゃんと暖めてあげるのに?」
首をかしげると、リッツがアンナを見つめたまま、生唾を飲み込むのが分かった。何だかものすごく困らせているんだろうか?
「リッツ?」
やがてリッツは大きくため息をついて、アンナを再び抱きしめた。
「……ありがとうアンナ。今は……その……気持ちだけもらっとくな」
「気持ちだけ?」
何だか意味が分からない。気持ちじゃなくて体のぬくもりが欲しいって言ってたのに。
「体はいらないの?」
「欲しいっ! ……じゃない、違う……ええっと、その……」
しどろもどろのリッツが、アンナを抱く腕に、更に力を込める。
「全然分からないよぉ?」
「だから、気持ちだけ……ああっと、違うな、その……そうだ! 今こうしてるだけで俺、十分に暖かいぞ。すっげえぬくもってる」
「そうなの?」
「ああ。あったかい。だからそこんとこは、あまり突っ込まないでくれ。その……ちゃんと、時が来たら……お前と……」
「私と?」
何を言ってるのかさっぱり分からない。でもリッツはそこで言葉を切って、顔を上げた。少し赤い顔をしながら、リッツがアンナにきっぱりと告げた。
「全部けりつけて、早く結婚しような、アンナ」
「うん!」
何だか誤魔化されてしまったみたいだけど、幸せだからいい事にする。
アンナは再びのリッツのキスに目を閉じた。
脳裏に英雄として苦悩と共に人々の前に立ったリッツが浮かんできた。
リッツと出会って、一緒に旅をして、喧嘩して、抱き合って。そうやっていつもリッツを見てきたから、まるで見てきたように思い描くことが出来る。
大門広場に立つリッツの思い詰めた顔と、凛と前を向く瞳、歯を食いしばり苦しみながらも友のために精霊族を演じる真剣な表情を。
アンナはそっと目を開けてリッツを見つめる。
もうリッツが夢を見なくてもすみますように。
現実が夢と同じように幸せでありますように。
今はまだ祈ることしかできないけれど、いつかきっとアンナはリッツを本当に幸せにしてあげたいな、と願っている。




