悲劇
「え?」
朝起きて、ユリエラは愕然とした。
「なんで」
目を見開いて、己の両の掌を見つめる。
「どう、して」
それが起こる、すなわち。結果として一番起こってほしくないことが、現実となってしまった。ああ、思い立ったあの日に迷うことなく行動していれば。
ユリエラの目から、涙がとめどなく溢れてくる。
「姉様…!姉、様…!あ、ああ、あああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
ユリエラの口から絶叫がほとばしった。
何事かと駆け付けた神官は、錯乱状態に近い彼女の様子に驚き、そして慌てて頭を掻きむしっていたユリエラを止めにかかる。
「ユリエラ様!」
「誰か、鎮静剤を!」
「どうして、どう、して…!どうしてよおおおおおおおお!!!!!!!!!」
何度も『どうして』と繰り返すユリエラに対し、彼女を必死に落ち着かせようとしている神官たちは顔を見合わせた。何があったのだ、と問おうとしたとき、ゆっくりとした動きでユリエラが顔を覆っていた手を外したのである。
「ユリエラ様…?」
ぼろぼろと涙を零しながらも無表情で、ユリエラは淡々と告げた。
「…神子は、わたくし一人に、なりました…」
「え…?」
静かなその声に困惑する神官たち。
すなわち、それが意味しているところは、つまり。
「エーディト様が…」
「…姉様の純潔と共に、神子としての力、そして権能を使う力は消え去りました」
ただ、淡々と。
そこに居るユリエラは、正真正銘の『神子』となり、唯一残された『愛し子』となってしまった。
「…大司教様を、呼んできて」
それまで、自分の世話をしてくれていた女性神官に、短く告げた。
あれ?とその神官は思ったが、ユリエラのあまりの気迫に『はい』としか言えず、そしてやってきた大司教は纏う雰囲気の、すっかり変わってしまったユリエラを見て、その場に膝から崩れ落ちた。
「あ、ああ…っ」
「大司教様、ご覧のとおりですわ。そして、お願いがありますの」
「ユリエラ様…!」
「その地位を、くださいまし」
涙を流しながら、無表情からとても綺麗な、歪な笑顔でユリエラはおねだりをした。
「だって、そうしないと」
更にユリエラは続ける。
「力が、足りないんですもの」
王家を滅ぼしてしまうだけの、力が。
泣きながら言うユリエラの笑顔が、あまりに綺麗で、大司教は共に涙を流しながら深々と頭を垂れた。
「ユリエラ様の、御心のままに」
一方で、アルベリヒは満足だった。己の手により純潔を散らしたエーディトを、ただ呆然としている彼女を満足げに見つめていた。
ようやく満足出来たのだ。
全てを、あの、高潔なるエーディトを手に入れられた。
「は、はははははっ!!!」
高らかに、一人自室で高らかに笑う。
手に入れたら、あとは閉じ込めて、愛でる。王妃としての仕事をしてもらいながらも、無理はさせないために実務はアルベリヒがしっかりと請け負った。
体への負担を考えて、エーディトを抱いたのは初夜のみにしておいた。
代わりになるような女が、ちょうど隣にいるから。
聖女を抱いても、エーディトのように力が失われるようなことはなかったから、アルベリヒは調子に乗っていった。
エーディトのことも、聖女にするように大切に抱いてやれないものか、と密やかに臣下は囁きあっていたのだが、そんなものを聞き入れるアルベリヒであれば苦労はしない。
「さぁ、エーディトを愛しに行こう」
呟いて、身支度を整え、エーディトがいる奥の部屋に向かう。
王妃として与えていた日当たりのいい部屋は聖女が欲しがるからと、あまりにあっさりと美奈へとあげてしまった。
しかし、そうすることでエーディトに会いにいく人は少なくなる。アルベリヒの独占欲をしっかり満たしてくれた。
それらが、エーディトの心を壊すとは思いもしていなかった。
手に入ったことの幸福感に包まれるアルベリヒだったが、彼は何も気にしていなかった。
予想していなければならなかったのだ。
ヴァイゼンベルク公爵家が、何かしらしてくるであろうことを。
だが、何もしてこなかった。
何も、言ってこなかったのだ。
この時点での異様さに気づかなかったのが、一度目の人生においてのアルベリヒの失敗だったのだろう。彼は気付く間もなく巻き戻されてしまうことになるわけだが。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ユリエラ…」
大司教の地位を欲した理由を聞き、周囲の人間はこくり、と息を呑んだ。
取り返しのつかない事態になりつつあることを、彼らは察していた。
アルベリヒがこれほどまでに愚かすぎるとは思ってもみなかった。少しはまともな思考回路が備わっているのでは?と思ったが、ダメだった。
「大司教にも、なります。少し無茶をしますけれど…」
「ユリエラ様」
「本来ならば数年かけてその力を継承すべきであることも理解しておりますわぁ。けれど、大司教様。間に合わないんですのぉ…」
ユリエラは、歪に笑う。
「だから…」
彼女がエーディトから望まずして受け取ってしまった、エーディトの分の権能。
「無理やり、時間の流れを遅くして…その中で、継承の儀を行います。それが一番早いんです。大丈夫ですわ、大司教様には反動がいかないように調節しますから」
あまりに痛々しいユリエラの笑顔を見た大司教は、彼女の体をぎゅうっと抱き締めた。
幼い頃から、自分が大司教になる前には『神官さま!』と。大司教になった後は『大司教さま!』と笑って駆け寄ってきてくれた、ユリエラの心を少しでも守れるようにと。
「ユリエラ様、ご無理なされませんよう…」
「大丈夫ですわぁ。…本当に、わたくしなら…大丈夫」
怒りが大きくなり、それが頂点を超えた時、人はこうも冷静になれてしまうものなのかと周りの人間は思った、という。
ユリエラは、本当に優しい。
だが、その優しさがなくなったとき、ひっくり返って敵意もしくは『排除せねば』という感情へと変化したときには、もう手遅れなのだ。
「だから…力を、ください。神子として以上の力を持ってして…わたくしは…姉様を、救います…」
王家に知られぬよう、密やかに。だが、早急に。
文字通り血の滲むような思いで、ユリエラは大司教の力も手に入れてしまった。
時の流れをコントロールし、周りに知られないように隠しながら、現・大司教の持っている神力を、己の内に宿したのだ。
ただ、その思いの根底は『エーディトを救いたい。エーディトにこんなことをしでかした輩に鉄槌を』というもの。
動きを見せていなかったと思われていた公爵家やユリエラの生家も、ユリエラと同じ思いだった。
前王を己の欲望のためだけに生贄へと捧げたアルベリヒと、そんな彼をただ愛するだけのわがまま放題の聖女も。
全部、何もかも台無しになってしまえ。
利だけを貪るだけの無能などいらぬ。そんなものが国王として在る王国など、いらぬ。
積もっていく思いが完成した時、神殿に集った貴族達と、彼らに相対するユリエラは、揃って無表情であった。
準備が、整った。
無理にでもエーディトを助けに行く。
だが、どうして運命はこうも彼らに残酷な事象ばかりを突きつけてくるというのか。
「…申し上げます」
真っ青な顔で室内に入ってきた影神官からの報告が、集まった貴族達に最期を悲劇を突きつけた。
「王妃様が、…自死、されました」
「何ですって?」
弾かれたように顔を上げるユリエラ。
そして泣き崩れるヴァイセンベルク公爵夫人。
「状況説明はいらん! 王宮へ!」
「おじさま、こちらですわ」
「ユリエラ?」
「歩いて行かずとも、転移いたしましょう?」
その方が早い。
マルクは頷き、ユリエラの手を取る。
「皆、エーディト姉様を安置する場を整えなさい。すぐ戻るわ。そして神官は結界の準備を。…特に国王と聖女を排除するための、魔力反応を感知できるものを!」
言い終わるが早いか、ユリエラとマルクはふっと消える。
転移魔法が発動し、王宮へと転移する。




