家に帰ったら沖田総司がいました
残業を終えた帰り道、遥香はスマホ画面を見つめてげんなりしていた。
【ヤラせなかったお前が悪い】
「なんなのよ、この最低のメッセージは……」
送り主は元カレのタイキだ。付き合ったものの合わなくて、あげく浮気までされた。
即刻別れを告げたが、プライドの高い彼はこうしてストーカーまがいのことをするようになった。
「そろそろ会社に言うしかないかな。さすがに、しつこすぎるよね」
証拠にするために画面をスクショした。
PC作業で肩がバキバキだ。
今日は香りのいいバスボムを入れよう。などと考えて、リビングの電気をつけた。
瞬間、遥香は、
「きゃあぁぁー!」
と、絶叫しかけた。
サムライがいたのだ。
男はリビングのローテーブルの横にうつ伏せで倒れている。
グレーの袴と紺の羽織を着て、腰に刀を差している。まるで時代劇に出てくる役者だ。
「け、警察……」
ひとまず外に逃げよう。
がくがく笑う膝に力を入れて後ずさりし、ダッシュで玄関に向かう。
さっきかけたロックチェーンに手をかけるも、ガチャガチャいうだけでなかなか取れない。
「落ち着いて、落ち着いて……」
実際に声に出して言い聞かせる。何度目かでやっと鍵を開けた。
勝手にするりとドアノブが回る。
外へ吸い込まれるようにドアが開いた。
「え――」
あっ、という間もなく誰かに押し入られ、遥香は勢いよく玄関に押し倒されていた。
自分の上に馬乗りになっている男を見て、ゾッとした。
茶髪で軽薄そうな、スーツ姿の男――元カレのタイキだった。
「ようやく二人きりになれたな」
「離しなさいよ」
遥香はタイキを睨みつける。
タイキは陶酔したようにニヤニヤと口端を歪めた。
「強気だな。まあ話し合おうぜ」
「この状態で何言ってんの? 不法侵入に暴行罪……自分のしてることがわかってる?」
タイキの顔色が、怒りを含んだ赤黒い色に変わった。
――まずい
「いやぁっ!」
思い切り叫んだ。
「何をしているんですか」
突然、男の声がした。
首だけひねると、先ほど倒れていたサムライがいた。
タイキは見知らぬ男の登場にうろたえた。
「お前誰だよ!」
「あなたのような男に名乗る名はありません。彼女から手を離してください」
「はぁ? ふざけんな……」
サムライはすらりと刀を抜いた。
「退かないのなら、斬ります」
本気だ。と遥香は思った。
このサムライは本気で斬るつもりだ。醸し出す空気が物語っている。
「タイキ、この人は私の婚約者なの」
「は?」「え?」
タイキとサムライが同時に間の抜けた声を上げた。
遥香はタイキから逃れて、サムライの腕にしがみつく。
「ね、そうでしょ? 私たち結婚を前提にお付き合いしてるんだよね」
サムライは遥香を見つめていたが、刀をおろし、タイキを見下げた。
「二度と私の"婚約者"に近づかないでください」
「は、はひっ」
這うようにしてタイキが逃げていく。
遥香はへなへなとその場に座り込んだ。
「ご無事ですか?」
サムライは刀をしまった。
彼は27歳の遥香よりずっと若そうで、この間入ってきた新卒の子たちと変わらない見た目をしている。
高く結った黒髪、綺麗な瞳。
血の気がない陶器のような肌は、女性かと思うほど整った顔立ちだった。
遥香は我に返る。
「……勝手に婚約者だなんて言ってすみません。しつこくて困ってたからつい」
「いえ、構いませんよ」
彼は遥香から目を逸らし、
自分の羽織を脱ぎ、そっとガラスを包むようにかけてくれた。
そこで初めて遥香は、自分の状態を自覚した。柔らかいシフォンブラウスのボタンが弾けて、半分引き裂かれたようになっている。
「最悪」
サムライは「怖かったですね」と優しく言った。
「別に、怖くない。悪いのはあっちだし」
「手が……」
遥香の手は冷え切って、ふるふると震えていた。
――怖かった
「うっ……ふぅっ……」
玄関に座り込んだまま、背を丸め、両手で顔を覆って泣いた。
気をつけていたはずだったのに、タイキに付け入るスキを与えてしまった。
「ごめん、なさ……い」
サムライは、「あなたが謝ることはありません」と言って、その後は黙って遥香を見守っていた。
彼の羽織は大きく、ほんのり温かい。遥香は落ち着くまでそれに包まれていた。
やがて嗚咽が小さくなると、サムライは遥香を怖がらせないようにか、少し距離を開けて膝をついた。
「婚約者にはなれませんが、僕があなたをお守りいたします」
「……あなたが、私を?」
「はい」
お守りしますだなんて、時代劇でしか聞いたことがない。なのに、彼が言うと大げさなところが何もない。
当たり前のように助けてもらったが、彼は誰なのだろう。遥香は止まった涙を拭いた。
「あなた、誰?」
「僕は沖田総司と申します」
「おきた、そうじ」
どこかで聞いた名前だ。なんと江戸時代から来たと言う。
「嘘でしょ?」
しかし沖田は真剣な顔をしていた。
「ここはどこで、いつの世なのでしょうか」
ここは令和で、沖田がいたところよりずっと先だと伝える。沖田は「さようですか」と下を向いた。
(あれ?)
沖田はぜいぜいと肩を上下させ、喘ぐように呼吸をしている。
「ねえ、具合悪い……?」
彼は首を振り、大したことはないと笑顔を作った。
「嘘つかないの、顔真っ青だよ」
「いえ――……っ」
沖田は、突然激しく咳き込んだ。
袖で口を押さえ、ごほごほと咳が続く。胸でなにか絡んだような、聞いているだけで息が詰まる咳だった。
知らない男だということも忘れ、背をさすったが、なかなか咳は止まらない。
「沖田さんっ!」
呼びかけも虚しく、彼はそのまま床へ倒れ込んでしまった。骨ばった手には真っ赤な血がついている。
「吐血!? 救急車……!」
遥香はスマホを取り出し、119を押した。




