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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
一対の英雄
44/179

<4>

 目の前を歩いていたギルバートの前に、ギルバートと同じようなハンチングを被った労務者風の男が現れて、小さく手招きした。何らかの罠を疑って身を固くするリッツをよそに、ギルバートはその男に付いて行ってしまう。

 また急いで追いかけると、ギルバートとその男は、倉庫街の細道に入っていった。追いついたリッツがギルバートの後ろに付くと、ギルバートが男と話をしている。

「ご苦労だったな、チノ」

「なんの、親分。これがあっしの得意分野でさ」

 おどけて言った男は、リッツを見てにんまりと笑った。だがその目は鋭く、笑ってはいない。

「えらく可愛らしいのを連れてますなぁ……」

 鋭い目でリッツを見つめたまま、口元に笑みを浮かべて、男が楽しげにいう。

 可愛らしいといわれても、リッツはギルバートと数センチしか違わない長身だ。何だか納得がいかず、黙っていたが、ギルバートは楽しげに言葉を返している。

「傭兵隊にはいないだろ?」

「本当に。こりゃあみんな、いいおもちゃにしてるでしょ?」

「まあな。こいつも何度も死にかけてやがる」

 楽しげにギルバートもリッツを見て笑った。何だか面白くない。

「ギル、この人誰?」

 ぶっきらぼうに聞くと、チノが気障にハンチングを取った。

「どうもこんにちは、精霊族の坊ちゃん」

 リッツは目を見開いた。それを知っているのは、娼館に住んでいるダグラス隊の幹部連中だけだ。その中に当然ながらチノはいなかった。

 驚くリッツに構わず、男はリッツに軽く手を差し伸べた。

「ダグラス隊、偵察任務担当のチノだ。王都での潜入任務と、軍の内部情報は俺に任せてくれ」

「偵察任務……」

 そういえば幹部の中にそれを担当している者がいて、何処かに潜んでいるといっていたが、こういうことだったらしい。

「そうだ。よろしくな」

「うん。よろしく……」

 手を取った瞬間に、チノの腕が半回転した。ファンで慣れているから、とっさにチノの手を掴み返して、力業で戻す。小柄なチノは、リッツの力業を、体を柔らかく半回転させて防いだ。恐ろしく身軽だ。

「何すんだよ!」

 怒鳴って手を振り払うと、チノが笑った。

「なるほどなるほど。見かけによらずちゃんと習得しているらしいな。顔だけ見てりゃ、どこぞの気のいい兄ちゃんだが、少しは使えるじゃないか」

「当たり前だろ! っつうか、ダグラス隊って何でみんなこうなんだよ、ギル!」

 ギルバートの方に抗議をすると、ギルバートはどこ吹く風と、空を見上げて呑気に構えているだけだった。傭兵と暮らすなら半殺しは覚悟しておけと最初にいわれていなかったら、本当にリッツは死んでいたに違いない。

 そもそもエンがいなかったら、とっくにリッツは死んでいる。

「怒るなよ兄ちゃん」

 チノが笑みを浮かべてもう一度手を出してきた。疑いながらも手を取ると、今度は回転させられずにすむ。

「改めてよろしくな、精霊族の兄ちゃん」

「俺はリッツだ、チノ」

「リッツね。精霊族の兄ちゃんよりも簡単でいいや。俺は街にいることが多いから、シアーズで会うことも少ないだろうが、お前さんに情報を仕入れてきてやるからな」

 頼りになりそうな笑みを浮かべて、チノが再び先頭に立って歩き始める。躊躇いも迷いもなく歩き続けるチノだったが、ある場所で足を止めた。

 角から吹いてくる風が、ニット帽に入りきっていないリッツの前髪を強く揺らしていく。風に誘われるように明るい方へ行くと、海に出た。

 そこは煉瓦で出来た丈夫な倉庫が沢山立ち並ぶ倉庫街にあって、港に面していない海向きの岸壁だった。そこから見えるのは海だけで、背中は倉庫だから、人目に付くこともなさそうだ。

「ほら、お客さんがお待ちだよ」

 チノに指さされてみると、そこには中折れ帽を被り、リッツが前にパトリシアに見繕って貰ったのと同じような、シャツとベストとパンツ姿の男が、ポツリと海を見ながら立っていた。首に巻かれたスカーフと帽子からはみ出した、榛色の髪が風に乱れている。

 リッツたちの気配に気がついたのか、男はこちらを見た。ギルバートは、男に親しげに近寄っていくが、チノはリッツにウインクすると、静かに姿を消してしまった。きっと役割がまだあるのだろう。

 リッツは目の前に立つ男を見た。男も真っ直ぐにリッツを見ている。その瞳は薄い茶色で、とてつもなく鋭い。その視線から、観察されているのが一目で分かった。

「リッツ、来い」

 呼ばれてリッツは、こちらを見据えたままの男と一緒にいるギルバートの側に歩み寄った。中折れ帽の男が帽子を右手で取ってそれを胸に当てた。

「ご無沙汰しております、ダグラス中将閣下」

「やめろよコネル。堅苦しいことはいいっこなしだ。言ったろう、俺はしがない傭兵だぜ? ギルバートでいい」

 苦笑しているギルバートは、傭兵部隊の時のギルバートとは少し違った。ほんの少しだが、ジェラルドにも似た真面目さが見え隠れする。こちらが軍人だった時のギルバートの顔なのだろう。コネルも楽しげに笑う。

「仕方ないでしょう。いくら閣下が貴族どもに追放されようと、俺たち改革派にとっては、いつまでも閣下ですよ」

「ジェリー共々か?」

「もちろんです。あの方は改革派の旗でしたから。自治領主に専念するために軍を辞すと聞いた時には、ひっくり返りましたよ」

 笑いながら、コネルはギルバートに手を差し出した。

「この糞みたいな状況になったユリスラに、ご帰還いただき、ありがとうございます」

「相変わらずお前は皮肉屋だな」

「仕方ないでしょう。上司が歪んでれば部下も歪まざるを得ません」

「あっはっは。言いやがる」

 大笑いをしたギルバートが、リッツをコネルの前に押し出した。目つきの鋭いコネルの前に立ち、リッツは軽く頭を下げる。

「こいつはリッツ・アルスター。ジェリーの秘蔵っ子さ。リッツ、こいつはコネル・サウスフォードだ」

 笑いながら肩を叩いたギルバートになんと言ったらいいのか分からず、リッツはコネルを見つめて手を差し出した。

 だが差し出したリッツの手を一瞥すると、コネルはリッツを無視してギルバートを見上げた。

「話を聞かせて貰いましょう」

 そんなコネルの態度を咎めるでもなく、そしてリッツをフォローするでもなく、ギルバートは肩をすくめた。

「……そうだな」

 リッツは、差し出した手をゆっくりと下ろした。この人物が何者なのかさっぱり分からないけれど、彼にはどうやら歓迎されていないらしい。

 無造作に転がっていた木箱や煉瓦の瓦礫に適当に腰掛けると、黙っていられないといったようにコネルが口を開いた。

「……閣下。まずはグレイン・オフェリルの戦いから話を聞かせて貰いましょう」

 コネルの言葉に、当たり前のようにギルバートが口を開く。最初のリッツとダネルの小競り合いから、ティルス村の落とし穴、そして戦いに至るまでを簡単に説明したギルバートはコネルを見つめた。

「ごく一般的には、自治領区対自治領区の権利争いのようなもんだな。だが実際は邪魔なクロヴィス一族をオフェリルから追い出し、フレイが権力を握った形になった。フレイは知っているな?」

「フレイザー・カークランド。理屈屋フレイですね」

「軍に置いてはな。だがあいつは優秀な統治者だ」

「確かに、モーガン元帥が信頼を置くのだからそうなのでしょうね」

「その通りだ。つまりこの戦いで、グレインとオフェリルは、共闘出来る関係になった。だがな、これだけでは何もならん。ユリスラ北部に大きな難民受け入れ場所が出来たに過ぎない」

 ギルバートは言葉を切ると、海を眺めた。悠々と飛ぶ海鳥の声が、晴れた空に賑やかに響き渡っている。リッツも、所在なくてギルバートの視線の先を眺めていた。

 しばらくしてギルバートがゆっくりとコネルを見つめた。

「コネルよ」

「何か?」

「てめえはこの国の現状に満足してるか?」

 海風が強く吹き付けた。コネルは口を開こうとして一度黙り、しばし考えてから再び口を開いた。

「閣下。俺は戦わないために妻子をグレインに預けるぐらいのつもりでいたんだ。俺は望まない戦いで、国民を苦しませることは真っ平ごめんだ」

「なるほどな。戦わなねえですむならそれにこしたことはねえ。俺みてえな戦いを好む奴はろくなもんじゃねえからな。それならお前はこのまま、このユリスラで満足か? この国のために命、張れるか?」

 ギルバートの言葉に、コネルは柔らかく打ち付ける海面を見つめた。リッツも何となくコネルの視線を辿っていた。しばらく白波を眺めていたコネルが、やがて顔を上げる。

「俺も貴族です。っていっても、子爵程度だ。振りかざす特権も無ければ、禄だってない。それでも俺は軍人としてユリスラを愛していますよ」

「現状でも愛せるか? この国を」

 ただ静かにそう尋ねたギルバートに、コネルは手にしていた帽子を強く握りしめた。

「今のユリスラを愛し、国王をあがめ奉れるかといえば、俺はもう、そんなことは飽き飽きだと答えますね」

 握りしめられていた帽子が、ぐしゃりとコネルの手の中で潰れる。リッツはじっとコネルの顔を見つめているしかない。

「だがね、俺は分かっているんですよ、閣下。もしクーデターを起こし、王族を殺害したら公爵が出てくる。その公爵を倒し、王家の血族を滅ぼしたら、国家が混乱するってことぐらいね。軍が主体になれば、やがて軍の中で権力争いが起きる、人々に政治が届かなくなって、その混乱が長きにわたる国民の不幸に繋がるってね。そんなことは嫌って程、グラントから聞いてるんです」

 絞り出すように言ったコネルに、ギルバートが眼を細めた。

「グラントは今、どうしてる?」

「牢獄です。新たな宰相が就任したのに、何故過去の口うるさい宰相を生かしているのか分かりませんがね」

「そうか、生きているか……」

 ギルバートは静かに頷く。

「もし俺がグレインに遠征し、元帥閣下と戦う羽目になっちまったら、きっと俺は負けるでしょうね。そうなれば閣下の言うように家族だけは助かっても、グラントは救えない」

 呻きながらコネルは握りつぶしていた帽子を、ゆっくりと広げた。

「グラントには、申し訳ないが死んでくれと伝えました。グラントはそれでいいのだと。それだけの覚悟を持って、城の牢獄に繋がれている従兄弟に、俺は何も報いれない。それなのにこの国を憂いても、国家を混乱させるわけにはいかない」

 コネルは顔を上げ、真っ直ぐにギルバートを見つめた。

「閣下。家族を逃がしてくれるって本当ですか? そのために条件があると、ここに書いてましたね」

 コネルが出したのは、一通の書状だった。そこにはギルバートの名がある。

「モーガン元帥と戦わず、家族を逃がしてくれるなんて、何を考えているんです? 一体どんなからくりを使うつもりですか?」

 ギルバートに向けられたコネルの目は、例え上司であっても言い逃れは許さないと、鋭く輝いていた。ギルバートはその視線を真っ直ぐに受け止めて、口元を緩めた。

「コネル、お前は王族の血が憎いか?」

「……何を藪から棒に……?」

「いいから、正直に答えろ」

 有無を言わせぬギルバートの言葉に、一瞬詰まったコネルだったが、すぐに口を開いた。

「俺が不満なのは、今の政治です。確かに国王は女好きで浪費家でどうしようもなかったが、政治だけは確かだった。頭がいかれちまったここ五年ほどの期間をのぞきゃあ、俺たちに不満はさほど無かったですね。なにせ国王は、俺の従兄弟を宰相として、国家を運営出来ていたわけですから」

「じゃあ、政治が出来て、ちゃんとものが分かってりゃ、現王の血筋が再びこの国を支配していいんだな?」

 コネルは顔をしかめた。

「何を言ってるんです、閣下。現王の血筋はみんなあの女の血筋じゃないですか。あの馬鹿王子のどちらかを利用でもするんですか?」

 困惑するコネルに、ギルバートは笑みを浮かべるだけで、肯定も否定もしない。眉をしかめながらコネルが言葉を続けた。

「確かにリチャード親王なら馬鹿だ。御しやすいと思いますが、スチュワート王太子は手に負えませんよ。でもリチャード親王は、スチュワート王太子を神聖化してますから、引き離すことは不可能でしょう。この二人を仲違いさせて、内戦にでも持ち込みますか? どちらが勝っても、シュヴァリエ夫人の横行は止まらないって分かっているのに?」

 コネルは再び手にしていた帽子を握りしめた。

「この国はあの女の好きにされちまう。バルディア夫人を殺したように気に入らない者は皆殺しにして、ユリスラを食い荒らされちまう。政治は、国家は、民は、そのまま苦しみ続ける。閣下、そんなのは分かりきったことでしょうが!」

 激高したコネルは、俯いてはき出すようにいうと黙った。リッツはコネルの中に、エドワードと同じような、ユリスラ国民への思いがあることに気がついた。そしてギルバートがここに来た理由に感づく。

 ギルバートは、手勢を増やしたいと言っていたのだ。つまり彼のような人々を集めて、この国を作り替えようとしているに違いない。

「申し訳ありませんね、閣下。最近苛立つことだらけで、すぐに激高しちまう」

 コネルが肩をすくめて笑った。

「構わねえよ。まともに国を愛している人間で、腹が立たねえ奴なんざ、いねえからな」

 明るく笑いギルバートの様子に、コネルも何かに気がついたように、声を潜めた。

「閣下はやけに冷静だ。この国を変えるために秘策でも?」

 ギルバートはゆっくりと腕を組み、コネルと見つめる。

 リッツは息をのんだ。きっとエドワードのことが出てくると直感したのだ。

「もしも、バルディア夫人に子供がいたら、どうする?」

 直感は違わなかった。ギルバートが口に出したのは、やはりそれだったのだ。一体どうやって話すのか、リッツは黙ってみているしかない。

「まさか……だってシュヴァリエ夫人以外の子は、みんな殺されて……」

「本当にそうかな? あのバルディア夫人が、子を産んだとして、その子をみすみすシュヴァリエ夫人に殺されると思うか?」

 考え込んだコネルは、やがて顔を上げた。

「バルディア夫人は、本当に芯の強い方だった。モーガン元帥のお供や、使いで幾度かお会いしたが、あの美しさは、内面にある心の強さからにじみ出ておいでだった。もし子を授かっていたなら、みすみす殺されはしないでしょうね。命を賭けてでも守り通すでしょう」

「だろう? じゃあそういう状況があってもおかしくないと、お前は思わねえのか?」

 ギルバートの笑みに、コネルの瞳は見開かれた.その視線が真っ直ぐにリッツに向かう。慌ててリッツは手を振った。

「違う違う。俺じゃないって!」

 焦るリッツの頭に手を乗せて、ギルバートが爆笑する。

「こいつがバルディア夫人の子だったら、俺がお前に紹介したりしねえよ。こんな馬鹿面じゃ、立派な君主になんぞなりゃしねえ」

「馬鹿面……ひでえよ、ギル……」

「うるせえ、鏡でその顔をよく見てみろリッツ。お前の顔があいつに勝るか?」

 言われてリッツは益々むくれる。エドワードと比較されたら、リッツが馬鹿面なのは当たり前だ。エドワードのあの叡智に満ちた瞳は、リッツにとって何にも代え難いぐらいに眩しい。

「待ってくださいよ、閣下。今、あいつって言いましたね?」

「ああ」

「……いるのですか? 本当に、バルディア夫人の血を引いた子が?」

 驚愕で見開かれたコネルの瞳が、じっとギルバートを見据える。ギルバートは笑みを浮かべ、リッツの頭に手を置いたままぐりぐりと帽子ごと頭をなで回す。目の前が帽子で隠されて見えなくなってしまった。

「ギルっ!」

 帽子を直しながらのリッツの抗議の声など無視して、ギルバートはコネルを見つめた。

「エドワード・セロシア。そいつはそう名乗ってる。だが本名は当然、エドワード・バルディアだ」

「……エドワード・バルディア……」

「グレインではジェリーの隠し子ってことで通ってる。このギャンギャンうるせえ犬っころの本当の飼い主さ」

「犬扱いするなよ! 俺とエドは友達だってば!」

 抗議の声を上げるリッツなど無視して、コネルが口を開けた。何かを発しようとしたのだろうが、声にならずに口がパクパクと空しく動くだけだ。

 言葉を失っているコネルに向き合うでもなく、ギルバートはリッツの事をからかう。

「そうか。お前はエドワードの可愛い子犬だったな」

「だから、なんで俺がエドに飼われちまうんだよ!」

「てめえがエドワードにじゃれついて、いつも嬉しそうにしっぽを振ってるからじゃねえか」

「それは否定しねえけど、犬じゃない! 友達!」

「ちょっと黙ってくれませんかね」

 コネルがじっとりとこちらを睨んでいる。リッツは慌てて口を塞いだ。ギルバートはまだ顔面に笑みを残したまま、コネルを見返す。

「その人物は……本当にバルディア夫人の子なんですか? 偽者の可能性は無いんですか?」

 コネルの慎重な言葉に、ギルバートは笑う。

「ないな。何せ生後間もないうちにバルディア夫人の手から俺が受け取って、この手でグレインまで逃がした子だ」

「……そんな……でもバルディア夫人は、子をなすことなど無いと……」

「ああ。夫人は産後国王に命じられ、命を宿さぬよう、娼婦たちと同じように体に処置を受けたそうだからな」

 想像してしまってリッツは黙った。なじみになった娼婦に、リッツは興味本位で妊娠の有無について聞いたことがある。

 妊娠を避けるために彼女たちは子宮内に綺麗な丸い飾りを入れる。その恐ろしい用途を誤魔化すためか、錆びない白銀で作られたそれは、美しい紋章が彫られ、宝石が嵌められているのだ。

 それは結婚したり、娼館を辞す時に再び取り出されるそうだが、国王の愛妾であったルイーズにまでそんな処置がされていたなんて、王宮のおぞましさにぞっとする。

「その方は、どんな方なんです?」

 絞り出すようにコネルが尋ねる。

「俺たちの……国民の希望となれる人物なのですか?」

 静かな、だが熱い問いかけに、ギルバートは会心の笑みを浮かべた。

「近年まれに見る、王者の風格を持った男だ。奴以外に、希望の火を灯せる男はいないだろう。そうだろ、リッツ」

「うん。エドはいつもユリスラの人のことを考えてる。厳しいぐらいにさ。もう少しぐらい自分を大切にしてもいいのに」

 エドワードの決意に満ちた瞳と、本当はエネノア大陸を旅する冒険者になりたかったと語った時の差を思い出して、リッツは小さく息をついた。

「だからさ、俺が助けになるんだ。そのために強くなりたくて、ギルと一緒にいる。俺はエドに命を預けてあるんだ。エドのために命を使っても惜しくない。エドなら、絶対にいい王様になれるって信じてるからさ」

 静かに言い切るとコネルを見つめる。この人物が何者なのか、何故今会っているのかリッツには分からない。でもギルバートがエドワードのことを打ち明けたのだから、今後重要な人物になるのだろう。

 黙っていたコネルがため息をついた。

「まあ、あれだな。会ってみなけりゃ分からないのが現状ですね、閣下」

「……だろうな。お前はそういう奴だ」

 苦笑するギルバートに、コネルが肩をすくめた。

「すみません閣下。現地で是非そのもう一人の王族に会わせて頂きましょう」

「当然会わせる。そうすりゃお前も分かるさ」

 ギルバートは自信ありげに笑うと、リッツを見た。リッツも大きく頷く。エドワードは常に人の上に立つ雰囲気に包まれている。誰もが一目見て、エドワードの天武の才を見抜くのだ。

 しばらく俯いて波を見ていたコネルは、やがて小さく息をつき顔を上げた。その顔には迷いがない。

「分かりました、閣下。小官は軍の命令通りグレインへ赴き、グレイン・オフェリル連合軍と戦いましょう。可能な限り貴族をたらし込んでゆっくりゆっくり進んでゆきますよ」

「……受けてくれるか?」

「はっ。ご命令とあらば。このコネル・サウスフォードは昔も今も、モーガン元帥とダグラス中将の部下であります」

「堅苦しくするな。俺はただの傭兵さ」

「とんでもない。ただの傭兵が、国家を論じるわけもない」

「まあな」

 笑うギルバートに、コネルは表情を引き締めた。

「そうなると益々家族が重要ですね。あなたが我々家族の王都脱出の指揮を執ってくれるのでしょう、閣下」

 真剣なコネルに、ギルバートは表情を改めた。

「当然立案や、指示のほとんどを俺が取ることになるだろう。だがな、表向き脱出作戦の指揮を執るのは、こいつだ」

 唐突にリッツは肩を叩かれて、呆然とギルバートを見た。

「俺!?」

 驚いて自分を指し示すと、ギルバートは呆れ顔でリッツを見据えた。

「あたりめえだろうが。じゃなきゃなんでお前をわざわざエドワードから引き離して王都に連れてきたんだって話だ。民衆を味方に付けるために決まってるだろ」

 ギルバートにため息をつかれてリッツは焦った。今の今までそんなつもりは全然無かったのだ。きっとリッツは何らかの形でお飾りにされるのだろうぐらいのことを考えていただけで、まさか傭兵隊を指揮することになるなんて、考えても見なかった。

「待ってくれ、ギル。俺が、何で!」

「決まってんだろうが。英雄を作るっていわなかったか俺は」

「だって俺、お飾りだろ!?」

「馬鹿かお前は! 俺らが何でお前を鍛え上げてると思ってんだ?」

「俺がおろおろするのが面白いから!」

 きっぱりと言いきると、鼻で笑われた。

「否定はしねえが、それだけのために幹部連中に毎日お前を襲わせるか?」

「ええっ! 違うの?」

「当たり前だ。弱っちい役立たずに指揮されるなんぞ、真っ平ごめんだからに決まってるだろうが」

「そんなこといったら、まだ俺は誰にも勝てねえじゃんか!」

 ギルバートの剣技、ソフィアの体術、ファンの体術、ジェイのタガー、ラヴィの槍、ヴェラの毒、ベネットの弓……みなまだ全く刃が立たない。

 彼らを指揮するなんて、とんでもない。でもギルバートはまったく顔色を変えない。

「才能のない奴ならとっくに死んでるんだ。お前は死んでないし、あいつらもお前の根性を認めている。四の五の言わずにお前がダグラス隊の指揮を執れ」

「嘘だ!」

「嘘付いてどうするんだ。お前はエドワードの片腕になるんだろう? 傭兵部隊の指揮一つとれずに、国家を動かす革命の英雄になれるか?」

 困惑しながら、リッツは頭を抱える。

「どうして俺が……」

 呻くと、厳しい声が飛んできた。ギルバートではなくコネルだった。

「どうして閣下じゃないんです!? こんなわけの分からんガキに、家族の命を託せというんですか!」

 コネルの瞳が鋭い輝きに満ちてリッツを睨み付ける。リッツには反論が出来ない。リッツ本人でさえも、人々の命を守ることが出来るとは思えないのだ。

 直接ぶつけられたコネルの激しい怒りに、歯を食いしばって黙り込むリッツに、コネルが立ち上がって詰め寄ってきた。目を上げると、コネルの不信感に満ちた瞳がある。

 久しぶりに人から向けられる純粋な猜疑心に、リッツは固まってしまった。ティルスの村に来てから二年の間、一度もこの感覚を味わっていなかったかし、ギルバートが信用する人物から向けられる眼差しに、どう答えたらいいのか分からなかったのだ。

「俺は閣下を信用している。グレインにはバルディア夫人の血を引く者がいるのだろう。それは信じられる。だがもう一人の王族の友であるというだけで、わけの分からんガキに、家族を守らせるなど、どうかしていますよ、閣下」

 冷たくリッツを見下ろしていたコネルは、ゆっくりとギルバートを振り返った。

「閣下は、俺たち将官の家族を、殺す気ですか?」

「落ち着けコネル」

「ですが!」

「俺たちがやろうとしてるのはただの戦争じゃねえ。革命だ。現王族に逆らい、新たな王を立てる革命戦争になる。ならば民衆を味方に付けねばならない。分かるか? 俺たちには英雄が必要だ。人々を熱狂させる、世界を変える英雄がな」

「民衆に指示されぬ革命など、反乱に過ぎませんからね。ですが!」

「いいから聞けコネル。こいつをすぐに信用しろとは俺はいわねえ。見ての通りこいつは馬鹿だ。だがな、こいつには金銭欲もなけりゃ、名誉欲もない。女好きだから性欲はあるが、それ以外に人が望んじまう欲望がまるでねえ」

 ギルバートはコネルを真っ直ぐに見つめて、リッツを表した。コネルがゆっくりとリッツを見据える。言葉の出ないリッツは、黙って二人を見守っていることしかできない。

「こいつが欲しいのはたった一つだ。そのたった一つがエドワードの隣にいたいってことさ。こんなに都合のいいことがあるか?」

「それは……」

「人ってのはな、コネル、英雄になれば名誉を求める。権力を求める。だがこいつは英雄になっても、エドワードに頭を撫でて貰えばそれでいい男だ」

 それは少し言いすぎだと思ったが、口には出せなかった。コネルの視線は未だ、冷たくリッツを見据えているからだ。

 俯くことも許されず、リッツはただコネルを見つめた。家族を人質に取られ、軟禁状態に置かれる。そしてそれを救出する作戦をとるのは、得体の知れない若造だ。

 自分の身に置き換えてみれば、その不安やリッツへの不信感はよく分かる。リッツは自分の親を……自分の仲間を、見知らぬ他人の手に託すことなど出来ない。

「欲が無いから英雄に仕立てる? 閣下は妙なことをいう。それだけで仕立てられた英雄が、国民の何に訴えかけるというんです?」

「訴えかけられるさ。こいつはこの戦いにおいて、民衆を煽る最大のキーポイントになる」

「何がです?」

「これさ」

 短くいったギルバートの手が、リッツの頭に伸びてきて、あっという間に被っていたニット帽を取り上げる。

 まだ短い髪の中から、長い耳がピンと飛び出す。

「……これは……」

「リッツは、精霊族だ」

「精霊族……精霊使いですか?」

「違う。こいつは精霊族の中では特殊でな。シーデナから出てきたそうだ。精霊族にも精霊を使えない者はいる。伝説しか知らない俺たちは、そんなことすら知らないのさ。そして民衆もそれを知らない」

 ギルバートは静かにコネルにいうと、リッツに帽子を返してくれた。リッツは帽子を被り直す。この街を歩くとき、絶対に帽子を取るなといわれたのは、この耳が目立ちすぎるからだった。

「……精霊族と、王族……なるほど建国神話ですか」

 呻くようにコネルが呟く。平然とギルバートが頷いた。

「そうだ。建国神話を全面に立て、噂を流布して国民を動かす。世論を味方に付けた革命以外は成功しない。これは俺とジェリーの共通認識でもある」

 コネルは口を閉ざした。ギルバートも黙り込む。再び波音が、高く低く耳を打つ。白波が押し寄せるのを、リッツは黙ったまま海を見ているしかない。

 英雄になれといわれて、エドワードが納得し、リッツをギルバートに預けた。ジェラルドもそれに納得した。だからリッツは二人の望むように英雄にならねばならないのだ。

 でもそれがどういうことなのか、分かっていなかった。飾りだけの英雄でいいと思っていた。

 でもエドワードの隣に立ち続けるためには、人々を導くカリスマ性が必要なのだと初めて目の前に突きつけられたのだ。

 脱出作戦の指揮を執る……。

 ギルバートが補佐してくれるが、でも全面に立つのはリッツだ。リッツはこの作戦で、人々を導く存在とならねばならないのだ。その事が実際に王太子たちを戦うときにエドワードの力になる。

 黙りこくるリッツとコネルに、ギルバートが冷静に口を開いた。琥珀にも似た輝きを放つ瞳が、不敵な輝きをまとっていた。

「国家の命運、そしてお前たちの家族の命運。そのどちらも俺は救うつもりだし、救える作戦を立てるつもりだ。こいつを信用できなくてもいいが、俺を疑うなコネル。俺は誰だ?」

 力に満ちたギルバートに見つめられ、コネルは小さく息をつくと、顔を上げた。

「あなたは俺たち改革派の副長、ギルバート・ダグラス中将です」

「俺が信じられないか?」

「……信じます。あなたと元帥閣下が信じられなければ、この国に信じられる上司なんていない」

 コネルは小さく息をついてそういうと、静かにリッツを見据えた。

「でも俺はお前を信じない。欲がないなんてどうでもいい。俺はこのユリスラを命を賭けて守る人間しか、信用しない。個人への忠誠は重要だ。俺だってその気持ちは分かる。だがその個人がいない状況でお前が人を守れるのか、俺は疑問だ」

「俺は……」

「お前が守るのは、エドワードという、一人の人物なんだろう?」

 リッツは唇を噛みしめた。それは違う。リッツは守りたいのだ。仲間を、家族だといってくれたセロシア家の面々を、そしてティルスの人々を。この気持ちをなんといったらいいのか分からず、リッツは唇を噛む。

「どうなんだ?」

 コネルに再度問われて、リッツは顔を上げた。

「……俺は……エドを守る」

「個人への忠誠のみで国を救えるか?」

「救える!」

 リッツはコネルをにらみ返した。

「エドは国王になる。それでこの歪んだ国を変え、時代を拓く! エドがいなけりゃ、ユリスラの人々はこのままの世界で生きなきゃいけないんだ。だから俺は仲間のために、大切な人々のためにもエドを命がけで守る。それが国を救うことにならねえのかよ!?」

 チェスだったなら、キングを取られたらゲームオーバーだ。この戦いも同じだ。大義名分であるエドワード・バルディアを失ったら、負けなのだ。

 だからリッツは、親友を守る。エドワードがこの国のキングとして平和を作り出すために、リッツは決して負けられない。

「俺だって怖いよ。人の命がいっぱいかかってる作戦の指揮を執るなんてさ。でも俺がやらなきゃならないなら、俺は命がけでやる。俺はそのためにシアーズに来たんだ。あんたが俺を信用できなくても、俺はやるしかねえんだよ」

 ローレンが望んだ未来のために。

 エドワードの望む世界のために。

「俺はあいつを……王にする!」

 コネルに断言すると、コネルは小さく息をついた。

「そのエドワードとやらがいない、俺たちの家族を、お前が命がけで守るだと?」

「当たり前だ。命を賭けて守るよ。それが必要で、俺が英雄にならなきゃいけないなら、俺は英雄になる。それが大切な人を守る俺の決意だ」

「理想論だな。だが理想論で俺の家族を殺したら、お前の大切な飼い主の命であがなって貰おうか」

 静かな苛立ちと怒りをたたえた瞳でコネルが真っ直ぐにこちらを見た。本気であることぐらい、リッツにもすぐ理解できた。

 小さく息を吸い、リッツはコネルを見つめ返す。

「それは駄目だ。エドの命はエドのもんで、未来への希望だ。だけど、あんたの家族を俺のへまで殺すようなことになったら、俺の命を取れよ。抵抗しないであんたに殺されてやる」

 真っ直ぐにコネルとにらみ合う。例えどんな状況になったとしても、エドワードの命は賭けられない。だが自分の命なら差し出すことが怖くない。

「その言葉を忘れるなよ」

「うん」

「お前が無事に役目を果たすまで、俺はお前を決して信用しない。そしてお前が役目を果たせなかった時、俺はお前を殺す」

「殺されないさ。俺は絶対にやり遂げる」

 決意を持ってコネルを見つめ返したリッツから顔を背け、眉を寄せたままコネルは静かにギルバートを振り返った。

「シアーズを発つ予定が決まった時点で、また連絡します、閣下。くれぐれもよろしくお願いします」

「了解した。頼んだぞ、コネル」

「はっ……」

 見事な敬礼をギルバートに返して、コネルはきびすを返した。振り返りもせずに、軍人らしい早足ですぐ角を折れて消えてしまう。

「ギル」

 コネルの姿が見えなくなった時点で、リッツは小さくギルバートを呼んだ。

「何だ?」

「俺は強くなる。英雄になってやる。だから俺を……人を救える英雄にしてくれ」

 命が両肩にかかっていた。仲間だけじゃない。まだあったこともない人々の命が、未来のための架け橋が、リッツの両肩に載っているのだ。

「分かった。お前を一流の戦士に育ててやる。歯を食いしばってついてこい」

 立ち上がったギルバートが、リッツの肩に手をかけた。その手がギュッと肩を掴む。

「お前がエドワードを救い、国を救え。お前とエドワードは一対の英雄だ」

「一対の英雄……」

 リッツはギルバートの一言を噛みしめた。  

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