<17>
地下牢の守衛を金で黙らせて人払いした軍服の男は、牢に繋がれたやつれた男の前に立った。
牢獄の中で机に向かって書き物をしていた男が、軍服の男に気がついて顔を上げる。
髪は乱れ、ひげ面となってもなお、男は決して不当に屈していない。
「よぉ、従兄弟殿。元気かい?」
陽気に尋ねた軍服の男に、牢獄の男は表情も変えずに息をつく。
「コネルか。何をしにきた」
「ご機嫌伺いさ、グラント。どうだ牢獄暮らしは?」
「……快適とは言い難いな。だが意に染まぬ仕事をするよりましだ」
「相変わらずだな」
コネルと呼ばれた軍服の男は苦笑した。
子供のようにあしらわれるが、コネルはもう三十代も半ばという年齢だ。
牢に繋がれているグラントは、コネルより十歳年上なのだが、十年経ってもコネルはグラントのようになれないことを知っている。
「外はどうだ? 相変わらず我が国の財政は傾いたままか?」
生真面目な従兄弟が自分の身の心配をせずにそんなことをたずねた。
今度はコネルが苦笑する番だ。
「傾いたままに決まってるだろう。優秀な宰相をこんなところに繋いでるんだからな」
「……宰相ではない。元宰相だ」
「俺からすりゃあ、まだグラントがこの国の宰相だ」
「馬鹿をいえ。宰相が牢獄に繋がれてどうする。宰相は、あの男だろう?」
「ああ。ジェイド・グリーンか。あいつの宰相は名目上で、本職は現王妃の愛人だろ」
「コネル、滅多なことを口にするな」
渋い顔で忠告する従兄弟に、グラントは肩をすくめる。
「大丈夫だ。俺は投獄されないさ」
ため息混じりの言葉に、グラントが眉をしかめる。
「何故だ?」
「決まってるだろ。今のユリスラ軍には、無能な貴族以外の指揮官がほとんどいない。俺を含む改革派はかなり数を減らしてる。みんな軍に失望してやめたり、貴族と反発して僻地おくりになってる。いざ事が起きたら、対処できる人間が俺以外いない」
「貴族の中にも有望なものはおろう。お前の友、ウォルター侯爵は有能じゃないか」
「ああジョセフか。あいつはまだ侯爵じゃない。親父が生きてたはずだ。確かにやつは有能だ。いい奴なのに、リチャード親王に心酔してるところだけはいただけないね」
「なるほど、シュヴァリエ夫人派か」
「ああ。改革派はバルディア夫人派だからな。このことになるといつもジョゼフと喧嘩になる」
「お前はモーガン候の親派だからな」
「貴族で侯爵だが、あの人以上に信頼できる指揮官はいない。まったく、貴族ってのはどうしてこう、プライドばっかり高くて役に立たないかね」
檻に手をかけて愚痴ると、グラントは苦笑した。
「お前も貴族だろうに」
「何いってんだよ。俺はサウスフォード家の傍流。しがない分家の次男坊だ。貴族なのはあんたの方だろ、グラント・サウスフォード伯爵」
「言ってくれるな。この状況にうんざりしてるのだからな」
グラントはそういうと苦笑した。
ルイーズ・バルディアが謀殺され、イーディス・シュヴァリエが王妃を名乗った直後から、グラントはここに幽閉されている。
今も生かされているのは、ジェイド・グリーンが宰相のまねごとをするのに必要だからなのだという。必要なくなれば確実に処分されるに違いない。
ジェイド・グリーンは確実に敵だ。
だが私欲がない。
何を考えているのか分からないのが、気味が悪いとコネルは考えている。
それはグラントも同じだろう。
「無駄話をしに来たのか、コネル」
グラントが再び書き物に目をやるのをみながら、コネルは肩をすくめた。
「ああ。愚痴を言いに来たんだ」
「愚痴をこぼすぐらいなら仕事をしろ」
「冷たいなぁ従兄弟殿は。話ぐらい聞いてくれたって言いだろう?」
「書類を書いていてもいいなら聞こう」
グラントが書いているのは、国家運営に関する意見書だ。
決して受け入れられるわけがないのに、こうして数日に一度、グラントは意見書を提出する。
その真摯な横顔を見ながら、コネルは呟いた。
「自治領区戦が起こった」
「……ほう」
「グレインとオフェリルだ」
グラントの手が止まった。
「グレイン?」
「そうだ、従兄弟殿。モーガン候がオフェリルを攻めた。オフェリル貴族がグレインの村を焼き討ちした報復だったらしい」
「……そうか。それで?」
「オフェリルは貴族が平民を虐げてることで有名だったろ? だからグレインの宣戦布告と同時に、オフェリルのカークランド伯が立ち上がり、領民と共にほぼすべての貴族を追い払ったようだ」
グラントが眉をしかめた。コネルが何を言いたいのか、考えあぐねているようだ。
グラントは軍人ではない。政務部の頂点に立つ官僚だ。
軍の思惑など分からないのかも知れない。
そう思いながらもコネルは黙って従兄弟の顔を眺めていた。
やがてグラントが口を開いた。
「内戦に発展する可能性があるな」
「正解だ。従兄弟殿も分かってるじゃないか」
「茶化すなコネル。貴族が追い払われ改革派が足下を固めることがあれば、王家が足下を掬われる。当然だろう。それがどうかしたか?」
グラントに見つめられてコネルは一瞬言葉を飲み込んだが、その強い視線を受けて口を開いた。
元々このことを告げに来たのだ。
「グラント。俺の家族に軍の施設内にある高級士官専用宿舎に移動するように指令がきた。他にも残った改革派の将官以上は全員にその指示が来ている」
「……まさか……」
「ああ。そのまさかさ。俺はどうやらモーガン候と一戦交えることになるらしい」
「……あの……ジェラルド・モーガンとか……?」
「まあ、まだ先の話だけどな。今はまだ小麦も米も蕎麦も総て収穫前だ。これを焼くほど馬鹿な指揮官は、ありがたいことに我が軍にはまだいない」
将来はどうか分からないが。
口には出さずにコネルは自嘲の笑みを浮かべた。
そんな軍に従うしかない自分が愚かしい。
軍の高級士官専用宿舎は、豪華な檻だ。
戦場に赴く兵士の家族を守るという名目で、戦争が起こる時に家族をそこに避難させる。
王太子たちによって作られたこの制度は、明らかに人質を取って逆らう軍人を思うままに動かすためのものだった。
その制度は今まで使われたことが無く、改革派の軍人たちも馬鹿にしていたそぶりがあった。
だがその檻は、今回初めて本来の役割を果たすことになるようだ。
王太子の命であれば、それに逆らうことなど出来ないのだから。
コネルは牢に歩み寄った。
立ち上がったグラントも近くによる。
「従兄弟殿、俺は少し策を練ろうと思う。俺はモーガン候の部下だ。戦えば勝てないことぐらい分かっているが、死にたくもないし、家族を殺されたくもない」
そういうと、コネルは一通の書状をそっと軍服から引き出して、宛名部分をグラントに見せた。
そこにはギルバート・ダグラスの署名がある。
グラントが確認したのを見ると、取り出すことなく書状を懐に戻した。
「俺の家族は何とかなりそうだ。だけどグラント、あんたを人質に取られたら、俺には助け出す手段がない」
まっすぐにグラントを見つめると、グラントは静かに微笑んだ。
「私のことは気にするな。国家の義により死すのなら、後悔はしない。この国の行方は運命が決めるだろう。出来れば国民に幸があるよう祈っている」
「……すまない、グラント」
「構わない。さあ、長くなれば金がものを言わなくなる。帰れ」
グラントが静かに微笑んだ。これが最後になると覚悟を決めているようだ。
コネルも決意をしなければならない。
もしジェラルド・モーガンと戦うことになるのならば、そして家族を救えないならば……その時は戦場にて真っ先に死ぬ。
それがこの国をよい方向に導こうとしているモーガンへの忠誠であり、家族を守るための手段だった。
死んでしまえば反逆者として処罰されることもなく、家族を牢から出してやれる。
「じゃあな、従兄弟殿」
そんな決意を表に出すことなく、コネルはグラントに背を向け、軽く片手をあげた。
時代という巨大なうねりが、今動き出そうとしている。




