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銀幕紙芝居 〜猫たちの時間6〜  作者: segakiyui
5.罠
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2

 俺だって、小学生じゃあるまいし、そんなことぐらい自分で決められる。何も周一郎の側でなくちゃ生活できないというわけじゃない。あいつに会うまで俺だって1人で暮らしてきたんだし、幾つかバイトを掛け持ちすれば何とか生きていけるだろう。

 決意と不安を繰り返しつつ、気がつくと客が少なくなってきていた。

「おい、交代」「あ、すまん」

 閉店までの1時間と後片付けの勤務者と入れ替わってカウンターを抜け出す。更衣室で制服を着替えて出て行こうとすると、主任が満面の笑みを浮かべて手を振って送ってくれて、ぞくぞくしながら頭を下げた。

「は…はは」

 怖い。そのうち何かとんでもないことをされそうな怖さだ。

 けれどもし朝倉家を出て行くとなったら、ここも貴重なバイト、ましてや機嫌を損ねてブラックリストに名前を載せられでもしたら、目も当てられない。

(朝倉、周一郎、か)

「ねえこっちがいいなあ」「え〜どっちがいいのお」

 ウィンドウの前で楽しげにいちゃいちゃするカップルの後ろを通り抜け、2人が眺めている煌めくアクセサリーを見やり、溜め息をつく。

 周一郎が買おうとするなら、こんな店、店ごと買うことができるんだろう。

「こっち来てよ」「君ちゃんこそこっち」

 前から来るカップルも腕を絡めたり腰を抱いたりと忙しくしながら、通りのフレンチレストランに入っていく。表に出ているメニューには値段がない。

「怖え」

 こんな所に入るのに、幾らぐらい準備しておくもんだろう。周一郎ならもちろん、メニューさえ見ずに好きなものをオーダーして作らせてしまうことができるんだろうが。

 周一郎なら。

 周一郎なら。

「はあ…」

 何で関わり合ったんだろう。どう見たって、俺とは全く住む世界が違うのに、どうしてわかってやれるとか思ったんだろう。

 ぶつかってくるカップルが神様のいやがらせのような気がして、裏路地に入る。

 人気の少ない、切れかけた電灯がちかちか瞬くような看板が置かれている、ラーメン350円と書かれた紙に目を惹かれる、そんな通りだが、朝倉家には続いている。

 けれど、続いている、だけなのだ。

 元々の俺の世界はこんなものだったのだ。

「…だよなあ」

 苦笑いして歩き出すと、すぐ先の角を曲がってこちらへやってくる男が居た。サラリーマン風の、仕事帰りなのか書類かばんを下げている。瞬く電灯に中途半端に照らされた横顔が見えにくく一瞬不安になったが、相手はためらった様子もなく、携帯を耳にあてながら歩き続ける。

 単なる通りすがり、そう思ってほっとしつつ、それでも足を速めて通り過ぎようとした矢先、隣で男がふいに振り向いた。

(え?)

 まさか、男を襲う痴漢ってやつ、と抜けたことを考えたのが最後の記憶、次の瞬間目も眩む強い一撃を後頭部に喰らって足が崩れる。

「な、ん…っ」

 視界が一気に真っ暗になり、どこか遠くで猫の鳴き声がして、俺はそのまま意識を飛ばした。


「……きさん…」

 遠い闇からさざ波に似た囁きが届く。俺はなぜか浜辺にひっくり返っていて、黒い空の下に体を投げ出している。

「たきさん…」

 不安そうな誰かの声だ。心配でたまらないと言いたげに俺を繰り返し呼び続ける。

 誰の声だろう? どこか優しい聞き覚えがある。

 気づいたとたん、ぼうっとあたりが明るくなった。

 今の今まで覗き込んでいたらしい人影がほっとしたような溜め息を漏らして慌て気味に視界から離れ、入れ代わりにひょいと顔を突き出した人間が、にっこりとお人好しそうな笑みを浮かべる。

「大丈夫かい、滝くん?」

「、あつっ!」

 跳ね起きかけて後頭部に走った痛みに眉をしかめる。一瞬、あの主任がついに俺のドジに頭にきて(今でも7割ぐらいは煮えているだろうが)俺を襲ったのかと考えた。

 おそるおそる頭に手をやり、かなりでかい瘤ができているのを知る。そっと撫でながら体を起こし、辺りを見回す。

 どうにも現実感がない。頭のどこかに穴が空いていて、どんどん中身が抜け落ちてしまっているような感覚だ。

「滝さん?」

 窓の近く、外の光に淡いシルエットになっていた人間が不審そうな声をかけてきて振り向いた。首を傾げるが、どうにも見覚えがあるようなないような。ぽかんとしていると不安を掻き立てられたのか、急ぎ足に近寄ってくる。

「滝さん? …わからないんですか?」

 その声に気づく。さっき俺を呼び続けていたのは、大丈夫かと尋ねた男じゃない、こいつだ。子どもっぽさの抜け切らない顔立ちに不似合いな大人びた表情、けれど俺が相変わらず状況を把握できていないと知ると、その表情が薄い仮面のように剥がれ落ちた。冷や汗を滲ませるほどのあからさまな心配を浮かべて、俺を覗き込む。

「滝さん?」

「え…っと」

 あまりにも真剣だから、何か少しでも思い出してやらねばと焦っていると、1匹の子猫が部屋を横切ってきた。蒼灰色の不思議な色の毛並みに光を弾き、上品に歩いてきたかと思うと、体重が消えたようにふわりとベッドの上に飛び上がってくる。

「お…?」

 可愛いなこいつ、と微笑みかけた俺を見上げ、子猫は金色の目を細めた。にんまりと笑ったように口を開く。まるでほくそ笑むようだ、そう感じて伸ばした手を引きかけた次の瞬間、ためらいもなく子猫は俺の指を銜えた。

 がぶ。

「ぎゃ!」「ルト!」

 周一郎が叫ぶ。

「ルトぉっっ?!」

 噛んだ時と同じく唐突に開かれた口から、慌てて指を取り戻す。

「何だっ、何があったっ、俺が何をしたっ?! 俺を喰ってもうまくないぞ、メザシの方がよっぽどうまいぞ!」

「にゃあん?」

 メザシってなあに?

 そんな『口調』でルトは応じ、軽く跳ねてベッドから飛び降りる。

「え、あ、そうか、メザシなんて喰ったことないか……って、俺には猫語はわからんっ、人間語を使えっ、お前ならできるぞ絶対できる!」

「なぁんっ」

 聞いた様子もなく、ルトは駆け寄った周一郎の腕に飛び込み気持ち良さそうに抱き上げられる。

「…滝さん」

「お、周一郎、いいとこにいた、今の見ただろ、俺は何にもしてないのにいきなりこいつがかぷっと……って、あれ? え?」

 溜め息まじりに呼んできた周一郎に訴えかけ、ふと我に返った。

「あれ? 俺? あれ? 周一郎? あれ?」

 周囲をきょろきょろ見回そうとすると、ずくっ、と痛んだ後頭部に思わず動きを止めた。

「あれ? 俺…確か…?…」

「やっとまともに戻ったようですね」

 相変わらずひんやりした声の周一郎に情けない気分で顔を向ける、と、すぐ側に立っていた英がなぜか小さく笑った。とたんに周一郎が薄赤くなり、じろりと英を見やる。

「?」


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