秘密 3
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「ん……」
ふと肌寒さを覚えて、綾女はすぐそばの熱にすり寄った。
すりすりと頬ずりをしてしがみつけば、誰かの腕が綾女の腰に回る感触がした。
なんだろうかとぼんやりと目を開けた綾女は、すぐそばに、銀色の髪をした男がいることに気づいて思わず「ぎゃっ」と声を上げた。
「さすがに傷つくのだけどね」
頭のてっぺんから、紫苑が苦笑する声がする。
部屋は暗く、まだ夜であることがうかがえた。だが、褥の中で抱きしめられているこの体勢は解せない。
はくはくと声もなく口を開閉させていると、紫苑が上体を起こした。
離れていった熱にほんのちょっと寂しさを覚えたのは、きっと部屋が寒かったからだ。そうに違いないと自分に言い聞かせて、綾女も褥の上に上体を起こした。
そして、必死に考える。
(えーっと、確か、紫苑が話があるって言ったから、帰ってくるのを待っていたはずよね? でも寒かったから褥に潜り込んで……うん、寝落ちしたんだわ)
いつの間にか部屋の灯りも火桶の火も消えていたようだ。
納得するとともに、あちゃーっと顔を覆った。
待っておこうと思ったのに寝ちゃうなんて!
右京で暮らしていたときは特にすることもないから、夜更かしするようなことはなかった。早く寝る癖が染みついているから眠ってしまったのだろう。
ついでに、久しぶりの風呂が気持ちよかった。ぽかぽかと体が温まったおかげで余計に眠かったのだと思う。
帳台から出た紫苑が火桶と灯台に火を入れて戻って来た。
わたしの隣にぴったりとくっつくように座って、紫苑が自分と綾女の肩に衾をかける。
寒いから、という理由で肩に手を回されて、ちょっぴり逃げ腰になったが今更だと諦めた。
部屋が温まるまで少し時間がかかるだろうし、くっついていると温かいのは間違いない。
「ええっと……寝ちゃっててごめんなさい」
「いや、疲れていたんだろう。それに、帰ってくるのが少し遅くなったからね」
「忙しいの?」
「まあ、そうだな」
鬼が忙しいなんて、紫苑は本当にどこで何をしているのだろうか。
気になるが、どこまで訊ねていいのかわからずに、綾女は悩む。
話があると言っていたから、てっきり紫苑のことを教えてくれるのではないかと思ったのだけれど、違ったのだろうか。
自分から訊くべきか、やめておくべきか。
綾女が押し黙って考え込んでいると、紫苑が気を取り直したように言った。
「団子を食べるか?」
「ねえ、どうでもいいことかもしれないけど、なんでいつもお団子を持っているの?」
「団子だとか餅だとかが好きだと綿星に聞いたのだが違ったのか?」
「違わないけど……、え? もしかしてわたしが好きだからいつもお団子を持ち歩いているの?」
「持ち歩いているわけじゃない。ほら、今日はそこに置いてある」
紫苑が指し示すほうを見れば、帳台の隅に箱が置いてあった。団子が入れてあるらしい。
「お団子は嬉しいけど、夜にあんまり食べると太ってしまいそうね」
「君は細いから、もう少し肥えたほうがいいんじゃないのか? 腰なんて折れそうじゃないか」
なんで紫苑が綾女の体型を知っているのだろう。
(そういえば、昨夜もさっきも抱きしめられてたし……だから?)
かあっと綾女の顔が赤くなった。
くっついているのが急激に恥ずかしくなってきて、逃れようとすれば肩に回された腕が絡みついてくる。
「こら、寒いんだから動くな」
(だって!)
文句の一つでも言ってやりたいが、恥ずかしすぎて何も言えない。
赤くなった綾女の頬をつついて、紫苑が笑った。
「ここも、もう少しふっくらしてもいいと思うぞ。団子を食べるか?」
「い、いらないっ」
「そうか。では君を太らせるのはまたにしよう」
くつくつと笑われて、綾女はようやく紫苑に揶揄われたのだとわかった。
じろりと睨めば優しい表情を浮かべた顔がすぐそばにある。
「俺たちは夫婦になったんだから、訊きたいことがあるならなんでも訊けばいい」
どうやら、綾女が訊ねようかどうしようかと悩んでいたことに気づいていたようだった。
(なんか、悩むのも馬鹿らしくなってきたわ)
体型のことまで知られているのに、こちらが紫苑を何も知らないというのは非常に腹が立つ。
おそらく紫苑はわざと綾女をからかうようなことを言ったのだろうから、彼の術中にはまったようでこれはこれで面白くないが、気になるものは仕方がない。
「ねえ、今日はどこで何をしていたの? 仕事っていったいなんなの?」
「やっと俺に興味が出た?」
「茶化さないで」
むっと口をとがらせると、紫苑が肩をすくめる。
「茶化したわけじゃないんだが……まあいいか。今日はね、内裏に仕事に行っていたよ」
「内裏に?」
思いもよらぬ単語が出て、綾女は目を丸くした。
懐かしい響きに胸がちりりと痛くなると同時に、今の内裏がどのような状況なのか気になって、つい、紫苑に顔を寄せる。
「気になる? 綾女は今の帝とは従兄妹同士の関係だよね。仲がよかった?」
「……仲がいいなんて言ったら、不敬よ。ただ、よく遊んでもらったわ」
内裏を去ったのが十のときだったから、もうおぼろげにしか顔を覚えていない。
でも、優しい人だった。
(懐仁兄様は……、気落ちして臥せっていると聞いたわ)
あの優しい人が最愛の后を亡くして元気でいられるはずがない。
ずっと気になってはいたけれど、綾女が気にするのは失礼な気がして、できるだけ考えないようにしていた。
帝の側にはほかに中宮も女御もいる。お心を慰めてくださる人は大勢いるのだ。
内裏を去った綾女が、いつまでも雲の上の人たちのことを気にしてはいけない。いまだにあそこに自分の椅子があると、勘違いしてしまうから。
「どうして、鬼であるあなたが内裏で仕事をしているの?」
帝のことを無理やり頭の隅に追いやって、綾女は気を取り直して訊ねた。
つい他のことに気を取られたが、今知りたいのは紫苑のことだ。
内裏には陰陽師たちが結界を張り巡らせているが、その結界をすり抜けて、意外と魑魅魍魎が侵入してくる場所でもある。
綾女も内裏で暮らしていたときに何度か妖に遭遇したし、そのたびに父から「見えないふりをしなさい」と言われて育った。
綾女が妖を自然と受け入れるのは、見る機会が多かったからだ。
物心つく頃には自然と、都は人と妖が共存している場所なのだと理解した。
ただ、人の多くはそのことを知らないだけだと。
しかし、妖を多く見かけていたけれど、妖が内裏で働いているのは見たことがない。綾女が知らなかっただけなのだろうか。
紫苑は綾女をぐいと引き寄せて、息がかかるほど顔を近づけてきた。
「知りたい?」
ぶわっと綾女の顔が熱くなる。
少しでも動けば唇が触れてしまいそうで硬直していたら、紫苑が、唇のすぐ横に口づけを落としてきたので、反射的にその胸をぐいっと両手で押してしまった。
「なっ――」
何をするのだという苦情を必死で飲み込む。
綾女はもう、紫苑の妻だ。彼には綾女をどうこうする権利がある。口の横を彼の唇がかすめて言ったくらいで文句を言うのはおかしいのだ。
「教えてもいいよ。というか教えるつもりだったし。だけど、この秘密を知ったら、俺と綾女は運命共同体だ。もう絶対に、逃がしてなんてあげないよ」
「う、運命共同体もなにも、も、もう結婚しちゃったじゃないっ。に、逃げないわよ」
逃げたところで行く当てもないし、そもそも、この男から逃げられる気がしない。
触れられた唇の横を押さえてうつむけば、笑いながらまた引き寄せられた。
つい、両手で自分の唇を覆えば、紫苑が楽しそうに喉の奥で笑う。
「君は可愛いね」
「揶揄わないで!」
「揶揄っていないよ。可愛いから可愛いって言ったんだけど。その真っ赤な頬とか、食べてしまいたくなるね」
それは、どういう意味の「食べる」だろうか。
文字通り頭からばりばりと食べられる想像をしてしまって、綾女は慌てて首を横に振った。いくら鬼でも、妻を文字通り食べることはない……はずだ。そうだと思いたい。
「食べていい?」
「ダメ! 絶対ダメ! 美味しくないからっ」
「美味しそうだけど」
「美味しくないっ」
本気で食べるつもりだろうか。
そう言えばさっき、肥えさせるとかどうとか言っていた気がする。
ふるふると小さく震えながら見上げれば、困った顔で笑われた。
「綾女は本当に可愛いね。忍耐力を試されている気分にもなるけど……約束したし、仕方ないか。この調子だと、そのうち飢餓状態になりそうだな」
「お腹すいてるならあのお団子でも食べて!」
「そういう意味じゃないんだよ」
じゃあどういう意味なのだと睨めば、頭を優しく撫でられる。
「これ以上揶揄ったら本気で泣かれそうだからやめておくか」
やっぱり揶揄ったのだ。
綾女はむっとしたけれど、きっと綾女がいくら睨んだところで紫苑は痛くもかゆくもないのだろう。それが余計に腹立たしい。
「さて、仕事のことだったね。いいよ。知られれば内裏が震撼するような秘密、教えてあげる」
ものすごく聞くのが怖くなる前置きをして、紫苑は語り出した。








