「すぐ来てください!
「すぐ来てください!場所は連絡員に送ってあるので!」
ヴァルハラ市執政官エドムント=バイガルは、返事を待たずに通話を遮断した。相手はダイチ=アトジマ、前任の執政官が『神』の生き残りと疑っていた少年である。
前任者も彼も、無論宗教的な意味でいう神とは考えていない。高度な技術力で権勢を恣にした大昔の一派の末裔、ただそれだけ。事実知識は蓄えており、見た目にそぐわない年齢であることも分かった。自己申告どおりクォーターエルフに違いない――嘘だとしても精々ハーフエルフなのだろうと。思っていたのだが。
(あれは一体、何なのだ……!?)
執務机に肘をついて蹲り、頭を抱える。エドムントは先程連絡将校から見せられた、軍の偵察部隊による不明瞭な映像を思い出す。
そこには異形の怪物が映っていた。二本の足で歩くが、周囲の建造物との対比がおかしい巨躯。解像度の低さによる錯覚か、全身の表面が波打っているように見える。そんな生物があり得るのか?そう言いたくなるような理不尽に遭遇したとき、幸か不幸か今の地球人類には安易な逃げ道が用意されている。ミレニアムかドーア帝国のせい、と。
そんな事情もあってか、思わず一方的に怒鳴りつけてしまった。まるで業務委託先が仕様書どおりの成果品を納入してこなかったときのように。そもそも自分達では対処しようのない難問、時間凍結の解除を指導してもらったというのにだ。終末戦争とスオミ大公国残党によるミサイル事件は、ミレニアムともドーア帝国とも何ら関係がない。
これで機嫌を損ねるような相手ではないと信じたい。前任者からは、自分が暗殺未遂されてなお寛大な態度だったと聞かされている。加えて影のように離れず傍にいる女性レフィア=エディル。かなり常識的な人物で、二人の関係はよく分からないが彼女に叱られて大人しくなる姿を大勢の市民が目撃したとか……
いずれ今は、やるべきことをやる。机から顔を上げ、かきむしった髪を軽く整えた。そのタイミングを見計らったように、新たな報告が舞い込む。
《…執政官。アトジマ氏が消えました》
「は?」
さすがに予想外だ。今しがた遠話をかけてきたばかりである。よもや一方的な物言いに嫌気が差して、なら勝手にしろと見捨てられた?あり得ないことではない。
エドムントの内心を知ってか知らずか、情報本部長が続ける。
《代わりに遠縁の本家筋を名乗る人物が動いています。名前はランディとだけ。やはり、あれが何か知っているようです》
短い会話を交わしたという、ランディなる男の人物像について報告を受けた。
やや硬質な雰囲気。率直な物言い。堂々たる体躯と仕草。現場のスタッフが言うには、何となく同業者の匂いがすると。もっとも堂々としすぎていて、あまり隠密工作には向かない気がする。そう……大っぴらに聞き込みする刑事のような。
「当てにできるなら何でも構いません。アトジマ氏のほうも追わせているのでしょう?」
《いえ。完全に見失いました。25時間前に何者かと戦ったことは報告しましたが、アトジマ氏の離脱は確認しておりません。しかし禁止区域から高速で射出された物体がそうだとすれば、一応の説明はつきます》
「……………」
馬鹿な。そんなことを認めたら、あれがアトジマ氏ということになってしまう。自分がどこへ行きたいのかも分からず、ただ破壊と死を撒き散らすだけの怪物が。そして都合よく現れたランディとかいう人物は何者なのか。
「…エディル氏の様子は?」
《いつもと変わらないそうです。ランディ氏の素性もエディル氏から……そういえば、禁止区域への侵入者があったとは聞いておりません》
「とすると、元から中にいたということになりますね」
2人入って3人出てきて、それぞれ元のまま、怪物、別人だった。よく考えると、その謎解きにはいくつかの可能性がある。
ダイチが死に、封印を解かれた怪物とランディが出てきた。この仮説の問題は何故ランディも封印されていたのか、レフィアの態度が変わらないのか。実はランディも人類の敵で、レフィアが何らかの方法で瞬時に洗脳されてしまった惧れも。
封印されていたランディがダイチを怪物に変え、レフィアを洗脳した。前の説にも言えることだが、元々レフィアがダイチを騙していた可能性も否定できない。本来の仲間であるランディを蘇らせるために。
封印されていた怪物が逃げ、ダイチはランディに姿を変えた。この仮説も疑念が生じる――自分がダイチだと説明しない理由。これから起こしてゆく元総督達も、処分したか原種人類に戻したと嘘をついて、エルフの仲間を増やすつもりではないのか。
どの仮説も、科学的に荒唐無稽な要素を含んでいる。瞬時の洗脳、人を瞬時に怪物へ変える、人が瞬時に体格すら違う別人となる――まだ無理が少ないのは最初のひとつだ。洗脳自体はミレニアムの技術を使わなくともできる。また超常的な現象は一切なく、ランディがレフィアを説き伏せた可能性。言うまでもなく最悪の展開だ。
(一番無理の少ない仮説が最悪なんてな。だが私は、人類の存続という大きな責任を背負っている)
エドムント=バイガルは、大きく深呼吸する。そして……ヴァルハラ市政府執政官、ユラネシア共和国筆頭幹事の命令を下した。
「正体不明の怪物の討伐、及びランディなる人物の捕縛。抵抗するなら殺傷も許可します……この決定は、レフィア=エディル氏も例外ではありません」
誤字を修正しました。 前身⇒全身




