<15>
宣戦布告から三日たった、六月十八日の午前中。
カークランドとの共同戦線を確立するべくゆっくりと侵攻していたグレイン軍は、この日オフェリルの街を見下ろす街道の上に陣取った。
待ち受けていたオフェリル軍の数は、かなり少なく、おそらく千人を軽く下回って七百から八百ぐらいだろう。
いや、もっと少ないかも知れない。
しかもかれらは何故かオフェリルの街のすぐ近くに陣取っていた。どう考えてもそれでは街に被害が及びかねないだろう。
首をかしげるリッツに、状況を見ていたエドワードが説明してくれた。
「たぶんあれが、今クロヴィスが集められる全軍だ」
「……そうなの? ずいぶん少ないじゃんか」
「それは少ないさ。たぶん領民はみなカークランドに付いただろうからな」
「じゃあどうしてあそこから動かないんだ?」
「あそこでカークランドと我々の両方を迎え撃とうとしてるのさ」
「あの人数で?」
「あの人数だからな」
納得したリッツは、後方を見遣る。そこには堂々たる姿で立ち、街を見ているジェラルドの姿があった。その隣にはもちろん、騎士団の制服に白銀の杖を身につけたパトリシアがいる。
きっとジェラルドの中では、総てが決定事項なのだろう。
いつもジェラルドは敵の数歩先を歩いている気がする。
カークランドと共同戦線を張れれば、戦いが楽になるというのはこういうことだったのだ。
ジェラルドはシアーズに出向いた日から、こういう日が来ることを予期して準備を進めていたらしい。
だがジェラルドも人だ、万能ではない。
ティルスの村が襲われる可能性を予期していたが、まさか最高位の精霊使いを用いて、村を壊滅させに来るとまでは予想が付かなかったと、苦悩の表情で言っていた。
それでもジェラルドは目標のために前を向く。
宣戦布告の内容はリッツも聞いたが、傍目にはこれは報復戦のようだ。
だがこの戦闘、ジェラルド、エドワード、ギルバートには、もっと深い意味を持つらしい。
少なくともグレイン軍上層部は、報復戦としてこの戦いを捕らえていなかった。
ティルスを焼き討ちされたことに苦しみ、心を痛めたはずのエドワードも、静かにこの戦いが持つ意味を噛みしめ、報復する意志はないようだ。
リッツはそんな彼らを補佐することしかできない。
それにリッツは未だに、ローレンの事を後悔してしまっている。
報復する気持ちよりも、後悔が強いため、純粋にオフェリルを憎む気持ちになれないのだ。
カークランド軍の到着を待ちながら、順番で昼食を取る。
ここに彼らがいると言うだけでもオフェリル軍に脅威を与えているのだ。
昼食後、ギルバートが大剣で自分の肩を叩きながらジェラルドの前に立った。
「ジェリー、暇だからちょっと偵察に行ってこようと思うんだが、二十人ぐらい貸してくれねえか?」
散歩に行くというぐらいの気楽な言葉に、ジェラルドが笑う。
「お前の散歩では、オフェリル軍が全滅しかねんな」
「いやいや。買いかぶるなよジェリー。さすがの俺でも千人は相手にできんだろう」
「そうはみえんよ」
いいながらジェラルドは、思案しているようだった。
一瞬の逡巡の後、ジェラルドは決断を下した。
「とりあえず更に平民の数を減らしに行くのも悪くない。エド、リッツ」
「はい」
不意に呼ばれてリッツは返事をしながら立ち上がった。エドワードも同様にジェラルドに向き直っている。
「ギルと一緒に行ってグレインは貴族とそれに味方する者としか戦わないことを宣伝してくるんだ」
「宣伝?」
「そうだ。そうすれば隙を見て領民が逃げ出す」
そうなれば貴族が多く残り、平民が減っていくという算段らしい。
リッツも嫌々ながら貴族に従う領民を殺したくないから、大賛成だ。
「わかった。行く。エドは?」
「当然いくさ」
お互いに頷き合って、ギルバートの後から馬に乗り込んで付いていこうとすると、ジェラルドが声を掛けてきた。
「よし。いいか二人とも。目立つんだぞ」
思いも寄らない言葉に、リッツは振り返ってジェラルドを凝視してしまった。
普通は命を狙われてたりするかもしれないエドワードは、目立ってはいけないのではないだろうか。
思い切り不審そうな顔をしているリッツに、ジェラルドが笑った。
「リッツ、言いたいことがあるようだな」
「うん。目立ってこいって、意味が分からないんだけど?」
正直にそう答えると、ジェラルドに変わってギルバートが笑みを浮かべてリッツの肩に手を置いた。
「それが今後の戦いの重要な要素になるのさ。お前らはコンビでいればただでさえ目立つ。目立つならそれを利用しない手はねえさ」
「ギルの方が絶対に目立つじゃん」
見た目といい、その大剣といい、目立つことにかけては一番だと思う。
しかもギルバートには最高に目立つ相棒、ソフィアまでいるではないか。
だがギルバードは苦笑しながら肩を軽くすくめた。
「俺じゃ駄目さ。なんと言っても若さが足りない」
「……若さって……」
「新しい世界を開くのは、若さだ。それに見た目はよくて目立つほど有利だ」
「だから、なんでさ?」
「いいか、馬鹿ガキ。これから俺たちは革命戦争の足場を作らなきゃならねえんだ」
ギルバートがそういってリッツとエドワードを交互に見た。
意味の分からない言葉に、リッツはエドワードと顔を見合わす。
「特にエドワード。お前は目に付いておけ。いざというとき、人の心に残っているとやりやすい」
ギルバートの言葉に、エドワードが苦笑した。
「……なるほど。名乗る前に実績をあげておけということか」
「その通りだ。見たこともない奴がポンと出てきても、旗印に掲げにくい。だが先頭に立っていれば、皆が納得する」
「了解した。せいぜい目立つことにするよ」
納得した様子のエドワードだったが、リッツには全く分からない。
「何だよぉ、俺だけわかんねえし」
むくれると、ギルバートが笑った。
「馬鹿ガキは、その見た目をアピールしとけ」
「見た目ぇ?」
「そうだ。髪を刈り上げて、せっかくその特徴的な耳が丸見えなんだ。アピールしといて無駄はない」
「……耳って……俺が人間じゃないってアピールしてどうすんのさ」
ますます意味が分からない。
リッツとしてはどちらかと言えば隠しておきたい事実なのだ。
だがギルバートは楽しげに笑った。
「伝説を作るためのアピールさ」
「はぁ!?」
「軍事力の少ない地方から革命を起こすのに、最も必要なことは伝説と、世界を開く勢いだ。その布石は出来るだけ打っておいた方がいい」
ギルバートの楽しげな言葉だが、リッツにはよく分からない。
エドワードを見ると、エドワードは肩をすくめた。
分かっているらしい。
これでまたギルバートたちに馬鹿呼ばわりされてしまう。
そもそも察しがよすぎるエドワードの方が特殊だとリッツは言いたい。
馬鹿じゃなくて、自分は普通だ。
こうなったら後でエドワードに徹底的に聞くしかないだろう。
エドワードならギルバートやジェラルドのように誤魔化したりしないはずだ。
「分けわかんねえけど、まあいいや」
ここでじっとしているのも少々疲れる。
早く戦いを終わらせるための作戦ならば、体を動かした方がリッツとしては楽だ。
「ギル、私はどうする?」
黙って煙草を吹かしていたソフィアに尋ねられたギルバートは笑った。
「お前を連れて行ったら、本当に千人と戦えちまう。ここでのんびり一服付けてろ」
「了解」
あっさりとそういって、ソフィアは心地よさげに煙を吹き出した。
「ん~、外で吸う煙草はまた格別だね」
リッツにはその違いはよく分からないが、ソフィアは満足そうだ。
その間に準備が進んでいく。
「騎士団第二隊から、二十人選抜してくれ」
ジェラルドの言葉に、第二隊長が動き始める。
程なくして二十人が決まり、出発の準備が整った。
「じゃ、散歩に行くか、若造ども」
ギルバートがそういった時だった。
軍の後方がざわめいた。
人々のざわめきは、心配そうな、誰かを気に掛けるような言葉に変わっていく。
「どうした?」
ジェラルドの問いかけに、休憩を取る騎士たちの後ろから、よろめきながら少年が現れた。
少年に気がついた第三隊長のマルヴィルが駆け寄り、その体を支える。
巻かれていた包帯はほどけ、完治していない火傷の傷口からは、血を流している。
その痛々しい姿に、リッツは息をのんだ。同様にとなりのエドワードも目を見開く。
「シャスタ……お前何を……」
エドワードの呟きに我に返ったリッツは、マルヴィルに支えられるシャスタの元へ駆け寄った。
「お前、何してんだよ」
マルヴィルが支える反対の肩を支えてリッツが顔をのぞき込むと、シャスタは顔を歪めた。
「リッツさん」
「まだ火傷治ってねえだろ? それにお前、サリーの治療を手伝ってたはずじゃねえか」
シャスタを気遣って言った言葉に、シャスタは唇を噛んでから反論した。
「リッツさんだって、火傷も怪我も治る前から走り回ってるじゃないですか」
「俺は特殊だから、怪我の治りが早いんだよ」
「僕だって、もう大丈夫です!」
「大丈夫じゃねえだろ。歩けてないじゃんか」
「大丈夫だと言ってるじゃないですか!」
いらだたしげにシャスタは肩を貸しているリッツとマルヴィルの手を払った。
思い詰めたようなシャスタの普段とは全く違う様子に戸惑うリッツの肩に、エドワードの手が置かれた。
「シャスタ、何をしに来たんだ?」
冷静なエドワードの言葉に、シャスタは一瞬詰まったが、決意をしたようにエドワードを見上げた。
「戦いにきました」
「誰とだ?」
「決まってるじゃないですか! ティルスを……僕の故郷と母さんを殺した連中とです!」
シャスタの悲痛な叫びが響く。
賑やかだった昼食後の陣営が、水を打ったように静まりかえる。
口を開きかけたエドワードだったが、それを制したのはジェラルドだった。
「シャスタ。こちらに来なさい」
「ジェラルド様……」
「さあ」
促されて、シャスタは一人、よろめきながらジェラルドの前に向かい、その正面に膝を付いた。
「お願いです。僕も戦わせてください。僕はもう願いを託して待つだけの存在でいたくないんです。大切な者を失ったのに、のうのうとグレインの街で過ごすなんて、もう嫌です。僕だって戦えます、母や故郷を奪った敵と戦いたいんです。そのためなら僕の命を惜しむつもりはありません」
シャスタの口から悲痛な覚悟が漏れる。
「お願いします、ジェラルド様」
ジェラルドの前にシャスタは両手を突いた。
リッツはそんなシャスタに何をどう言ったらいいのか分からずに、立ち尽くすことしかできない。
エドワードも同様なのか、リッツの隣で動きを止めている。
やがてジェラルドが口を開いた。
「シャスタ・セロシア」
「はい」
静かなジェラルドの声に、シャスタが顔を上げた。
「今のお前を連れて行くことは出来ない」
それは冷静にしてシャスタにとっては残酷な一言だった。
「何故ですか!? 僕が子供だからですか!?」
「それもある。だが一番の理由はそれではない」
「では……!」
なおも食い下がろうとするシャスタを、ジェラルドはじっと見つめた。
「シャスタ。お前がやろうとしていることは復讐だ」
「そうです。何が悪いんですか!? これはティルスの報復戦なのでしょう?」
「形上はそうだ」
「ならば僕は間違ってない。戦えない理由にはなりません!」
「そうだな。再びの報復戦を受けて立つつもりならばその通りだろう」
静かなジェラルドの言葉に、シャスタは目を見開いた。
リッツもジェラルドをまっすぐに見つめる。
言われてみればジェラルドは宣戦布告しておきながらも、ティルスの報復として途中経過してきた村を襲ったりはしなかった。
それどころか、虐げられている村人たちから貴族を取り除き、グレイン軍の味方を増やしつつ進んでいる。
これはただの報復戦ではない。
宣戦布告した理由は何であれ、先ほどギルバートが言ったように、革命戦争の足がかりを作る第一歩なのだ。
「シャスタ」
「はい」
「たとえ話をしよう。貴族が君の家族を人質に取り、君にオフェリルの村人を殺して火を放てと命じたとしよう。君は家族の命がかかっているからやるしかない。そして火を放って帰宅した君を、オフェリルの被害者の家族が報復行為として襲ってくる」
「はい」
「さて、どれを取り除けば、復讐は連鎖せずに終わるかな?」
「……復讐心……ですか?」
考えながら言ったシャスタに、ジェラルドが首を振る。
「復讐心を簡単に手放せるかな?」
静かな問いかけに、シャスタは小さく呻くように答えた。
「……出来ません」
「ならば何を絶てばいい?」
再度問われた問いかけに、シャスタは顔を上げて答えた。
「人質を取って脅迫する貴族……?」
「そうだ。オフェリルではそれが普通だが、我がグレインではそれは脅迫行為ということになる。我が自治領区にも貴族は多数住んでいるが、彼らの中で特権を振りかざす者はおるまい?」
問いかけられたシャスタは頷いた。
「ならば大本を絶つしかない。これは復讐戦の形を取っているが、脅迫され続けたオフェリルの領民を解放するための戦いであり、解放されたオフェリルに、我が国に流れ込んだオフェリル難民を戻すための戦いでもある。そこに復讐のみを目的として戦いに赴く者がいては邪魔となる。まして怪我人もつれているとなれば、士気が下がる。わかるかね?」
静かなジェラルドの言葉に、シャスタが力なくうなだれた。
リッツは何も言えずにシャスタを見遣る。
おそらくこの戦いがこの先どう決着が付くのか、ジェラルドによって見極められているのだろう。
だからいま復讐心に燃えたシャスタが加わることをジェラルドはよしとしないのだ。
リッツはエドワードを見た。
「エド……」
小声で呼ぶとエドワードが振り返った。
「何だ?」
「この戦いはどうやって終わるんだ? もしかした全部筋書きが決まってるんじゃねえのか?」
小声で聞いたつもりだったのに、静まりかえったこの場所では、思ったよりも大きく響いた。
リッツの声に反応するようにこちらを見たのはシャスタだった。
「どういう意味ですか?」
「え……、ええっと、そのぉ……」
シャスタの鋭い目に見据えられたリッツは一瞬口ごもったが、ため息と同時にはき出した。
そもそもリッツだってよく分からないのだ。ここいらで聞いておいてもいいではないか。
「あのさ。シャスタがいう報復戦だったらさ、オフェリルの村を一つ焼き討ちしちゃえって話になるよな。それで痛み分けじゃん?」
率直に言うと、シャスタがハッと顔色を変えた。
「例えばさぁ、ここから見えるオフェリルに貴族とかいっぱいいるけど、報復戦ならそこに火を放って燃しちゃえばいいよな。でも絶対にそれはしないんだ。それどころか貴族を追い払って、村の人たちに感謝されちゃってるし」
ジェラルドを見つめると、ジェラルドの口元が微かに綻びる。どうやら話していいらしいと確信して、リッツは言葉を続けた。
「ってことは、この戦いをどう終わらせるかってのは、もうおっさんの頭にあるんだろうって思ってさ。しかもそれは今後に有利な方法なんだろ?」
「……今後?」
シャスタが眉をしかめた。
「そ。つまり味方を増やして邪魔者を一掃しようってことじゃんか。シャスタだってエドの正体分かってるから、何となく察し付くだろうし」
言いかけてシャスタの視線に気がついた。
シャスタは目を見開いてリッツを見つめている。
「……エドワード様は……ジェラルド様の息子……ですよね?」
その言葉にリッツの方が言葉を失った。
エドワードを見ると、エドワードが苦笑している。
「シャスタには普通の人生を歩んで貰いたいからな」
「あ……じゃあ忘れろ、シャスタ」
思わずそういうと、ギルバートが吹き出した。
「だからお前は馬鹿ガキだ。ここまで聞いたら、シャスタがはいそうですかと、引き下がるわけねえだろうが。てめえよりも遙かにシャスタの方が出来がいいんだからな」
その言葉の通り、シャスタの視線は厳しくリッツに注がれる。
リッツは周りを見渡した。
騎士団第三隊はみなエドワードの正体を知っている。エドワードを守るための部隊だからだ。
だが第一、第二隊は、隊長、副隊長以外ほとんどの者がエドワードの正体を知らない。
それはまだ隠しておかねばならない秘密なのだ。
シャスタの射るような視線と、皆の注目を集めながら、リッツは背中に嫌な汗が伝うのを感じていた。
どうすればいいのか全く分からないのだ。
助け船を出してくれたのはジェラルドだった。
「時期が来たら分かることを、今追求しても何の利にもならない。シャスタ」
「はい」
「今は怪我を治し休養することだ。この戦いが終わったら、きちんとアルバートの口から説明されるだろう」
「……父さんから?」
「そうだ。アルバート以外から聞くことを認めん。アルバートとローレンはお前のことを常に思っていたからな」
シャスタの目に涙が浮かんだ。
ローレンの事を思い出したのだろう。リッツはシャスタから目を離し、俯いた。やはりローレンを失った責任を負うべきなのではないだろうか。
そんなリッツの背を、音を立てて叩いたのはエドワードだった。
「いってーっ! 何すんだよエド!」
「準備が整った。行こう、ギル」
リッツに返事をせずに、涼しい顔でそういったエドワードに、ギルバートが笑った。
「そうだな。よし、散歩に行こうぜ。第二隊選抜は俺と来い。エドワード、リッツ」
「はい」
エドワードはきっとシャスタに隠し事をしていることを申し訳なく思っているのだろう。
二人は兄弟として育てられてきたのだから。
それでも感情を表に出してはいけないに違いない。だからリッツも大きく息をついてから頷く。
「りょーかい!」
「お前ら醜態だけはさらしてくれるなよ」
「さらすもんか」
明らかにリッツに対するからかい文句に、リッツはむくれながら自分の馬の元へと走り寄った。
結ってあった紐を取ると、身軽に馬に飛び乗る。
隣のエドワードも同じように素早く身支度を調えた。
微かに滲む苦渋の表情を見なかったふりをして、リッツはひとりごちた。
「人間じゃないのをアピールって……なんだろう」
呟きながらリッツは自分の耳に触れた。
ジェラルドやギルバートが考えることだから、変な理由ではないだろうし、リッツを貶めることもないだろう。
リッツは彼らをエドワードの次に信用している。
自分の耳を指で軽く弾いてみた。
長い耳が揺れる。
人間の耳の上部は丸くて短いが、リッツの場合は長くて尖っている。
精霊族の耳は、蝶の片羽といわれ、本当の蝶のように幅が広く、上が尖っていて下は丸くひだがある。リッツの場合も少々幅広で、尖った構造をしているのだが、下のひだはない。
闇の一族も基本的に精霊族と同じ耳をしているのだが、少々上が鋭角に尖っていて丸みが少ない。
リッツの場合は、人間と精霊族の中間のような、変わった形の耳をしていた。それでもやはり人間の耳とはかけ離れているから、一目見れば人間ではないことぐらい分かる。
騎士団の面々はリッツが精霊族のはぐれ者であると認識しているし慣れているから、こうして耳をむき出しにしていても何も言わないが、初めて見る人間からすれば不思議な光景だろう。
特に今は隠していた長めの黒髪も無く、短く刈り込んだ髪は耳を隠しようがない。
ぼんやり考え込んでいると、耳に暖かな息を吹きかけられた。
「ひゃあ!」
全身に駆け上がった寒気に耳を押さえて犯人を睨むと、隣に並んだ馬上の犯人は楽しげに笑う。
「やはり感覚はあるんだな」
「エド! 何すんだよ!」
「お前がそうして引っ張って広げてるから、いたずらをして欲しいのかと思ったぞ」
言われて初めて、無意識に耳を引っ張っていたことに気がついた。
「……だからって吹くことねえじゃんか」
むくれながらいうと、エドワードは楽しげに笑った。
「そうだな。それならその中に、大声でどなってやればよかったな」
「それもやめろ! 人より耳がいいんだからな!」
「冗談だ。お前は面白いな」
「何だよ、エド。お前性格変わったんじゃねえのか?」
何だかローレンの墓の前で殴られてから、エドワードの性格が悪くなったような気がする。
そんなリッツの不審の表情をエドワードは笑顔で流す。
「そうか? 俺はおそらく元々こうなんだろう。かくいう俺も最近気がついた」
「……あ、そう」
何だかよく分からない。
分からないが、エドワードが最近は、身近な存在になったような気がするのも確かだ。
リッツとエドワードの立ち位置は、今までエドワードが数歩前でリッツはエドワードのちょっと後ろを歩いていたが、今は横に並んでいるような気もする。
「行くぞ」
短く言って馬を走らせたエドワードの後を追ってリッツも馬を走らせる。
ギルバートは少し先を走っている。
たった二十三騎の小部隊に、三十倍近くいるオフェリル軍が動揺するのが見えた。
前方に構える弓部隊が混乱しつつも矢を違えている。
「坂道を駆け下る対象を撃つほど難しいものはねえ。当たらねえよ!」
楽しげに笑いながらギルバートが突っ込んでいく。
片目だというのに、器用に最小限の動きで弓を避けている。
もしかしたらその片眼は、常人の数十倍の視力を持っているのかもしれないと、勘ぐりたくもなる。
リッツも最大限の注意を払いながらギルバートの後を追った。
ギルバートの速度はすさまじい。追いつくのもやっとだ。
そして追いつくと目の前でもう既に戦闘が繰り広げられている。
馬上から振るわれるギルバートの大剣は、空気を振るわせてうなり声を上げる。
片手に手綱、片手に大剣……。
きっと力を象徴する炎の精霊王の加護を受けるとは、こういう存在のことを言うのだろう。
リッツもすかさず剣を振るう。
本当は地面に降りた方が格段に戦いやすいのだが、今回の目的は敵の攪乱と領民を逃亡させる揺さぶりを掛けることだ。
より多く殺す事ではない。
「よく聞け貴族ども! 俺たちはお前たちの首を頂に来た!」
よく通る声でギルバートが宣言した。
「俺は貴族は嫌いじゃねえ。だが馬鹿な貴族は大嫌いだ。よってお前らは皆殺しにする予定だ。覚悟しておけ」
ギルバートの言葉はほとんど脅迫だ。
だがその言葉に貴族の指揮官たちは震え上がっている。
貴族が怯えれば怯えるほど、領民を前に押し出してくる。
怯えながらも決死の覚悟で剣を構えている領民を見たギルバートが、エドワードに目配せした。
一瞬苦笑したエドワードだったが、その表情を綺麗に納めて凛とした表情を浮かべて、領民を見渡した。
「我々グレイン軍は、領民を無為に害することは決してない。貴族によって苦しみ、この戦場へと立つ事を余儀なくされているのならば、今すぐに我が軍に投降せよ。我が軍は礼を持って領民諸君を迎え、この戦い以後、諸君に元の平和な生活を取り戻す事を約束する」
エドワードの自信に満ちた堂々たる声は、その場の雰囲気すらも変えていく。
隣にいるエドワードが、ものすごく眩しい存在になったような気がして、リッツは眼を細めた。
きらびやかな防具に身を包むでもなく、質素な格好で震えながら剣を握っている領民が、エドワードの言葉に、力を抜いて剣を下ろしていく。
「何をしておるか! 敵の言葉に耳をかすでない!」
オフェリル貴族に必死の声は、誰の心にも届かない。
苛立ったように貴族の一人が目の前で戦う気力を失いつつあった領民の髪を掴んで引っ張った。
「裏切り者には死あるのみだ! 見よ!」
リッツはエドワードの言葉を遮り、目の前の領民に剣をふり降ろそうとした貴族を、一撃の下に斬って捨てた。
剣を納めると同時に貴族の体が音を立てて地面に叩きつけられる。
返す刀で、その近くにいてリッツに挑みかかろうとしていた貴族の首に斬りつけた。
あっけなく貴族の首は宙を舞い、地面に落ちる。
リッツはエドワードの近くに馬を寄せ、静かに貴族たちを見下ろした。
静まりかえった中で、朗々としたエドワードの言葉が響く。
「権力を笠に着て、領民を苦しめる貴族こそが我らグレイン軍の敵である! 我が自治領区の村を焼き討ちしたのは、貴族の傲慢だ。我々はそれを許さない。貴族に味方し我らと戦うか、自らの道を自ら開くかは、領民諸君が自ら決め、選び取れ!」
エドワードの言葉が終わるやいなや、戦列が崩れ始めた。
人々が皆、エドワードやグレイン軍がいる方へと逃げ出し始めたのだ。
その数は半端な数ではなかった。
「待て! 行くな! 今までの恩を忘れたのか!?」
貴族たちは叫びながら剣を抜き領民を脅して言うことを聞かせようとするが、逃げ出す領民の波は収まる気配がない。
「止まれ、止まらねば斬り殺すぞ!」
口から泡を飛ばして叫ぶ貴族を目標に、リッツは馬から飛び降りた。
貴族の振り回す剣に、人々が切り裂かれ、血しぶきが待っているのだ。
このままではさらに無差別に人々を斬りつけ始めるだろう。
「リッツ!」
「エド、馬頼む!」
「……分かった」
エドワードに馬の手綱を放ると、リッツは人の流れと反対に駆ける。
斬りつけられ、うめき声を上げる領民と、もう既に事切れている領民の前に、錯乱状態に陥っている貴族がいた。
貴族の剣は明らかに幼い少年に向けられている。
どうやら領民が集められず、こんな幼い少年まで招集したらしい。
「貴様! 何者だ!」
少年を掴みながら叫んだ男に、リッツは有無を言わさず挑む。
少年と貴族の間に飛び込み、一気にその貴族の腕を落としたのだ。
「離れてろ!」
少年に命じると、少年はあわてて人混みと共に逃げていく。
「手が……手が……」
「手ぐらいが何だ! てめえらは平気で平民を殺すじゃねえか!」
怒鳴りつけると、リッツは剣を構えた。
脅されて戦わされて、逃げるから見せしめに殺される。こんなの間違っている。
「戦いたけりゃ、お前が戦え! てめえみたいな小物が、人の生き死にを左右するんじゃねえ!」
走り込みながらリッツは貴族を上段から切り下げた。
激しく待った血しぶきを浴びながら、リッツは剣を構え直す。
「自分で戦う勇気があるなら、かかって来やがれ、くそ貴族!」
大声で怒鳴ったリッツの声に、貴族たちがあわてて逃げていくのが見えた。
領民の波も収まりつつある。
いつの間にか戦列が総崩れになっていた。
どうやら貴族たちと彼らと戦うことを選んだ領民たちは、オフェリルにまで引っ込んだようだった。
「リッツ、帰るぞ。かなりの効果があったようだからな」
エドワードに声を掛けられて振り返る。
そこにはグレイン軍の方ではなく、オフェリルから西へ向かう街道沿いに、足早に去って行くたくさんの領民の姿が見えた。
「あの方向にカークランド軍がいる。彼らはそっちと合流するはずだ」
「うん」
頷いたリッツは、自分が血にまみれていることに気がついた。
「あ~あ。どうしよ、これ」
無意識にそう呟くと、エドワードが苦笑した。
「どうしようもこうしようも……沢があったから水でも浴びたらどうだ?」
「ん……そうだな」
リッツは自分の頬に手を触れてこすると、その掌を見つめた。赤く錆臭い血がたっぷりとこびりついていた。
血にまみれるのは初めてじゃない。前に貴族を斬り殺した時、そしてティルスの村を守るべく、戦った時と三回目だった。でもどちらも最後は混乱に陥って、あまり血の感触を感じたことがなかった。
でもこうして戦闘がおわっても自分が平静でいると、血の感覚に酔いそうだ。
「……血の匂いだ」
呟くと、エドワードが目を伏せた。
「ごめんな、リッツ」
その言葉にハッと我に返る。
例えどんなに血にまみれても、エドワードと共に行くと決めているのに、エドワードにこんな顔をさせては駄目だ。
リッツは平然とした顔を装い、エドワードから手綱を受け取って馬に飛び乗った。
「お前も様になってたじゃん。さっすが王者の風格」
「茶化すな。あそこまで言うつもりはなかったんだが、ついな」
「ついかぁ? すっげえ決まってたのに」
「リッツ」
ため息混じりにリッツの名前を呼んだエドワードが、一息ついて笑った。
「俺も自分で自分の素質に怖くなる。軽く自慢だな」
「けっ、言ってろ」
からかい合うリッツとエドワードの耳に、ギルバートからの帰還の号令が届いた。
黙って二人は馬首をグレイン軍の陣営に向ける。
「リッツ」
「ん?」
「これから続くぞ。お前は大丈夫か?」
静かな一言に、リッツは笑った。
「大丈夫だ。お前さえ俺の前を歩いていれば、俺はお前と共にある」
自らの決意を口にすると、微かに俯いたエドワードが微笑んだ。
「頼もしいな」
真剣なエドワードの心を軽くしたくて、リッツは軽口を叩く。
「珍しく褒められた、俺?」
「馬鹿が」
この後、少数の攪乱部隊が陣営に帰還したのち、グレイン軍は待機をし続けた。
翌日、カークランド軍が街道から姿を現したところで合流を果たす。
カークランド軍はたったの数日でオフェリル軍を軽く凌ぎ、七千から一万人ほどの人数にまでふくれあがっていた。
その中には、女性たちも、そして今後の未来を担う若者たちも多数含まれていた。
そして六月二〇日。
オフェリル領民対オフェリル貴族の様相を見せたこの戦いも、カークランド・グレイン合同軍の圧倒的な勝利によって幕を閉じた。
グレイン軍のほとんどに出る幕がなかったぐらいの、あっけなさであった。
人々を迫害し続けた貴族の死者数は多数にのぼり、落ち延びた貴族は少数だった。
それだけ生死を貴族に握られ続けた人々の怒りは強かったのである。
貴族の名を持つ者で残ったのは、カークランドを初めとする、領民側に立って戦った少数のみで、この少数と、各街、村の長たちが集まって今後のオフェリル体勢を作ることになる。
前自治領主クロヴィスは、領民に殺害されることからは逃れた。
彼はカークランド率いる領民に殺されることではなく、自ら死ぬことを選んだのである。
オフェリルをカークランドが制圧したその日、クロヴィス卿は、自室で毒を飲んで死亡しているのが確認された。
こうしてユリスラ王国の中でも貴族の権力が強かったオフェリルが陥落した。これはシアーズの貴族たちの間で大きな衝撃となって広がっていくこととなる。




