第37話 風
「今日は初仕事、無事に終えられて良かった」
ほんのわずかな風のようにほっと一息をつく。
どうなることかと思った。
「私も安心しましたよ。宗教に入る人について知れたでしょう?どうでしたか?」
答えは既に出ていた。
外の音に意識を向けると、崖の下から海のさざなみが聞こえる。
「凄く辛い境遇にあるんだって思った」
「それは、どうしてそう思ったのですか?」
答えを探すように窓の外を見る。
開いた窓から暖かい風。
お母さんの声のように暖かくて心地いい。
「だって、大事な人を失うのは辛いことでしょ?それに……きっと宗教に縋らなくても幸せでいたかったんじゃないかって」
母は微笑んだ。
いつものような笑顔じゃなかった。
分かってますね——そう言う顔をしていた。
「ふふ。私の仕事は……悪いことですか?」
「そんなことないよ。お母さんなりに色々あるのは分かってるよ」
私の母はあんなところにいて、私にもずっと秘密にしていた。
気持ちを整えるように私は胸を張り、背筋を伸ばす。
私がお母さんを守れるようにならなくては。
「一件落着で何よりだよ。友香里、悪魔と交渉していたしね」
「そ、それは!」
はっ——と冷気を肌に浴びたように体が反応した。
「……どういうことですか?」
「かなり上位の悪魔、らしい」
……その言葉は形にならず宙ぶらりんになる。
「なんですって?」
「あの婦人の娘とその友人を殺した犯人だよ。ずっとあの異空間に隠してたみたいだけどね」
母の周りだけ空気が冷えこんだように感じた。
私は落ち着かず、母の方に視線が釘付けになった。
「それは……友香里、あのままだったら殺されていたかもしれませんよ」
「……え?」
心臓がびっくりするぐらい強く鳴った。
「悪魔が自らの空間に連れ込む際はほぼ詰みだからね」
「そうだったんだ」
「申し訳ないです。私がこんなところに連れてきてしまって。友香里が無事で良かったです……」
母は神妙な面持ちで謝る。
「いやー、良かった良かった。ただ、なんであの婦人は無事だったの?」
私は疑問をそのまま口にした。
「悪魔が気に入らなかったのかもしれないね」
ハクは淡々と答えた。
「そ、そうなんだ」
悪魔にも色々あるんだ。
というか、気に入ったら殺すの?悪魔って。
母が言葉を紡ぐ。
「悪魔、ですか。会ったことないので、なんとも言えませんが……私なりに思うのはきっと、私は悪魔に生かされてるのかもしれませんね」
母はどこか意識を遠くにしていた。
「いやいやそんなことないでしょ。というかさ、ここ、崖じゃん?立地最悪だと思うんだけど、なんで娘を連れてここに住んだんだろ」
「その娘は誘拐してきただけだそうです」
「え。それって、犯罪では!?」
「裏社会なんてそんなものです」
「な、なんだって!」
そ、そうだったのか。
一気にあの婦人を見る目が変わってしまう。
「まじか。初めて知った」
「そうだったんだね。ただ、明日香。それは——いや、やっぱりなんでもない」
「……そうですか」
「なになに。何かハクは思うことでもあるの?」
「別に。気にしなくていいからね。こういうのは自分で考えるべきだと思ってね」
「……考えること?」
「まぁ別に、友香里達も考えてみてもいいんじゃないかって思う」
いや、どういうこと?
ハクは何か引っかかってるってことなのかな。
母の表情は見えないが、沢山の思いを抱えている……そんな空気を感じた。
母はどうして、いつもこういう感じなんだろう。
知りたい。
この先は地獄だったとしても。
色々やることはある。
三船連合のもう一柱を見つけること。
そして、二柱がいなくなった真相を探ること。
地下について調べること。
これらを成し遂げてみせる。
もしかしたら、今後やること増えるかもしれないけど……裏社会について知っていく必要があるはず。
神々についても。
ていうか、私の大学はキリスト教らしいけど……どうか私を守ってくださいますように。
キリスト教は確か救世主としてイエス・キリストが説かれている。
キリスト教の人々はそのことを信じている。
その救世主が再び現れてくれるかは分からない。
でも、私が彼の力になれたらなって思う。
母も謎が多い。
そもそも、どうして……母は普通を手に入れようとしなかったんだろう。
何かあるのかな。
私はどうすべき?
いずれ、お母さんとも対立してしまう?
ハクはそうなったらどうするのだろう。
お母さんがいずれ裏社会にいて死んでしまったら?
私は……異界の神を見つけて連れて行ってもらうんだ。
そして、そこで——何もなかったかのように過ごすんだ。
ハクだって、きっと喜んでくれるよね。
私、頑張る。
もちろん、全員生存がいいに決まってる。
いや、それを目指そう。
どんな結末が待ってようと。
何かを得るには犠牲がつきものかもしれないけど、ハッピーエンドになったらご褒美があるものでしょ。
だから……諦めないでって未来の自分に語りかけるように私は決心する。
とりあえず、家に帰ったら寝よう。




