これは無謀な彼の物語
クルンヴィッグの洞窟ダンジョン。
その地のエリアボスは、『マザーワーム』と呼ばれるゴカイの親玉だった。
通常、ミミズに似たその生き物は30㎝程の大きさだが、ことマザーに関しては常軌を逸していた。
洞窟内に鳴り響く地鳴りは、マザーワームが地面を這う音。
転送魔法陣を中心として外周を這うその生き物は、時速50㎞を優に超えていた。
――――――――――――――――――――
「ワームが増えて来た。この先がマザーワームの周回エリアだな」
「ひぃぃ! こんなに居るなんて聞いてないわよ! きゃああ! 降って来たああああ!」
冒険者達の頭に「ベトッ、ドロッ」と、大量のワームが降り注ぐ。
肩に触れたワームを泣き叫びながら叩き斬ったしーちゃんは、武器を「カラン」と落としてシロの方へとにじり寄った。
「猫シロー! このベトベト取りなさいよー!」
「汚い。近寄らないで」
汚れた両手をシロに向けた状態のしーちゃんは、彼の言葉でその場に固まる。
シロは、口をへの字にして「プルプル」と震える彼女を嫌そうに見つつ、新品のタオルで彼女の手や肩を拭き始めた。
「おい、サボんな馬鹿! 手数が足んねぇだろ!」
「はぁ!? 偉そうに命令しないで! 雑魚くらいあんた1人で倒しなさいよ!」
相変わらずマゼンタへの当たりが強いしーちゃんは、「キッ」と彼を睨んで使い終わったタオルを彼へと投げた。
マゼンタとしーちゃんの間には数mの距離があり、タオルはそのまま地面へ「ベチャッ」と落ちる。
「――ひっ!」
タオルの触れた場所。
先程までしーちゃんが立っていた場所は今や、大量のワームが地面を覆い尽くしていた。
「ねぇ、クラウ。ワームの数が異常だよ。もしかしたら、この空洞は――」
「全員下がれ! マザーワームが戻ったぞ!」
ミミルの発言を遮ったマゼンタは、状況を飲み込めていないしーちゃんを突き飛ばした。
「ドドドド」と鳴る音が彼等へ近寄ったのも束の間、辺り一面に暗闇が広がった。
「なっ……一体何なのよ!」
横穴へ転げたしーちゃんは、ぶつけた後頭部を摩りながら片手で洞窟の壁を探す。
「明かりを……点けなさいよ、馬鹿……」
しーちゃんは不安気に「じわじわ」と前進する。
――トン――
指先が冷たい岩壁に触れて安堵した彼女は、「ホッ」と胸をなで下ろして周りを見渡した。
何一つ視認できない暗闇の中で、マザーワームが這う音だけが鳴り響く。
壁に手の平を当てた状態で俯いた彼女は、エリアボスが過ぎ去るのをただ待ち続けた。
そして、マザーワームの通過した空間に、天井からの光が広がった。
「……ううっ」
「ミミル!? 酷い怪我じゃない! ちゃんと逃げなさいよ!」
脚を押さえるミミルへ駆け寄ったしーちゃんは、彼の頬を掴んで無理矢理ポーションを飲ませた。
「ゴボッ! ゲホッゴホッ! じっ、自分で飲めます」
「怪我人が口答えしてんじゃないわ! 私が手ずから介抱してるのよ! 感謝しなさい!」
空の瓶を投げたしーちゃんは、残りの仲間を探して周りを見渡す。
彼女の前には、平気そうな顔をして現れたシロの姿。
残りの1人は何処に居るのだろうか。
「リーダーの分際で先にくたばるつもり? 早く出て来なさいよ」
マザーワームの通り道へ身を乗り出したしーちゃんは、マゼンタを探して近場の洞穴を覗く。
探せど探せど、マゼンタの姿は何処にも見られない。
「……もしかして、死んだのかしら」
「はぁ」と溜息を吐いたしーちゃんは、マザーワームに倒された情けない仲間を憐れむ。
「死んでねぇよ。天井にぶら下がってた」
「いやああああ! きっもい! あんた馬鹿じゃないの!? ワームは服じゃないわ! 常識も無いのかしら!」
全身ワームだらけのマゼンタを見たしーちゃんは、叫びながら彼から距離を置いた。
職業魔法『ウェアフレイム』で自分の服を燃やしたマゼンタの身体には、燃え滾る炎と瀕死のワームがへばり付いていた。
「よく、無事だったね」
マゼンタに上着を貸したミミルは、「どうして上に逃げていたのか」と問うた。
彼曰く、マザーワームの周回する空洞の縦幅は、マザーワームの胴体よりも広いらしい。
子供を産み落としながら、同じ場所を「グルグル」と巡るマザーワーム。
生まれたてのワームは、本能的に壁を張って天井を目指しその場所に身を寄せ合う。
そして、マザーワームの次の周回で、重なり合ったワームの一部は、母親に轢き殺されて命を落とす。
毎度密度の違うワームの重なりは、空洞の縦幅を広げる一役を担った。
「同時に問題点が出たな。マザーワームはワームの経験値を得てレベルが上がってる。長期戦になれば俺達が不利だ」
マザーワームの進行中に唯一レベルを視認していたマゼンタは、モンスターのレベル上昇を目撃していた。
現在のエリアボスのレベルは22。
異空ダンジョンに訪れてから、この場所に辿り着くまでに小一時間浪費している。
中途半端なボスのレベルは、その間にマザーワームが力を蓄えていたと考えられた。
「まあ、個体差も有るかも知れねぇが、次の周回でマザーワームのレベルが上がってることも考えられる」
「それに」と付け加えたマゼンタは、マザーワームの返り血で「ドロドロ」に変色した木刀を持ち出した。
「レベル上昇で、さっき与えたダメージが回復する事も視野に入れねぇとな」
マゼンタの冷静な分析を聴き終えたミミルは、洞窟を見回して足止めの手立てを模索する。
一方、黙って話を聞いていたしーちゃんは、恥ずかし気にマゼンタの開けた肌を「チラチラ」見ながらシロの袖を引っ張っていた。
「ポーションも使っちゃったし、あんたもボロボロじゃない。今回は帰って休みましょう……お風呂にも入りたいもの」
「そうだな。レベルが上がるかどうか、次は最短でここを目指せば分かるだろう」
しーちゃんの発言に一理あると、珍しく彼女の提案を素直に聞き入れたマゼンタは、駆ける足音を聞いて振り返った。
「タタタ」と小気味良い音のした先では、ミミルがワームの密集する地面に手を突っ込んでいた。
「きゃああああ!」
「おい! 離れろミミル!」
「え?」と、叫ぶ仲間へと視線を移したミミルは、その場でバタンと倒れた。
ミミルが手を伸ばした先は、マザーワームの進行を逃れた体力の多いワームの集合地。
攻撃力の弱いワームでも、数が増えればミミルのHPを一瞬で吹き飛ばせた。
「キラキラ」と輝く粒子を見たマゼンタは、すぐさまダンジョンから離脱する事を決意した。
――――――――――――――――――――
ダンジョン内での死亡は、地上の死よりも扱いが軽い。
とりわけ、マゼンタ達が挑んでいる下位帯のダンジョンでは、リスクが無に等しかった。
「これで何度目だと思ってる、ミミル。危険な行動は控えろって言ってんだろ」
「? うん。悪かったよ」
マゼンタの長い説教を聞き終えたミミルの反応は鈍く、本当に理解しているとは思えなかった。
ミミルの失った感情は、予想以上にダンジョン攻略の足枷となっている。
『恐怖』は、自身の身を護る為の最大の感情だ。
恐怖が無ければ逃げる事も、危険を忌避する事も出来ない。
「痛みを感じれば逃げろ」と言ったマゼンタの命令も、今のミミルの心には全く響いてなかった。
実際、マザーワームの進行から、ミミルとしーちゃんを護ったのはマゼンタだった。
恐怖に無関心で動かぬミミルと、実戦経験が少ないしーちゃん。
そんな2人を庇いながらの戦闘は、マゼンタにとって負担だった。
反応の薄いミミルを部屋に残して外へと出たマゼンタは、ダンジョン内の様に暗いクルンヴィッグの村の空を見上げた。
「策はあるの?」
マゼンタが1人になったのを狙って現れたシロは、彼の隣へ立って質問をした。
頭を抱えながらその場にしゃがみ込んだマゼンタは、彼にだけ本音を吐露し始める。
「俺はもっと強くなりてぇ。冒険者になりたかったのも、S級目指してんのも全部強くなるためです。だから、あの女とやっていくのは間違いだと思います」
「ミミルだって」と言葉を続けようとしたマゼンタは、強く自身の唇を噛んだ。
「俺の思い描く魔法使いはシロさんですよ。……魔法使いは誰よりも冷静だ。そんな先入観がミミルを否定しちまってるみたいで嫌んなります」
マゼンタの震える声に詰まった弱音は、絶対にミミルとしーちゃんの耳には入れてはいけない。
だからこそ、「はー」と深く息を吐いた青年は、勢いよく立ち上がってシロへと無邪気な笑顔を向けた。
「でも、俺は負けませんよ。成り行きとは言え、あいつ等は俺の仲間ですから。策は……えーっと、まだ何も思い付いてませんが……」
語尾を濁らせたマゼンタは、泳ぐ目を抑える様に自分の頬を強く叩いた。
「俺が絶対あいつ等を強くしてみせます。誰も、見捨てたりなんてしません」
マゼンタの強い瞳は、以前と何ら変わりない。
怨霊の魂を救いたいと願ったあの頃と。
「勿論、シロさんの事も見捨てませんよ」
「……そう。僕は君のお守りなんて真っ平御免だけどね」
早々に踵を返したシロは、本心を隠している。
だから、彼の心情を察したマゼンタは、白猫を引き留めようとはしなかった。
シロの逃げた先。
路地の影から2人の会話を盗み聞いていたしーちゃんは、シロと目が合って居心地悪そうに身を縮めた。
尚も歩みを進めるシロの背中を追った娘は、何かを言いたげに何度も手を彼に伸ばすが、結局その手は白猫には届かなかった。
――――――――――――――――――――
ミミルは降り注ぐワームに杖を奪われた。
魔法使いが杖を失えば、戦う術がない。
無力に陥った青年が『恐怖』するのは必至だった。
だが、彼においてその感情は無い。
「走れ! ミミル!」
しーちゃんを抱えて横穴に避難したマゼンタが叫ぶも、ミミルは周りを見渡すばかりでその場から動こうとしない。
彼を助けようと身を乗り出したマゼンタを、しーちゃんのか弱い腕が引き留めた。
「放せ、馬鹿!」
「ダメよ! あんたが行ったら私が死ぬわ!」
訳の分からぬことを言うしーちゃんに妨害され、マゼンタはミミルを救う機会を失った。
「ドドドド」と近寄るマザーワームの這う音を気にも留めず、ミミルは前回と同じ様にワームの集まる地面へと手を伸ばした。
彼の上部に表示されたHPが、「ジワジワ」と減っていく。
このままだと、マザーワームが辿り着くよりも先にミミルは死んでしまうだろう。
「何やってんだ、あいつ。それに、どうして地面に居るワームがあんなに生きてんだ?」
マザーワームは同じ場所を周回して、子供を轢き殺しているはず。
それにも関わらず、ミミルの足元には大量のワームが未だ健在だった。
腕を伸ばして地面を探るミミル。
途端、彼の身体が地面へ「ドプン」と深く沈んだ。
「ミミル!」
横穴から頭を出したマゼンタは、高速で迫るマザーワームの胴体に、側頭部を掠めて後方へ吹っ飛んだ。
前回同様の暗闇に見舞われたしーちゃんは、マゼンタを探して手を前に出した。
「ボッ」と燃えた小さな明かりで顔を照らしたマゼンタが、しーちゃんの許へと寄る。
「ミミルは……上に逃れたと思うか?」
「ワームに沈んだ可能性の方が高いわよ。どの道無事じゃないでしょうね。あんな奴、死んで当然よ」
ツンケンしたしーちゃんの態度を咎めず、マゼンタは心配そうにマザーワームの通過を見守る。
その時だった。
――ドゴオオン!――
マザーワームの進行とは違う轟音が鳴り響いた。
僅かに浮いたマザーワームの胴体の隙間から、強い風がマゼンタとしーちゃんの居る横穴へと吹き込んだ。
「きゃっ!」
腕を強く引かれて強引にマゼンタから抱かれたしーちゃんは、きつく目を瞑って命運を彼に任せた。
マゼンタは木刀に炎を纏わせて風の流れを操る。
彼等のHPは風前の灯火となったが、被害を最小限に抑えた事で死亡を逃れた。
「見ろ。こいつ、状態異常になってるぞ」
「気絶? どうして?」
マザーワームの全貌は見えぬが、穴を塞いだまま停止したモンスターの体力表示の下には、『気絶』の状態異常が表記されていた。
そして、HP自体もかなり減っていた。
「これを逃す訳には行かない」と、武器を構え直したマゼンタは、燃え尽きた木刀を前に「あっ」と声を上げた。
『盗賊』の装備可能武器は2丁武器のみ。
手持ちの木刀1本が完全に消滅した事で、マゼンタの使える武器が無くなっていた。
「お前が仕留めろ。この隙を絶対逃すな」
「ええ? ……わ、分かったわ」
お飾りの剣を重たそうに構えたしーちゃんは、ふらつきながら何度もマザーワームの胴体を攻撃した。
「カンッ、カンッ」と弾かれる音は、しーちゃんとマザーワームのレベル差が大きい証拠だった。
だが、本来なら削れないはずのHPが、『critical』の効果によって徐々に減っていく。
奮闘するしーちゃんを眺めていたマゼンタは、ようやくその違和感に気が付いた。
「お前の攻撃……クリティカルしか出ないのか?」
「うっさい……はぁ……今、話しかけないで!」
怒りに任せたしーちゃんの最後の攻撃が、マザーワームのHPを全て刈り取った。
「わっ!」
身体が粒子状に変化したことで、マザーワームの当たり判定が無くなり、しーちゃんは前傾姿勢で倒れ込んだ。
エリアボスが詰まっていた空洞は再び広い空間へ戻り、中央に小さな木箱だけを残していた。
――――――――――――――――――――
これは無謀な彼の物語。
ギルドに戻ったマゼンタは、「ヘラヘラ」と笑うミミルの頬を思いっ切り殴った。
次回更新は2026/04/05を予定しています




