<13>
すべての手配を終えたリッツたちが落とし穴の近くに陣取ったのは、日が落ち始める少し前だった。
すっかり汚れた農業用の作業服から、リッツとエドワードはグレイン騎士団の軍服に着替えている。
エドワードは元から持っている私物だったが、リッツは今日渡された初めて袖を通す新品だった。
動きやすさを考慮した濃い茶の長めのジャケットとそろいの丈夫な布で作られたパンツに、黒いブーツといった出で立ちだ。
ジャケットの上にきつめにしめられた太い黒革ベルトにリッツが愛用している剣が取り付けられている。
すっかり姿だけなら騎士団の一員となっていたリッツとエドワードの元へとやってきたのは、二人のサポートを言いつかったパトリシアと、見張りを命じられたシャスタだった。
パトリシアはいつも通りグレイン騎士団の軍服に身を包み、剣の代わりに白銀の杖を差してすっかり戦う体制を整えている。
「リッツさん、見違えましたね!」
「そ、そうかな?」
正直に感動した様子のシャスタに何となく恥ずかしくなって照れ笑いをすると、一緒に来たパトリシアはリッツを見て不機嫌を隠そうとせずに吐き捨てた。
「軍服をまとったのなら、少しは使えるんでしょうね? 騎士団の恥にならないでよ」
パトリシアの上からの物言いにカチンと来た。
軍服を初めて着せられたリッツは、自分でも少々浮いているような気がしていたのだ。
先ほどリッツに見せたパトリシアの嫌悪感に近い表情も引っかかっていたから、言葉がなおさら押さえきれない。
「あんたこそ使えんのか? 高そうな杖持ってるけどお飾りってことねえよな?」
パトリシアを見据えながら顔を引きつらせつつも嫌味で応戦したリッツに、パトリシアは怒りに頬を染めた。
「当然のこと聞かないで。グレイン騎士団の風使いといえば、少しは知られてるのよ」
「へへ~ん、どうだか。俺の親は二人とも精霊使いだけど、そんな道具つかってんの見たことないぜ。実力のほどがしれらぁ」
「ぬあんですってぇ~。軟派者のくせに私にそういう口をきくなんて失礼千万だわ」
言い返されればされるほど、お互い闘志に火が付いてしまう。
ギリギリと歯を食いしばりながら二人でにらみ合っていると、見かねたのかエドワードがため息をついて間に入った。
「パティ、リッツ……」
「何?」
「何だよ!」
思わずエドワードにまで噛みつくと、エドワードはため息混じりに金の髪を掻き上げて黙った。
その一瞬の隙に言い合いが再燃する。
「エディに当たるんじゃないわよ! 軟派者のくせに生意気よ」
「俺のどこが軟派者だよ。あんたの勝手な思い込みでものをいうなよな!」
少なくともリッツ自身は自分が軟派者などと思ったことは一度もないし、非難される理由が全く分からない。
「だいたい俺がどうして軟派者扱いされなきゃなんねえんだよ!」
「私に失礼なことを言ったじゃない!」
「失礼?」
「か、可愛いとか……そんな事よ!」
「女に可愛いっていったことを攻められるギリはねえ!」
「なによそれ! 女だからって馬鹿にしないでよね!」
「誰が馬鹿にしたんだよ! っつうか訂正。あんた全然可愛くない!」
「娼館でへらへら遊んでる軟派者に可愛いと思われなくて清々するわ」
そういえばパトリシアもジェラルド同様女遊びのところから聞いていたのだった。
でもそれを言われても腹が立つ。
元々娼館に連れて行くよう言ったのはジェラルドだし、連れて行ったのはエドワードだ。
腹立ち紛れに吐き捨てる。
「娼館の女の子の方があんたよりもよっぽど上品だぜ」
「失礼ね! 私のどこが下品なのよ! エディに拾われたくせに偉そうに!」
この言葉にはさらにカチンと来た。
拾われたのは事実だが、エドワードに付いてきたのはリッツの意志だ。
「拾われちゃ悪いのかよ!」
「道ばたで死にかけるなんてろくな生き方じゃないわ!」
「んだとっ!」
ともすればつかみ合いになってしまいそうな状況を止めたのは、容赦なく二人の頭に落とされたエドワードの拳だった。
「く~っ……」
「いった~い」
頭を押さえて呻く二人に大きな雷が落ちた。
「じゃれてる場合か!」
いつもは知性と理性に溢れる静かな水色の瞳に満ちる、怖いまでに冷たい氷の様な怒りにリッツとパトリシアは本気で震え上がり小さくなった。
ふざけている時はいいが、怒るとエドワードは本当に怖い。
「何のためにここにいるんだ? 喧嘩するためか? ティルスを守るためか?」
静かに聞かれてエドワードの瞳を見ると、まだ鋭く光っている。
「守るためです」
リッツとパトリシアの声が重なった。
「だろう。いがみ合っていて、計画に支障をきたさない保証は何もない。二人で取っ組み合うなり、決闘するなりと好きにすればいいが、今は状況を考えろ。リッツ」
「はい」
「お前は囮でエサだが、本当に殺されたくはないだろう?」
「当たり前だ!」
「だとしたらパティに突っかかるな。お前を援助するのはパティだ」
「……うん」
素直に頷くとパトリシアを盗み見る。
パトリシアはエドワードの怒りがリッツに向かっていると思ったのか、少し余裕の笑みを見せたがすぐにその笑みがしぼむ。
エドワードがパトリシアを呼んだのだ。
「パティ」
「はい……」
しおらしく返事をしたパトリシアにエドワードは小さくため息をついた。
「君らしくない。何故リッツに突っかかるんだ?」
リッツに比べれば格段に優しい声だった。
だがその言葉にパトリシアは何故か唇を噛む。
「パティ?」
「ごめんなさいエディ。でも私やっぱりまだリッツを信用できないのよ」
苦渋に満ちた声だった。
やはりここでも、人間と自分との距離感を思い知らされるのだろうかと思うとたまらない。
そんなリッツに気がついたのか、エドワードが振り返らずに軽くリッツの肩を叩いてから、パトリシアに微笑みかけた。
「それは君が今までリッツと関わった中から出てきた感情的な言葉かい?」
穏やかなエドワードの言葉だったが、パトリシアは強く首を振った。
「違うわ! それだけなら非礼なリッツなんて、後でぶん殴ってやるもの。現にさっきまでそう思ってたの」
「うん。君らしい」
穏やかなエドワードとは対照的にパトリシアは厳しい目をリッツに向けた。
そこにある感情は嫌悪感や距離感ではなくて純粋に恐れで、リッツの方がぎくりとする。
こんな表情を見るのは初めてだ。
「闇の一族の血を引いてるって、聞いちゃったら怖いのよ。もしかしたらグレイン街道で行き倒れていたことだって、仕組まれていたんじゃないかって」
思わぬ言葉に動けなくなったのは隣で聞いていたリッツの方だった。
パトリシアはリッツがエドワードに危害を加えるかも知れないと思って恐れていたのだ。
今まで向けられてきた嫌悪感や違和感とは全く別物の感情に、リッツは戸惑った。
「だってここにはあなたが……エディがいるんだもの」
切羽詰まったような顔でエドワードを見つめるパトリシアにリッツは驚いた。
自分では自信を持って、そんなことは絶対に無いと断言できるが、恐怖の表情を浮かべるパトリシアにそんなことを言っても信じて貰えそうにない。
何故エドワードがいるから闇の一族が怖いのか。
何故リッツがあそこにいたことが仕組まれたことのように見えるのか。
それがリッツには分からない。
困ってシャスタを見たが、シャスタはリッツが闇の一族であるという言葉の意味も分からないのか、不思議そうな顔をしてリッツを見返してきた。
そんなシャスタに少しだけほっとする。
シャスタにまでパトリシアと同じ目で見られると、リッツは身の置き場が無くなるような気がするからだ。
「パティ」
エドワードの柔らかな一言で凍り付いたような空気が動き出す。
「俺は人を見る目だけはあるつもりでいる。リッツは絶対に君が考えているような立場に立った連中じゃない」
「保証はあるの?」
「俺は一年以上リッツと寝起きを共にしてきたが、生きている。それでは駄目かい?」
「……それはそうだけど……」
「たった一人の男の内心を見誤るならば、俺はそれだけの器だ。殺されても仕方がない」
その言葉と寂しげなほほえみと共にエドワードの顔に浮かんだのは、重い決意のような感情だった。
そこでようやくリッツは、エドワードの秘密をパトリシアが共有していることに気がつく。
そしてそれがかなり重く重要だと言うことも思い知らされた。
「……ごめんなさい、エディ」
エドワードは闇の一族に命を狙われるかも知れないような立場にいる。
それはエドワードの言葉で明らかだ。
そんな立場のエドワードがリッツに一緒に生きろといい、そばに置いている。
その意味とは何なのだろう。
困惑しているとエドワードが小さくため息をついて顔を上げ空を振り仰いだ。
日がゆっくりと傾き、四人の影を長く伸ばしている。
「改めて我が身を振り返ると、身動きならないことばかりだな」
ぼそりと呟いたエドワードの言葉に、なんと返したらいいか分からずみんな黙り込む。
しばらくしてからエドワードがこちらを振り向いた。
その視線はパトリシアに向けられてから、ゆっくりとリッツの上で止まった。
「もう日が暮れる。とにかく今は目の前にある脅威を取り除くことを考えよう」
最も建設的で前向きな言葉に、リッツとパトリシアは同時に頷いた。
お互いの似たような態度に思わず顔を見合わせてから、何となく気まずくて目をそらした。
そんな二人にエドワードは笑いかける。
「話はそれからだ。終わってから話をしよう。お前のこと、パティの疑問、そして……俺のことを」
壁により掛かって唇に微笑を浮かべつつも、何故かもの悲しさすら感じるエドワードの言葉にパトリシアとリッツは何も言えない。
「さあ、夕闇が迫っている。シャスタ所定の位置へ」
壁にもたれたままエドワードがシャスタに指示をすると、いままで困惑して黙り込んでいたシャスタが、弾かれたように顔を上げた。
「はい!」
「大丈夫か?」
「大丈夫です。ちょっとぼんやりしてました」
照れくさそうに笑って、シャスタは三人に微笑みかけた。
「では行ってきます」
軽く会釈をしたシャスタは、早足で掛け去っていく。
村の入り口にある木の陰からグレイン街道を見張るのだ。
「パティ、リッツ、とりあえず休戦にして物陰にでも隠れているんだな」
多少からかい口調が混じったエドワードに少し安心してリッツはため息をついた。
そんなリッツの耳に、同じようにはき出されたパトリシアのため息が聞こえた。
もしかしてパトリシアと自分は、エドワードに対して似たような感情を持っているのかも知れない。
近くにいるのに何だか別の世界にいる、手の届かない遠い人のように感じてしまうエドワードという存在。
そんなエドワードに自分の手助けがいるのだろうか、この手がちゃんと届くのだろうかという不安。
思い思いに時を過ごしながら、リッツは時間の中で自らについて考え込んでいた。
闇の一族の血を引いていることが、エドワードに関して何の問題があるのか、そしてパトリシアを恐れさせるどんな理由があるのか。
それを考えるとどうしていいか分からなくなる。
ここにいていいのかだろうかと考えることが、行く場所がないリッツには恐ろしい。
結局、一言も話すことなく時間が過ぎゆき、ティルスの村に夕闇の帳が降りる頃、村の入り口から遠眼鏡を覗いていたシャスタが、緊張した面持ちで三人のところに駆け戻ってきた。
「来ましたよ! ランプを持った集団がグレイン街道を北上してきました!」
壁にもたれかかり、目を閉じて待機していたエドワードが、その報告を聞いて目を開ける。
「数は?」
「僕が確認しただけで二十五騎でした。」
「……思ったより少し多いか」
呟きながらエドワードがリッツを見た。
小さく息を吸うと、今まで沈み込んでいた自分の考えを振り払って頷き返す。
いつまでも自分の不安の中に沈んでいては、ティルスの危機を救うことが出来ない。
まず今はこの村を救い、自分も生き延びることを第一に考えた方がいいだろう。
悩むことはこの後でいくらでも出来るのだから。
リッツはゆっくりと腰に差した剣に触れていた。
大丈夫。ちゃんとやれる。
心の中で呟くと、リッツは息をついた。
少し落ち着いてきた。
あの時と違ってダネルは物見遊山で来るのではなく、本気で村を襲うために装備を調えてくるはずだ。
前にダネルたちと戦ったときは、訳が分からず無我夢中になっていたから敵を前にしても緊張はしなかったが、今は状況が読めている分緊張感が違う。
「なんだか変ですよね。総ての馬にランプをつけて、何だか目立つ人たちですよ」
シャスタが首をかしげている。
夜に襲ってくるのだから基本的に隠密行動を取るということぐらい、シャスタにも分かるのだ。
だが襲撃者はそれも分からないらしい。
ならば確実にダネルたちだろう。
リッツがエドワードを見ると、エドワードも苦笑しながら頷いた。
エドワードも同じように考えたのだろう。
「本当に大丈夫ですか、エドワード様、リッツさん」
不安げな声でそういったシャスタの顔は、街の暖かな明かりに照らされているにもかかわらず青ざめて見えた。
それも当然だ。十三歳の彼はローレンから見張りと伝令役を命じられるまではこんな状況に陥ることなど、考えても見なかっただろう。
「相手はあんなにたくさんいるんですよ? こっちは三人だけじゃないですか」
エドワードを見上げながら訪ねるシャスタに、エドワードは何も言わずに微笑む。
シャスタ以外ならそれで何となく納得しただろうが、生まれたときからエドワードと共にいるシャスタにはそんな誤魔化しは効かないようで、ますます不安そうな顔をした。
「村人には危険はないかも知れないけど、心配です」
シャスタがいつもの小姑のような呟きを漏らす。
今、街の中はもぬけの殻なのだ。
ローレンは村に残っていた女性たちを率いて、通り沿いの幾つもの落とし穴を作成した後に、リッツお気に入りの高台の大樹に村人全員を集めて避難している。
だが明かりは村人が家に戻っているかのように柔らかい明かりを振りまいている。
遠目から見てももちろん、近くに来て家の中をのぞき込まない限り、街に人がいないことを悟られたりはしないだろう。
「大丈夫なんですよね、リッツさん」
何とも答えられず、いつものエドワードのようにリッツは肩をすくめてみた。
なにしろ実戦はこれで二回目。
しかも一回は半ばパニックに陥っての行動だったのだから、実質これが本当の実戦デビューとなるのだから。
シャスタの不安はますます深くなりそうだったが、黙ったままのリッツとエドワードに変わって、力強い言葉が掛けられた。
「大丈夫よ、シャス。大船に乗った気持ちでいなさい」
「パティ様」
頼もしげにシャスタが見たのは、先ほどの言い合いとリッツへの不信感を忘れたかのように自信ありげに頷くパトリシアだった。
きっとこうして顔に出てしまうリッツよりは、遙かに心の動揺を隠すのが上手い。
「精霊使いのパティ様がいれば、安心ですよね!」
「当たり前よ。心配する必要なんて無いわ」
何千人にたった一人しか生まれないという精霊使いの才能を持った彼女は、ほかの精霊力を持たない人間同様、シャスタにとっても信頼と尊敬の的なのだ。
リッツは精霊使いの中で育ってきたから、精霊使いがこんなにも珍しいだなんて知らなかったのだが、落とし穴を掘り終わった後に街の人々を前にして堂々とたつパトリシアをみて初めて実感した。
「ま、そこの付け焼き刃の背高男はおいておいても、騎士団の実力者が二人もいれば心配することはないわ。それに私たちの任務は、敵を正面から撃破することではなく、この巨大な落とし穴に誘い込むことだもの」
先ほどと同じように冷たい目つきのパトリシアに付け焼き刃背高男呼ばわりされ、ムッとする。
だがあの不信感に近い表情を浮かべられたくなくて正面切っててパトリシアを見られず、顔を背けてシャスタに向かって文句を言った。
「だ~ってよ。どうせ俺はエドの拾われもんだしな」
だがその一言はあっさりとパトリシアに聞こえてしまったようで、パトリシアはリッツを見据えながら冷たく言い切る。
「そうね。悔しかったら実力を示せば?」
正面切ってそう言われると、性格上受けて立ってしまうのがリッツだった。
「後で吠え面かくなよ」
「ふふん。そっちこそね」
「リッツさん、パティ様……」
子供のようないがみ合いに、一番年下のシャスタがため息をつきつつ額を押さえた。
シャスタが青ざめる理由のひとつはこれだと分かっているのだが、だからといってパトリシアと仲良くするのは無理というものだ。
言い合いから一言も口をきくことがなかったというのに、結局口を開くとこのようにシャスタとエドワードに頭を抱ええられるような嫌味の応戦になってしまう。
先ほどの言い合いが尾を引き、お互いに気まずくて普通に話すことなどできなかったのだ。
リッツはまだパトリシアをよく知らないし、パトリシアもリッツを知らない。
二人が直接言葉を交わしたのは、モーガン邸でリッツの怪我を見て貰ったときと、今回の二回だけなのだから。
再び言い合いになってしまった二人の間でエドワードはため息をついたが、髪を軽く掻き上げてから気を取り直したようにリッツを見た。
「喧嘩をするなら離しておいた方が良さそうだな」
穏やかにそういったエドワードを見ると、自分と同じようにパトリシアがエドワードに視線を向けたのが分かった。
そんな牽制しあうかのような二人に何も言わず、エドワードは微かな笑みを浮かべてから、配置場所に移るよう命じる。
「リッツは落とし穴の正面に立ってろ。いかにも慌てているように剣を抜いておけ」
「了解。エドは?」
「俺はここで弓を構えている。後方からの攻撃は気にしなくていい」
「分かった」
真面目に頷いたリッツに軽く頷くとエドワードはパトリシアに視線を向けた。
「パティは民家の影で、いつでも風の精霊を敵部隊の後方に呼べるよう構えて待機」
「分かったわ」
「シャスタはジェラルドへ報告しに走ってくれ」
「分かりました」
「我々には見えないが、もうグレイン騎士団第三隊がグレイン街道沿いに潜んでいるはずだ。とりあえず俺たち三人で彼らを落とし穴に落とし、混乱させる。無理に応戦しようとするな。第三隊がすぐにでてくる」
エドワードの真剣なまなざしにリッツも緊張を持って頷いた。
実は落とし穴作戦には、大きな理由があるのだ。
リッツは当初、第三隊が帰ってくるのを待って全員で応戦すればいいと主張したのだが、エドワードは笑いながらそれはできないのだといった。
広場に大きな落とし穴を掘った理由のひとつは、なんとあのダネルを生け捕りにすることだというのである。
最初は反対したリッツだったが、エドワードとジェラルドが恐ろしい笑みを浮かべて『たっぷりダネルに人生について勉強させてやる』といった言葉を聞いて、少し納得した。
あの二人に人生について学ばされるというのは、リッツから見ても恐ろしそうな体験だからだ。
だが第三隊が来てしまえば、地の利を得ている第三隊に対してダネルには太刀打ちできるすべがない。
貴族のダネルへの忠誠心がどれほどなのか分からないが、無駄に人死にを出してしまう可能性があるし、ダネルも殺してしまいかねない。
だがもし生かしておけば、グレインはオフェリルに恩を売ることができる。
少々こじれたようなこの場ではそういった取引も必要なのだそうだ。
それに貴族に脅されて戦いに加わった者がいたなら、死ぬ気で騎士団にかかってくるだろう。
そうなれば貴族に逆らうことが出来ない哀れな領民を、殺してしまいかねないのだ。
グレインの中にも元はオフェリルの民だった者たちもいる。
だから無碍に彼らの命を奪うことは許されない。
だから巨大な落とし穴を掘ったのである。
この落とし穴、穴とはいっても円形に掘られたわけではない。
奥行きが三メートル、幅が道幅のおおよそ三分の二に広がっている横長の穴なのだ。
つまり敵からは見えない巨大な溝が街の奥と手前を分けている形になる。
その上に藁を敷き、更に上に道と同じ乾いた土を薄くかけてある。
落とし穴を掘ったお昼過ぎならば、簡単に落とし穴がどこからどこまで広がっているか分かるが、日が落ちた今は境目がよく分からなくなっている。
その落とし穴の手前側には一本の木の枝がそっと置かれていて、それが落とし穴始まりの目印になっていた。
これは作戦実行の時に、リッツにとって重要な物になるのだ。
そして万が一にも敵が動かず、落とし穴に向かってこなかった場合のことも考えて、パトリシアが集団を後ろから追い立てることになっている。
精霊使いが珍しいのなら、精霊魔法が迫ってくれば人々は大いに恐怖を感じるだろう。
そうすれ怯えきって何もできないままにダネルをつかまえることができる。
そして領民がいた場合、戦意を喪失した敵を第三騎士団の面々が穴の縁から威嚇し、そのまま全員御用という、死者を出さない結末が考えられるのである。
つまりこの場を血塗られた戦場にするのか、それとも無血勝利の場とするのかはここにいる三人にかかっているということになる。
その緊張感にリッツはさらされているのだ。
「終わったら、美味い麦酒で乾杯としようじゃないか」
緊張するリッツに、エドワードが軽い口調で言った。それだけで少しだけ緊張が緩む。
「つまみはサーモンのソテーがいい。ちゃんとレモンも乗せた奴」
「それはいいな」
軽口をたたき合ってから、リッツはエドワードに頷いた。
「じゃ、行く」
小さく息をついてから、リッツはゆっくりと自分の所定の位置へ向かって歩き出す。
「僕も行きます。皆さん、頑張ってくださいね!」
「ああ。頼んだ」
「はい!」
頷いたシャスタは騎士団と連動して動くジェラルドに報告するため、足早に街の奥へと消えていく。
さすがは村の子だけあって、あっという間に近道を通って消えて行ってしまった。
「私も待機するわ」
「頼む」
小さく頷いて歩き出したパトリシアに、エドワードは穏やかに声を掛ける。
「パティ、終わったら君も一緒に飲もう」
「誘ってくれるなんて珍しいわ。ええ喜んで」
嬉しそうな声で答えるパトリシアの言葉を聞きながらも、リッツは視線を前方に向けた。
何となくパトリシアを見ることが気まずかったのだ。
パトリシアはきっと、リッツがこんな風にパトリシアの視線に怯えているのだと言うことを知らないだろう。
生まれのことで向けられる嫌悪の視線は、リッツ自身ではどうすることも出来ない。
だからきっとパトリシアがリッツを恐れる以上に、リッツはパトリシアの視線を恐れている。
リッツはゆっくりと落とし穴の縁をたどって、そっと穴の中をのぞき込む。
かなり深い。
知らないで落ちたら無事では済まないだろう。
だがこの幅ならば数メートルの助走距離さえあれば、この落とし穴を飛んで逃げることが可能だ。
穴の場所を場所を確認してから、助走に必要な距離を離れて道の真ん中に立った。
村の入り口へと視線を向けたが、まだ敵の姿は見えない。
だがシャスタが見た場所からなら、もうまもなくだろう。
一気に緊張感が満ちた中で、不意に所定の位置へ向かう途中のパトリシアがリッツの肩を掴んだ。
リッツの肩までしかない身長のパトリシアがしっかりと伸ばして掴んできたその握力の強さに身を縮めたリッツだったが、一瞬の後に緊張を解くべく小さく息をつく。
「何だよ」
「エディのためにあなたを守るわ」
「俺が信用できないんだろ?」
「ええ。だからもしあなたがエディを殺そうとしたら殺す」
振り向くとパトリシアのアメジストの瞳が、怖いぐらい真剣に鋭く光っている。
再びパトリシアから前方へと視線を戻すと、静かに答えた。
「エドを殺すわけねえだろ。エドが死んだら俺も死ぬしかなくなっちまう。俺の命は今、エドのもんだからな」
「……それが本気ならいいんだけど」
そう呟くとパトリシアは肩を掴んでいた手を放し、代わりにその場所を軽く叩いた。
「ドジらないでよね。エディに迷惑掛けても許さないわよ」
「ドジんねえよ!」
「そ。そうして」
振り返りもせずにパトリシアは道と落とし穴を挟んで反対側の角へと向かう。
リッツはパトリシアからゆっくりと目を戻し、再び正面を見据えた。




