社会人生活スタート!
主人公:山畑つくし
三月二二日、私は四年間を過ごした東京をあとにした。今、付き合っている彼を東京に残して、私は一人熊本へと帰った。二日前の卒業式はゼミや方研の仲間と最後の別れを迎えた。同じ学科で同じサークルに入った竹山亜紀とは大学の四年間で一緒にいる時間が一番長かった。彼女は故郷・仙台の地銀で働くことが決まっている。漢字は違えど、同じ地名で働くこととなった偶然に私は不思議なつながりを感じた。大学時代の唯一の親友と言える亜紀とは誰よりもたくさん話したし、お互いにいろんなことを本音でぶつけ合うことができた。それだけに亜紀との別れは武以上につらいものがあった。
私は熊本に帰って二日ほど実家で過ごした後、新居に父と母と弟と一緒に行った。そして、東京で使っていた家財を新しい部屋に四人できれいに並べた。新生活への準備は全て整った。それから、三一日まで私は川内に一人残って、新しい環境に慣れようとした。四年前にも同じようなことをしたはずなのに、すごく寂しかった。武の存在の大きさを改めて感じた。
四月一日、私は入社式のために熊本に帰った。この会社は熊本に本社があるため、入社式が熊本である。その後、本社の敷地内にある研修センターで三週間ほど新人研修を受ける。その間は仕事で覚えなければいけないことを研修担当の上司からみっちり指導をうける。覚えることが多すぎて、私はパンクしそうだった。夜寝る前に、武と電話で話すのが唯一の息抜きとなった。
新人研修が終わって、それぞれが配属された店に入ると私は一人ぼっちになってしまった。私が入った川内店は店長と村上さんと私の三人を除けば、みんなバイトであった。外食産業は安い食材をお客に出すため、人件費をギリギリまで抑えていた。立場上、私は正社員であり、バイトに指示を出さないといけない立場であったが、九人の中で一番新しくこの店にやって来た私に指示が出せるはずもなかった。六人のバイトは長い人で六年ほど、この店で働いている。この会社では三年以上働いている人を正社員に登用する制度があるため、それを狙う人も多いらしい。
五月に入ると、バイト四年目の川山さんと田本さんが正社員となり、それぞれ新しく開店する広島店と山口店に行ってしまった。さらに地元の大学生でバイトしている淀川さんが、バイトを辞めてしまった。彼女は大型連休が終わってから辞めてもらったので、連休中はなんとかなった。だが、これからは六人で仕事をしなくてはいけない。そのため、事前に店長から許可をもらっていた連休は取れなくなってしまった。バイトの募集をかけても人がなかなか入ってこないので仕方なかった。
「つくっちゃんの嘘つき! 二〇日から東京に来ると言ってたのに…。どうして、来れなくなったの?」
「そんなことを言ったって急に三人も人がいなくなったんだから、仕方ないじゃない。働き出せば、学生のように自分の都合だけでは行動できんけんね。東京に行けなくてつらいのは武だけじゃないよ。私だってめっちゃつらいとよ。どうして、わかってくれんと?」
「だったら、初めから期待させるようなことを言うなよ…」
「ひどい…。どうせ、学生のあんたにはこの気持ちがわからんよ」
このまま、電話でケンカをしてしまい、武と一週間も連絡をとっていない。ほんのささいなことから最悪の状態になってしまった。やはり、お互いの温もりや存在を感じながら話すことができないとダメなのかな? 別に武が悪いわけじゃない。私が悪いわけじゃない。悪いのは東京と川内が離れすぎていることだ。私達にこの距離を埋めるだけの力がなかった。
五月の終わり頃、ようやく新しい女性が一人入ってきた。南野さんという大学生だった。しかし、彼女が仕事に慣れるまではシフトは少しも楽にならなかった。仕事できつい日々が続いた。こんなとき、武に電話できないことがとてもつらかった。私は竹山亜紀に相談することにした。
彼女のアドバイスは実に的確だった。この問題を長引かせれば長引かせるほど、問題はこじれるばかりであり、とにかく早く問題を解決すること。確かにその通りであった。早速、私は行動を起こした。
「武…あっ…私、つくしだけと…。この前は本当にごめんね」
「いやいや、僕もつくっちゃんのつらい気持ちをきちんとわかろうともせず、自分勝手なことばかり言ってごめんね。お互いに会えなくてつらいのは一緒になのにね…。本当に許して欲しい」
これを機会に前よりお互いに気を遣うようになった。毎日の電話も復活した。かつての甘い恋愛と違って、かなりしんどい。お互いに今、何をしているか相手が話す言葉からしか知ることができない。直接、相手を見ることができないから余計に不安になる。何より寂しい。いつになったら二人は会えるのだろうか?
六月の中ごろ、鍋島さんと言う三〇代のパートが入ってきた。彼女はかつてファミレスでバイトしていたこともあり、とても飲み込みが早かった。この頃には南野さんも仕事に慣れてきたのでシフトも少しばかり楽になった。七月に入り、鍋島さんも仕事に慣れてきて、ようやく八人体制で仕事ができる状態が整った。
もうすぐ、連休が取れる。そう思っていた矢先、また武ともめるようになった。今度はもう元に戻りそうもなかった。どんどんこじれていくばかり…。やっぱり、もうダメなんだ…このまま付き合ってもお互いに苦しめるだけ…。私は武と別れることを決意した。
そんなとき、店長からようやく三連休を取ることができた。私は気持ちが揺らいだ。武と会いたい自分と、もう別れたいと思う自分が激しくせめぎあった。結局、会ってから別れるかどうか決めることにした。私はようやく東京に行けるようになったことを武に伝えた。何も知らない彼は無邪気にそのことを喜んでいた。不思議とその日から二人の状態はどんどんよくなっていた。
七月一八日の朝、私は買ったばかりの車で川内から鹿児島空港へと向かった。迷いは深まるばかりだったけど、飛行機はそんなことにお構いなく離陸した。ふと、空を見ると四ヶ月前のことが思い出された。卒業旅行は楽しかった。でも、それはもう過去のことだ。そんなことを思い出した自分が未練がましかった。
やがて、飛行機は羽田に着いた。つい四ヶ月前に飛び立った場所なのに、もう何年も経ったみたいな感覚がした。いろんなことが起こりすぎた。もう、過去とは決別して早く楽になりたいと、ふと思った。それから電車で新関東大学がある街へと向かう。この日、武は講義とバイトで昼間は忙しいと言っていた。彼ももう三年生だから、忙しいのだろう。
夜、四ヶ月ぶりに武と会った。積もる話はたくさんあった。この日はあれこれ話しているうちに夜が明けてしまった。こんなに楽しく話をしたのは四ヶ月ぶりであった。やはり、武と一緒にいると楽しいし、全てが満たされる。私は彼に別れを切り出すべきか最後まで悩んだ。でも、このまま別れを切り出さずに帰れば、二人はきっと今よりも苦しくてつらい思いをすることになる。次はいつ会えるかわからないだから…。だったら、今ここで全てを終わらせた方がいいはず。
私は川内に帰る前、二人で羽田空港の中にある定食屋で夕食を食べた。私は帰り際に別れ話を切り出す決心を固めた。心が落ち着かないので、タバコを買って一本吸った。ようやく、心の準備ができた私は搭乗口に入る前に武に全てを伝えることにした。
「武、今までありがとう。今まで本当に楽しかったよ。だから、ここで終わりにしよう…。このまま、付き合い続けてもさ、なかなか会えないし、つらい思いばかりするだけだよ。さようなら…」
そう言って、私はタバコの箱を彼に渡した。突然の出来事にとまどう彼を搭乗口に置いたまま、私は搭乗口へと一人で向かった。遠くの方で彼が何か言っているのが、かすかに聞こえた。でも、私はもう振り返ることなく、鹿児島行きの飛行機に乗り込んだ。




