これは痛みを無視する彼の物語
普段よりも高めにヘアピンをセットしたミクは、グレンの飲みかけの紙コップを掠め取って記号の前に差し出した。
「これは何杯目のコーヒーでしょう?」
記号が「ムムム」と唸り、グレンが「返せ」と言っている最中、ミクは人差し指を揺らして「チクタク」と左右に揺らした。
「分かた! コーヒーは沢山飲んじゃダメってヤミヤミ言ってたから、最初の1杯!」
ミクの人差し指を掴んで止めた記号は、自信満々に宣言した。
ミクは「グググ」と身を縮めて回答を勿体ぶる。
彼女の言葉を待てない記号は、テーブル越しにミクの腰へと跳び付いた。
「ブブー! 正解は2杯目でしたぁ!」
「何ですと!? 記号さん間違ってないもん!」
ミクは推理を披露する。
薄茶色の紙コップの外側に付いた濃いシミは、グレンが不注意で零した名残。
雑に捨てられたタオルと、テーブルの継ぎ目の汚れを証拠品として提示したミクは、「フッ」と、嘲笑気味に笑った。
「グレンさんへの理解力は私が上でしたね」
「ぐぬぬぅ……記号さん負けない! 次は記号さんの番!」
元気な2人を背景に、手持ち無沙汰のグレンは、ミクに取り上げられた紙コップを眺める。
彼女の推理通り、外面は過度に汚れが染み込んでいた。
一度汚れたシミは、決して元には戻らない。
――――――――――――――――――――
マゼンタは時折、姉弟の夢を見る。
夢の中では裁縫上手な姉と、不器用な弟が楽しそうにぬいぐるみを編んでいる。
いつもは見えない2人の表情が、今日はハッキリと認識出来た。
「オーブリー……お前、女だったんだな……」
「ボク……私はー、女なのー?」
当時とは違う、痩せこけた細い身体の娘。
マイペースな彼女の声を5年越しに聞いたマゼンタは、彼女が弟と指した少年の横顔を覗いた。
「ミミル?」
特徴的な太い眉を見たマゼンタはつい、口から疑問が漏れた。
その声を拾ったオーブリーは、目を伏せて首を左右に振る。
「もうー……思い出せないんだー。何度もー何度もー身体を縫ったからー」
腕に巻いた包帯の隙間から、彼女の素肌が覗く。
オーブリーと名付けられた少年を継ぎ接ぎした彼女の全身には、オーブリー達の魂を失った今でも痛々しい傷跡が残っていた。
彼女が思い出せないのは、本当の弟の素顔。
ミミルのパーツを貼り付けた少年は、オーブリーの作り出した幻影に過ぎなかった。
「……ルシファー様への、全ての幸せへの怒りー。それがー、私に残る唯一の、意志」
ミミルの顔をした少年が笑顔で彼女の方へと振り返り、全力でその身体を抱き締めた。
彼と抱き合ったオーブリーは、虚ろな瞳に僅かな光を宿すと、悲し気な表情でマゼンタの方を見上げた。
「私はー……私は弟を護りたかったー。ルシファー様のー支配からー逃れたかったのー」
涙を「ポロポロ」と流したオーブリーは、マゼンタから差し伸べられた手に、「来ないで!」と叫び声を返す。
「共鳴って言うのかなー。彼もきっと救われたかったんだねー」
「オーブリー!?」
座り込んだ彼女の足元から、暗闇が這い上る。
オーブリーの胸元に顔を埋めていた幻想の弟は、次第に「ドロドロ」と溶けて彼女の全身を濡らした。
「寒い……ざむい……」
ヘドロじみた塊に変貌した弟を、再び抱き寄せたオーブリーは、ヘドロで顔を隠したままマゼンタに言った。
「君はー、私のー最初で最後の友達――」
オーブリーの身体が、弟と同じ様に闇の中へと溶けていく。
その内の蒸発した靄が『怨霊』だと気付いたマゼンタは、妖刀を持ち出してそれを斬ろうとした。
だが、ここは彼の心の中。
妖刀の代わりに現れたのは、マゼンタの本能を司る『泣き虫な自分』だった。
「ひっぐ……オーブリー今までありがとう……。5年間、僕の事を護ってくれて……」
「ううんー。感謝したいのはー私の方ー」
『誰かを護る』。
それはオーブリーの根底にある願いだった。
彼女は嬉し気に「クスリ」と笑って目を細めた。
「だからー、今度は、私がー助けてあげるねー」
彼女の抱き締めた闇が「ズズズ」と音を立てながら、マゼンタの精神世界から消えて行く。
取り残されたマゼンタは悔しそうに拳を握り、クラウは人目も憚らずに大泣きしていた。
――――――――――――――――――――
マゼンタを取り込もうとする『強欲の呪縛』は、彼の精神に大きく左右される。
弱った心と魔力の欠乏は呪いを加速させ、彼を彼ではない何かに変えようとしていた。
「――タ! マゼンタ!」
揺さぶられる感覚で、マゼンタは目を覚ます。
後光の射した視界に一瞬目を伏せた青年は、何度か瞬いて目を擦った。
自分の視界を埋めていた光が、シロの後方に浮くランタンの明かりだと気付いた彼は、ランタンを持つ娘を見上げた。
「……超絶しーちゃん」
「違うわ! 超絶カワイイ最強しーちゃんよ!」
「キンキン」と騒ぐしーちゃんの声が、寝起きのマゼンタに耳鳴りを誘発する。
苦し気に頭を抱えたマゼンタは、自分が上裸な事に気が付いた。
洞窟ダンジョンの硬い岩の上に横たわっていたマゼンタの背中に、刺さった小石が「チクチク」と痛みを生んだ。
「ごめん、直接触れた方が魔力を流せたから」
シロはマゼンタに謝りながら、肩へと触れた。
嘗ての怨霊から受けた外傷は、宿主を殺そうと脳を目指している。
だが、今回はいつもと様子が違った。
上へ上へと移動していた黒い靄は、インクをぶちまけた様に真っ黒な色で、マゼンタの肩を染めている。
その形は何かの棘だろうか。
傷口を中心に浮かび上がったベタ塗りは、等間隔に8本の棘を構築していた。
「見た目に反して今は落ち着いてるみたい。消費した魔力の大半が『居候』の分だったからだろうね」
シロの言う居候に心当たりのあったマゼンタは、自分のステータスを表示して確認する。
案の定、カッコで表示されていた雷属性の魔力が、根こそぎ無くなっていた。
「当面心配ないと思うけど、無茶な魔力消費は避けた方がいい。全く……雑な魔力の使い方は誰に教わったんだい? まさか、僕って言わないよね?」
「ハッハハハ……ちょっと力んじまっただけですよ」
ポリポリと頭を掻いたマゼンタは、オーブリーを失った悲しみを紛らわせる為に「ケタケタ」と笑う。
2人の会話を伺っていたしーちゃんは、蚊帳の外が気に食わず、手持ちのランタンをマゼンタの頭に「ガシャン」と無造作に置いた。
「あんた、馬鹿で鈍臭い上に愚かなのね。……まあいいわ。あんたとその魔法猫、私がこき使ってあげる。有難く思いなさい」
相変わらずの上から目線に、傲慢な態度。
頭を押さえるランタンをしーちゃんから奪い取ったマゼンタは、彼女の腕を掴んで顔へと寄せた。
「あん時、ミミルが割って入ったのは、お前が焚き付けたからだよな。じゃなきゃ、あいつが死にに来る訳ねぇ。どんな能力か知らねぇが、俺達を殺してぇなら覚悟しろよ」
バツが悪そうに目を逸らすしーちゃんの頭を、ランタンの光が追い掛ける。
話の流れが掴めないシロは、2人の様子を伺いながら、いざという時の為に彼女の周りに魔力を練っていた。
途端、しーちゃんは恐怖で目を丸くする。
「わっ悪かったわね! あいつが戦わないと出られないって思ったの! 死ねなんて言ってないわよ!」
「本当よ」と、目尻に涙を溜めたしーちゃんは、シロの方を「チラチラ」と伺いながら口を「ムッ」と尖らせる。
彼女の視線を追ってシロと目配せしたマゼンタは、「うん」と頷いてしーちゃんへ向き直った。
「だが、そう仕向けた事実に変わりないだろ……。ったく、ギルド戻ったらちゃんと謝れよ。『消失』の責任も俺達で取るぞ」
「……分かった。分かったから、あの獣人を止めて! こんなんじゃ幾つ命があっても足りないわ!」
「はぁ? シロさんがどうしたんだよ」
シロの放つ、高純度の魔力を把握する存在は稀だ。
言い換えれば、しーちゃんはマゼンタよりも、魔力を感知する能力を持っている。
のらりくらりと魔力を調節したシロは、警戒した瞳でしーちゃんの身動きを追った。
防御魔法も探知魔法も展開してない無防備な状態の人間。
1つ気掛かりがあるとすれば、彼女の魔力の質だろうか。
「……君が10番目の世界の愚者なら容赦しない。マゼンタを貶めないなら何もしないよ」
「パッ」と笑顔を咲かせたしーちゃんは「話が分かるじゃない」と、シロへ気さくな態度を取る。
猫耳の毛を逆立てたシロは、驚いた様子のままマゼンタの影へと移動した。
「そういや、アギルマー達どこ行ったんだ?」
マゼンタの質問に、シロの肩が「ピクッ」と反応した。
「……先に、ギルドへ帰ってんじゃない?」
投げやりなシロの呟きに「マジかよ」と驚きで返したマゼンタは、しーちゃんの手首を掴んでダンジョンの出口を一目散に目指す。
平凡な体幹のしーちゃんが岩に躓いて倒れそうになるのを、シロの魔法が「フワッ」と浮かした。
「きゃっ! ちょっと! 私のペースに合わせなさいよ! 怪我しちゃうじゃない!」
「ミミルとアギルマーを鉢合わせちゃ不味いんだよ!」
アギルマーに騙された同盟のマゼンタは、1人で怯えるミミルを想像して額から汗を滲ませた。
――――――――――――――――――――
受付のあるギルドテント内に足を踏み入れたマゼンタは、部屋の中央部へ集まった冒険者達に驚いた。
閑散として然るべき場所は、多くの人々でごった返している。
冒険者等の背中で足止めを食らったマゼンタは、ミミルを探して彼等を掻き分けた。
「私はお前達の所為で、ダンジョンに閉じ込められていた! 絶対に許さない!」
「ちっ……証拠もねぇのに決めつけんな。お前が自分の不注意で迷ってただけだろうが」
ミミルの声は野次馬の中心部にあった。
アギルマーを睨み付けた太眉の青年は、マゼンタの姿を見つけるなり、大股で彼の許へと近寄った。
そして、マゼンタの腕を掴んでこれ見よがしに上げた彼は、冒険者達の視線を独り占めしながら堂々と声を荒げた。
「証人ならここに! 私と同じ被害者だ。それに、私達だけじゃないはずだよ。クルンヴィッグに居る冒険者の数は、そう多く無いでしょ」
野次馬の中には、若い顔がチラホラある。
その内の殆どの冒険者が顔を暗くさせたのを、ミミルは目敏く見つけた。
「はっ! んなハッタリで俺達に逆らうのか? 何にも出来ねぇ低レベが口答えしてんじゃねぇ」
「ガシャッ」と、アギルマーがミミルへ向けた槍の切っ先は脅しだ。
これで内気なミミルが引き下がるだろうと考えた彼は、悪い笑みを隠そうともせず口角を上げる。
だが、彼やマゼンタの予想とは裏腹に、ミミルは自分の喉へ槍の先を押し付ける様にゆっくりと前進した。
「ギルド職員さん。この行為も含めて、アギルマーパーティへの処罰を求めます」
ミミルの毅然とした態度に臆したアギルマーは武器を下げ、その代わりにフリッガが苦しい表情で杖を構えた。
ギルド職員は「オドオド」しながら杖へと目を遣り、震える声で小さく呟いた。
「しょ、証拠も無いようですし。数人の証言では判断しかねます……」
職員の発言に「ちょっと」と口を出し掛けた若い受付嬢は、同僚達にすぐさま押さえ付けられる。
その様子を「ニヤニヤ」と笑って見るアギルマーは、形勢逆転を感じ取ってミミルへとガンを飛ばした。
「あーあー、テメェの所為で俺の評判が下がっちまったなぁ! ちゃんと責任取れよ?」
ミミルの耳元で「逃げんじゃねぇぞ」と締め括ったアギルマーは、ミミルの怯える顔を見ようと一歩身を引いた。
丁度その時、ミミルがアギルマーの首を「ガッ」と掴んで殴り掛かる。
下がろうとしていたアギルマーはバランスを崩し、そのまま尻餅を付いた。
――周りから悲鳴が上がり、空気が一転した。
ミミルは空気の変化にお構いなしで、何度もアギルマーの顔面へ向けて拳を下ろす。
だが、前衛職と魔法使いでは力量の差が歴然だった。
「ざけんじゃねぇぞ雑魚ガキが!」
ミミルの行動でタガが外れたアギルマーは、青年の肩を押して馬乗り状態になると、彼よりも鈍い音で拳を叩き付けた。
「ミミルを放せ!」
「炎の拳」
ミミルへと向かったマゼンタの脚に、フリッガの魔法が放たれる。
炎の塊に脚を潰されたマゼンタは、テントの支柱へ頭を強打した。
「きゃああああ! 脚がっねっ猫シロ! あんたも戦いなさいよ」
惨劇を目の当たりにしたしーちゃんは、一足遅れてダンジョンから出て来たシロの腕を掴んで、無理矢理受付のあるテントへ引っ張った。
彼女に引き摺られる中、覚えのある魔力を感知したシロは、しーちゃんを追い越してテント内を覗く。
「……生きてる」
ダンジョン内で彼等の息を止めた白猫は、五体満足で暴力を振るうアギルマーを見て唖然とした。
それと同時に、込み上げた怒りでテント内に竜巻を発生させたシロ。
入口から吹き入れる強風に目を向けたアギルマーとフリッガの顔は、シロを見るなり恐怖の色へと変わった。
全身を震わせた2人を護るべく立ち塞がったヤカブも、彼等と同じ様に「ガタガタ」と震えて甲冑を鳴らしている。
「あんた達! これ以上暴れるなら、こいつの魔法で痛い目に遭わすんだから!」
緊張した空気の中に、しーちゃんの高い声が響く。
それを合図に、背面のテントを割いたアギルマーは一目散に逃げ出した。
リーダーに続くフリッガとヤカブ。
甲冑の男は足を止めると、荷物をその場に置き去った。
彼等が遠くへ行くに連れてシロの怒りが落ち着き、文字通り嵐は過ぎ去る。
脚を抑えて座り込むマゼンタへと駆け寄ったシロは、彼の指す方を見た。
大の字で横になったミミルは動かない。
シロに彼の治療を優先させたいマゼンタは、片足で無理矢理立ち上がると、シロの肩をミミルの方へと押した。
「ミミル! 意識はあるか?」
マゼンタの声に「ピクッ」と反応したミミルは起き上がり、テントの裂け目を見て舌打ちした。
「チッ……逃げられたか」
「あんた、性格変わってない?」
ミミルの暗い言葉にツッコミを入れたしーちゃんは、ヤカブの残した荷物からポーションを取り出して、マゼンタの顔面にぶっかける。
扱いの酷さに苛立つマゼンタと、傷が治らない事にキョトンとするしーちゃん。
「ポーションはダンジョン専用だぞ」
「へぇ、知らなかったわ」
一方、シロの植物魔法で完治したミミルは、アギルマー達の背中を追おうとするも、白猫の手に阻まれていた。
奴隷に腕を触られた事へ「ギョッ」とした青年は、すぐにその手を振り払い、袖同士を擦り合わせて汚れを拭う。
「まあいいか。あんな奴等、構ってるだけ時間の無駄だし。次見掛けたら容赦しないけど」
「ムスッ」とした態度のミミルは、ダンジョン内で見かけた彼とは遠くかけ離れている。
彼に気を遣って言葉を探すマゼンタは、同じ気持ちであろうしーちゃんへ目線を向けた。
「ステータス見せなさいよ」
偉そうに顎を「クイッ」と上げたしーちゃんは、ミミルを急かす様に片手を「ブンブン」と振る。
そして、ミミルのステータスが、マゼンタとしーちゃんに開示された。
『【状態異常】 感情喪失【恐怖】』
恐怖を失った青年へ、マゼンタとしーちゃんが同情の瞳を向ける。
注目を一身に受けたミミルは、気まずさで頬を染めていた。
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これは痛みを無視する彼の物語。
恐怖が無ければ、人はどんな無謀にも立ち向かう。
行きつく先が地獄だろうとも。
次回更新は2026/03/22を予定しています




