溺愛の空 4 ウロコの行方
暗い空を背景に、大きな翼を広げて翻る二つの巨躯。
一方は白金のウロコを輝かせたドラゴンで、もう一方は赤々と燃えるような緋色。
鋼のようなウロコに覆われた身体はとても重そうなのに、コウモリに似た翼が空をかくと、彼らは実に悠々と空に舞った。
ただ……その共演は、とてもではないが、優雅に見ていられる代物ではない。
グネルの口から噴き出た炎は容赦なく兄を襲い、ゲレオンが咆哮を上げると、天から雷が降り注ぐ。あたりが曇天で暗いこともあって、彼女たちの放つ攻撃的な光は、より鮮明に、より荒々しく世界を照らした。
二頭のドラゴンたちが咆哮を上げるたび空気は震え、肉体がぶつかり合うたびに激しい音が鳴り響く。どちらかが海に叩き落されると、巨体の落下で海面には大きな水柱が立ち、しぶきが盛大に飛び散った。──かと思えば、落下した者は海中から矢のように空に舞い戻って相手に突進。重い反撃に怒声が上がり、相手を怯ませんとする威嚇はブレスのように発せられる。蛇の威嚇音を万倍激しく鋭くしたような声は、そのものが刃のようで。それはエミリアのようなひ弱な観客にはいささか刺激の強い代物だった。
浜辺を陸地側に行くと、そこには雑木林や手つかずの雑草の茂みがあって、中にはいくらかの生き物もいたようだが……継母らの怒号のせいで、そこにいた鳥や獣たちはもうとっくに逃げ出したもよう。
きっと海側も同じなはず。こんな争いをする大型生物のそばからは、魚だって誰だって逃げ出したくなって当然だろう。
そんな大荒れの舞台から、エミリアが逃げ出さずにいるのは、ひとえにグネルが心配だったからである。
しかし、その心配も必要かは怪しいところ。
彼女の継母は実にいきいきと兄に挑んでいる。かなり怒ってはいるようだが、大空で力一杯自由に身を動かす姿は、のびのびとしていてどこか楽しげにも見えた。
これは兄妹ゲンカの類に詳しくないエミリアにも、見ているうちに次第に分かって来た。
グネルとゲレオンは、互いが互いの動きを把握していて、互いを打ち負かしたいとは思っていても、本気でとどめを刺すつもりはないらしい。
その証拠に、こんなに派手な争いをしておきながら、二人はいまだ無傷。
つまり、ギャースギャースと怒声の響く争いはかなり荒々しいが……彼らは互いの力量を分かったうえで、相手が受け止められる以上の攻撃はしていない。
それが分かって来たゆえに、エミリアは、現在こうして浜辺でこの怪獣大戦争を、ほげ……と、見つめているというわけだった。
ふいに、エミリアがつぶやく。
「……海、ぎれい……」
ざらついた声は、大きな声を出し過ぎたせい。それもこれも、あの二人を止めようとしたがためのこと。
兄妹がケンカ慣れしていて心配は不要と分かるまでは、この事態にエミリアは、どうにか二人を止められないかと右往左往。浜辺で声を張り上げながらオロオロして──結果、この有様というわけであった。
砂に足を取られる場所で走り回ったものだから、エミリアはもうへとへと。
でも、と、エミリア。ミシミシいう背筋をなんとか伸ばし、息を吐く。
(……どうにかしてクロクストゥルムに帰らないと……)
彼女が今日、グネルと家を出てきたのは、例の竜人族の青年に会うためである。
こうしている間にも、あの青年が領地を出立してしまうのではないかと思うと、どうしても気が焦った。
けれども、すぐに彼のところに向かいたくとも、ここは父の領地からはかなり離れた場所である。
グネルたちが向かった方向からして、エミリアにはここがどこなのかはだいたい分かっているが、それは地図上の地理が頭に入っているだけということ。エミリアは、左右に頭を振ってあたりの景色を見て考える。
右に見える半島、遠くに見える島の形、そしておおよその時間と太陽の位置、グネルの向かった方向を考えて、それを頭の中にある地図に重ね合わせる。
(……多分、近くにある町までは歩いて一時間くらい……そこで馬車を手配しても、お父様の領地までは半日はかかってしまう……。あ、わたし、お金持ってないわ……)
エミリアの顔に落胆が広がる。
エミリアはいつも傍にニコラがいることもあって、彼女に財布を預けがち。
これでは辻馬車をつかまえても、信用されず乗せてもらえないかもしれない。前金を払えと言われたらどうしようと困る。
しかし、チラリと見上げてみても、グネルとゲレオンの戦いはまだまだ終わりそうにない。継母から馬車代を借りることもできそうになかった。
「どうじよう……」
困ったエミリアはため息をついて、首から下げているペンダントを手に取った。
ロケットの蓋を開くと、そこには生母の顔と、あの竜人族の青年からもらったウロコが。
エミリアは、その黒く艶めくウロコが彼であるかのように言葉をかける。
「ごめんなざい……なんどかお会いじだかっだんですが……」
彼の気持ちを拒絶したとき、彼の目に浮かんだ落胆が忘れられない。
熱心に彼女を見つめ、穏やかに輝いていた瞳が、自分の一言でさっと陰った。
あの表情を思い出すと悲しくなるのは、きっと彼にとても親切にしてもらったからだろう。
彼からは真心を与えられた。ならば、こちらも真心で返したい。
せめて出立を暖かに見送らせてもらいたいと思ったが、どうやらそれもできぬらしい。
(せめてお名前が分かっていれば……グネルお義母様やグンナール様の伝手でお手紙だって書けたかもしれないのに……)
彼がグネルの再婚式に来た客人の供ならば、それはきっと可能なはずだった。
(本当に、わたしときたら! どうしてあんなにお世話になったお方の名前を聞いておかなかったの……⁉)
その後悔に、エミリアはペンダントを手にうなだれる。
どうにかならないかと砂浜の上で苦悩して──もういっそ徒歩でと顔を上げたエミリアの瞳が挑戦的な色をのぞかせる──も。すぐに、自分の足では走っても帰りつくのはきっと明日になるだろうと気がつき、絶望した。
エミリアの色素の薄い頭ががっくりと沈み、と、その瞬間、ふいの風が、彼女に荒々しく吹き付けた。
「⁉」
海から吹き付けてきた、身を押すような暴風。浜辺に三角座りでウロコを見ていたエミリアは、風にあおられて、あっさり砂の上に転がった。
どうやらその風は、ゲレオンがグネルの攻撃を避けた時に巻き起こった風のようだった。
「わ、わぁあっ⁉」
身体の前面に暴風の直撃を受け、後ろに向かって一回転、二回転、三回転……。
うしろにあった茂みに押し付けられる形で、なんとか身体が止まった時には、エミリアは目が回ってくらくらした。
「う、あ、ぁ……」
ふらふらしながら茂みから出て。顔面に張り付いていた葉っぱと砂を両手で払い、ここでエミリアはハッとした。
「ああっ⁉ ち、力の象徴が!」
気がつくと、開きっぱなしのロケットペンダントの中にあったウロコが消えている。
あれだけ見事に転がったのだ。きっと、どこかに落としてしまったのだろう。エミリアは、愕然として周囲の砂浜を見回した。
広い砂浜を覆う膨大な量の砂。白砂の中には小石や貝の破片らしきものも多々まじっている。それらは一見すると、あの黒いウロコにとても似て見えた。
海風は容赦なく浜辺に吹き付けて、砂はさらさらと地面を流れ、混ぜられて続けている……。
そんな砂浜の、どこかに落ちてしまった、親切な竜人族の青年がくれた大切なウロコ。
エミリアの顔面は一気に真っ白になった。




