<14>
まだ明かりは見えない。
じりじりと焦りや緊張感だけが募っていく。
本当に時間が流れているのだろうか、止まっているのではないだろうか。
そんな考えても仕方ないことを考えながらリッツはただ待つことしかできない。
静かすぎて耳の奥が妙な音を立てている。今まで音がすることすら知らなかった、オイル灯の燃える小さな音が気になって仕方ない。
その時だった。
微かに馬の蹄の音が聞こえてきたのだ。
「来た……」
呟くと、エドワードに目をやる。
「エド、来た!」
リッツが声を上げると、エドワードは首をかしげた。エドワードの耳には何も聞こえないらしい。
パトリシアに目をやってもエドワード同様何の音も聞こえないようだ。
「……俺……耳がいいんだな」
初めてそんなことに気がついた。人間より少し大きい耳がこんな風に役に立つとは思わなかった。
またひとつリッツは自分について発見した。
だがそんなことを感慨深げに思っている場合ではない。
遠くにそれぞれが手にしてきたのだと思われるランプの明かりが見えてきたのだ。
馬の足音もいよいよ静まりかえったティルスの村に大きく響き始めている。
緊張感で鼓動が高鳴り、手が軽く震えている。
こんな大勢の前で芝居をしろと……?
いかにも慌てているように剣を構えておけって……一体どうやって?
考えれば考えるほど混乱してきたが、作戦を失敗させられない。
リッツはとりあえず剣を抜いて構えた。
切っ先が微かに震えている。
敵や戦いが怖いわけではない。作戦自体を失敗させて、エドワードやジェラルドの信頼を失うことが怖かったのだ。
それからパトリシアの信用を勝ち取らねばならないというプレッシャーもある。
何が何でもやり遂げなければ……。
そう思うから震える。
やがて村の入り口に一団が姿を現した。
先頭に装備を固めた男が二人並んでおり、その後ろに派手な鎧を着けた男がいる。
ダネルだと一目で分かった。
酒を飲みながら来たらしい男たちは、ふざけたようにあちこちの窓に弓矢を打ち込んだり、空の酒瓶を投げ込んだりと傍若無人に大通りを進む。
それだけの騒ぎを起こしながらも村人がいないことに気がついていないのは、酒に酔っているからだろう。
こんな風に上機嫌でティルスに入ってきたところを見ると、気の知れた仲間だけできているに違いない。
そうだとしたら気が少し楽だ。無理にかり出された領民を傷つけるのはリッツには心苦しい。
自分が人を楽に殺せるだけの力量を身につけてしまった今、ダネルと共に来てはいても一般人に力を向けるのは嫌だ。
大声を上げ街中を進んできた男たちはやがて、リッツの姿に気がついて足を止めた。
ついに始まったと思うと、緊張感でのどが渇いて思わずつばを飲み込んだ。
男たちの無遠慮な視線を受けながらも、リッツはじっとまっすぐに彼らを見つめる。
喧嘩に明け暮れていたリッツにとって目をそらすことは既に敗北したことになる。
一人男たちの視線を全身に受けながらも、リッツは小さく息を吸って教えられた順序を心の中で素早くさらう。
順序を確認するだけで不思議と肝が据わってきた。
とにかく落ち着くこと。
そして冷静に行動すること。これが一番だ。
大丈夫、動揺してへましなければ問題ないはずだ。
「何をしに来たんだ!」
剣を正面に構えながらリッツが怒鳴ると、騒ぎ立てていた男たちは薄ら笑いを浮かべながら黙った。
妙な沈黙が彼らを覆う。
「何をしに来たかって?」
嘲笑を浮かべながら、前の男たちを押しのけて男が一歩馬を進めた。
「決まってるだろう? お前を殺しに来た」
間違いない。やはりダネルだ。
モーガン邸で会ったときとは違い、金を基調とした古めかしいデザインの鎧を身につけ、マントを背負ったその姿は、この状況に妙にそぐわない。
グレイン騎士団の防具は、軍服の上から急所や傷を受けやすい場所を守るため部分部分個別に身につける鋼の防具である。
しかも個人の特性によって防具の位置や個数は異なる。
ジェラルドが用意してくれたリッツ用の防具は、肩用と胸用しかない。
しかも動きやすさを考慮しているから、肩の防具も最低限の大きさでどちらかといえば軽めだ。
だがダネルが率いてきた集団の半分以上が旧時代的な動きづらい鎧を身につけている。
そういえばこの国にはここ数十年大規模な戦闘というものがなく、貴族は戦いの場に赴くことが滅多にないと聞いた。
だから装備も旧式で実戦向きではない。
そんなお飾りの鎧なんぞを持ち出してくるとは、オフェリル貴族は世間知らずもいいところだ。どう考えても不利だろうに。
「ふざけんな! てめえみてぇな身勝手野郎に殺されてやらねえよ!」
リッツがどなり返すと、ダネルが勝ち誇った笑みを浮かべた。
「この間の威勢はどうした? 切っ先が震えてるじゃないか」
「くっ……」
「またまた騎士の規則に逆らって突っ込んでくるのか? モーガンの屋敷ではずいぶんと派手にやられてたじゃないか? またおいたをすると怒られるぞ、僕ちゃん」
ダネルのせせら笑う声に、男たちが楽しそうに笑い合った。
あれは作戦で実際に制裁を受けたわけではない。
だがそれをからかいのネタにされれば、その屈辱に思わず歯を食いしばってしまう。
自分が惨めなのではない。
騎士団の面々をけなされたような気がして、ひいてはリッツの剣の師でもあるジェラルドを馬鹿にされているような気がして腹が立つのだ。
いつもならここで言葉の反撃を始めてしまうリッツだが、エドワードたちの作戦のために腹立ちを必死にこらえた。
すると押さえつけている感情が怒りとなって、微かに手を振るわせる。
「そんなに震えるなら逃げろよ。どこまでも追ってたっぷり恐怖を味わせてから殺してやる」
リッツが怯えていると信じ込んだダネルが、勝ち誇って告げる。
「それから俺に恥を掻かせやがったあの女を血祭りに上げてやる。お前らも好きな女を見繕えよ。遠慮はいらないさ。この村に貴族はいないんだからな」
ダネルは平民であると思い込んでいるリッツを見下して笑うと、大げさに両手を振り上げた。
「今夜は楽しい夜になりそうじゃないか。なあ!」
ダネルの言葉に男たちがどっと笑う。
きつく奥歯をかみしめてリッツは反撃の言葉を飲み込んだ。感情のままに怒鳴り散らしては元も子もない。
ジェラルドの言葉が身にしみた。
今リッツがしているのは喧嘩ではない。
守るための戦いなのだ。
感情的になって落とし穴が無駄になったら、無益な戦いに犠牲を出しかねない。
そんなリッツの気持ちなど知るよしもないダネルは、手にしていた酒瓶をあおると男たちを振り返って叫んだ。
「あいつは平民のくせに貴族を四人も殺しやがった許せざる男だ。だが怯えて震えてやがる。これなら簡単に殺れる。奴の首を取った者に金貨を二十枚くれてやる」
「そりゃあいい。ならばダネル、俺に金貨をくれ。あんなへなちょこ、俺が消してやる」
「いや。私が先に頂いておこうか。あまりに簡単でダネルが金を引っ込めたら困る」
「違いない」
酒に酔った男たちはリッツの命をネタにどっと笑った。
殺せる者なら殺してみろと心の中だけで毒づきつつ剣を構え続けた。
彼らはまさか自分たちが罠に填められるとは思っても見ないだろう。
もしかしてエドワードが言っていた慌てて怖がっている演技は、知らず知らずのうちに大成功なのかも知れない。
「行け! 行って今夜の飲み代を稼いでこい!」
上機嫌でダネルが叫ぶと同時に、男たちは馬を駆ってリッツに向かって駆けだしてきた。
晴れの日が続き乾いた道から大量の砂埃が舞い上がる。
弓矢を持っていた男たちでさえも剣を持って突入してくる。
弓矢で首は取れないから、出遅れないようにと考えたのだろう。
息をついて剣を構え直したリッツは、ダネルに向かって叫んだ。
「お前は弱いから見ているだけだろう! 徹底的に卑怯者だな、ダネル!」
男たちの馬の足音で聞き取れないかと思ったが、ダネルは顔を赤らめて叫び返してきた。
「誰が卑怯者だ! 見てろ、平民が!」
叫ぶやいなやダネルは馬を走らせた。
さすが貴族だ。馬に乗る姿だけは様になっている。
それを確認してからリッツは大きく息をついた。
これでダネルも罠にはまる。
作戦の第一段階は終了だ。
目の前に迫る馬に慌てるように見せかけて、リッツはあたふたと剣を手にしたまま落とし穴に向かって逃げ出す。
あと二メートル……あと一メートル……。
「ガキを殺せ!」
「殺せ!」
酒に酔って興奮を隠しきれない男たちの声がすぐ背中に迫り、馬の鼻息がかかりそうなまでに馬が迫った。
男たちの振り回す剣の切っ先がリッツの後ろ髪に触れる。
その瞬間に落とし穴の目印に置いた木の枝が見えた。
リッツは剣を素早く鞘に戻し、軽く助走をつけてから大きく跳躍した。
後方から驚愕の声が上がるが、音を立てることも、バランスを崩すこともなくリッツは落とし穴を超えた向こう側に着地した。
後ろからは貴族の男たちの阿鼻叫喚の声と、馬のいななく哀れな鳴き声が響き渡っている。
男たちが避けようもなくあっさりと落とし穴に落ちているのだ。
続いて金属がぶつかり合う音と、間抜けな悲鳴が聞こえてきた。
あれだけ引きつけておけば馬は急に止まれはしないだろう。
「おしっ!」
リッツは一人満足して小さく拳を握った。
落とし穴からは、バシャバシャというよりびちょびちょというねっとりした感じの音が聞こえてきている。
この落とし穴の中には、しっとりと粘土質な泥をほどよく水で溶いた、どろどろの液体が深さ一メートルぐらいに溜まっている。
大人でも腰の高さまでは埋まるぐらいの深さで、馬などは足を取られて動くことすらできない。
そして人間もまた、もがけばもがくほど深みにはまっていく状態だ。
旧式な鎧を身にまとっていればなおさらだ。これが本当の泥沼状態である。
ゆっくりと立ち上がってから振り返ると、落とし穴を挟んで数メートル手前に呆然とした表情のダネルがいた。
「馬鹿な……」
ダネルの唇がそう言葉を綴った。
先陣を切った男たちと差ができていたことが幸いしたのだろう。
落とし穴の寸前で止まることができたようだ。
だがその顔は今までの余裕ある表情と正反対に、突然の状況変化について行けないといった顔だ。
「こんなことが……」
ダネルの呟きは落とし穴の中で必死にもがく味方の誰も聞くことができなかっただろう。
青ざめて言葉もないダネルにリッツは平然と声を掛けた。
「お前も飛び込めば?」
「何!」
「一人だけ逃げてくのってどうなんだよ。仲間なんだろ?」
見据えるとダネルは先ほどの威勢はどこに行ったのか、真っ青な顔で震えている。
自分がリッツとただ二人残されたことに怯えているのだ。
なにしろリッツは、ダネルの仲間をダネルの目の前で惨殺し、マルヴィルさえ止めなければダネルの首もはねていたことを知っているからだ。
恐る恐る落とし穴をのぞき込んだダネルの視線を追い、リッツも同じように落とし穴の中に視線を移した。
男たちが髪の先まで泥だらけになっている。
馬が暴れて泥を跳ね上げているのだ。
装飾ばかりが美しく実用性に欠けた磨き抜かれた鎧も今は見る影もない。
剣を抜いたまま落ちたせいで怪我を負った者もいれば、愛馬に蹴り飛ばされて意識朦朧とした者もいる。
穴の中は修羅場とかしていた。
たかが落とし穴、されど落とし穴だ。
おそらく命を落とすような者もいるだろう。
だがそれは隣地の小村を境界侵犯して襲ってきたせいなのだから自業自得だ。
更に青い顔で穴の中を見つめていたダネルに気がついた男たちが哀れにも助けを求めるが、ダネルは小刻みに震えるだけで何もできない。
先ほどまでの威勢は全くなく、酔いもすっかり覚めてしまったようだ。
ダネルの目がリッツをちらりと見たから、リッツはダネルとじっと見返した。
「飛び込む? それとも俺とやり合う? 好きな方を選んでもいいぜ」
淡々とダネルに告げると、ダネルは震えながら馬を一歩後退させた。
一対一なら絶対にダネルを仕留めることができる。
今度こそ今後の憂いを絶つために、リッツはダネルを切り伏せたかったが、それはエドワードに止められている。
乱闘状態になり、誤って斬り殺したのならばまだ言い訳のしようがあるが、この状態でダネルにとどめを刺したらエドワードにもジェラルドにも怒られそうだ。
「なあ、どっちにするか早く決めろよ」
ダネルを見つめながら告げたとき、リッツの頬に風が柔らかく触れた。
「風?」
パトリシアが隠れていた方に目を向けると、パトリシアが白銀の杖を構えているのが目に入る。
彼女が風の精霊を使っているのだ。
混乱に陥るダネルの後ろで、舞っていた砂埃が地面に落ちることなくゆっくりと風に巻かれて渦巻き始める。
やがてそれは砂埃の竜巻となってダネルの後方にゆっくりと迫っていた。
風が更に砂埃を巻き上げ、後方に巨大な砂埃色の竜巻が迫る。
「ダネル、後ろを見てみろよ」
何も気がついていないダネルに告げる。
「その手には乗らないぞ! 後ろを向いた隙に殺す気だろ!」
「べっつに~」
「な……馬鹿にしてるのか!?」
「ただ後ろを見といた方がいいかもよって、忠告してるだけ」
リッツが頭の後ろでのんびりと手を組みながら告げるとダネルは恐る恐る後ろを向き……そして竜巻に気がついた。
「竜巻!?」
ダネルの声が恐怖と混乱のあまりみっともなく裏返った。
夕闇の中で街のオイル灯に照らされた竜巻は、異様な存在感を持って静かに成長を続けている。
「へぇ、やるじゃん」
初めて見たパトリシアの精霊魔法を、リッツはポツリと小さく褒める。
確かに言うだけのことはある。
パトリシアの竜巻は徐々に姿を大きくしながらダネルに迫った。
成長するに従って風の音がごうごうと鳴り、リッツのいるところまで巻き上げられた砂が吹き付け、リッツの黒髪まで揺らしている。
恐怖のあまり動けなくなったダネルよりも先に逃げだそうとしたのは彼の跨がる馬だった。
急に方向を変えた馬は、いなないて主人であるダネルを振り落とした。
「た、助けてくれ……」
地面に転がったダネルは、這いながら哀れな声で助けを求めたが、ダネルを助ける者などこの場に誰もいない。リッツたちには当然そんな義理はないし、仲間は皆、落とし穴の中だ。
「助けて……」
腰が抜けたのかそれとも馬に落とされたときにどこかを負傷したのか、立てないままに後ずさるダネルの手が、空を切った。
「あ……あ……」
穴の縁で絶望的な声を上げたダネルに、パトリシアの竜巻が迫る。
「ひっ、ひぃーっ!」
竜巻に飲まれる寸前に、ダネルは高い悲鳴を上げて後ろ向きのまま落とし穴に転がり落ちていった。
「自分で落ちてやんの」
呟きつつ覗き込んだリッツの目には、鎧を身につけた味方の上に落ちたダネルが、痛みのあまり絶叫してのたうつのが見えたが、すぐにダネルだった人影も泥にまみれて周りの多数と見分けが付かなくなってしまった。
狭い落とし穴の中に二十人以上が入ってうごめいているのだから仕方ないだろう。
彼らがいかに武道の訓練を積んでいようと、泥まみれの体でほぼ直角に近い壁を上るのは不可能だ。
これで一件落着のようだ。
リッツがため息をつくと、肩を叩かれた。
視線を向けるとそこにはエドワードがいた。
リッツと同じように落とし穴をのぞき込んでいる。
「どうやら済んだようだな」
「ああ」
「全く、こんなに簡単に引っかかってくれては、おもしろみも何もないな」
ぼそりと呟いたその言葉で、エドワードは騒ぎが好きなのではないかと気がついた。
からかってやろうかと口を開き駆けた瞬間、リッツは殺気を感じて飛び退った。
「何だ!?」
横では同じようにエドワードがいままでいた位置から数歩下がっている。
そして今まで二人がいた場所には、重たい鉄の槍が一本深々と突き刺さっていた。
「槍……?」
リッツは小さく呟く。
飾り気のないその槍は、ダネルたち貴族が持つ飾りとは全く違う。
つまりそれは人を殺すために作られた、本物の武器だ。
「エド……」




