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明けましておめでとうございます。
皆様が素晴らしい一年をおくれますように、お祈り申し上げております。
今年も、『燎原の覇者シリーズ』は続きますよ!
どうぞよろしくお願いします!
だがそんな一団とは別に、ギルバートは静かに気配に目をこらしている。
それに気がついたのは、リッツだった。
よく見ればソフィアも煙草をくわえたまま目を配っている。
「ギル?」
未だ緊張を解かないギルバートに声を掛けると、ギルバートはリッツとエドワードを順繰りに眺めた。
「お前たちも俺と同じ報告を聞いているはずだ。ならばおかしいと思わないのか?」
落ち着いた口調で尋ねられたが、リッツには何のことかよく分からない。
首を捻りながら、グレインに駆け込んできた偵察部の使者の話をもう一度繰り返していると、隣であごに親指と拳を当てて考え込んでいたエドワードが何かに気がついたように顔を上げた。
「旅芸人の一座がいない……」
「え?」
「確か、曲芸師と精霊使いがいる小規模な一座だと言っていた」
エドワードの言葉にギルバートが満足げに頷いた。
「そうだ。貴族が一般庶民の旅芸人を隠れ蓑に使ったとは考えにくい。彼らがどこでこの情報を漏らすか分からないからな。だとしたら奴らもグルだと考えた方が自然だろう?」
「でも旅芸人だろ? グルったって何か出来る?」
リッツには芸人が戦場で何をすると言うのか想像も付かない。
困惑するリッツの頭を軽く小突いて、ギルバートは苦笑する。
「いいかプディング頭、よく聞け。もしお前とパティ、エドワードの三人が自分の職業を知られずに、それでも狙った相手だけに自分たちのことが知られるよう行動するとしたら、何に化けて旅をする?」
「へ? 化ける?」
「そうだ。本物らしく誤魔化せるものだ」
リッツは腕を組んで考え込んだ。
「商人……いや、無理か。売る物ねえし。寄り合い馬車の馭者……も馬車ないと無理だし……あ、そうか、旅芸人!」
ようやく旅芸人とリッツの考えが結びついた。
リッツは剣士ではある。だがどちらかと言えば曲芸に近い身のこなしをする。
そしてパトリシアは精霊使い。
エドワードは弓を使えるし、騎士団伝統の剣舞を舞える。
つまり旅芸人になりすませば、敵の目を欺くことが出来ると言うことだ。
そして実力を見たい人々には、一般の客の前で堂々と芸という形で腕前を披露する事も出来る。
「じゃあギルは、旅芸人が敵だと思ってんの?」
「そうだ。だからまだ気を抜くな」
ギルバートの言葉で、リッツとエドワードと、騎士団の間に再び緊張感がみなぎる。
その時だった。
「気付かれたのなら仕方ない。では第二幕はこちらが上げさせて貰うこととしよう」
くぐもった男の声が静かな闇の中からわき上がった。
だが男の姿はなく、オイル灯とたいまつだけがゆらゆらと揺れ、自分たちの影を揺らめかせている。
剣を抜くと、リッツはどこにいるかも分からない敵の気配を探すために、意識を集中させた。
「どこだ……どこにいる」
じりじりとエドワードとパトリシアを庇うようにリッツは周りを見渡す。
その瞬間、地の底からわき上がるような低い音と共に地面が揺れた。
激しい揺れに、立っているのもやっとの状態だ。
「地震か!?」
足に力を込めて必死で立ちながら剣を構えているリッツの耳に、パトリシアの悲鳴が飛び込んできた。
「逃げて!! みんな、逃げて!!」
「パティ!?」
驚いて振り返ったのと、パトリシアが街の中心に向かって駆けだしたのがほぼ同時になった。
地震に足を取られながらも、パトリシアは必死になって村の人々が身を寄せている中央広場に向かって、走っていく。
そのただ事ではないパティの様子に一瞬気をのまれたリッツだったが、すぐに慌てて後を追う。
「待てよ! どうしたんだよ!」
走るリッツのすぐ後ろに気配を感じて微かに振り返ると、そこにはエドワードがいる。そしてギルバートとソフィア、マルヴィルもいた。
とっさにこの五人だけが、パトリシアを追って走り出したのだ。
時折忘れそうになるのだが、パトリシアは自治領主の娘だ。エドワードがキングだとしたら、彼女はクイーンにあたる。
パトリシアをとられても、グレイン騎士団は身動きがとれない。跡取りを失った自治領区は、王族に没収されてしまうからだ。
揺れの中を必死で走るリッツの耳に、ギルバートとソフィアの声が聞こえた。
「地震は精霊使いか?」
「そう。かなりの大技を使う土の精霊使いがいる。狙いはこの村の中央広場だ」
「パティはそれに気がついたってわけだ」
「その通り」
リッツは拳を固く握った。
もしもリッツが精霊使いに生まれていたら、一発でそれが分かった。そうなればパトリシアに無茶をさせたりしない。
でもリッツは落ちこぼれで精霊を見ることすら出来ない出来損ないの光の一族だ。
「くそっ!」
リッツが吐き捨てた瞬間、地面が激しい音を立てて窪み始めた。
リッツたちの行く方向に向かって、地面がまるで柔らかな沼か何かのように、恐るべき勢いで中央広場に向かって落ちくぼんでいく。
砂利の坂道を駆け下るような状態になって、リッツは足を幾度も取られながら一気に駆け下る。
「何だよこれは!!」
思わず怒鳴る。答えてくれたのはソフィアだった。
「土の精霊使いの技さ。蟻地獄とか、岩盤破壊って呼ばれてる」
そんなリッツたちの頭の上に、窪みに引き込まれた住宅が激しく降り注いでいる。
頭を庇いながらも、足を止めない。
いや、既に止められない。
勢いが付きすぎているし、ここで止まるよりも、落盤の中央まで逃げた方がよさそうだ。
壊れた住宅はできたての急な坂道を、崖崩れのようにバラバラに崩壊しながら滑り落ちていく。その速度は人間が走るよりもよほど早い。
戦闘では一つも怪我を負わなかったリッツも、降り注ぐがれきで幾つもの小さな怪我を負う。
中央広場が見えてきた瞬間に、リッツは気がついた。
中央広場を激しい竜巻が取り囲んでいる。竜巻は落ちてきた家の破片を、激しくはじき飛ばしていた。
「ソフィア、何とかならねえか?」
ギルバートの問いかけに、ソフィアは冷静に答える。
「無理だ。炎を使ったら、大変なことになる。見なよギル、オイル灯が無数に倒れてる」
ソフィアの言葉にリッツも息をのんだ。
倒れたオイル灯からは、たっぷりの油が流れ出している。もしあれに引火したら、街が炎に包まれる。
ほぼ石組みで出来ている家々だが、屋根や柱は木材だ。そしてその木材は今、バラバラに砕かれてそこかしこに転がっている。
「やられた」
エドワードが呻いた。
「敵襲を考えて、オイル灯の油を満タンにした。今晩中ともしている必要があると思ったんだ」
「じゃあ……」
「私の遠隔攻撃は封じられたってわけか」
ソフィアは静かに煙草を靴の裏で消した。危険すぎて火種を持っていられないのだ。
「そして……敵はこのすり鉢の中にいる俺たちを一気に焼き殺す手段を得たってことだ」
ギルバートはそういうと、すごみのある笑みを浮かべた。
「へっ、面白いことを考えやがる」
「ギル……」
大変な状況なのに、何だかギルバートは楽しんでいるみたいだ。
リッツがどうしたらいいか分からず困惑していると、地震が徐々に収まった。
激しく降り注いでいた瓦礫と、石粒や土砂が止まり、もうもうと上がっていた土煙がゆっくりと強い風に乗って消えていく。
これでもう中央の人々の元に走り寄れる。
そう思って再び足を速めたリッツの目に飛び込んできたのは、両手で白銀の杖を構えたまま立つ、パトリシアの姿だった。
後ろから見ても短い亜麻色の髪が、流れ出した血で染まっているのが見て取れる。
「パティ……」
ぞくりと、背中に寒気が走った。
一瞬近づくのを躊躇ったリッツの横から飛び出して、即座にパトリシアに走り寄ったのは、エドワードだった。
「パティ!」
我に返ったリッツも、パトリシアに走り寄った。
「大丈夫か、パティ!」
エドワードに肩を抱かれたパトリシアは、それでもまっすぐに白銀の杖を構えている。
「もう少し、もう少しで瓦礫が止まる」
白いパトリシアの頬を、流れ出した血が染めていく。
瓦礫が降り注ぐこのすり鉢の底で、パトリシアは村人を守るために、自分を庇うことなく竜巻で瓦礫を吹き飛ばし続けていたのだと分かった。
人を守ろうとする揺るぎないパトリシアの決意に、リッツは動くことが出来なかった。
パトリシアに比べたら、きっと自分には守ろうとする決意が足りない。
「もういい、パティ。風の渦を解くんだ」
「でもエディ!」
「いいんだ。第三隊が来ている。村人はすぐに避難させる」
エドワードの言葉にリッツは振り返った。第三隊が既にこの場に集まっていた。リッツたちを追ってすぐに走ってきたのだろう。
それを聞いたパトリシアは安心したように白銀の杖を下ろした。
激しい竜巻が徐々に薄れて消えていく。
竜巻の中には不安げな顔をした村人たちが座り込んでいた。
「マルヴィル」
ギルバートの声に、マルヴィルが応える。
「はっ!」
「すぐにすり鉢から村人を退避させろ。村人は麦畑付近まで避難し、第一、第三隊が守れ。いいな?」
「はっ。直ちに」
「俺たちはここに残って、もう少し村の様子を見て回る。パティも連れて行ってくれ」
頷いたマルヴィルは、手際よく人々の避難にかかった。
パトリシアがとっさに駆けつけて風の渦で守ったとはいえ、彼女が着くまでに怪我を負った人も少なくない。
騎士団の面々は重傷者に手を貸し、村人たちもお互いに助け合いながら、瓦礫が転がるすり鉢の底からの脱出を始めた。
崩れ、瓦礫だらけとなった上、坂道となったこの場からの脱出に村人たちはかなり手間取っている。
信頼する第三隊の人々に誘導されているから、村人たちはかろうじて不安よりも安堵の顔をして、ゆっくりと移動していく。
人々の避難を見守りながら、リッツはよろよろとパトリシアとエドワードの元に歩み寄る。
「パティ……」
どうしたらいいのか分からずに、リッツはエドワードの腕に抱かれるパトリシアに声を掛けた。
守ってやると大口叩いておいて、またこれだ。
「リッツ」
血にまみれながら、パトリシアはリッツに向かって手招きした。リッツはおずおずと近づく。
小さく呟いたパトリシアの声が聞こえなくて、さらにパトリシアに近づいて耳を近づけると、パトリシアにむんずと長い耳を掴まれた。
「いててててててっ!」
痛みに悶えると、その耳に向かってパトリシアは思いきり大声で怒鳴ってきた。
「何を死にそうな顔してんのよ! 死にそうなのは私でしょ!」
思い切りの大声に、耳がきーんと痛くなる。
「そんなに大声出さなくてもいいじゃんか!」
「馬鹿には大声で言ってやんなきゃ分かんないでしょう! 怪我人が死にそうなのに頑張ってやってんのよ!」
「元気じゃんか!」
「ばっかじゃないの! 大怪我負ってるのに元気なわけないじゃない!」
そういうとパトリシアはリッツの耳を放して、代わりに思い切り鼻を弾いてきた。
そのすさまじい威力にのたうつ。
「痛いっ!」
「まだ戦闘が終わっちゃいないの。そんな顔して気を抜いて死んだりしたら許さないわよ」
エドワードに変わって、パトリシアを第三隊の騎士が抱え上げた。グレインで共に小麦の栽培に関わっていた、屈強な男だ。
「いい、リッツ。これで貸し二つよ。ちゃんと貸しを返してね」
それはつまり、無事に戻れって事だ。戻って、守ると約束した事を果たせといわれているのだ。
リッツにはそれがちゃんと分かった。
「分かった。絶対返すから、先に帰って寝てろよ」
「生意気。でも……そうするわ」
そういったパトリシアは静かに息をつき、リッツからエドワードへと視線を移す。
「ごめんなさいエディ。先に戦線離脱ね」
「気にせず休んでくれ。残りの敵の探索は俺たちでやる」
「おう! 任せておけ」
頷くと、パトリシアは微かに微笑んで意識を失った。かなり無理をしていたのだと分かった。
落ち込んだリッツが使い物にならないように気を配ってくれたのだと思うと、申し訳ない。
怪我人を気遣いながらすり鉢から脱出していく人々を見送りつつ、リッツたちは周りの気配を探った。
敵はまだいる。
少なくともこの術を掛けた者が、まだ村の何処かに残っているはずだ。
緊張しつつ周りを見渡していると、村人の中から誰かが駆け戻ってきたのが見えた。
見慣れた姿にリッツは目を見張る。エドワードが愕然と呟いた。
「ローレン!?」
「早く避難しねえと危ないって!」
「ああ良かった。エド、リッツ」
息を切らせてローレンが目の前に立った。
「シャスタがいないの。サリーとマリーとメリーもいないわ」
「……!」
「探しに行く許可をして」
お願いという形をとっているが、それは命令だった。
リッツとエドワードからすれば、ローレンは母のようであり、師でもある。逆らうことなど出来ない。
だがこれからの危険を承知している二人は頷くことが出来ない。
そんな二人にたたみかけるようにローレンが口早に責め立てる。
「遅くなれば遅くなるほど危険が増すわ。あの子たちの行きそうなところは見当が付く。私が行くのが一番早い」
確かにリッツとエドワードは、子供たちが普段どこで何をして遊んでいるのかを知らない。シャスタがリッツたちがいない間、誰とどう遊んでいるかも知らない。
「もし敵が残っているなら間に合わなくなる」
必死なローレンに、しばらく悩んでいたエドワードが頷いた。
「……分かった。俺とリッツが一緒に行く。それくらいは妥協してくれないかな?」
「もちろんよ」
頷きながらローレンが胸をなで下ろした。
「じゃあ、二手に分かれて探索するか。俺とソフィアが一緒に行こう。炎を使えないソフィアは戦力半減だからな」
からかうように行ったギルバートに、ソフィアが肩をすくめた。
「悪いね、役立たずで」
「いいさ、相棒」
どんな状況にあっても楽しげな二人に、リッツは尊敬の眼差しを向けた。
いつかこうしてどんな状況にも動じずにいられるようになるのだろうか。
「行こう。敵が次の一手に出る前に見つけたい」
エドワードに促されて、リッツは頷いた。
岩盤破壊によって地面に開いた巨大な蟻の巣から脱出し始めた人々を、今や崖のようになったすり鉢の上から見下すいくつかの視線があった。
強い風が吹き始めた。しめった風は水を含んで微かに重い。
間もなく天気が荒れていくだろう。
アノニマスは空を見上げながら、風に乱れる前髪に触れる。
手の平に感じたのは肌の暖かさでは無く、冷たい金属の感触だった。
この仮面の下にあるのは、以前の戦いの際に負った火傷の跡だ。
この火傷の仕返しに火をかけろとは、我が主も単純な方だ。
そう思うと浅はかな女の考えが妙におかしかった。
まだ欠けているが、かなり明るくなった月を見つめる。
雲が多くなってきたせいか、その姿は霞がかったように夜の闇に溶け出していた。
「何故だ!」
ふいに男のわめき声が耳に入った。
アノニマスは静かにわめき散らす男を見下ろす。
男は馬車の車輪を小さくした特注の車輪を持つ、車椅子に腰掛けていた。
膝に掛けてあっただろうブランケットは地面に落ちて汚れていた。
男の隣にいた腰に二本の剣を差す、露出度の高い女が面倒くさそうにブランケットを拾って車椅子の男に渡すが、男は焦れたようにそれをたたき落とす。
「だから、何故かと聞いているんだ!」
苛立ちと怒りに声を震わせながら叫ぶ男に、アノニマスは静かに微笑む。
「はて何故とは何でしょう、ダネル様」
車椅子に座っているのは、オフェリル自治領主の息子、ダネル・クロヴィスだ。ダネルは二度にわたり、黒髪の男、リッツと戦い敗れている。
その結果男は一生を車椅子で過ごすことを余儀なくされているのだ。
「しらばっくれるな仮面の男!」
ダネルは金切り声で叫んだ。アノニマスは小さく笑う。
哀れな男だ。自分と相手の実力差を甘く見ている。
ダネルが彼らよりも優れているのは、生まれてからこれまで教授してきた、自治領主の息子という地位、それ以外にはない。
なのにそれだけのことで総てのことが自分の思うようになると信じているのだから、哀れとしか言いようがない。
「我々を手助けしてくれると言ったではないか! あの方も、我々のことを応援してくださると言ったではないか! なのに何故こうなるのだ!」
叫んだダネルから視線を逸らし、蟻地獄の底に目をこらす。人々の脱出が始まっている。このまま逃がしてもいいが、そうなれば主の望む報告が出来ない。
だがアノニマスは手応えのある敵と戦うことを好むが、力ない者を痛めつけることは好まない。
「何故、オフェリル貴族が逃げ散るほど惨敗せねばならんのだ! 平民相手に!」
わめき散らすダネルを面倒くさげに見ながら、背後に回った女がアノニマスに囁く。
「ねぇ、もうこいつ用済みでしょう? うるさいから殺っちゃっていい?」
その声が聞こえたのか、ダネルは体をビクリと震わせた。
ダネルがこちらを盗み見ていることには気がついていたが、アノニマスは軽く肩をすくめた。
「……そうだな。役目は終わりだ」
「だって。ご苦労様ぁ」
「待て! 話が違う!」
ダネルは車椅子のまま後ずさろうとしたが、先ほどの揺れで道ばたに散らばる石にはまって動けなくなる。
「殺しちゃっていいわよね? あれだけ貴族様の体が散らばってるんだもの、死体の中に放り込んでおけば問題ないでしょう?」
「そうだな」
「うふふ」
女は美しい仕草で、夜会の扇子を開くように優雅に短剣を抜いた。
薄闇の中で研ぎ澄まされた刃がギラリと冷たい輝きを放つ。
「素敵。恐怖に怯える男を見るのって、好き」
「ひっ……ひぃっ!」
小さく悲鳴を上げながらダネルは逃げようと車椅子に手をかけたが、平坦では無い地面を自力で動けるものではない。
車椅子を動かすべく乱暴にもがくと、バランスを崩した車椅子が転がり、ダネルは無様に地面に叩きつけられた。
動く手で何とか身を起こしたダネルは、恐怖を顔に張り付かせて叫んだ。
「嫌だ、死にたくない!」
「駄目よぉ。ここで死ぬの」
「何故だ!? あの方のご要望だと言ったじゃないか!」
口の端に溜まった泡を飛ばしながら叫ぶダネルの目は、未だ助かるための言い分けを探している。
「イーディス様のためにこの村を滅ぼせば、俺を王都での要職に就けてくれると言ったではないか!」
「うふふ。必死ね」
黙ったまま笑みを浮かべて歩み寄っていく女から、両手で逃げながらダネルは更に喚き散らす。会話することで時間稼ぎでもしているつもりだろうか。
だがオフェリルの貴族たちはとっくに死ぬか逃げ去っていて、助けなど来ない。
何の意味も無い時間稼ぎだ。
「そのために我々を助けると、我らオフェリル貴族の味方として戦うと、お前は言っただろう! 何故裏切るんだ!」
アノニマスはゆっくりと振り返り、ダネルを見つめ返した。
「裏切りですか? 面白いことを言う。最初からあなたを利用するだけのつもりでしたよ」
「くっ!」
唇を噛むダネルにそっと近づくと、アノニマスはその目の前で膝を付き囁く。
「あなたは貴族を連れてグレイン自治領区に攻め入ってくれればよかった。これでグレインとオフェリルが戦争状態に入る準備が整う」
「な……」
ダネルの顔色が変わった。みるみる血の気が引いていく。
「戦争状態……」
哀れな男だ。
ティルスに恨みを晴らすことは、グレインに攻め入ること。つまりグレインと交戦状態に入ることを覚悟しなければならないことなのだ。
それに全く気がついていないとは、まったくもって言語道断だ。
「北で不穏な動きあり。そんな状況が作れれば、事態は転がり出す。そう思わないですか、ダネル様?」
「畜生! 畜生! 欺しやがったな!」
「縁起でもない。欺してなどいませんよ。ただ我々は作戦を実行したに過ぎません」
アノニマスひっそりと冷たく笑う。
「あなたの名は歴史に刻まれるでしょう」
「歴史に……?」
一瞬、ダネルの瞳が輝いた。その自己顕示欲をせせら笑いつつ、アノニマスは耳元で囁いた。
「戦争の引き金を引いた、愚かな貴族としてね」
「愚かな……貴族……」
「そう。あなたの名は歴史に残る。素晴らしいではありませんか?」
「汚名を着ろと?」
「そうですよ。それが汚名であっても、無名よりは格段素晴らしい」
「嫌だ……」
「何がです?」
「汚名なぞ……着たくない!」
「あなたに選択権はありません。ここで死ぬのですから」
ダネルの顔が恐怖に歪んだその瞬間、一刀の剣がダネルの頭を叩き斬った。
恐怖に彩られた顔つきのまま、ダネルの頭は二つに割れ、中から脳が飛び散る。
すかさずもう一刀目の剣が喉を掻ききった。
やがて全身を痙攣させながら、ダネルは生命活動を停止した。
「ふふ。この顔。自分の馬鹿さ加減に今気がついてがっかりってところ?」
女が血の滴る剣を手にして、笑いながらダネルの頭を蹴飛ばした。
既に物と化しているダネルの頭は、中身を垂れ流しながら転がっていく。
アノニマスは小さくため息をついた。
「同情しているの、アノニマス?」
「考えようによってはこいつは幸福だと思ってな」
「幸福?」
「そうだ。オフェリルが貴族の統治から逃れる瞬間を見ずとも済む」
アノニマスは口元を緩めた。
「ふうん。グレインがオフェリルに勝つと思ってるんだぁ?」
「そうだ。時代の流れには何人も逆らえないさ」
「観念主義的ね。その救いのないところ、好きよ」
楽しげに笑う女の隣には、黙ったまま座ってすり鉢の中を見下ろす、小柄な男の姿がある。彼は土の精霊使いだ。
「自己の芸術を楽しんだかね?」
アノニマスが尋ねると、男は小さく頷く。男は自らの作り上げた岩盤破壊を眺め、それを鑑賞するのが好きなのだ。特にその中で怯え苦しむ人々を見ると心が和むのだという。
「ではそろそろフィナーレとしようか」
アノニマスは呟きながら、たいまつを手にした。目の前にはたっぷりと流れ出たオイル灯のオイルがある。オイルは気付かれぬうちに、この村総てを覆うよう、ここに姿はないもう一人の男によって仕込まれているのだ。
「生き残れよ。そうでなくては面白くならん」
アノニマスは、たいまつをオイル灯の中に放り込んだ。




