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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
樹下の盟約
11/179

<9>

 緊張感と気力で保っていた体は思った以上に疲労していたようで、丸々二日近く、出された食事をベットで食べては眠るのを繰り返してしまった。

 結局、体が動くようになったのは翌々日の朝だった。

 すっきりとした気分で食堂に降りていったリッツは、エドワードやジェラルドだけでなく、館の人々みんなに驚かれてしまった。

 普通あれだけの怪我を負うと、数日は動けないだろうというのだ。

 だが周りがどう言おうと、リッツ本人は、至って元気だ。

 光の一族だからなのか、それとも精霊を見ることも出来ない混血児に与えられた女神の恩寵なのかしらないが、どうやらリッツは人間に比べて傷の治りが早いらしい。

 病人食しか食べておらず空腹を抱えたリッツは、まだ自分が負わせた怪我を気にするエドワードを無理矢理に説き伏せて、夕暮れと共に夜のグレインへと繰り出した。

 リッツは自分では認めたくないものの、食べることが大好きなのだ。

 認めるのもしゃくだが、食に関する興味は親譲りだった。

 シーデナに住む両親は、精霊族とは全く違った生活習慣を持っていた。

 人間に育てられたという父親は食い意地が張っていて、食べることに全勢力を注いでいたし、母親は父の影響を受けてたせいか一流の料理の腕前を持ち、一度に作る量も半端な量ではなかった。

 それが普通で育ってきたリッツは、初めてセロシア家でローレンたちと食卓を囲んだ時に、その量の少なさに驚いたものだった。

 思い出して小さなため息をつくと、エドワードが静かに振り返った。

「やはり無理しているな?」

「してねえって! ちょっと両親を思い出しただけだよ」

「そんなはずないだろ」

「本当だって。絶対大丈夫だ」

 自信を持って言い切ったのだが、絶対に大丈夫なわけがないと、リッツを疑わしげに見るエドワードを横目に、リッツは初めて歩くグレインの街を眺めた。 

 グレインの街は美しかった。

 歩けば歩くほど、リッツの目はグレインの街に釘付けになった。

 旅人の街道をすぐそばに通し、隣国フォルヌと最も近い自治領区であるグレインは、ひなびて穏やかなティルスとはまるで違い、巨大で成熟した街だった。

 街の最も南に位置するモーガン邸の広大な庭を通って門扉を出ると、前に広がる広場にはたくさんの馬車が溢れている。

 そこから放射線状に伸びた石畳の道は、どれも馬車が数台すれ違えるほどに広い。

 道に沿って立ち並ぶ石造りの建物はみな四階建て以上で、道路に面した窓やバルコニーは見事な装飾がなされているものもある。

 物珍しくてきょろきょろと回りじゅうを見渡してしまった。

 口をぽっかり開けたまま見上げて歩くと、バルコニーで本を読んでいた老女に手を振られてしまう。

 きっと田舎から来た観光客だと思ったに違いない。

 恥ずかしかったが手を振り替えしてみると、老女は近くにあった菓子鉢から紙に包まれた何かをひとつ放ってくれた。

 片手で受け取り包み紙を開いて口に放り込むと、バターの濃い香りとほろ苦い甘みが広がって消えた。

 それはキャラメルと言うらしく、グレイン北部に広がる広大な高原地方で放牧された牛たちの乳から作られているのだと、隣を歩くエドワードが教えてくれた。

 建物の扉の作りはどれも大きく、使い込まれた風合いに輝いていた。

 そんな建物のほぼすべての壁にはクリーム色がかった漆喰が塗られていて、古いものほど飴色に近い色合いに染まり、それがこの街の歴史を表しているようだ。

 それぞれの大通りには無数の横道があり、その横道は舗装された石畳から、固められた土のままと色々だが、すべての場所から暖かみのある光が漏れていた。

 すれ違うたくさんの人々の顔には、他の街にあったすべてを諦めきってしまい、空虚な高揚感で浮かれているような怠惰な雰囲気はなく、日々を充実して生きているのを感じられた。

 商店には活気が満ち、人々が楽しげに店を冷やかして歩く。

 道にまで並べられたテラスでは、一日の労働を終えた男たちが陽気な乾杯の声を上げていた。

 どこを見ても他の街を支配していた厭世観のような物はない。

「……なあエド」

 活気ある街の様子をきょろきょろと眺めていたリッツは、やや先を行くエドワードに急いで追いつきながら話しかけた。

「なんだ?」

「この街には物乞いがいないんだな」

 リッツが知る一番大きな街はサラディオだった。

 サラディオには今、物乞いが溢れている。

 周辺の貴族が納めている自治領区から税の重さや貴族の横暴に耐えられず逃げ出した農民たちが、貴族が自治領主ではない数少ないサラディオへ逃げてきて物乞いになっているのだと聞いた。

 ここグレインも貴族が治める地であるが穏やかで豊かな自治領区だから、もう少し物乞いがいそうなものだ。

 穏やかな笑みを浮かべたエドワードが答える。

「いないわけではないんだ」

「でも見たところ誰もいないぜ?」

「ああ。彼らはほとんどが元は農民だろう? だからグレインは彼らに働ける環境を与えているのさ」

「働ける環境?」

「ああ。移住者たちだけの村が北部にある。最近グレインでワインの生産を始めたのを知っているか?」

 ダネルの事件の際にマルヴィルに聞いたことを思い出して頷く。

「知ってる」

「ワイン栽培も移住者の村で始まった。もちろん栽培を始めたのは元オフェリルの住民だ」

「移住していいのか? 問題になんねえの?」

 グレインがワインを作り始めたためワインの値が落ち、オフェリルは面白くないのだと聞いた。

 ならばオフェリルの貴族が元領民を連れ戻しそうなものだ。

「現在のユリスラの法では、受け入れ側の自治領主が了承すれば領民は移住することができる。だがまあ領民は領主の知らない間に移動しているからな」

「許可とかいらねえの?」

「隣国に行くのなら国王や国のお偉いの発行する許可証か自治領主の発行した許可証がなないと駄目だが、領地を移動しても同じ国家の民だろ?」

「そうだな」

 自由に自治領区を移動できなければ、サラディオの物乞いが増えたりしないだろう。

 ダネルのような貴族によって苦しい生活をおくらねばならないのなら、土地を捨てても逃げようとする人々が増えて当然だ。

「じゃあ大々的にグレインで受け入れてるってこと?」

「それはない。逃げ出した農民がこぞってグレインに来るのは避けたいからな」

「何で?」

「周辺の領主に睨まれるだろ。グレインばかりが領民を増やすわけにも行かないさ」

「どうして?」

 質問ばかりするリッツにエドワードは嫌な顔ひとつせずに解説してくれる。

「貴族は働かないだろ? 働き手がこぞって逃げ出したら、領地が貧しくなる」

「じゃあなんで貴族がいるんだ? 役立たずじゃんか」

「それを言われると俺も答えづらいな」

 リッツは足を止めてエドワードを凝視した。

 やはりエドワードは貴族らしい。

 だが生活している場所も、身につけているものもほとんどティルスの農民たちと変わらないのだ。

「エドも貴族?」

「……そうといえばそうだが、違うと言えば違うな……」

「なんか難しいのか?」

「立場的にな」

 視線を逸らしたエドワードが言葉を濁す。

 まだ触れて欲しくないのだと気がついて、リッツは言葉を引っ込めて再び歩き出す。

 リッツもエドワードにいえないことがまだある。

 なのにエドワードの言いたくないことを追求したくはない。

「貴族が何で威張ってられるんだ?」

 話を変えるとエドワードが一瞬だけ微笑する。

 エドワードは言葉には出さないが『悪いな』と言ったようにリッツには聞こえた気がした。

 表情を戻したエドワードはリッツの質問に答えるべく口を開いた。

「本来貴族は民を守るためにいるはずなんだ。農民を他領地の脅威から守るから、その代わりに食料を納めさせたり、税を取り立てたりする。つまり……」

「貴族がもらってんのって、農民からの護衛報酬って意味だったんだな」

「本来はな。だから周辺の領主に『優遇するからこい』と領民を奪われることは避けたいんだ。取り立てる量が減るだろ?」

「そっか。領民は逃げても連れ戻す法はないから、ダネルみたいな奴がごたごたを仕掛けてくるんだな」

「そういうことだ」

 何だかようやく分かってきた。

「でもさ、来たい奴は入れてやった方が、グレインが豊かになるんじゃねえの?」

 周りから領民が逃げてくるのはその領地の自治領主が悪い。

 だから農民が多くなればなるほどグレインが富んで、周りよりもさらに強く出られるならば、その方がいいような気がする。

 だがエドワードは苦笑した。

「グレインにも限界はあるさ。開墾できる土地は無尽蔵じゃないし、元々グレインは農民の数がかなり多い領地だ。そんなに農民を集めても捌ききれなくなる」

「……そっか」

 農民が増えれば増えるほど土地がいる。そんな簡単なことではないのだ。

 そんなことすら気がつかなかった。

「じゃあさエド、もう一つ質問していい?」

「何だ?」

「何でおっさんはダネルを許して何もなかったことにしたの? 無抵抗の農民を殺すことの方が罪だって言ってたじゃんか」

「あれしか納める手段がないからさ」

「何で? 俺のせい?」

 ダネルの罪を償わせるためには、リッツがあちらに行かねばならないからだろうか?

 それをやめさせるために許したのだとしたら申し訳がない。

 だがエドワードは首を振った。

「お前のせいじゃない」

「じゃあなんで?」

「ダネルはクロヴィス家の跡取り息子だ。クロヴィス家に他の男子はいない」

「ふ~ん。だから?」

「だから彼がいなくなればクロヴィス家は断絶する恐れが出てくる。そうなればオフェリルという一自治領区が宙に浮き、今まで好き放題をしてきたオフェリルの貴族たちは今まで虐げてきた領民への権利をすべて失うことになる」

「オフェリルはどうなっちまうんだ?」

「国王に返還され、直轄統治区となる」

「国王……ねえ……」

 リッツにとっては国王は、雲の上の人どころか、物語の中に出てくる実在すら不明な遠い遠い存在でしかないのだ。

 国王の名前を出されると、ますます現実感が無くなる。

 後頭部を掻きながらリッツは分からぬままにエドワードに先を促した。

「で?」

「国王の手の者が自治領区に送り込まれてくれば、今までの権力など意味をなさなくなる。そうなると貴族が困るわけだ」

「なんで?」

「今までのように領民を支配できなくなる」

「なるほどなぁ……」

 ダネルを見ていたリッツにはよく分かった。

 つまり貴族は、領民に対して威張り散らせなくなれば、存在意義を感じられなくなる生き物らしい。

 でも貴族より遙か上にいる国王が相手ではいくら威張ったところで手も足も出ないのだ。

 そうなる前に自分の権力を守る手段を確保しておかねばならない。 

「だからダネルがグレインに捕らえられ罪を負って処刑されれば、オフェリルの貴族たちが黙ってはいないさ」

「どうなるんだ?」

「ダネルを巡って自治領区同士の内乱になるだろうな」

 淡々と語られたエドワードの言葉に思わず足を止める。

「内乱……って戦争?」

「ああ」

「どうやってだ? 軍は国王のもんなのに、どうやって戦争するんだよ?」

「各自治領区には、自治領主の自衛部隊がある。グレインにもあるだろ?」

「グレイン騎士団?」

「そうだ」

 そのための騎士団だとは思いもよらなかった。

 そういえばサラディオにも自治領主の私兵集団があると聞いたことがある。

 それがまさか自治領区同士の戦争のためだなんて思わなかった。

 知らないことだらけだ。

 リッツは小さくため息をついた。 

「戦争になるところだったのか……」

「そうだ。それを避けるためには何もなかったことに納めるほかない」

 止まってしまったリッツに気付かぬまま歩いていたエドワードが、ようやくリッツに気がついて、足を止めて振り返った。

「どうした?」

「ん……戦争とかって何か現実感無くて」

「……そうだろうな」

「もしこれで戦争になってたら、戦争の引き金引いたの俺って事になっちまうじゃんか」

「きっかけはダネルだろう? お前は悪くない」

「だけどそんな簡単なきっかけひとつで内乱になるなんてな。怖い怖い」

 呟きながらエドワードの目を見ると、エドワードが微かに微笑んだ。

 何故かその瞳が悲しそうに見えて焦る。

「ま、そうならなくて良かったよな! さすがジェラルドのおっさん、実力者だぜ」

「ああ」

 静かすぎるエドワードにリッツは慌てて話題を変える。

「あ、あ、じゃ、じゃあ、騎士団がティルスにいる理由はなんだ?」

 話を無理矢理に変えてみると、エドワードは一瞬目を閉じて再び何事もなかったような顔をして話し出す。

「今回のようなことがたびたび起きているから警備のためだ」

「ふうん」

 確かに丸腰の農民たちをたびたび隣地の貴族が襲うなんて、真面目に生活しているティルスの農民からすればたまったものではないだろう。

「でもさ、ジェラルドが防備を固めろっていってたじゃん。あれは何で?」

「もう一騒ぎあるかも知れないからさ」

 そういったエドワードは何故か少し楽しそうだった。意味が全く分からないリッツは首をかしげるしかない。

「もう一騒ぎ?」

「だがそれもオフェリルの使節団が帰ってからの話だ。今の俺たちにはこの方が重要さ」

 そう言いながらエドワードはポケットに入った金貨を握りジャラっと音を立てた。

 エドワードはどうやらこれ以上その話はしたくないようだった。

 リッツとて、せっかく高級な夕食をごちそうになろうと思ってるのに、これ以上堅苦しい話をする気もなかったから、エドワードの話題転換に乗った。

「だな。堅苦しい話はしゅーりょーっと」

 おどけて言うとエドワードも教師のような顔から友の顔に戻った。

「どっちがいい、リッツ」

「どっちって?」

「飯と女」

 からかい口調でエドワードに尋ねられて一瞬引いたものの、きっぱりと答える。

「飯」

「あくまでも喰う気だな?」

「当然」

 ジェラルドが夜遊びをしてこいとくれたお金だが、リッツはそれで食べることしか考えていなかった。

「頑固者」

「頑固じゃねえよ。腹へってんの!」

 力一杯主張すると、エドワードは降参だというように肩をすくめた。

「それならあそこに行くかな。会わせたい人もいるし」

「飯だからな、飯」

「ああ。美味い食事も食えるぞ」

 何となく含みを持たせた言葉に警戒心はあったが、エドワードがリッツに嘘をつくこともないだろうと、足早に歩くエドワードの隣を歩く。

 大通りから横道へ入って数本目のところにあるお店の扉を開けると、中からあふれ出る熱気に圧倒されて思わず立ち尽くした。

 そこは大きな舞台がある酒場だった。

 賑やかな男たちの声と、なまめかしく美しい女性の歌声が扉から流れ出してきた。

 時折上がる男たちの乾杯の声と、女性たちの嬌声、酔いの回った男たちは肩を組んで聞いたことのない曲を歌っている。

 アルコールのむせるような濃い匂いと、肉を焼いた香ばしい香り、もやがかかったように室内を漂う煙草の紫煙。

 そして男たちの汗のにおいと甘い香水のにおいが混じり合う独特な雰囲気だ。

 田舎育ちでこんな店を見たのは初めてだったリッツは驚きで途方に暮れたが、エドワードは手慣れた様子で店内に入っていく。

 慌てて追いかけたリッツは、エドワードの背を見失わないように必死だった。

 やがてエドワードが腰を落ち着けたのは、お店の最も賑わっている場所から少し離れた奥まった席だった。

 そこから舞台はよく見えたが、大騒ぎをしている客たちの様子はよく見えない。

 きっと客たちからもよく見えないだろう。

 こんな場所に来たことのないリッツでも、ここが特殊な席なのだろうと言うことだけは分かった。

 席についてまもなく、テーブルの上に氷の入った銀の桶と琥珀色の酒が入った瓶が置かれた。

 グラスも二つ置かれている。

 エドワードは酒の用意をした男に、料理を注文してくれていたが、何を注文しているのかはよく分からなかった。

 男が下がるとエドワードはグラスに氷を無造作に放り込むと酒を注いだ。

 同じものを二つ作ってリッツの前に押しやってからエドワードが顔を上げた。

「お前、酒飲めるか?」

「うん……って普通作る前にきかねえか?」

「それはそうだ。だがまあ、お前なら飲むだろうと思ったんだ」

「俺、酒飲みな顔してる?」

「ああ。間違いない」

「そうかなぁ~。酒焼けとかしてねえし」

「俺より若く見えるくせに酒焼けしてどうするんだ」

 冗談を言い合いながら、お互いにグラスを手に取る。

 エドワードがグラスを目の高さに掲げた。

「リッツがオフェリルに引き渡されずにすんだことに」

 からかい口調で言ったエドワードの言葉にリッツも負けじと言葉を返す。

「人を殴るときの加減を覚えたエドに」

 怒るかなと思ったがエドワードは苦笑してグラスを掲げた。

「乾杯」

「乾杯」

 氷がグラスの中で涼しげな音を立てた。

 口に含んだ酒の風味は一瞬だけ甘くすぐに苦みに変わる。

 飲み干した後に鼻腔を抜ける香りは森の木を思わせた。

「これなんて酒? 初めて飲んだ」

「ウイスキー」

 あっさりと答えてからエドワードは首をかしげた。

「……初めて?」

「親父、飲むとしたらワインか麦酒だもんな。俺が貰うのはだいたいその残りだし」

「じゃあこういう店も始めてか?」

「うん。小さな酒場には行ったけど、こんなに賑やかなのは初めてだ。

 考えてみれば成人してから一〇年も経つんだから、もう少し飲み歩いても良かったよな~」

 呟きながらグラスを傾ける。最初は苦いなと思ったけど、結構美味い。

 やがてエドワードが見繕って注文してくれた料理が続々と運ばれてきた。

 来る料理来る料理すべてが見たことも想像したこともないぐらい美味くて、片っ端から夢中でつまむ。

 スペアリブのマーマレード煮に、テールシチュー、川魚のソテーに添えられたのは綺麗に並べられた野菜たち。

 それにしゃきしゃきの何かが入ったサラダ風のセルクル固めまで、本当に何を食べても美味い。

 食べたことがある料理であっても、盛りつけも材料も今まで食べてものと違ってかなり美味しい。

 なるほど最初店に入ったときは、美味しい料理を出す店にはとても思えなかったが、エドワードは本当に美味しい料理を出す店に連れてきてくれたわけだ。

 騒がしさとレストラン並みの美味しい食事が、ミスマッチにならずに共存しているところがあることにリッツは感心しながら料理を次々に口に放り込む。

 やがて腹がだいぶ落ち着き、手を伸ばすものが酒とつまみになってきた頃、エドワードが唐突に聞いてきた。

「なあリッツ」

「ん?」

「俺はまだお前に聞いてないことがあるんだ」

「何?」

「……お前、幾つなんだ?」

 意表を突かれてエドワードを見る。

「あれ、話してなかったっけ?」

「聞いてない。シーデナ出身だというから寿命は長いだろうが、人間の側に精霊族のことは詳しく知られていないからな」

「そっか。ちなみにエドは幾つなんだ?」

「俺は二十五歳だ」

「二十五歳かぁ。その頃俺は、まだ母さんのスカートにしがみついてたなぁ……」

 思い出しながら言うとエドワードが複雑そうな顔をした。

「精霊族の年の取り方は、人間とかなり違うか?」

「うん。俺さ、親父の手伝いで子供の面倒をさんざん見させられてきたから、人間の年の取り方はわりかし分かってるんだ。だからさ、人間ってなんて早く大人になるんだろうっていつも驚いてたぜ」

「俺はこれが普通だからな。精霊族はどうなんだ?」

「うん。生まれてから歩くまでに軽く二年はかかる。人間の倍だな。そんで十年ぐらいで会話ができるようになって、二十歳でだいたい人間の五、六歳ってとこかな。で二十五歳ぐらいから成長が遅くなっていって、百歳で成人を迎えるわけ。成人してからはもっと成長が遅くなって、十年で一歳ぐらいしか年をとらなくなってくな。まあ千年近く寿命があればそうなるよな」

「千年近く……」

「そ。そんで俺は成人してから十年だ」

 言いながら皿に残っていたトマトを口に放り込むとエドワードがまっすぐにこちらを見ていることに気がついた。

「何?」

「じゃあお前、一一〇歳ってことか?」

「うん。でも人間には二十歳に見えるって言うから、二十歳ってことにした」

 話し終わったリッツを呆然と見ていたエドワードが、ため息混じりにグラスを傾けた。

「そんなに長く生きてて、何故こんなに世間知らずなんだ?」

「あ、エド、馬鹿にしてんだろ」

「多少。だが驚いたな。一一〇歳か……」

 ため息混じりにそういったエドワードに少々心配になってしまった。

「……やっぱいわない方が良かったか?」

「ん~」

 複雑な顔でグラスに口をつけるエドワードに、さらに心配が募る。

 シーデナの光の一族で、エドワードの五倍近く年をとっていたら、エドワードの友として欠陥があるだろうか?

「なあ、エド?」

 黙りこくったエドワードを軽く揺らすとエドワードはリッツを見上げ、不安いっぱいのリッツに向けて表情を和らげた。

「……お前、何でそんな顔してるんだ?」

「だってさ……なんか遠慮されそうで嫌じゃんか。エドに遠慮されたらきついよ」

 今まで一年掛けて築いてきた信頼関係に妙な溝ができてしまうのは嫌だった。

 リッツは幾度となく、年をとらないせいで人々の態度が変わっていく瞬間に遭遇している。

 それは決して気持ちのいい物ではない。

 心配を募らせるリッツに、エドワードは肩をすくめた。

「馬鹿か、お前は」

「馬鹿!? 俺本気で心配してるんだぞ!」

「あのな、リッツ。俺が何でお前に遠慮しないといけないんだ?」

「え……だって俺すごく年取ってるし……」

 まっすぐに見つめられてしどろもどろになる。

 だがエドワードの目の中には今まで何十人という人の中にあった、自分とは違う生き物を見るような嫌悪感や恐怖感はどこにもないことに気がつく。 

「いくら年をとってもお前の中身は間違いなくその見かけ通りだ。俺が遠慮する要素はないだろ」

「つまり俺はガキってこと?」

「そうだ。年齢を重ねるに従って、周りが相手をその年齢として接するから、人は成長していくと聞いたことがある。俺はお前を見てそれが本当なんだと実感してたところだ」

「どういうこと?」

「見た目が二十歳なら、周りもお前に二十歳の接し方をしているだろう? まさか百年以上生きている精霊族だとは思わないだろうしな」

「うん」

「だからお前は周りの人々から見た目以上の年齢として関わられた事がない。つまりお前は外見の年齢としてしか世間と関わっていないんだ」

「実年齢がいくら高くても、俺は結局二十歳の若造としての経験値しかないって事?」

「その通りだ。いくら年を経ても、人は見た目通りの年齢としてしか成長しない」

「俺がもし百十歳で、見た目がその通りの老人だったら周りがそれなりの態度をとるから、その見た目に会った成長をしていくってこと?」

「そういうことだ」

 そう言われると何となく納得できる。

 確かにいつまでも子供扱いされれば、いつまでも子供のまま成長しないが、大人として扱われれば少し冷製に物事に対処しようと思いもする。

「それって精霊族でも人間でも、変わらないのかな」

「だろうな。実際お前はその通り成長していないだろ」

「うん……ってなんか引っかかるけど……」

「そういうことだから、俺の方が年上に見えるのなら俺の方が成長しているということだ」

「そうだな」

 いくら年齢を重ねていてもリッツは今まで狭い世界に閉じこもって何も知らずに生きていたのだ。

 それに比べてエドワードは色々知っていて大人だ。

「確かに年を聞いて驚いたが、俺にとってお前は不出来な弟のようなもんだ。それで一年間来たんだし、今更お前に遠慮する必要はないだろ」

「弟?」

「ああ。それで俺の唯一の友でもある。何か問題があるか?」

「ない!」

 思い切り力説してから、自分の子供っぽさに少々恥ずかしくなったが、エドワードはそんなリッツに笑っただけだった。

 だがエドワードの言葉を反芻してはたと思い当たった。

 唯一の友……?

 こんなに人当たりが良くて、こんな風に気遣いができて頭も良くて剣も強くて、しかもリッツから見ても二枚目なエドワードなのに。

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