<8>
昼間に馬を飛ばせば一時間もかからず駆け抜けられるティルスまでの道のりだが、夜の暗闇の中でランプを掲げた状態ではさらに時間を要した。
たかだか数十分の話しだろうが、心が焦りに焦っているから実際よりも何十倍も長く感じる。見えない景色の代わりに浮かぶのは、最悪の想像ばかりで気は益々急いていく。
終わらないかと思えるほど長く感じた時間の末に村に近づいた時、リッツは息を飲んだ。
この時間にはオイル灯も半分消されて暗いはずなのに総て煌々と灯り、ティルスの村がぼんやりと明るく浮かび上がっていたのだ。
村で何かが起こっている。それはもう確実だ。
リッツは唇を噛んだ。
更に馬の速度を上げて、いつもの通い慣れた道を走らせる。もともとこの地の産である馬も、走り慣れたこの道を迷うこと無く駆け抜けた。
村へと続く麦畑は、何も変わらず強めの風に煽られてさざめき合い、ざわざわと音を立てる。ここには何の被害もない。
もうすぐ村が見える、そう思った時、音を立てて何かがリッツのすぐ横を飛んでいった。
「弓だ。弓兵がいる」
となりでギルバートの声と、大剣を抜く音が聞こえた。
「弓兵……」
それは確実に敵がいることを示している。
焦りに目がくらみそうな気がした。みんな大丈夫だろうか?
「気を抜くなよ」
ギルバートの言葉の間を縫うように、矢はこちらに向かって放たれている。
実際に弓で撃たれたことなどないリッツには、どうにも出来ずにひたすら進むしかない。
「リッツ!」
不意にギルバートが足を止め、大声でリッツを呼んだ。
リッツも馬を止める。それに伴い、馬の一団が進軍をとめた。
出発の時は、全員騎馬の騎士と、万が一を考えた医師と辺境警備隊の衛生兵が乗る馬車も一緒にいたのだが、三分の一ほどがここに着くまでに脱落している。
「何?」
一刻も早く着きたいと焦るリッツに、ギルバートは冷静に声を掛けた。
「目をこらせ」
「え?」
「目の前にいる奴らは敵か、第三隊か?」
そうだ。もし味方だったら止めればいい。
リッツは深呼吸をした。落ち着け、落ち着かないと助けられる命も助けられなくなる。
「待ってくれ、ギル!」
リッツは目をこらした。
森育ちのリッツは、耳だけではなく目もいい。明るくなっていればこの距離があっても見分けられる自信はあった。
それをギルバートは知っている。
まばらに打ち込まれる矢を無視してじっと目をこらすと、大量にたかれたかがり火に人々の身につけている防具がまばゆい輝きを放っているのが分かる。
第三隊には、あんな風に輝く防具を身につけた者などいない。隊長ですら制服に替わりはないのだ。
となると間違いなくこれはオフェリルの貴族だ。
「オフェリルの貴族だ。第三隊じゃない!」
確信を持ってそう告げると、ギルバートは鷹揚に頷く。
「よし。分かった」
大剣を片手で構えたギルバートは、馬を隣に付けたソフィアにウインクした。
「ソフィア、頼むわ」
「了解」
言葉少なにソフィアは頷くと、ポケットから悠々とライターを取り出し、くわえた煙草に火を付けた。
矢が飛んでくるこの状況で一服付けようなんて、とんでもない。
「なにのんびりしてるんだよ、ソフィア!」
食ってかかるリッツに、微笑みながらソフィアは美味しそうに煙草を吹かすと、くわえた煙草を目の前で右手人差し指に挟んだ。
「ソフィアってば!」
リッツが苛々と叫んだのとほぼ同時に、煙草を挟んだソフィアの右手が力強く右に開かれた。
突然目の前が明るく染まる。
「……うわ……」
ソフィアの目の前には、一メートル以上あるだろう巨大な火の玉が出現している。
そういえばソフィアが何の精霊を使うのかを、ずっと聞かずに忘れていた。ソフィアは炎の精霊使いだったのだ。
いつものソフィアのクールさからは、まさか炎の精霊使いだなんておもいも寄らなかった。
「……!」
言葉を失うリッツの目の前で、楽しげにギルバートは自分の馬を蹴り、敵に向かって突っ込んでいく。
「いけソフィア、宣戦布告だ」
「OK、隊長」
煙草をくわえ直したソフィアは、楽しげに両手を腕の前で交差させた。
「荒れ狂え、炎の渦!」
言葉と同時にソフィアの両手が鋭く開かれる。
そのとたん、炎の球は激しく回転しながら矢のように闇を切り裂きながら敵に向かって飛ぶ。
その炎は以前リッツたちがオイル灯と風の渦で起こした炎とは比べものにならないぐらいに明るく、そして破壊的だった。
「すっげぇ……」
炎は先行するギルバートを超えて一気に敵陣へと向かっている。
「ボッとしてんじゃない。いくよ、リッツ」
「あ……うん!」
馬を駆るソフィアに慌てて着いていくと、誰かがすぐ隣を走っている。
パトリシアだった。
「すごいわね」
「うん。桁違いだ」
パトリシアもあの日の事を思い出していたのだろう。
前を行くソフィアが、振り返らずに大声でパトリシアに尋ねた。
「パティ、風の盾、使える?」
「ええ、使えるわ。でも全員は守りきれない」
「いい。とりあえず今使って」
「え?」
「早く」
分からないままにパトリシアが慌てて片手で白銀の杖を振りかざした。
「自由と調和を司る風の精霊よ! 我らを守る盾となれ!」
言葉と同時に、風が吹き渡る。強い風に包まれるような感覚だ。
「上出来」
満足げにソフィアが煙草の煙を吐き出した瞬間、ソフィアの放った炎の渦が敵陣へと到達し、大爆発を起こした。
「すっげぇ……」
思わず呟いていた。聞こえたのかソフィアが口元を緩めた。
「どうも」
爆風がパトリシアの風の盾と激しくぶつかり合って相殺しあう。
目の前がもうもうと立ち上がる煙によって瞬く間に視界を奪われた。
この風の盾があるから、爆風はみな横にはじき出されて、後方に続く騎士団まで届くことはない。
計算し尽くされているのだ。ギルバートといい、ソフィアといい、凄腕の傭兵なのだろう。
……ギルバート?
「ソフィア! ギルは?」
当然ながら風の盾に守られる範囲にはとっくにいない。
爆発に巻き込まれていないだろうか?
本気で心配しているリッツに、ソフィアは笑う。
「交戦中」
「え?」
爆風が収まり、風に煙が吹き飛ばされると、目の前で慌てふためく貴族と、単騎で切り込んでいるギルバートの姿が目に入った。
「すげ……」
あの爆風にも全く動じた様子はない。
「感心してる場合じゃない! 来るぞ!」
ソフィアに言われてリッツは頷く。
敵は目の前だ。先ほどの爆風で減っているようだが、まだまだ敵はいる。
リッツは馬の上に立ち上がった。
「リッツ?」
「俺、馬上って苦手だ。悪いけど降りる」
「降りるって、リッツ!」
「じゃ、後で」
告げた瞬間に、リッツは馬から飛び降りた。
むちゃくちゃな行動にパトリシアの悲鳴が上がったが、これぐらいの動きなら、リッツには問題がない。
一回転してから地面に膝を使って柔らかく着地すると、そこはもう敵陣だ。
跪くような形でいるリッツの目の前には数人の敵がいる。
ゆっくりと顔を上げながら、リッツは剣を抜いた。
敵の中に、前にティルスを攻めた時にリッツの顔を見た者がいたらしく、小さく悲鳴が上がった。
リッツは大きく息を吸う。
何があろうと自分の居場所を守ると決めた。
だからもう、迷わない。
「死にてえ奴は、かかってこい!」
剣を構えて怒鳴ると、数人が同時に剣を抜いて斬りかかってきた。
リッツは迷いなく目の前の敵を斬り伏せ、片足を軸に体を回転させて残りの一人の剣を受け止めた。
背後で男が倒れた気配を感じながら、剣を合わせる男を見据えた。
男の瞳が恐怖に見開かれる。
「死にてえ奴が来いって言ったじゃん」
小さく呟くと、リッツは動揺する敵の隙を突いて深く一歩踏み込むと、剣を一息に横に薙いだ。
剣は一文字に男の腹を切り裂く。
絶命して倒れた男と同時にかかってきた男も、振り向きざまに斬り伏せた。
ゆっくりと踏み込んでいた足を引き、まっすぐに立ち上がって周りを見渡す。
少し先リッツと同じく馬を降りていたギルバートがいた。あの大剣を馬上で使うのはきっと大変なのだろう。
ギルバートの足下には大量の敵の死体が転がっている。
「ギルっ!」
声を掛けると、ギルバートが振り返った。
血にまみれた大剣を軽々と片手に持って、ギルバートは笑う。
「おう、ひよっこ。ちゃんと戦力になりそうじゃねえか」
「ひよっこっていうなよ。俺は守るって決めたんだ」
まっすぐに目を見つめて宣言すると、ギルバートは頷いた。
「そうか」
「うん」
「気を抜くなよ、リッツ」
「分かった!」
ギルバートとリッツを遠巻きに見ていた男たちが、雄叫びを上げて突っ込んでくる。
リッツは剣を両手に構えて、向かってくる敵へと突っ込んでいく。
奴らを倒さねば、ティルスの村にたどり着けない。
がむしゃらに剣を振るい、足下に死体の山を築きながらリッツは前へと進んでいく。
この手に握る剣が奪っていく命の、なんと軽いことか。
血でぬかるんだ地面を駆けつつ、そう思った。
命の重さに苦悩していては前に進めない。
だが自分の力はあまりにも強く、敵はあまりにも弱かった。
それでもこの間の貴族たちとは数が違う。おそらく五倍以上はいるだろう。
靴先に死体の頭が当たった。
一体何人と戦い、何人斬ったのか。
どれだけの時間が過ぎているのか。
実感が全くない。
すごく長い時間戦っている気もするし、先ほど戦場に着いたような気もしている。
手はすっかり血にまみれ、剣も血と脂にまみれている。
夢に見そうだ。
そんなことを一瞬思ったが、すぐに打ち消した。
感情的になるな。気が緩んだ奴は死ぬ。
これからまだエドワードの戦いは続くのだ。
それなのに守るはずのリッツがこんなところで死ねない。
倒れた敵越しに、一瞬視界が開けた。
目の前に敵がいない。
少し離れたところにギルバートがいて、敵は少し遠巻きにリッツの様子を窺っている。
リッツはふと気がついた。オフェリル自治領区一つに、貴族がそんなにいるわけはない。
ここにはオフェリルの領民が混じっているのかも知れない。
目の前の男を切り伏せたリッツは、血にまみれた剣を軽く払い、目の前の男たちを見据えた。
きらびやかな鎧の奴らは貴族だろう。
そして貴族に比べたら格段軽装でいるのは、貴族に抑圧される領民ではないのか。
考えながらも、リッツは剣を振るう。
迷ったり悩んでいたら、自分の命を落とす。
敵を斬り伏せながらも、リッツには周りを見渡す余裕があった。
ジェラルドとの稽古やギルバートとの稽古は、思った以上にリッツに実力を付けてくれていたようだ。
だから敵と抗戦しながらリッツは見ていた。
誰を倒せば、手っ取り早くティルスに入れるのか、どうすれば相手を降伏させられるかを、だ。
そして気がつく。
敵の中に明らかに逃げ腰のきらびやかな鎧の奴らがいる。そいつらは間違いなく貴族だ。そいつらが軽装の人々に怒鳴り散らしているのだ。
だったらそいつらを先に狩ってしまえばいい。
そうすれば、きっと軽装の人々は戦意を喪失する。
「ギル!」
「何だ?」
「俺、貴族をやる。その方が早いよな?」
「おっ、気がついたか。それだけ冷静なら、どこの戦場に出しても恥ずかしくないな」
おちゃらけた調子でそういったギルは、笑みを浮かべたまま大剣を閃かせ、目の前の貴族の首をはねた。力と勢いで首は遠くまで飛んで落ちる。
「なるべく貴族選んで突入する。いい?」
「いいぞ。俺も同意見だ」
大声でそう会話するリッツとギルバートに、明らかに貴族が怯んでいる。
怯えたように周りの人々を怒鳴り散らす貴族に、追い立てられて人々が悲壮な顔で突撃してきた。
リッツは大声で怒鳴る。
「あんたら、あいつら馬鹿だぞ! 馬鹿のために死ぬのかよ!」
「おう、いったれ、いったれ!」
「同じ死ぬなら、納得して死ねよな!」
言いながらリッツは突っ込んでいく。
目の前には戸惑い、怯えながらも剣を構える男たちの姿があった。
リッツは剣を構えたまま、目の前の数人の男たちの前に走り込んだ。
そこで軽く膝を折り身を沈める。
「な、何を……っ!」
慌てるおとこたちに問答無用で、素早く力強い回し蹴りを掛ける。一気に振り抜いた足を戻すと同時に立ち上がった。
「おしっ!」
まさか剣を持っている奴に回し蹴りを掛けると思っていなかっただろう男たちは、意表を突かれて無様に転がった。
「このあとは騎士団が来るからな! 考えろよ!」
言いながらリッツは剣を構えて離れたところに立っている貴族の目の前に飛び込んだ。
焦ってリッツに背を向けた貴族の鎧の隙間に剣を突き立てる。
貴族は悲鳴を上げた。
「何故だ! 何故平民ごときに……!」
「平民だから、あんたらがむかついたんだよ!」
力任せに剣を引き抜くと、貴族は噴き出した血に全身を染め上げて、地面に重たく音を立てて倒れた。
リッツはそれを見届けると目の前の敵に向かって指さして怒鳴った。
「てめえら貴族! 俺はあんたらを許さねえぞ! 威張り散らすくせに、弱すぎんだよ!」
「わはははは。俺も元は貴族だが、いっそ小気味いいな!」
隣でギルバートに爆笑された。
「だが、その通りだ。貴族として禄を食んでいるならば戦場において戦えずしてどうするんだ。これでは国の将来が思いやられるわ」
ギルバートの言葉に、貴族がざわめいた。
「……ダグラス中将か!」
「何故、こんなところに……」
ざわめきはそんなことを繰り返している。
「……ギル」
「何だ?」
「中将って何? 偉いの?」
「まあまあだ。少なくとも大将よりも偉くない」
「大将って……お山の大将とか……」
「……プディング頭め」
ギルバートは深々とため息をついてから、大剣を構えた。
「ま、お山の大将みてえなもんか、俺の場合は」
ギルバートはそういうと、楽しげに口の端を上げた。
彼らの後ろで、騎士団が乱戦状態に突入していくのが分かる。人数は少なくても、グレイン騎士団第一隊は、グレインでは選りすぐりの戦闘集団だ。
対する敵は、一部貴族と大多数の領民だ。このまま行けばこの外の敵は時間の問題だろう。
問題はティルスの村の内部の敵だ。
「村の人は無事かな?」
呟くと、ギルバートは頷いた。
「無事だろうさ。村が制圧されていたならば、ここに敵さんが大挙して構えてはいないだろ?」
「あ……」
「所詮奴らは烏合の衆だ。グレイン一の戦力を誇る第三隊の敵ではないさ」
「え?」
最強は第一隊だと思っていたリッツは、意外な言葉にギルバートを見た。
「なんで?」
ギルバートは不敵に笑う。
「チェスと同じだ。ティルスにはキングがいる。キングをとられちゃ戦えねえだろ」
「ああ、そうか……」
第三隊は、エドワードを守るために存在していたのだ。もしエドワードの存在が敵にばれても、エドワードを守ってグレインまで逃れられるように、彼らはティルスで農業を営みながら日々目をこらしていたのだ。
「まあ敵は多数だ。さっさとこの馬鹿げた戦いをやめさせよう」
「うん」
頷くとリッツは敵に向かって突っ込んだ。
走り込みながら半ば戦意を失った領民は殺さぬように剣を振るい、貴族は迷うことなく切り捨てる。
吹き上がる血しぶきにも、感情が麻痺している。
目の前にあるのは目標だ。
大切な者を守る、その一点だけだ。
やがてリッツの目には、村の住居が建ち並ぶ中心へと続く、踏み固められたメインストリートが見えてきた。
ここには市場、商店、飲食店、宿など、色々な場所がある。畑を持っている人たちでも、ここに住んでいる人が多い。
その入り口に立ち、自らも剣を振るいながら部下たちを指揮するマルヴィルの姿が目に入った。
リッツは敵を斬り伏して走りながら大声で叫ぶ。
「おじさ~んっ!」
リッツの叫びに気がついたのか、マルヴィルがこちらを見た。リッツは目の前に立ちふさがった男を一刀で斬り伏せる。
ゆっくりと倒れる男越しに、マルヴィルと目があった。
「大丈夫!?」
無事でいたのを確認したリッツは、少しほっとしながら第三隊のいる方に駆け寄った。その間に立ちふさがった敵は打ち倒していく。
混戦状態にある以上、領民と貴族を区別していられない。
「リッツか!?」
「うん! 怪我してない?」
目を見張るマルヴィルの横に並び、リッツは体を反転させた。
今までは後ろから対していた敵に、正面から向かい合う形になる。
すると戦場の様子が見えてきた。
かなり近い場所で上がる火柱は、当然ソフィアだろう。
そして所々で男たちが空に巻き上がっている。あれはパトリシアだ。精霊使いの威力は半端じゃない。剣を使うよりも格段に戦力になる。
だが戦局は徐々に集結してきているようだった。
このまま行けばもうすぐ戦闘は終わる。村はこれで大丈夫だろう。
剣を構えたまま敵と対峙していたリッツの目の前に、まるで草をなぎ払うように敵をなぎ払ったギルバートがやってきた。
その異相に敵は恐れを成して後ずさっていく。
いつの間に追いついたのか、ギルバートの後ろには、歩きながら二頭の馬を引くソフィアの姿がある。一頭はギルバートが乗っていた馬だ。
「よう。村はどうやら無事らしいな」
大剣の血を勢いよく振り払い、悠々と肩に担ぎながらそういったギルバートに、気がついたマルヴィルは微笑んだ。
「何とか守りました。閣下」
「閣下はよせマルヴィル。もう軍人じゃねえ」
「……知り合い?」
親しげな様子に口を挟むと、マルヴィルが笑った。
「閣下は私の上司だった方だ」
ということは、マルヴィルも軍人だったと言うことだ。
「そっか。おじさんも軍人だったのか」
「おちこぼれだがね」
そういうと、マルヴィルは表情を引き締めた。
「現在、村人は中央広場に全員避難させています」
意外な言葉にリッツは首をかしげた。
「何で? 知らせが来た時にみんな村を出て逃げれば良かったじゃん?」
正直な疑問に、マルヴィルが笑う。
「知らせが来た時、既に外が薄暗かったんだ。どこに敵が潜んでいるか分からない状態で暗くなってからの移動は危険だろう?」
「……暗闇に紛れた敵に狙われるって事?」
「そうだ。明かりを灯して移動する沢山の村人はいい的だ。それに敵は奇襲を狙っている。我々がこぞって逃げれば襲撃を一時見合わす」
「ええっと、それはそれでいいんじゃねえの?」
分からないことだらけでしつこく聞くリッツに、マルヴィルは嫌な顔せずに話してくれた。
「となればこの周辺に敵が常に潜み、機を狙っていることになる。それならば準備を万端整えて、村にいた方がいいだろう?」
「どうして?」
「今日敵を取り除いてしまえば、明日からは落ち着いて眠れるといいことさ」
「……そっか」
そういってリッツはマルヴィルが見た方を振り返った。
村人がいるというのは村の中央にある広場で、祭の時には賑やかな移動遊園地や、沢山の舞踏などが行われたところだ。
「妥当な判断だな」
そういいながら、ギルバートが煙草をくわえてソフィアが火を付けた。
ギルバートの中ではこの戦闘は一時終了のようだ。
「じゃあさ、ギル、明日からは平穏無事になる?」
これ以上静かで平穏な暮らしをしているティルスの人々が苦しむ姿を見たくない。
そう考えて至極真面目に聞いたのだが、ギルバートは肩をすくめて煙を吐き出した。
「敵が撤退してもしばらく監視が必要だろうな」
「何で?」
「もしかしたら油断した隙を突こうと、伏兵が潜んでいるとも限らんからな」
「……そうか……」
戦闘がおわればずっと平穏と言うことはないのだ。ましてやこの攻撃は二度目だ。二度あることは三度あるというのが世間の常識だ。
小さくため息をつくと肩を叩かれた。振り返ると気楽にギルバートが笑っていた。
「ま、リッツとエドワードが帰ってくればいいし、俺たちもここに滞在してもいい」
いいながらギルバートは不敵な笑みを浮かべた。
そういえばギルバートはこの村でリッツに剣術を教えることを禁じられている。理由は一つ。彼の女癖の悪さだ。グレインのように歓楽街がないと生きていけない男なのである。
となると村の女性たちを狙うに決まっている。
楽しげな顔で笑うギルバートをいぶかって見つめていると、聞き慣れた声が苦笑しながらギルバートに話しかけた。
「ギルがこの村に滞在したら迷惑だろうな」
その声にリッツは弾かれたように顔を向ける。
そこには金の髪と、血に染まってはいるが騎士団の制服を身につけた見慣れた顔がある。
「エド……」
リッツの視線に気がついたエドワードは、楽しげに笑って言葉を続けた。
「ティルスの女性みんなに手を出したりしたら、村の男たちが黙っていないぞ。な、リッツ」
「何で……?」
「大変だったな、リッツ」
軽く手を上げて微笑んだエドワードに、リッツは安堵とも心配ともつかないため息をついた。
守るべき立場のエドワードが戦場のまっただ中にいたのに、隣にいなければ護衛のリッツの立つ瀬がない。
「いたんだ」
「ああ」
「いつから?」
「最初からずっとだ」
恨みがましく顔を上げると、マルヴィルが苦笑していた。
「すまんなリッツ。そもそも村人をここに避難させる作戦を立てたのはエドワードだ」
言い訳めいた説明はリッツへのマルヴィルの心遣いだろう。エドワードの友であり護衛だと自負している、リッツの複雑な心境を分かっているのだ。
なにしろマルヴィルもエドワードを守るべくこの村にいるのだから。
「北部の移民の争いは?」
「移民同士の争いは大事にならない限り、その地区の村長に任せている。それに移民に紛れて危険人物が入り込まないように監視しているんだ。だから直接こちらに、もめ事の相談があるはずがない」
「じゃあどうして出かけたんだよ」
少しふてくされながら尋ねると、エドワードは困った子供を諭すように笑う。
「自然に街を出るためだ。ジェラルドとアルバートは少し離れたところでグレインを見張ってる。もし何者かの攻撃を受ける可能性があるとしたら、こことグレインしかないからな」
「何で?」
「俺たちのことがばれた場合、ジェラルドが攻撃対象になるか、俺たちが攻撃対象となるかどっちかだろう?」
「……うん」
「ジェラルドがいるのは当然グレインだ。そして俺たちが逆だとばれたとしたら、元の俺たちを知っているものがいる事になる。ならばティルスが危険だ。俺たちは普段ティルスにいることが多い」
「そっか」
なるほど、計算し尽くされている。リッツにはそこのところが未だよく分からない。
「じゃあエドって、ずっとここにいたの?」
「そう。農民を装ってティルスに入って、第三隊とここで待ち伏せをしていたんだ。村の他の入り口には、監視に騎士を付け、可動式のバリケードを置いた。だから進入路はここだけだ」
「……なんだぁ……」
急に気が抜けた。
エドワードがいたなら焦る必要などなかった。なんだかんだ言っても、エドワードがいれば何とかなると信じているのだ。
もし間に合わなかったらとハラハラしたが、こうと分かっていればもう少し落ち着いて行動できただろうに。
恨みがましくエドワードを見つめると、当の本人が苦笑しながらリッツの肩を慰めるように叩いた。
「悪かった。お前を欺したつもりはないんだ」
「欺してんじゃん。俺、すっげぇ焦ったんだぜ? お前の留守に何かあったらって、気が気じゃなかったんだ。もう、どうしようかと思ってさ」
じっと見据えながらぶつぶつ恨み言を繰ると不意にエドワードの手が頭に乗った。その手が優しく頭を叩いてくれる。
エドワードは降参だ、というように笑っていた。
「本当に悪かった。無事に事が済んだら、好きなだけ奢ってやる」
「本当か? 高級レストランでフルコースとか!?」
「お前は本当に食い意地が張ってるな」
呆れて肩をすくめたエドワードに、似たような仕草をする事が多いパトリシアを思い出した。
そういえば守ってやるとか言ったくせに戦場を見たら頭に血が上ってしまい、すっかり忘れてギルバートと二人で突出してここまで突っ込んできてしまった。
「やべ。パティをすっかり忘れてた」
「でしょうね。すっかり置いてきぼりよ」
不機嫌に声を掛けられてリッツは、引きつった笑いを浮かべた。
馬上のパトリシアの服も最初に比べればかなり汚れていた。
「悪い!」
「いいわよ。期待してなかったから。私にはこれもありますからね」
そういってパトリシアは白銀の杖を吊っている反対側を叩いた。
そこにはかなり細身のレイピアがあった。
「自分の身は自分で守れるって言ったでしょう」
ご機嫌斜めのまま馬から身軽に飛び降りたパトリシアに、なんと言ったらいいか分からず、頬を掻く。
更けゆく夜の中で戦闘の決着が付きつつあった。
ほとんどの貴族は倒れ、一部残った貴族と、領民たちは総崩れとなって逃げ出していく。
騎士団は逃げだす人々には目もくれず、立ち向かってくる敵に対峙しているのだが、その敵もみるみる減っていく。
見る間に戦場に立っているのはほぼ騎士団員だけという状況になった。
「終わったな」
リッツはため息をつきながら剣を納めた。ギルバートも剣を納める。
「ま、平和ぼけした貴族なんぞ、こんなもんだろ」
第三隊の元に第一隊もやってきて、お互いの無事を喜び、状況の確認をしている。
騎士たちの中には、数人の軽傷者が出ていたが、命に関わる怪我をした者はいなかった。
圧倒的な勝利といっていいだろう。
ふとリッツはため息をついた。
自分は、一体何人殺したんだろう。
それを思い出すと心が痛んだ。
光の一族の中では殺し合いなどタブーだった。闇の血を引くリッツですら、死にそうな目には遭ったが、殺されることはなかった。
自然と平穏と静けさを愛する一族のはずなのに、今自分の両手は完全に血にまみれてしまった。もう故郷であるあの森と、両親の元には帰れないかも知れない。
血塗られた茨の道を、本当に歩き始めてしまったのだ。
それでもこの村を守り切れたことは、純粋に嬉しかった。
再びついたため息に気がついたのか、エドワードがリッツの頭を軽く叩いた。
「大丈夫か? これからはこんな事が日常茶飯事になるかも知れない」
小声で尋ねられて、リッツは小さく息をのんだ。だが決意はしている。
もう心は決まっている。
「大丈夫さ。始まってもエドが終わらせてくれるんだろ?」
「……そのつもりだ」
深々と頷いたエドワードの方が辛そうだ。
リッツはエドワードの肩を無理矢理に組むと笑った。
「とにかく無事で良かったな。今日はうちでゆっくりしようぜ」
うちとはもちろん、ティルスにあるエドワードの小屋である。
「そうだな」
事件はここで終わるかと思われた。これでいつもの夜に戻れると思っていた。
今年はこのシリーズにお付き合いいただき、ありがとうございました。
また来年、物語の世界でお会いしましょう。
それでは、よいお年を!!




