「…バレたのかしら?」
「…バレたのかしら?」
「それはないよ。単なる願望だと思う」
研究所の近くまで戻ると、リゼは不安を込めて呟いた。この辺りは人が住んでおらず、出入りするものといえば八人の関係者と実験資材だけ。そして今日は休日、マルヨ達もここにはいないはず。いつもは部屋に着いてからの話を、そのまま続ける。
「普通にイーリカやシベリアの話をしたんじゃないかな。スオミの浮島が無事だったから、他にも生き残りがいるかもしれないって」
「ですが」
「うん。地上はもう滅んでる。他国の浮島にも人はいない」
この宙域の統制者、セレスティアのライブラリに伺いを立てたから確かだ。唯一の例外は、セレスティアが統制者となる前から存在しているダイチ。いや……厳密には数十人、彼の他にもいるが。起動前からいる人々は、ライブラリに載らない。
「他の統制者が何かしている可能性は?」
「セラフィナは正気を失ってるし、セレスとミカゼに抑え込まれてる。ちょろっと力が漏れ出すとしても、人が蘇るなんてマトモさは期待できない……と思う」
言いながら、アルフと一緒にセラフィナが眠る部屋へ踏み込んだときのことを思い出す。統制者の力がせめぎあった暴走に巻き込まれて死んだだろうヴァルマの遺体を葬ろうとすると、結界や微弱な放電で牽制された。完全に狂っているなら、反応しないか一瞬で黒焦げだったかも。自信がなくなる。
「…ダイチ?」
「もしもがあるのはミカゼのほうだね。母さんいろいろやってたしなあ……」
ダイチとミカゼの母ユルハは、プレゼンター技術を研究していたひとり。ややマッドなきらいがあり、不安定な統制者のセラフィナと彼女を擁護するヴァルマに対抗するためとはいえ、愛娘を統制者の軛に繋いだ人物である。実の息子が引くような真似をしてまでユルハが何をしていたのか、調べてみる価値はあるのだが。セレスティア以外の統制者は眠りに就いており、また力の暴走が起こるリスクをわざわざ冒したくもない。
「セレスティア、さんと。意思疎通できるのですか?」
「できないよ」
ダイチの返事はにべもなかった。こういうとき、リゼは経験的にダイチが嘘をついていると思っている。対話ができると何か拙いことでもあるのか。リゼの雰囲気が硬くなったのを察して、降参とばかりに説明する。
「…呼びかけは間違いなく聞こえてる。でも何万という声に埋もれて分からない。僕だけに意識を向けてれば別だけど、全部の声を聴いていたら」
その先は言わなくとも分かった。統制者は神ではなく人間。ミレニアムの三王や総督達のように、特別な強化を施していたわけでもない。
「それにセレスとは、一度しか面識がないんだ。母さんが逃がしてくれたときにちらっと。彼女はミカゼの護衛だったから。僕のほうはアルフ」
二千年以上も気にかけてくれるとは思えない――ダイチらしい自虐だと、しかし納得できる話だとリゼは思った。が、一方でこうも思う。
(ライブラリを使うときは、必ずセレスティアさんの記憶に触れている。それを拒絶しないということは――できないのかもしれないけれど、そうじゃないなら少なくともセレスティアさんはダイチのことを受け容れている)
真言法を使う者は絶えて久しい。またダイチと同じ神代の手法でライブラリを使うのは法術王アルフレッドだけだった。アクセス者が誰なのか、分かっているはず。
「やっぱ、行くしかないかなあ」
「はい」
対話ができない以上、データで分かりにくいことは自分の目で確かめる必要がある。とはいえ、当たり前のように返事をしたリゼに苦笑する。
「はい、って……今回は君も、留守番だと思ってたんだけどな」
「一緒に行きます。何があるか分かりませんから」
「何があるか分からないからなんだけど?」
リゼは自分がダイチの護衛だと自認している節がある。そんなものを頼んだ覚えはないし、未知の危険に曝すつもりはない。今回のこれは、そういう話だ。リクとウルスラに聞いたかぎりでは、人が全滅するような分かりやすい危険はなかったらしい。
まずはダイチひとりで行って、どのようなものか見てみる。毒や飢えでは死なないリゼも、寿命が長い他は普通の人間と変わりない。一瞬で死ぬような危険があれば、本当に死ぬかもしれないのだ。逆に即死するようなものでなければ対処のしようがある。
「危険の性質を確かめたら、すぐ戻ってくる。それまで温室の管理を頼むよ」
「……………」
ダイチには前科がある。人類全体を気にかけているような素振りで、最後の最後にリゼひとりだけを拾ったのだ。
何を考えてそうしたのか、未だ聞かされていない。今回もその類ではないと言いきれるのか。さりとて実力行使に出られたら、リゼにはどうしようもない。
そっと溜息をつく。
「約束、してください。とにかく急ぐこと。あちらの一日が、こちらの二年ということを忘れないでください」
「…分かった。約束するよ」
リゼがダイチを抱擁する。危地に向かう弟を見送る姉のようだが、実態は違う。ダイチにとっては妹どころか、今いる人類全員が幼子のようなもの。
「行ってらっしゃい」
「うん、行ってくる」
翌朝、ダイチは飛行艇に乗ってヴァルハラを出る。まだ正式な許可は出ていないが大丈夫だろう。あまり外に出なかったし、いなくなっても気づかれにくい。前向きに約束してくれた、そのあたりリクを信じてもいる。
研究所の子達には、後からレフィアに伝えてもらった。ただし地上ではなく、他の浮島を調べにいったと半分事実の半分嘘を。見送りに来られても照れ臭いというのが、ダイチの偽らざるところだったが。ライブラリを展開しつつ、雲海の中へ。
本当に長居するつもりはなかった。
……このときは。




