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セレスティア人の手記  作者: 五月雨
最後の日 ~????年~
146/210

一時間後。ダイチの姿は、

 一時間後。ダイチの姿は、自宅から程近い一軒家の前にあった。


 イスモとマルヨの新居である。ミサイル後の混乱で亡くなった人々の家がそのまま残されているため、働かない若者でも独立後すぐ家を持てるのが今のヴァルハラ。その一方どれだけ働いて特別配給権を稼いでも、建材が貴重ゆえ新築など夢物語にさえならない。


(こんなこと、してる場合じゃないんだけどなあ)


 ダイチのやろうとしていることは、ヴァルハラ社会の大変革である。


 食糧増産、マナ濃度の回復、地上の時間遅滞解消と環境再生、そして再入植。どれをとっても人手が必要であり、研究所に復職しなくともいずれイスモは働かざるを得なくなるだろう――働かざるもの食うべからずという、旧世紀の価値観が蘇ることによって。


 そのときイスモに与えられる仕事は、たぶん過酷な肉体労働。研究所の創設当時からダイチとレフィアの手足になって働いてきたアメリア達は、その監督役。今は休んでいるものの、マルヨはアメリア達と同じ側だ。


 この想像が現実のものとなったとき、イスモはますますダメになる。自分が面倒をみてきたと思っている――勘違いしているマルヨと、決定的な差がついてしまうから。


 男女差別とは違うだろうが、言うなればマルヨ差別。最初から劣っていると決めつけて、愛する者の成長を喜ばない。それは愛していると言えるのか?…いや、愛してはいたのだろう。『愛』玩していたのだろう。


 だが、そんなことはダイチにとってどうでもよい。他人の愛の形がどうかなんて。ただレフィアの頼みに応えて、愚かなイスモに最後の機会を与えるだけだ。それで再び浮き上がりマルヨと対等の関係を築くか、このままダメになるか。自分で決めさせる。


 面倒なことは、さっさと済ませるべき。呼び鈴を押して数秒待つ。中からはーい、という憶えのある声がして元気よくドアが開いた。


「やあ。久しぶ」


「ダイくん先生!!…むぎぅ」


 いきなり抱きついてこようとする頬を、片手で押さえて止める。拳や喉輪にしなかったのが、せめてものダイチの優しさ。


「うぅ。ひどいよぉ」


「そんなだから今の状況に陥ったんだけど。忘れたの?」


 言われてことん、と首を傾げる。どうやら分かっていない様子だ。そう――忘れたのではなく、そもそも分かっていない。天然というのは罪である。


「…誰か、来たのか……?」


 奥の暗がりから、淀んだ男の声がする。対してマルヨの声は底抜けに明るい。


「うん。ダイくん先生だよ、イスモくん!」


「とりあえず結婚おめでとう。みんなから聞いたよ」


「ありがとう!わざわざ来てくれたんだね!」


「……………」


 暗がりが無言で動く。出てきたイスモの見る影もない姿は予想の範囲内だったが、昼間だというのに窓も開けないでいるのはどうしたことか。24時間引きこもりのゲーム三昧、まるでダイチが思い描く理想の生活を長年続けたごとき。


「マルヨは変わらないな。君は……変わったねえ」


 痩せて青白い不健康体。もっともダイチの場合、仕事で引きこもりの生活を長年続けてもこうはならないのだが。しかし髪の乱れや草臥れたスウェットは、さすがのクリメア技術も守備範囲外。これでもマルヨは自分の彼氏を――今は夫か。カッコいいと思うのだろうか。死んだ魚のような目、とはよく言ったもの。


 時折向けてきていた敵意の眼差しだけは、昔のまま。


「…それで。ウチに何か用」


 声もしゃがれており、図らずも迫力を増している。これもカッコいいポイントなのかと思ったが、隣のマルヨはやや困り顔。


「誤魔化してもしょうがないから、はっきり言うね。君達を迎えにきた。これから忙しくなるし、研究所に戻らない?」


 マルヨの目がキュピーンと輝く。まさかダイくん先生から直々に誘ってもらえるなんて、そう考えているのがありありと。しかし無言のイスモを見てしょんぼりへにょん。耳と尻尾でもついていれば、そんな感じだろう。


「これもはっきり言うけど、最後のチャンスだよ。今を過ぎたら、この後入ってくる人達にとって君は先輩でなくなる。旧世紀生まれの僕から見ればそれでも甘々だけど、前みたいな待遇は期待しないほうがいいと思う」


「……………」


「えっと。行か、ない?」


 マルヨがイスモの顔色を窺うように訊く。


「レオも落ち着いてきたし、母さんに頼めば大丈夫だから。また一緒に働こうよ」


「…誰が行くかよ。あんたのところなんか」


 訊いているのはマルヨなのに、ダイチの顔を睨みつけながら。


「どうせマルヨを狙ってんだろ。誰が行くかよ」


 ダイチは首を傾げる。違和感の正体には、すぐ気づいた。イスモはマルヨのことを、典型的なバカップルのごとく『ハニー』と呼んでいたはず。もはや支配が完了したと思い込んで、僅かな気遣いもなくなったということか。


 マルヨはただ、二人の間に立って戸惑うばかり。ここはあえて挑発する。


「…そうだね。君が来ないなら、マルヨに決断を強いることになるよ。君を置いて僕達と来るか、このまま君と一緒にいるか。今後の暮らしを考えたら、選択肢はないけど」


「何言ってる。別に働かなくても食えるだろ」


「これからは違うんだな。しばらくはそうかもだけど、君が生きてる間くらいはそうかもしれないけど、少なくとも肩身は狭くなるよ」


 未来の展望について、ダイチが考えていることを説明した。黄金樹や地上の再開発についても包み隠さず。まだレフィアにも話していないことだ。マルヨは言葉もなく驚き、そして先程以上にキュピピピーンと瞳を輝かせている。


「…俺は行かない。マルヨも俺を置いていったりしないよな?」


 当たり前のように、だが心持ち上目遣いで訊ねる。マルヨは頬に手を当ててう~ん……としばし考えこみ、質問のような提案のような答えを口にした。


「でもさ、本当に暮らしていけなくなるんなら、行ったほうがいいよね?どうせ行くんなら、二人一緒に」


 マルヨの中では、もう答えが出ているのかもしれない。イスモは愕然とした。


「……働き口なら、他にいくらでもあるだろ。とにかく、あそこだけはダメだ」


「ええ~。みんなと一緒のほうが絶対いいよ。それにアノ研究所は伸びます!わたしが保証します!」


 いや保証したのは僕なんだけど……という言葉は飲み込む。


「イスモくんが行かないなら、わたし一人でも行こうかな。そうすれば稼ぎの問題はないもんね。大丈夫、危ないことはないはずだから。ダイくん先生とレフィアさん、アメリアちゃんだっていてくれるし」


「そうだね。昔の潜航士みたいなことにはならないと思う。基本みんなにやってもらうのは、マナ濃度の平準化が一定程度進むまでは安全な艦の上でやる作業だけ」


「……………」


 どうやら勝負あったようだ、マルヨは研究所に戻るつもりらしい。ところが、ここでイスモは最後のカードを切る。


「…どうしても行くんなら、俺と別れてから行けよ。俺は絶対に行かない」


「イスモくんっ!?」


 マルヨもとうとう悲しそうに声を荒げた。


「どうしてそうなるの!?わたしが一緒にいたいのはイスモくんなんだよ!?わたしが、わたしは……!」


「なら、行かなきゃいいだろ。俺と仕事、どっちが大事なんだ。それともやっぱり、そいつのことが好きになったのか」


 マルヨは泣き出してしまう。もう滅茶苦茶だった。

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