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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
一対の英雄
56/179

<16>

 リッツたちがアイゼンヴァレーから帰ってきて、一月が経った頃、忙しくも久し振りの平穏を楽しんでいたグレインに、王都より一通の書状がもたらされた。

 数人の従者と共に現れた政務官であろうと思われる使者は、ジェラルドに目通りを願い出たのだ。ジェラルドは快くそれを受け入れながらも、ホールに騎士団第一隊をずらりと並べた。

 当然その中には、リッツとエドワードも普通の騎士のふりをして並んでいる。そしてグレイン騎士団の制服を着てこっそり騎士団に紛れた、コネルの姿もあった。

 ギルバートとカークランドは、オフェリルの軍事演習のために、ここ数週間アデルフィーにいて、まだしばらく戻らない。

 ここに残って現状把握に努めていたコネルは、王都からの書状ならば、自分に関係があるかも知れないと、自らその場にいることを願ったのである。

 戦場に立てばよく目立つ三人ではあるが、こうして制服を着て騎士団に紛れてしまえば意外に目立たない。

 それに敵もまさか、王国軍から追われる立場のコネルや、リッツがいるなどとは夢にも思わないだろう。

 敵の目をエドワードやコネルから逸らすためのには、制服は最高の隠れ蓑カモフラージュである。そもそもジェラルドは武勇をもって鳴らした剣士であり、護衛に騎士団を必要とする人物ではない。こんなに少人数の使者を迎えるなら、一人でもいいぐらいだ。

 使者たちの一団は、居並ぶグレイン騎士団に怯えながらも、面々が見守る中で一通の書状を差し出したのである。

「こちらは王妃イーディス様からの書状である。ありがたく受け取るがよい」

 そういうと、使者は書状をジェラルドの前に膝をついて差し出した。ジェラルドはゆっくりとそれを両手で受け取る。

 形式なのかも知れないが、リッツから見ればまどろっこしいやりとりだ。王妃と言ったって、自称だというのに、こんなに丁寧にしなくてもと思うのである。

「拝見してよろしいか?」

「は? この場ででございますか?」

「そうだ。そなたも王都に答えを持ち帰らねばなるまい?」

「はあ……」

 使者の顔が戸惑いに変わる。リッツには、何がどうしてどうなっているのかさっぱり分からないから、それを見守っているしかない。

 目を通していたジェラルドが、やがてゆっくりと顔を上げた。

「ほほう。大変名誉なことですな」

「では……お受けくださるか?」

 使者の鋭い眼差しに、ジェラルドは穏やかに笑った。

「ありがたき幸せでございますが、それ以外の条件を満たせませんので、辞退させて頂きますと、イーディス王妃にお伝え頂きたい」

「断るというのですか? グレイン自治領区が自治領区であるための、最後の警告なのですぞ?」

 使者の言葉に、リッツは隣のエドワードを見た。グレインが自治領区である最後の警告とはどういう意味なんだろう。エドワードもリッツを見て、軽く頷きながらジェラルドに視線を向けている。

 全員の戸惑いが伝わったのか、ジェラルドがゆっくりと騎士団員を見て、自信に満ちた微笑みを浮かべる。ジェラルドがその顔をしているのならば大丈夫なのだろう。

 リッツはそう思って、エドワードを見たがエドワードの目は使者を見据えて動かない。

「貴公は自治領主であろう? 自治領主であるならば、その領地を失う事が恐ろしくはないのか? それぐらいの犠牲を払ってでも、自らの地位を守りたくはないのか?」

 黙ったまま笑みを浮かべているジェラルドに、使者が焦ったように言葉を重ねる。だがジェラルドは全く動じなかった。

「ここグレインは何があろうともグレイン自治領区だ。それはだれにも変えられはしない。まして国王よりの宣下無きまま王妃へと就任なさったイーディス様のお言葉ならば更に、グレインを変える何も存在しない」

「……貴公、不敬罪であるぞ!」

 使者が声を戦慄かせた。

「不敬罪ではない。我ら自治領主は、正当な自治領区の長であり、数十万の自治領区の民を守る者だ。民を守れぬと分かっている命を聞く必要は無い」

 ジェラルドはその瞳に、怒りをたたえて使者を見据えた。使者はそのジェラルドの怒りに打たれたように、手足を震わせる。軍人でもなさそうな男では、ジェラルドに太刀打ちなど出来ないだろう。リッツでさえもジェラルドに本気で見据えられたら怖そうだと思う。

 怯えながらも使者はジェラルドを何とか見据え、半ば裏返った声で宣告する。

「一週間やろう。一週間後にまた返事を貰いに来るから、それまでに心を決めておくがいい」

 使者の言葉に呆れたように、ジェラルドがため息をつく。

「断るといっただろう? これ以上になんの結論があるのだ?」

「あるであろう! 貴公はまだ、当事者である息女に話を聞いて居らぬ。息女が賢明であれば、名誉を受け入れるに違いない」

 使者はそういうと、ジェラルドの近くに控えていたパトリシアを見つめた。そしてパトリシアに妙な微笑みを見せる。

「美しいご息女ではありませぬか。きっと可愛がって貰えましょうぞ」

「……断ると言っている。これ以上の滞在は認めぬ。出て行くがよい」

 冷たくとりつく島もないといった言葉をはいたジェラルドに、使者は口をつぐみ、慌てて頭を下げると、逃げるようにモーガン邸を後にした。

 使者が出ていくと、ジェラルドは小さく息をつき、騎士団を振り返った。

「さてさて時間を取らせたな。各自持ち場に戻ってくれ」

 ジェラルドの言葉に、騎士団が一斉に敬礼を返してホールを出て行く。リッツとエドワード、コネルはその場に残ったが、最後にこの場を後にしようとした第一隊長に、ジェラルドが声を掛けた。

「エリクソン、新団員の調子はどうだ?」

 楽しげに尋ねたジェラルドに、第一隊長エリクソンは笑みを浮かべる。

 ティルスの焼き討ちがグレイン中に知られてから、騎士団への入団希望者が倍増しているのである。みな、自分の自治領区を自分で守りたいという、信念を持っている。

「上々です。元々の農家の次男坊、三男坊、四男坊ですから、体力の基礎は出来ておりますし、馬を扱う事に慣れている者も多い。数ヶ月の訓練で少しは使えるようになりましょう」

「なるほど……では第四隊と、第五隊を設立する計画は、進めた方が良いな?」

「ええ。それでも、元の三隊構成より、一隊の人数が大きく上回りそうです。このまま増え続けるようでしたら、一隊百人ほどに増やした上で、第七隊ほど必要となると思われます」

「……なるほど。では訓練後に再構成するとしよう」

 二人の話を聞いていたリッツは、目を丸くした。今までの騎士団は、一隊が三十人から五十人で構成されている。一番少ないのはエドワードの護衛としてティルスにいた第三隊で三十人、第一、第二隊は五十人だ。つまり全員合わせても、ほんの百三十人にしかならなかったのである。

 なのに一隊百人ならば、全部で七百人になる。約六倍だ。

「すっげぇ……。人いっぱいじゃん」

 思わず呟くと、その声がジェラルドとエリクソンの耳に入ったようだ。しまったと思った時には既に遅く、ジェラルドは楽しげにリッツに笑いかける。

「何ならお前が一隊を仕切るか?」

 冗談交じりの言葉に、リッツは首を振る。

「無理。俺、ダグラス隊の指揮を三時間取っただけで限界だよ」

 ダグラス隊は、二十五人だ。それでもリッツに課された緊張感と、重圧は大変なものだったのだ。だがジェラルドはリッツを見つめてから、吹き出した。

「ダグラス隊を三時間指揮するよりも、騎士団の一隊を一年指揮する方が楽だと思うぞ」

「……そうなの?」

「そうだ。手を焼くだろう、傭兵たちは」

「うん。俺、ほとんど玩具にされてた気がするし」

 考えても見れば指揮をしたと言うよりも、お願いしたと言った方が正しいかも知れない。そんなリッツだから、どう考えても騎士団の指揮を執るなんて、不可能だ。

「うん。俺、絶対無理。絶対に向かないと思う」

 正直に力説すると、エドワードが吹き出した。

「確かにそうだな。お前はどちらかと言えば、ダグラス隊の指揮官の方があっているよ。お前が真面目に騎士団員を務められるとは思えない」

「俺が不真面目だって言うのかよ」

 むくれると、エドワードはリッツをからかうような楽しげな笑みを浮かべて頷いた。

「ああ。そういったんだ」

「ひっでぇ、エド。こんなに真面目な俺を捕まえて、そりゃあねえよ」

「どこが真面目か、見せて欲しいもんだな」

「いつでも見てくれ、この溢れ出すような真面目な雰囲気」

 胸に手を当ててエドワードに向かって目を輝かせると、エドワードは肩をすくめた。

「やれやれ、お前は鏡を見たことがないんだな」

「……どういう意味?」

「その通りの意味さ。お前の顔がいかに不真面目か、鏡を見たことがあれば一目瞭然だろう?」

「へへん。俺の顔はいつも通り誠実で真面目ですよ」

 いつも通りの軽いやりとりをしていると、二人の間に誰かが割って入った。見るとそれはパトリシアだった。

「何?」

「あなたたち、もう用が済んだならどいてくれないこと?」

 その言葉に、エドワードが気まずそうに口をつぐんだ。リッツは驚いてパトリシアを見た。エドワードとリッツを必ず分けていたのに、一緒くたにされたのは初めてだったのだ。

「パティ、どうしたんだ?」

 どことなく思い詰めたような表情のパトリシアにリッツは首をかしげて声を掛けていた。なぜこんな顔をしているのかさっぱり分からないからだ。しげしげと見つめていると、パトリシアはリッツを見てため息をついてから、口を開いた。

「あなたには関係ない事よ」

「……そうなの?」

「ええ。お父様に聞きたいことがあるの。先ほどの使者の件でね」

 そういったパトリシアが、真っ直ぐにそのアメジストの瞳を向けたのは、ジェラルドだった。ジェラルドは全く動じることなく娘の視線を平然と受け止めていが、先ほどから言葉は全く発していない。

 口を開くのを見つめたまま待っていたパトリシアだったが、やがて根負けしたように口を開いた。

「さっきの話、私の事みたいだけれど、きっといい話じゃないのでしょう?」

「……あ……」

 リッツは使者が言っていたことを思い出す。そういえば息女が綺麗だとか、可愛がって貰えるといっていたのだ。よくよく考えて見れば、あの書状にパトリシアのことが書かれていたのだろうと、簡単に推測できる。

 何も気がついていなかったリッツとは反対に、エドワードは渋い顔をした。

「……パティ。ジェラルドの決断に任せればいいだろう?」

 エドワードがパトリシアの目を見て、弱ったように言った。

「エディにはあの書状の内容の見当が付いているのね?」

 冷たく言い放たれたパトリシアの言葉に、リッツもまじまじとエドワードを見る。

「そうなの?」

 だがエドワードは答えない。その代わりに小さく息をついただけだった。パトリシアはそれを見てわざとらしくため息をつく。

「やっぱり分かるのね。急にリッツをからかい始めるから、お父様と二人でこの場を誤魔化そうとしているんじゃないかって思っていたわ」

「……そうなのか、エド?」

 エドワードはやはり答えなかった。本当にリッツは何も気がつかなかった。でもパトリシアが言うのが本当なら、きっとそれなりの理由があるのだろう。でも黙っていられると、リッツだって気に掛かる。エドワードの相棒なのだから、色々言ってくれれば協力するのにと思うのだ。

「エド、おっさん、パティに何か隠してんの? 俺にも内緒?」

 困惑しつつもリッツが二人を交互に見ると、ジェラルドとエドワードが微かに視線を逸らした。どうやら話したくないらしい。すると今まで黙っていたコネルが口を開いた。

「元帥閣下。シュヴァリエ夫人の言ってきそうなことぐらい見当が付きますよ。たぶん父親としてとんでもないことなのでしょう? 娘をよこせぐらいのことを言ってきましたか?」

 コネルの言葉にジェラルドが珍しく苦虫を噛みつぶしたような顔をした。パトリシアは思いきり不快げに顔をしかめ、エドワードは小さくため息をつく。どうやら当たりらしい。

 リッツは目を丸くしてコネルを見つめる。

「何で分かるの?」

「シュヴァリエ夫人が考えそうなこと何て、すぐに見当が付く。俺の妻を人質に取った人間だ。あいつは人質を取れば相手を自由に出来ると勘違いしてるんだ」

 苦々しげにいったコネルに、リッツは深々と頷いた。

「なるほど。あんたも動けなかったもんな」

「……このガキは……」

 額に軽く筋を立てて、コネルがリッツを見返す。リッツはその目を見つめ返して腕を組んだ。

「俺はリッツだよ。ガキじゃない」

「ああそうかい。じゃあ俺はコネルだ、あんた呼ばわりされる覚えはない」

「うん。分かった。じゃあ改めて言うけど、シュヴァリエ夫人ってのは、コネルみたいに人質を取られたらみんな動けないって思うんだな?」

「……お前の言葉には腹が立つが、内容的にはその通りだ」

 渋々といった顔で頷いたコネルから、リッツは視線をパトリシアに移す。

「らしいぞ、パティ」

「……ええ。そんなところでしょうね。でもお父様、私は正確な内容をお聞きしているのです。私のことでこのグレインが危機になるのならば、私にだって覚悟は出来ています」

 どことなく悲壮感を漂わせたパトリシアの言葉にリッツは戸惑った。この場でリッツだけが、あの書状の中身をまったく推測できていないのだ。娘をよこせとか、人質としたいとかいったって、ここにパトリシアがいるわけだから、イーディスにどうにか出来る問題ではないだろう。なのに何故こんなに緊迫しているのか意味が分からない。

 困惑していると、パトリシアがジェラルドに詰め寄った。

「お話しくださいませお父様。このパトリシア、自治領主の娘として、覚悟は出来ておりますわ」

「パティ……」

「自治領区を守るためならば、命を差し出す覚悟を決めるよう、私を育てたのはお父様でしょう?」

 真っ直ぐにパトリシアの視線を受け止めたジェラルドは、覚悟を決めたように細く息を吐いた。

「分かった。では後で私の自室に来なさい」

「いいえ。今どうぞ」

 きっぱりとパトリシアが言い切った。ジェラルドが小さく息をつく。

「だがな、君も先ほど、リッツを追い払おうとしたじゃないか」

「状況が変わりましたわ。ここまで聞いてそのまま追い出すなんてそんな蛇の生殺しみたいなこと、私には出来ません」

「蛇の生殺し……」

 思わずリッツはぼそりと呟いてしまった。毅然とした淑女姿のパトリシアの口から出てきて、これほど似合わない言葉はない。

「エディが推測できて、サウスフォード様が分かって、私も何となく分かっていますけれど、この場でリッツだけを置いていくのはどうかと思いますわ。リッツは確かにお馬鹿ですけど、シアーズで英雄を演じてきた最大の功労者なのだから、分からないことぐらい教えてあげるのが、当たり前ではありませんか?」

 そういうとパトリシアはリッツを見つめた。

「ここで私とお父様だけが消えたら、あなたすごく寂しいのじゃない? エディは口を噤むでしょうし、サウスフォード様は良識ある方ですもの、詳しくお話くださらないと思うわ」

「……うん。お馬鹿はやだけど、俺だけ何も知らないのは、もう嫌だ」

 正直に頷く。何となく蚊帳の外に出された気分になってしまう。リッツは本当によく分かっていない。これからこの国がどうなっていくのか、これからどうしていこうとしているのか。そしてリッツがどんな役割を演じていかねばならないのか。

 分からないままに人形になるのは違う気がする。それはエドワードが望む、本当に幸福なユリスラに失礼な気がするのだ。

「何も知らないでいて、英雄だの何だのってただ流されていくのは、俺、違うと思うんだ。そりゃあさ、俺馬鹿だから、剣さえふるってりゃエドとかおっさんの役に立つかもしんないけど、でもシアーズの現状を見てきたし、エドの母さんや、ローレンの事も見てきたんだ。だから俺もちゃんと分かった上でエドと戦いたいよ。内緒の話で何も知らないで動くだけっていうのも……つまらないなぁって……」

 我が儘を言っているだろうか。そう思いながら伺うようにそっとエドワードを見ると、目があったエドワードがハッとしたように目を上げた。

「エドが今のままでいいってんなら、俺も今のままでいいけどさ」

「……リッツ……」

 その困惑した瞳をじっと見つめたまま、エドワードに問いかける。

「そのほうがいい、エド? そうだったら俺、エリクソンと剣技の稽古してくるけど?」

 率直に聞くと、エドワードは首を振った。

「よくない。すまない、リッツ」

「謝らないでくれよ、エド。だって俺、本当に分かんなくてさ。お前の役に立つ方法を、ちゃんと知ってたいなって」

 リッツの方が困って頭を掻く。別にエドワードを困らせるつもりはなかったのだ。どう言ったらいいのか分からないリッツの左肩にパトリシアが音を立てて、手を置いた。

「パティ?」

「そういうことですのよ、お父様。この先は、リッツも私も、ギルもカークランド伯もサウスフォード様も、エディとお父様同様、一蓮托生ではなくて?」

 堂々と胸を張って言い切ったパトリシアに、リッツはため息をつく。

「……男らしいなぁ、パティ」

「失礼ね。雄々しいと言いなさい」

「……同じ様な意味じゃん」

 こっそりと呟いたのだが、あっさりと無視される。

「お父様」

 パトリシアに詰め寄られたジェラルドに、きっちりと敬礼を返してエリクソンが退出した。エリクソンはそれを聞く必要がないと判断したらしい。リッツはどうするべきだろうと悩む。

 だがリッツが狼狽えている間に、ジェラルドが大きくため息をついて、口を開いた。

「お前に言うべきことはないのだがな。所詮、受け入れがたいことばかりの書面なのだから」

 そういうと、ジェラルドは残っていた四人を、執務室へと促した。結局のところ、ジェラルドは一人娘であるパトリシアに弱いのだ。

 全く迷い無くそちらに向かう一行の中で、リッツはどうするべきか決まらず、一瞬躊躇う。だがその背中を押したのは、エドワードだった。

「ほら、行くぞリッツ」

「え、でも俺……」

「いいから来い。お前は俺の相棒だからな」

 肩を力強く叩いて、エドワードはさっさと先に行ってしまう。その言葉が嬉しくて、リッツはエドワードの後ろに、急いで付いていった。

 入ったことのなかったジェラルドの執務室のソファーに座った面々に、ずっと苦虫を噛みつぶした顔をしていたジェラルドが口を開いた。

「この書状はシュヴァリエ夫人から、私に宛てた書状だ」

 取り出した書状を手に、ジェラルドが面々を見渡す。

「書かれている内容は主に三つだ。一つ目は、オフェリルの自治権を自治領主より取り上げ、王国直轄地にすることだ。それについて王国側は、我々グレインに、オフェリルを不法占拠しているカークランドを討ち滅ぼして、オフェリルの新領主が決まるまで代理統治せよ言ってきた」

 全員が深々とため息をつく中で、リッツはあっけにとられた。

「……シュヴァリエ夫人、寝言言ってる?」

 思わずエドワードに尋ねると、エドワードは苦笑した。

「寝言じゃないさ。本気だ」

「何で? だってオフェリルとグレインって連合軍として戦っているんだよな? なのになんでこんな事を言ってくるんだよ?」

 わけが分からないから正直に尋ねたリッツに答えてくれたのは、ため息混じりに頬を押さえたパトリシアだった。

「代理統治をするってことは、代理統治している自治領区のほぼ半分の税を自分の税として回収できるって事。グレインはそれに乗る必要がないぐらい豊かだけれど、他の自治領区はどこも困窮してるわ。半分の税と言われたら、隣領区に攻め入りかねない」

 呆れて言葉が出ない。グレインの本当の状況など、イーディスは知りもしないのだろう。だから理解しかねる状況を提示してきたのだ。

「じゃあ、この人、ジェラルドにそれを期待してるの?」

「まあ、そうね。そうでしょう、お父様?」

「そうだな。だがこれはまだ一つ目だ。二つ目は、その命令に従わなければ、グレイン自治領区も王国直轄地として強制収用するということだ」

「! じゃあおっさんがフレイを王国軍に突き出さないと、グレインが無くなっちまうの?」

 思わずジェラルドを見つめると、ジェラルドは静かに微笑んだ。

「グレインが無くなることはない。彼らがなんと言ってこようと、グレイン自治領区はグレイン自治領区であり続けるし、私も自治領主であり続ける」

「……そうなの?」

「そうだ。かえって王国に納める税が減る分、収入は増えるぐらいだ」

「……ふうん」

「唯一困るのは、王都防衛部隊の給与ぐらいだな。彼らは我々グレインのものではなく、王国軍に属する部隊だから、王国軍から給料が出ている。だがまあ、納めなくてすむ税金でまかなえるだろう」

 なんだか拍子抜けだ。さっきは大変なことを突きつけられたのではと、少し心配していたが、これならジェラルドがあの時追い出したまま忘れてしまえばいいことだ。

「じゃあ、放っておけばいいってことじゃん。パティもそう思うんだろ?」

 パトリシアに率直に言うと、パトリシアは小さく頷いてから、ジェラルドを見つめた。

「ええ。ここまでは。でももう一つ何かあるのでしょう? 三つ目は何ですの?」

「……条件一と二を飲む場合、王家への忠節の証として、パトリシアをリチャード親王の元へ嫁がせよ」

 淡々としたジェラルドの言葉に、リッツの頭が真っ白になった。何だか体がざわざわして落ち着かない。

「パティ……嫁に行くの?」

 ゆっくりとパトリシアを見ながら訪ねると、パトリシアはため息をついた。

「もしも私が親王と結婚することによってグレインが救われるのなら、身を犠牲にすることもやむを得ないわね」

 淡々とした物言いに、リッツは思わず身を乗り出していた。

「駄目だよ! 絶対に駄目だ!」

 ぐっとパトリシアに寄ると、パトリシアは目を丸くしてリッツを見つめ返した。

「何故よ? 貴族の娘は多かれ少なかれ、領地や家名のために、この身を売るものなのよ?」

「それが意に染まなくても?」

「ええ。そうして家のために我が身を捧げることで私たちの生活は成り立ってきたの。それにグレインはルイーズ様の犠牲で助けられたわ。だから今度は私が身を投げ出せと言うなら、投げ出さねばならないでしょう?」

 当たり前のように何の表情も変えずにそういったパトリシアに、リッツはものすごい違和感を感じた。それと同時に、妙な嫌悪感のようなものを感じる。

「嫌だ。何かすごく嫌だ、それ」

 何故だか自分でも分からない。でも全身に虫ずが走るほど嫌だ。

「リッツ?」

 パトリシアのアメジストの瞳が、真っ直ぐにリッツを見つめる。それを見ていると、パトリシアが敵の元へ行くなんてもっと嫌だと、感じてしまう。

「おかしいじゃんか。貴族とかそういう者を否定しながらさ、どうして仕方ないとか言っちゃえるんだよ!」

「どうしたのよリッツ?」

「だって敵だぞ? 敵の男のものになるのかよ? そんなの絶対に駄目だろ!」

「……まあ、理屈で行けばそうね」

 淡々と答えるパトリシアに、余計妙な焦りに似た感情を覚える。

「そんなの、パティに似合わない! 絶対に駄目だからな! もしパティを嫁にしないと何かしてくるってんなら、俺が倒してやる!」

 思わずテーブルに手を叩きつける。

「また王都に行って、大暴れしてやるからな」

 思い切り力説したのに、誰もがリッツを見て、苦笑に近い表情を浮かべているのに気がついた。

「……なんで平然としてるんだよ、みんな」

 全員を眺め回すと、当のパトリシアがため息をついた。

「あのねぇリッツ、話聞いてた?」

「聞いてたよ。聞いてたから怒ってるんじゃん!」

「じゃあ、人より大きいその耳でよく聞きなさいね。私は嫁に行かないわよ」

「え……?」

「さっきお父様が断ってしまったじゃない」

 そういえばジェラルドはもう答えをとっくに出していたのだ、それで使者を追い払ってしまったのである。

「あれ……? そうなの?」

「ええ。これが条件であれば、私がグレインのために犠牲になる必要は無いわね。これだとカークランド様も犠牲になるもの」

「じゃあ……どうしてパティは話を聞かせろって言い張ったの?」

「私はただ、私が条件に出てきたからちゃんと聞きたかっただけ。もし私のことをグレインの領民よりも優先で考えて、お父様が使者を断ったなら、私は大いに怒ったところよ」

 いいながらパトリシアは、まだ困惑したままのリッツを見ると、肩をすくめて笑った。リッツを年下扱いするそんな仕草は、ちょっとエドワードに似ている。

「当然そんなことがなくて、ホッとしてる。お父様はいつも正しいわ。私の心配なんて無用ね。こんな内容なら、聞かなくても同じだったわ」

 そういうと、パトリシアは優雅な身のこなしでソファーから立ち上がった。視線は真っ直ぐにジェラルドに向けられている。

「先ほどは失礼を申し上げてごめんなさい、お父様。私の出る幕ではありませんでした」

「うむ」

 書状を軽く畳んで執務机の中に入れたジェラルドに、パトリシアは迷い無い笑顔を見せた。

「ですけれど、もし私の身、一つでグレインを救えるのでしたら、迷い無くおっしゃいませ」

「……考えておこう……」

 渋々頷いたジェラルドを残して、淑女らしいお辞儀をしたパトリシアが執務室を出て行った。残されたリッツは、突風のようなパトリシアに唖然とするしかない。

「なあ、おっさん。俺、分かんないことがあるんだ」

 パトリシアが出て行った扉を見ながら、リッツは呼びかけた。

「何だ?」

「もしさ、パティを嫁によこせば、全部無かったことにするとかいう書状が来たら、おっさん、パティをそのリチャード親王とか言う奴にやるの?」

「リッツ……」

「俺さ、王都で結構好き放題に女遊びをしてきたからさ、色々知ってる。愛情なんて無くたって、男は女をひどい目に合わせられるよ。それなのに、パティをやれるの?」

 ジェラルドは答えずに膝の上に置いて組んでいた手を静かに組み替えた。エドワードもコネルも、何も答えない。だからリッツは言葉を続ける。

「何か変だよ。コネルの奥さんを救出させたくせに、民のためとか言って、家族をよそにやるなんて。それで成り立つ平和なんて、なんか変だ」

 リッツは顔を扉からゆっくりとジェラルドと、エドワードに向けた。二人の顔を交互に見ながら、リッツは真剣に二人に問いかける。

「もしさエドを渡したら戦争をやめるって書状が来ても、きっとおっさんやギルはエドを渡したりしないよな。だってエドは切り札だもん。でもパティなら考えるの? そりゃあさ、性別の差はあるよ。でも両方ともおっさんの、子供なんじゃねえの?」

 リッツはエドワードを見つめる。エドワードも言葉を発することなくリッツを見ている。もしエドワードを差し出すようなことになったら、リッツはエドワードを差し出す代わりに、自分が身代わりになって相手を殺してくることぐらいはする。

 でもパトリシアの代わりに嫁に行くのは少し無理だ。だからこそ、これではいけないのではないかと思うのだ。

「答えてくれよおっさん。おっさんやエドの望んでる平和って、そういうもんの上に成り立っているのかよ? ルイーズさんみたいに、要求されたら本人が嫌でも差しださねえといけないのかよ?」

 じっと二人を見つめて問いかけると、ジェラルドがゆっくりと顔を上げた。

「そうならない平和を望んでいるんだ、リッツ。王は国民を、自治領主は領民を守るためにいる。だが今はそれが間違った方向に行ってしまっていると私は思っている。平和とは、人を犠牲にする事を当たり前にしない世界を示すはずだ」

 ジェラルドの薄青色の瞳が、じっとリッツを見つめる。リッツは吸い込まれるようにその瞳を見つめた。

「お前が当たり前に思っている、精霊族のような政治はできないだろう。未だこの国には王族や自治領主が必要だ。民によって自治領主を選び出すことなど不可能だろう。だからこそ我々は、よりよい権力者であることを望んでいる。今までのような事がまかり通らない世にしたいと思っているから、パトリシアがいうように、娘を政治の道具として利用したりはしない」

「本当に?」

「ああ。もしそれがまかり通るのなら、何のために私たちが戦いを挑むと言うんだね? 新しい時代を拓くためではなかったのか?」

 柔らかく問いかけられて、リッツは頷いた。そうだ、エドワードが望む未来は、ローレンの望んだ未来はもっと新しい時代だったはずだ。

「……ごめん。おっさんの娘だもん、手放すの嫌に決まってるよな」

 素直に謝ると、ジェラルドは楽しげに笑った。

「いいさ。お前には政略結婚も異様なものに感じられるのだと分かったよ。我々貴族にとっては、普通に存在してきたことだからな」

「普通じゃないよ。メリートでも普通は好き合って結婚してたし」

 ぼそっと呟く。

「メリート?」

「親父の住んでた村。サラディオにあるけど、サラディオに属してない隠れ村だよ。精霊族との交易で成り立ってる。俺も年の半分はそこで育ったんだ。そこの村長も、みんなで相談して決めてたんだ。結婚相手は自分でみんな見つけてたよ」

 いいながらエドワードを見ると、エドワードが妙な顔をしている。

「ん? 何か変なこと言った?」

 尋ねると、エドワードが首を振った。

「いや。ユリスラにもそういう場所があるのかと……」

「あるさ。血筋よりも大切なものをみんな知ってる」

「そうか……」

 深々と納得したエドワードは、小さくため息をついた。

「やはり世界は広いな。私が知る以外にも色々な政治形態があるのかも知れない」

 独り言のような呟きだった。

「エド?」

「まだ勉強不足だな」

 そういったエドワードの顔は、いつも通りの静かな微笑みを浮かべている。リッツは大きくため息をついてソファーにもたれかかって伸びをした。パトリシアのことも、今後のことも少しだけ分かって、頭がすっきりとした。

「よかったなリッツ」

 今まで黙っていたコネルに声を掛けられて、リッツは伸びをしたままの姿勢で横を向いた。コネルは楽しげな笑みを浮かべている。

「何?」

「パトリシア嬢が嫁に行かなくて。これでお前にもチャンスが巡ってきそうじゃないか」

「……え?」

 意味が分からずに首をかしげると、コネルが妙な顔をした。

「お前、パトリシア嬢が好きだから、嫁に行かせるなって騒いでたんだろう?」

「え……ええっ!?」

 思わず大声を上げていた。

「お、俺、俺が、何で、パティ?」

「違うのか? そう見えたがな。どうだエドワード?」

 コネルに問われたエドワードは、楽しげに笑った。

「俺もそうかと思ったが、そうか、お前は自分で自分の気持ちに全く気付いていないんだな」

「ちょっと待って! だって、いや、そんなこと、でも、だけど……」

 自分の顔に思い切り血が上って、熱くなっているのに気がついた。自分でもそんなことを考えてもみなかった。だって今の今までパトリシアのことを好きだなんて、思いも寄らなかったからだ。

 ほぼパニック状態に陥ったリッツに、コネルが更に問いかけてくる。

「じゃあ聞くぞ? パトリシア嬢が嫌な男のところに嫁に行ったら?」

「嫌だ」

「じゃあパトリシア嬢が、好きな男が出来てここを出て行ったら?」

「ちょっと嫌……いや、嬉しいよ。うん。嬉しい」

「それじゃあ、パトリシア嬢が、お前の嫁になると言ったら?」

「うれしっ……いやいや、ええっと……」

 やばい。かなり嬉しい。

 そうか、そういうことか、とリッツは今更ながらに気がついた。パトリシアが嫁に行くと言った時のあの嫌悪感と焦燥感は、自分の気持ちに繋がっていたのだ。

「でもパティは乱暴だし、優しくないし!」

 それでも指摘されて認めるのは嫌で、きっぱりと断言すると、エドワードが吹き出した。

「お前は面白いな。まあ、時間だけは沢山ある。じっくり答えを出したらどうだ?」

「エド……」

「なあジェラルド?」

 笑いながら問いかけたジェラルドは、むっつりと黙り込んでいる。色々と突っかかったくせに、理由が自分勝手だったリッツに怒っているのかと思ったのだが、ジェラルドはゆっくりとリッツを見た。

「リッツ……」

「ち、違うおっさん! 俺、パティの事なんて!」

「誰でやろうと、娘を嫁にはやらん」

「へ……?」

 ごく真面目な顔で、ジェラルドは言い切った。

「パトリシアが欲しくば、私を倒してからいけ」

 冗談かと思ったが、大まじめにジェラルドがそう言いきった。

「……おっさん?」

「……ジェラルド?」

 呆然とするリッツとエドワードの横で、コネルが吹き出した。

「元帥閣下も人の子ですなぁ。分かりますよ。やはり娘は特別です」

「分かるかコネル?」

「ええもちろん。小官にも娘がおりまして。これがもう、目の中に入れても全く痛みを感じない状態でして。この娘を貰いたいと言う奴がいたら、真っ先に剣の錆にしてやります」

 そういったコネルは、にっこりと笑った。長く生きているけれど未だに子供であるリッツは、子供を持つ感覚など分からないけれど、どうやら父親とはそういうものであるらしかった。

 リッツは深々とため息をつくと、頬杖をついた。

 自分は本当にパトリシアが好きなのだろうか?

 好きってどういう好きなんだろう。

 リッツは恋愛としての好きという感覚が今も掴めていない。長い年月を生きるリッツに取って、周りの人々はみなどんどん年をとって先立つもので、恋愛をする対象ではなかった。

 だから戸惑うばかりだ。どう考えてみても、それは手に触りそうで手で触れられない、そんな感覚で、どうしても遠くにある。

 それにどう考えても今は、親友であるエドワードの方が好きだ。これは自信を持って恋愛感情ではないのだが、戦いと今後の事で、何よりもエドワードへの友情の方が優先してしまっている。

 もし本当にパトリシアが好きになったなら、何かが変わるのだろうか。何かが変わっていけるのだろうか。

 それを知りたいような、怖いような気がして、リッツはため息をついた。 

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