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あとぜき!  作者: あまやま 想
2年目
15/26

就活も楽じゃない!

主人公:山畑つくし

 六月に入り、私は卒論に就職活動と大忙しだった。大学の研究室に行けば、成沢先生から毎日のようにあれこれと卒論のための指示が与えられる。まあ、卒論と言っても先生の研究の下請けである。文系学部だともっと自由に自分のやりたい卒論テーマを決められるらしいが、理系学部ではまず無理である。科学の発展により扱うべき研究テーマが高度化しており、学部生レベルでは自分で研究を考えて、研究を進めることがもはや不可能なのだ。

 就職活動では高望みをし過ぎたのか、それとも不景気で採用数が少ないからか、よくわからないが、十社ほど受けた一次試験や一時面接は全滅であった。政府は長い好景気が続いていると言っているが、それは大企業とお金持ちの間の話であって、庶民にはまったく実感がわかなかった。むしろ、九〇年代の「失われた十年」が未だに続いているような感じだった。

 何が規制緩和だ。何が構造改革だ。庶民はその恩恵を少したりとも受けなかったではないか。得したのは大企業とお金持ちだけで、庶民は何一つ恩恵を受けなかった。むしろ、苦しめられたと言っても過言ではない。結局、規制緩和も構造改革も庶民をだまして、大企業とお金持ちが儲け続けるシステムを温存するための改革にすぎない。

 まあ、どんなに立派なことを言っても、就職が決まらない人の愚痴にしか聞こえないだろう。でも、就活をしていると社会の矛盾点に自然と目が行くようになるから不思議である。


 やがて、梅雨の季節に入った。ただでさえ、何もかもうまくいかなくて気がめいっているのに、雨の日が続くとますます気分が落ち込んでいく。こんなときは、自分が生きていることに意味があるのだろうか…自分なんて生まれてこなければよかったのではないか…などと対考えてしまう。楽しいことや幸せなことが続けば、こんなことを考えることもないだろう。しかし、楽しいことや幸せなことは何もしていない人の所にやってきてはくれない。苦労した人や頑張っている人の所にやってくるものである。

 つい最近まで方研の活動に夢中になり、毎日のように遊び続けていた私がいきなり内定をもらえるはずがない。今すでに内定をもらっている人は早い時期から英検や漢検などの様々な資格を取って自らの能力向上をはかり、また常に企業分析を欠かさずに行っていた。その違いが今、大きく表れているに違いない。

 卒論と就活の合間をぬって、武と会った。彼が無邪気に方研のことや自動車学校であったことを話すのを見ると、それだけで心が休まる。

「ところでつくっちゃん、就活の方はうまくいってるの?」

 私は黙ってうなずいた。六月も後半に入ったものの状況は相変わらず厳しい日々が続いていた。

「今、経済学概論っていう講義を取っているんだけど、先生が『この好景気は政府の見せかけにすぎない』と言ってたよ。何でも今の日本の経済成長率は1%以下なんだ。神武景気が一〇%、バブル景気が五%の成長率だったことを考えると、この好景気がいかにみせかけに過ぎないかがよくわかるでしょ。それとジニ係数がどんどん拡大しているんだって」

「何ね? ジニ係数って?」

「ジニ係数って言うのは国民総生産をどれだけ平等に分配できているかを表すもので、全ての人に平等に分配されているときをゼロ、一人の人に富が集中しているときを一で表す係数だよ。今、日本はこの数値がどんどん一に近づきつつあるんだ。多くの国で〇.一五ぐらいの数値なのに日本は〇.三ぐらいの数値になっている。これはアメリカと同じぐらいの数値なんだってよ」

 二一世紀に入ってから一億層中流という言葉が死語になった。この国にはもはや「機会の平等」すら残されていない。親が金持ちであれば、子供はますます金持ちになり、親が貧乏であれば、子供はますます貧乏になっていく。そんな時代である。


 もうすぐ六月も終わろうとしていた。武と珍しく真面目な話をしてから一週間ぐらい過ぎた。この日の福岡は久々の晴間が広がっていた。私は地道に卒論と就活を進めていた。この日は福岡ドームで大規模な合同説明会があった。この説明会に百余りの企業が参加しているので、もしかしたら自分に合ういい企業がみつかるかもしれない。

 ここで私は「バイキングぺろり」という企業に目を付けた。本社が熊本にあり、現在、九州に百店舗ほど展開していた。業績もよく、とても勢いがあった。今後は店舗の少ない九州北部に重点的に新店舗を作っていくそうである。他にもいくつかの会社の募集要項を見たが、「バイキングぺろり」よりいいと思える企業はなかった。

 夕方、一日中会場を歩き回った私はクタクタになりながら、福岡ドームを出た。近くの地下鉄の駅に向かって歩いているときだった。突然、誰かに肩を叩かれた。

「おっ、山畑じゃないか? 元気にしていたか?」

 誰かと思ったら、川合さんだった。彼は方研の一つ上の先輩で今年の三月に大学を卒業したばかりであった。川合さんは去年から熱心に就活をしていたが、就職難のため卒業まで就職先が見つからなかった。そのため、今でもこうやって就活を続けているようである。

「川合さんも元気そうで何よりです。今年は去年よりか採用数が増えているらしいですけど、まだまだ厳しいですよね…」

「まあ、数は増えても採用基準は厳しいままだからね…。バブルの頃みたいにはならないらしいよ」

 私達はしばらくドーム前で立ち話をしていたが、久々に会ったので食事でもしながら話をすることになった。まだ、飛行機の時間まで余裕があったし、川合さんがおいしい店を知っていると言うのでついて行く事にした。彼は福岡の人間で、昔は同じ九州出身と言うことで方研ではよくお世話になった。

 川合さんは私を博多駅の近くにある屋台ラーメン屋に連れて行ってくれた。そこのとんこつラーメンはすごくうまかった。彼は何も言わずに私の分までお金を出してくれた。私は断って自分で出そうとしたが、彼はそれを制して出してくれた。私はお礼を言った。

「みんながちゃんと就職しているのに、俺は未だに就職できていない。ときどきすごく惨めになるけんね…。一応、バイトもやっとるちゃけど、実家にいるとつい甘えてしもてね…毎日が親子ゲンカばい。俺、何やっているんだろうね…」

 別れ際に川合さんが自暴自棄気味に言っていた。他の同期がきちんと働いている中で、未だに就職できずに取り残されている。他の人がうまくいっているのを見せつけられながら、一人でもがき苦しんでいる。これほど苦しいことはないと思う。自分のことを共感してくれる人がいないことがどれほど恐ろしいものか、彼を見るとよくわかる。

 羽田に向かう飛行機の中で私は今日の出来事を振り返った。川合さんには悪いが、私は彼みたいに絶対になりたくない。就職は何が何でも在学中に決めたい。世の中には川合さんみたいに大学卒業後ものんびりと仕事選びができるなんてうらやましいと思っている人もいるだろう。でも、実際はそんな生易しいものではない。本当は川合さんは今すぐでも就職したいはずである。今の日本には川合さんのような人が至る所にあふれていて、そんな人達が生活のために仕方なく臨時職員やフリーターに甘んじているのである。

 やはり、在学中に内定がもらえるように頑張らないと、さらに厳しい現実が待ち受けている。ああ、大学一、二年生の頃が懐かしい。あのころはこんな心配をしなくてよかった。ただ、講義や実験でうまく単位さえ取れれば、それでよかった。もう、あの頃には戻れない…。

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