最終話 人として、魔王として
無窮の闇の中に、魔王の声が響き渡る。
「壺を――破壊してください」
この私、魔王ウィルミア・デストランドは、世界の造物主、創世の女神ネフィリアに世界の破滅を望んだ。
すると、布団に座った全裸の私――に、似た少女がニッコリ微笑んだ。
女神の笑顔。それは春の木漏れ日のような優しげだった。その僅かに吊り上がった口の間から、私に似た声が零れ出た。
「後のことは、貴方達に任せるわ」
造物主は、被造物である人間に世界の命運を託した。その言葉を聞いた瞬間、私の全身から血の気が引いた。
その変調の理由が、私の脳内に閃いた。
ネフィリムに「女神の失敗作」が解き放たれる。
女神の失敗作。女神のお気に入りにして、通常の魔物を超える化け物ども。
失敗作の中には、過去の世界を破壊した魔物、ドラゴン達も含まれている。それも、合計七体。
ドラゴン達が暴れれば、世界は簡単に滅びるだろう。その未来を、私が選んだ。
世界が滅びるとすれば、その主因は私だ。
最悪の事実を直感して、私は――笑った。自嘲だ。その最中、頭上から光が射した。
一体、何が起こったのか? それを確認すべく、私は直ぐ様頭上を見た。その瞬間、
「!」
私は息を飲んだ。それと同時に、目を一杯に開いていた。
私の視界の中に無数の光の亀裂が映り込んでいる。
その現象こそが、この世界の「終焉の前哨」だった。
封印の壺が――壊れる。
現在地、「封印の壺の底」が光の亀裂に覆われていく。
外界から射し込む光が、闇を白く塗りつぶしていく。
世界が壊れていく。その事実を目の当たりにして、私は左隣に向かって両腕を伸ばしていた。
私の両手の先に、痩身長躯の男性がいた。
私の王子様、愛洲来寿様。
私は、来寿様の体に両腕を絡め、それを思い切り掻き抱いた。その直後、私の体に何かが覆いかぶさってきた。
私の体が何かに包み込まれている。しかし、不安は無い。私は、その何かの正体を直感していた。
来寿様。ああ、来寿様。
来寿様もまた、私の体を抱き締め返していた。その感触を覚えるほどに、私の胸が高鳴った。しかし、心臓の鼓動は――無い。全くの無音だ。
私の体は、既に光の中に飲み込まれていた。その眩い白の中に、何もかもが溶けていく。視界も、脳内も、何もかも真っ白だ。
何も考えられない。何も感じない。
私の両腕から、来寿様の感触が消えた。私を抱く来寿様の腕の感触も消えている。それでも、私は来寿様を抱き締め続けた。
絶対に離れない。絶対に離さない。
私は無我夢中で抱き締め続けた。永遠に来寿様の傍にいたかった。しかし、限界が有ったようだ。
私の心、意識もまた、光に飲み込まれて消えてしまった。
かくして、デストラ樹海の魔王ウィルミア・デストランドは死んだ。封印世界の崩壊にと共に消滅した。そう思った。ところが、それは錯覚だったようだ。
暫く後、私の瞼が何かの刺激に反応した。勝手に開いた。それに伴って、私の視界に外の景色が飛び込んできた。
外は――真っ赤だった。
無限と錯覚するほど広大な赤。その中に、赤みを帯びた巨大な綿毛が浮いている。それらは何なのか? 私は何を見ているのか? その正体に付いて考えた瞬間、私は声を上げていた。
「『空』――か」
空。茜色の空。時刻は夕方だろう。その事実を直感した瞬間、全身に硬い地面の感触を覚えた。
どうやら、私は地べたに寝転がって空を見上げているようだ。その状況を直感した瞬間、私の目が限界まで開き切った。
え? 空? え? 地べた?
私は超速で上半身を起こした。その直後、私の頭上から掠れた声が振ってきた。
「目を覚ましたか」
「!」
至近に誰かいる。その事実を直感した瞬間、私は息を飲んだ。しかし、危機感は全く覚えない。それどころか、勝手に口の端が吊り上がっていく。胸も高鳴った。
一体、私はどうしてしまったのか? その変調の意味、及び相手の正体の名前が、私の口から飛び出した。
「来寿さ――来寿っ!」
私は超速で立ち上がった。続け様に振り返って背後を見た。
その直後、私の視界に彫りの浅いノッペリとした男性の顔が映った。糸のような細い目に、裂け目のような薄い口。見間違えるはずもない。
私の王子様、愛洲来寿様。
来寿様がいる。私の背後に立っている。その事実を意識するほど、私の胸が熱を帯びる。それに伴って、目に涙が溢れてくる。しかし、泣かない。私は泣かない。
私は魔王。デストラ樹海の魔王ウィルミア・デストランド。
私は涙をグッと堪えた。口を引き締めながら、来寿様のご尊顔を凝視した。すると、見詰める先の薄い口が緩んだ。
来寿様は、ニッコリ微笑んでいた。
「大丈夫そうだな」
来寿様は、私の身を案じていた。その事実を知って、私の心臓がトゥンクと高鳴った。顔も火照ってくる。来寿様に抱き付きたい衝動に駆られた。何事も無かったならば、私は躊躇いなく実行していただろう。
ところが、私が来寿様に近付いた瞬間、見詰める先の顔に愁眉が浮かんだ。
「?」
来寿様の表情の意味は何なのか? 私は立ち止まって、首を捻った。すると、来寿様の端正な口が開いて、そこから掠れた声が上がった。
「ミアは無事で良かった」
ミアは無事。その言葉を聞いた瞬間、私は少なからず違和感を覚えた。
ミア「は」とは、どういうことだ?
私は首を捻りながら周囲を見回した。すると、私の視界に様々な光景が映り込んだ。
茜色の空。西の空に沈みゆく太陽。茜色の地面。少し先に樹木群が確認できる。
土地勘は無い。初めて見る場所だ。それでも、私は懐かしさを覚えて止まない。その想いが、私の口から零れ出た。
「帰ってきたのだな」
ここは私達が生まれた世界、ネフィリム。どうやら、無事に封印世界を脱出できたようだ。その事実を直感すると、私の顔が勝手に緩んでいく。口が吊り上がっていく。腹の底から笑いが込み上げる。それを堪えたいとは思わない。
私は両手を腰に当てて踏ん反り返った。続け様に口を開いた。その瞬間、私の耳に掠れた声が飛び込んだ。
「俺達だけのようだ」
「!?」
俺達だけ。その言葉を聞いた瞬間、私の全身が凍り付いた。身動きできない。それでも、動かずにはいられない。
私は全身から「バキバキ」という破滅的な音を立てながら、顔を来寿様の方に向けた。その直後、私の視界に来寿様の顔が映った。
来寿様の顔は、歪んでいた。苦笑している。眉根が曲がっているので、悲しげな印象を覚えた。その感覚が、私に最悪の事態を直感させた。それが、私の口から飛び出した。
「人形達は? ドラゴンは――」
私が尋ねると、来寿様は静かに首を振った。その反応を見て、私は現況の意味を理解した。
私と来寿様だけが、この場にいる。他の皆は、いない。
最悪の事実を目の当たりにして、私の目から涙が零れ落ちた。それを隠そうと、私は来寿様から顔を背けた。
その直後、背後から掠れた声が上がった。
「大丈夫。あいつらも、こっちにいる」
気休めの言葉だ。来寿様は実際に確認した訳ではない。分かっている。それでも、今は信じたい。いや、私が信じなくてどうするのだ?
「探しに――いかねばな」
人形達も、ドラゴン達も、絶対に生きている。
そもそも、魔王軍内の生存確率を考えると、どちらも上位。むしろ、人間である私達が一番低い。何より、ここはネフィリム。封印世界ではない。
この世界に、私達を脅かすほどの存在はいない。人間の軍隊は言うに及ばず、魔物にしても同様だ。私達には傷一つ付けられまい。それを確信できる理由が、私の口から飛び出した。
「封印世界の『女神の失敗作』に比べれば――あっ」
女神の失敗作。女神のお気に入りにして、人間には絶対倒せない化け物。しかし、奴らは封印の壺に閉じ込められている。そのはずだった。ところが、今はそうではない。
「あいつらも、こっちにいるのだったな」
私が女神の失敗作を解放した。奴らはネフィリム中にいる。その事実を想像した瞬間、私の全身から血の気が引いた。しかし、私の口は歪に吊り上がっていく。
「がははっ」
私は笑っていた。その表情の意味が、口から零れ出た。
「まあ、良い。この世界のことなど知ったことか」
この世界の人間は、私を忌避し、来寿様の人生を弄んだ。私達は、奴らに散々に利用されただけだ。そんな人生は飽きた。もうウンザリだ。
私達は、自分の生きたいように生きていく。
私は大口を開けて「がはは」と笑った。愉快痛快だった。しかし、何故か声が震えた。何故か涙が溢れた。胸が痛い。
私は笑いながら泣いていた。その言動は、私の至近にいた男性の視界に移っている。
笑っていると、私の体が何かに包まれた。その正体は、感触を覚えた瞬間直感していた。
来寿様が、私を後ろから抱き締めていた。
来寿様は、私の頭頂部に顔を埋めながら、私に向かって囁いた。
「皆を探しに行こう」
魔王軍の捜索。それが、現況に於ける最優先目標だ。
来寿様の言葉を聞いて、私は口を閉じた。続け様に、コクリと頷いた。
その直後、再び来寿様の声が耳に飛び込んできた。
「途中、女神の失敗作から妨害を受けるかもしれん。そのときは――」
女神の失敗作。その名称を聞いた瞬間、私の体が震えた。すると、来寿様は私を一層強く抱き締めた。
体が痛い。けれど、胸に覚えた傷みは消える。消えていく。
王子様に抱き締められている。その感覚は、私の心を蕩けさせた。
来寿様。ああ、来寿様。来寿様。
私は夢見心地だった。呆けていた。すると、王子様の優しい囁きが耳に飛び込んできた。
「女神の失敗作を倒していこう。それで良いよな?」
女神の失敗作の討伐。それは、私達の主目的ではない。飽くまで序だ。それ以上でも、それ以下でもない。どうでも良いとすら思う。それでも――
「ああ、そうしよう」
私が、私達が女神の失敗作を倒す。その大事を決意して、私は来寿様の腕の中で大きく頷いていた。
魔王と侍の封印生活 The Survivors 了。




