文と訪い 6
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(別に、待っているわけじゃないからね!)
綾女は自分自身に言い訳しながら、帳台の中に座っていた。
命婦は、今夜紫苑が訪ねてくるものと思っているのか、夜食にと懸盤の上に屯食を用意して去って行った。どこかで聞き耳を立てているような気がして落ち着かない。
(別に寝ててもよかったんだけど、来るって言っているのに先に寝てたら失礼だろうし……)
さっきから、自分への言い訳が止まらない。
期待しているわけじゃない。
来てほしいと思っているわけでもない。
結婚するつもりもない。
なのになぜ、そわそわと落ち着かない気持ちになるのだろう。
帳をきっちりと閉めているから帳台の中は暗い。
命婦が灯台に火を灯しておくというのを何とかやめさせて、火桶にだけ火を入れてもらった。
鬼も人と同じように寒さを感じるのかどうかはわからないが、春とはいえまだまだ冬の名残が強い。
薄く積もっていた雪は解けたが、またそのうち降るだろう。あと半月……二月になれば寒さも少しは落ち着くだろうか。まだ寒いだろうか。
命婦と二人きりでひっそりと行った裳着(成人式)はとっくに終わって、十六歳。
すでに母になっていてもおかしくない年だ。
いつまでも子供ではいられず、身の振り方を決めなければならない。
綾女に取れる選択は、今のところ三つくらいか。
一つ目は鬼――紫苑に嫁ぐ。
二つ目は、最低限の生活の面倒を見てくれそうなどこぞの公達の妾になる。
そして三つ目は、出家し、髪を削いで尼になる。
我ながらろくな選択肢がないなと笑ってしまった。
人の理の中で生きていくなら、二つ目と三つ目しか残されていない。
三つの選択肢の中で、人の理から外れた一つ目の選択肢が一番幸せになれそうだなんて、滑稽でしかないだろう。
もっとも、綾女の未来なんて、父が鬼と――紫苑と約束したときに決まっていたも同然なのだが。
父が紫苑と約束をしたのは、綾女のためを思えばこそだ。
自分が死んだ後、綾女がどうなるかなんて、父にはわかりきっていたことだろう。
少しでも綾女が幸せになれるように……。
普通と方向性は違えど、父なりに娘の幸せを願った結果だ。
だけどここで腹をくくれるほど、綾女は度胸があるわけではない。
せめてもう少し――、何か一つでも、自分自身に決断させる材料がほしい。
そんなふうに思っていると、ふと、帳を通して銀色の光が見えた。どうやら紫苑が来たようだ。
帳台の中で息を殺していると、微かな足音とともに、くつくつと笑い声がする。
「起きているのだろう?」
ばれていたらしい。
「見えるの?」
つい、口をとがらせて訊いてしまった。帳越しにこちらが見えるのなら、なんのために帳台の中にいるのかわかったものではない。
「さすがに見えないよ。だが、気配はわかる。今日は出てきてはくれないのか?」
帳台の前に紫苑が座ったようだ。
綾女は悩み、昨日素顔をさらしたのに今更かと、諦めて帳を持ち上げる。
紫苑は、今日も髪を背中に流した姿だった。
直衣の襟元を寛げて、火鉢から少し離れたところに胡坐をかいている。
綾女がおずおずと帳台から出ていけば、火鉢を綾女の側に押しやってくれた。
「今日も団子があるが、どうする?」
「……食べる」
差し出された団子を素直に受け取って、火鉢で軽くあぶる。
「その屯食は、命婦から。少し火であぶったら温まるし美味しいと思うわ」
あれこれと帳台の中で考えていたからだろうか、少しばかり言い方がつっけんどんになってしまった。
けれども紫苑は気にした素振りもなく、懸盤ごと屯食を持ってくると、火桶の火であぶりはじめる。
「綾女、相談なんだが……三夜目が終わったら、俺の邸に移り住んでくれないか? 昨日も言ったが、北の対(妻の部屋)を用意してある」
「…………それは」
往生際が悪いと思われるかもしれないが、綾女にはまだ決心がつかない。
それに、きっかけは綾女の間違った歌が原因だが、急に距離を詰めようとしてきた紫苑の思惑がわからなかった。
これまでは綾女の判断に任せるかのように、ずっと放置していたではないか。
まあ、貢ぎ物はもらっていたし、綿星も毎日のように押しかけてきていたが、紫苑は一度も来なかった。
それがなぜ、ことを急ぐように綾女に引っ越しをうながすのだろう。
それに、正室が夫の邸に移り住むことは珍しくはないが、しばらくの間は通い婚が普通だ。三日夜の餅を口にした直後に邸を移る例は少ない。
(って、相手は鬼だもの、人の理に従う必要はないわよね)
そして綾女の住むこの邸はおんぼろだ。こんなところに通うくらいなら自宅に連れ帰ったほうが紫苑としても都合がいいだろうというのはわかる。
「なんで急にそんなことを言うの?」
「急ではないが……まあ、理由はある」
「なに?」
理由がわからなければ、綾女としても決断できない。
決断するだけの理由があるのならば――綾女にだって、決心がつくというものだ。
結局のところ綾女は、鬼だ、人の理の外だと言いながらも、紫苑の妻になるのが最良の道だと理解しているのだ。ただ、勇気が出ないだけで。
だからこそ、ああだこうだと言いながら、紫苑の手を取る理由を探しているだけなのかもしれない。
そんな情けない自分に自嘲していると、紫苑が困ったように眉尻を下げた。そして――
「綾女は、都を騒がせている病を知っているか?」
そう、訊ねてきた。








