文と訪い 8
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そして、三日目の夜がやってきた。
帳台の中で紫苑を待ちながら、綾女は自分の手のひらを見つめた。
昨日の夜、答えは今日聞かせてほしいと言われてから、一日中考えていた。
ぼーっとしすぎて、命婦に体調を疑われたほどだ。
命婦は昨夜、綾女の部屋の外で聞き耳を立てていたらしいのだが、紫苑の術なのかどうなのか、綾女たちの会話は一切聞こえてこなかったという。
だから部屋で何があったのか知りたくて仕方がない様子だった。
明朝部屋にやってきて、無体なことはされていないかと心配した命婦には笑ってしまったほどだ。
紫苑は来たけれど、ただ話をしただけだと言えば、ほっと安堵する反面、少しばかり面白くなさそうな顔をしていた。
どんな話をしたのかと根掘り葉掘り聞かれたけれど、さすがに昨日の話を教える気にはなれなくて曖昧に誤魔化しておいた。
(今日が終われば、夫婦か)
相手が鬼だから、結婚したところで公表されることもない。
ひっそりとこの場からいなくなるだけだ。
まあ、もともと忘れ去られた存在の綾女のことなど、誰も気にかけてはいないだろうから、このおんぼろ屋敷がからっぽになろうと、気づく人はいないだろう。
一日考えて、綾女は自分の心に折り合いをつけた。
紫苑と結婚するのが最良なのだ。
命婦のためにも、そして綾女のこれからの生活のためにも、彼の妻になるべきなのである。
逃げ続けたところで鬼との約束が反故にできないのなら、疫病の魔の手が迫ってくる前に彼の元へ避難するのがいいのだ。
覚悟を決めると、意外にも冷静になれた。
そもそも、打ち捨てられた綾女が、いつまでも「人の理」にこだわっていたところで意味がない。
綾女は人だが、内裏から追い出された時点で人の社会から捨てられたも同然なのだ。いまだ綾女が生きていると思っている人も少なかろう。
十歳の娘と世話係一人を後見人もつけずに放り出せば、どうなるか。常識的に考えて生きていけるはずがないのだ。
内裏を追い出された時点で、綾女は、誰にも悟られず静かに死んでくれと言われたも等しいのである。
そんな綾女が人の理にしがみつこうとする方がおかしいのだ。
ならば、どんな手を使ってでも生きてやろうと思った。
父亡きあと、ここまで育ててくれた命婦を不幸にはしたくない。
ならば綾女は、大切な人を守るために、たとえ人の理から外れたって生きるのだ。
そんな決意を固めて待っていると、微かに帳が揺れた。
銀色の光が見える。
音もなく静かに部屋にやってきた紫苑は、帳台の前で胡坐をかいて座った。
帳の間から顔をのぞかせると、出ておいでと言うように手招きされる。
「綾女、団子があるよ」
今日で三日目の夜なのに、変わらず団子を薦める紫苑が少しおかしかった。
(通ってきているというより、お団子を一緒に食べにきているだけみたいだわ)
鬼のくせに、彼は優しい。
嫁と言いながら、綾女の覚悟が伴うまでは手を出すつもりはないのだろう。
だからこそ安心して、綾女は素直に彼のそばまで行った。
火桶を挟んで、黙々と団子を焼く。紫苑は屯食だ。今日も命婦が用意していた。
「命婦は屯食を作るのがうまいね」
「昔はもっと下手くそだったわよ。ただ、わたしが好きで食べるから、たくさん作ってくれたの。そのうちコツを掴んだみたい」
ここに移り住んですぐのころに食べた命婦の屯食は、ぎゅうぎゅうに固く握りしめられていて、米が潰れて美味しくなかった。
だが作り慣れた今は、外側はしっかり、中はふんわりと握られていて、塩加減もとてもいい。たまに梅干を入れてくれる。ちなみにその梅干しも紫苑の貢ぎ物だ。
「覚悟は決まったか?」
屯食をあぶりながら、紫苑が訊ねる。
ええ、と小さく頷けば、また手招かれる。もう少し近く寄れということらしい。
膝行して彼の隣に行けば、頬に手を添えられて顔を覗き込まれた。
息がかかるほどの距離にびくりとすれば、ふっと目を細めて笑われる。
「不安そうな顔。そんな顔をしなくとも、取って食いやしないよ」
綾女の頬を撫でて、紫苑の手が離れていく。
ぬくもりが離れていくのが少し寂しいと思ってしまって、綾女は愕然とした。
「夜が明けたら、すぐに引っ越しの準備をしよう。必要なものは準備してあるし、ここにあるものを運ぶのもこちらで手配するから、綾女は身一つで来ればいい。邸の中でも自由にすごして構わない。……ただ、外出は控えたほうがいいだろうね」
「そうね」
六年前に打ち捨てられた綾女だが、中には捨てられた内親王の顔を覚えている者もいるだろう。顔を見られて不都合があるわけではないが、変な噂が立つのは避けたい。
焼いた屯食を三口で食べて、紫苑がちらりと帳台を見た。
「それから、今日は朝までいようと思う」
「……え?」
「そういうものだろう? 三日目の夜だ」
綾女は目を見開いて、それから慌てた。
「まって、だって……」
「添い寝をするだけだよ。怯える女人に手を出すほど、俺は鬼畜じゃない」
「別に怯えてなんてないわよっ」
ついむきになって言い返してしまって、綾女はしまったと両手で口を押えた。
紫苑がにやりと笑って、また頬に手を伸ばしてくる。
「それならなおのこと、問題ないだろう? ただの添い寝だ」
(だけどっ)
そんなことになれば、明日の朝、命婦に見られてしまう。
いや、見られてもいいのか。引っ越すのだから。いやでも――
(鬼とはいえ男と褥を共にするなんて……)
相手は綾女の夫になる鬼だ。だから不思議ではない。不思議ではないのだが、結婚する覚悟は決めたが同衾する覚悟は決めていなかった。
手を出さないという言葉も、どこまで信用していいのかわからない。
綾女にはまだ覚悟が足りないのだ。
おろおろする綾女に対して、紫苑はのんびりと二個目の屯食を焼きはじめる。
そのどこか飄々とした様子に、綾女はちょっとむかついた。自分だけ慌てふためいていて馬鹿みたいだ。
(一緒に寝るって言ったって、犬と添い寝するようなものよ! ふんっ)
次の団子をあぶって、綾女はもぐもぐと頬張りながら紫苑を睨みつける。
綿星によれば紫苑は二十歳らしい。つまり、四つも年下の綾女のことを子供だと揶揄っているのだ。実に腹立たしい。
(あいつは犬みたいなもんよ、犬犬犬犬犬っ! 緊張するだけ馬鹿馬鹿しいわ!)
ぷりぷり怒りながら次々団子を口に入れていけば、気が付いたら残り一つになっていた。
紫苑も屯食を完食し終えたようだ。
綾女が最後の一つを口に入れると、ぺろりと親指の腹を舐めた紫苑が、ゆっくりと立ち上がる。
「寝るか」
その一言にどきりと心臓が跳ねたが、綾女は気づかないふりをした。平然としているこの鬼相手にどきどきする必要はないのだ。
片手を差し出されてので、おずおずと手を差し出す。
ぐいと引かれて立ち上がった途端、綾女の視界がくるりと回った。
気が付けば、紫苑の腕に横抱きにされている。
「な――」
「さて、それでは朝まで一緒にすごそうか、嫁殿?」
にこりと微笑む紫苑の赤い目に、揶揄うような光を見て、綾女は口をへの字に曲げた。
この男、優しそうに見えてなかなか意地が悪いのかもしれない。
じたばたと暴れて恥ずかしがるのも腹立たしくて、ぷいと横を向けば、くつくつと笑いながら帳台の中に敷かれている褥まで運ばれた。
優しく横たえられて、そのまま当然のように腕の中に抱き込まれる。
「……添い寝じゃなかったの?」
さっきからやたらとうるさい鼓動に落ち着かなくなって、ついそんなことを言えば、紫苑が綾女のつむじのあたりに顎を軽く押し付けた。
「添い寝だよ?」
片方の腕が後頭部に回って、綾女の地肌をくすぐるように髪が梳かれた。
「おやすみ、綾女」
かすめるような口づけが、頭のてっぺんに落ちる。
綾女は紫苑の腕の中で意地になって目を閉じながら、果たして今日は眠れるだろうかと悩んだ。
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