二十話 出発の日
出発の日。
昨日に続いて俺は早起きした。荷造りの為だ。とは言っても水や食料等の荷造りは主大臣がやってくれるらしいので、俺は昨日渡された武器と秘石を忘れずに持っていくだけだ。
それでも多少は緊張しているのだろうか。自然に目が覚めた。
緊張するのも無理はない、と思う。未開の地に行くわけなのだから。医師や農士を連れて行かなくて本当に大丈夫なんだろうか。実に不安だ。
リン、と鐘の音がして、カレットが姿を現す。傍らにロザリンの姿はなかった。
「おや、ロザリンはどうしたのじゃ?」
とぼけたように言う。昨夜の姿から想像したら、泣き疲れて起きれなかったか目蓋が腫れてしまったかで、姿を現せないのだろう、とは容易に想像できたのだが、見てない風を装わなければならなかったのだ。
「申し訳ございません。ロザリンはもうしばらくしたら参りますので、ご容赦下さいませ」
カレットは言って、丁重に頭を垂れる。
これは目蓋が腫れている方の予想が合っていたのだな、と納得する。
「いや、いいのだ。時にカレットよ」
俺は言って、棚から小袋に入った秘石と鎖を一対取り出し、握り締めた。鎖を通す。
「これをそなたに」
咳払いをして、ずい、と差し出す。なんだか顔が熱くなってる気がする。
カレットは目を丸くして固まっている。
「ロザリンにやった腕飾りの代わり、というわけでもないが。ほれ」
更に、ずい、と差し出すと、カレットは惚けたような顔をして、両手をうつわにして受け取った。
秘石は全部で八つ。俺とビジューとエルフが装備して六つ。もしもの時の為にコロナの分を一つは確保する。そして一つ余る。ビジューはこれを「好きにするがいい」と言った。
ならば好きにさせてもらう。
ここで秘石を一つ失うのは惜しい気もするが、元々秘石が降る相場は二つから四つ。それに比べればだいぶ多いのだから構わないような気もした。
俺は昨晩、ベッドの中で思いを馳せて、どうしてもこれをカレットに与えたかった。
秘石は金の鎖を通して首から下げると破魔の力で守護される、御守りになる。
これも俺が近くにいないと効果がないらしいが、それでも一応は破魔の宝玉だ。俺にもしもの事があっても、これがあれば脅威から身を守る助けになるかもしれない。
俺が死んでもカレットには生きていて欲しかった。
カレットだけ無事ならばいいというわけでもない。俺にはロザリンだって大事なんだ。助けてあげたい。だが死地に赴く俺のエゴで、もうここには帰って来れないかもしれない、会えないかもしれない俺のエゴで、どうしてもカレットに渡したかった。
「このような大層な物を私のような下女が授かってよろしいのでしょうか……」
小間使いであるカレットが秘石についてどの程度まで知識があるのかはわからない。だが、この神秘的に見えるガラス玉に、大変な価値がある事を肌で感じているようだった。
「これは破魔の宝玉。秘石とも言う。首から下げると不思議な力で守護を賜る物じゃ」
その単語を聞いて、カレットは、ハッとした表情になる。
もしくは秘石について、何らかの知識があったのかもしれない。
「いけません! このような大事なものを下女になど――」
カレットが声を荒げようとするので、俺は人差し指を唇にあてがって、静寂を促した。
「だから、誰にも言うのではないぞえ。襟の中に入れて隠しておくと良いじゃろう」
主大臣あたりが、カレットの胸元に光る秘石を見たら卒倒してしまう事だろう。
「しかし――」
秘石をうつわに受けたまま動かないカレットを見やって、俺は秘石に繋がった鎖をつまみあげる。
鎖を両手で広げて、カレットの首に下げた。所在を得てきらりと光る秘石を眺めて、俺はにこりと笑う。
「帝王様……」
カレットは瞳を潤わせて、頬を紅潮させている。
潤んだ瞳が艶やかで、俺の胸の鼓動が早くなる。顔が一層熱くなる。熱は頬を拠点として顔全体に巡って、首から体にまで侵食する。
「カレット……」
カレットの両肩を掴む。両者の視線が交差する。手に力を入れると、一瞬、体をこわばらせてカレットは口を開く。
「帝王様、いけません。私のような下女にこのような事をなさっては……」
カレットは悲しそうな目をする。
彼女らは事ある毎に自分らを「下女」と言う。俺はこの下の女と書く響きが気に入らなかった。
だが、確実に大いなる身分の差がそこにはあって、彼女を抱き寄せる事は拒否された。
「すまぬ……」
視線を落として手を引いた。
「帝王様ー!」
バーン、と大きな音を立てて扉が開き、ロザリンがあどけない笑みで現れた。
その音が合図だったかのように俺の体はぐるんと半回転する。
「あ、あら? お邪魔でしたかしら?」
ロザリンは俺達の焦った様子を見て、首をかしげる。
ロザリンの様子からは、昨夜のむせび泣いていた光景が信じられない。これも気丈に振舞っての事なのかと思うと、胸がざわついてくる。
「もう、何言ってるのよ」
カレットがそれとなく否定を示す。彼女は拒絶した。だけどももしも身分の差がなかったらどうなんだろう。ここで「実は俺の中身は一般人なのです」と言えたらどんなに楽な事か。
俺に渡された着替えは、いつもの豪華絢爛な物ではなく、機動性に富んでいる質素な物であった。胸元の開き具合を革紐で調節するような長袖で丈が長く、厚い生地のシャツにそれを留めるベルト。ゆったりとした布のズボンと底の厚いブーツ。マントのような外套までついてくる。冒険者の服、といった感じだ。
ベルトはいくつもの太くて大ぶりな鉄環を革で渡してあるもので、輪に秘石と鎖の入った小袋をくくりつけると、これがしっくりときた。
鎖を通した秘石を首から下げる。ベルトの輪を駆使して剣を二振り腰に携え、太腿にナイフを装備した。
何か忘れている事はないか、部屋を見回して確認していると、頭の上に小鳥が止まったような感覚がした。
「なんだ、部屋の中にいたのか、コロナ」
「そうよ。さっき起きたとこ」
頭の上から欠伸をするような音がする。
「極秘任務はどうした」
「もうほとんど終わったようなものじゃない」
「ふむ、それもそうだな」
「アンタって本当にバカなのね。秘石を女の子の贈り物にしちゃうなんてさ」
唐突に言われて、俺は動転する。
「う、うるさいな。それより早く隠れろよ。外に出れないじゃないか」
俺が言うと、コロナは適当な返事をして、もぞもぞといつもの場所へ潜る。
部屋の外に出ると、見張りの兵士達に改まった敬礼をされて見送られた。
外で待っていたはずのロザリンの姿はなく、カレットだけが立っている。
「ロザリンはまたもや、どこに行ったんじゃ?」
「先に向かってしまいました。申し訳ございません」
なんだって先に向かう必要があるのだろう。一緒に行けばいいものを。
カレットと連れ立って王宮の外へと向かう。階段を降りて、周りに誰もいなくなった頃合でカレットはピタリと足を止めた。
「む? どうしたのじゃ?」
慣性で何歩か先に進んでしまったところで振り返る。
「帝王様が行かれてしまったら、私めは寂しく思いまする……」
なんだってこんな土壇場でそんな事を言い出すのだろう。今更、という感じが否めない。俺だって好き好んで行くわけじゃない。でも行かなければどこかで泣いている人を救う事はできないのだ。
「カレット……」
カレットはほんの少しうつむきながら目を泳がして、そわそわしている。例によって顔が赤い。
「帝王様、身分の違いは重々承知ですが、やはり私は……私は……に……ございまする」
もごもごと口ごもっていて、何を言ったのかわからなかった。
「なんじゃ? よく聞こえなかったぞえ?」
俺が言うと、カレットは大仰に手を振った。
「いえ、何でもございませぬ! 参りましょう」
カレットは言って、そそくさと歩み始める。
俺は首をかしげながらついていくのであった。
更に階段を降りたところにロザリンがいて、カレットと何やらこそこそ話し始めたと思ったら、やれやれ、といった感じで両手を上げて首を横に振るのだった。カレットはなんだかしょんぼりしている。
うむ、全く意味がわからない。
「帝王様に頂いた腕飾り、大事にしますですわ」
ロザリンは満面の笑みを浮かべて、手首に着けているミサンガを見せる。
「うむ。わしが帰ってくる時まで無くさんようにのう」
言ってロザリンの頭を撫でてやると、またしても子猫のようになるのだった。
「カレットも元気で過ごすのじゃぞ。わしが帰ってきたら、またタコをたらふく食わせてやるぞえ」
カレットはくすりと笑った。
城門まで行くと大臣らが待ち構えていた。小間使いは基本的に城門までしか出れないので、彼女達とはそこでお別れなのだ。
城門の出口でくるりと振り返り、見送る彼女達の見納めをする。すると視線の先に何やら黒い影があった。
目を細めてそれにピントを合わせてみると、王宮の門扉の脇、草葉の陰から、肩まで伸びた直毛黒髪の女が仲間になりたそうにこちらを見ている。
間違いない。マイラだ。ちゃんと胸元にミサイルを積んでいる。
見送ってくれるなら堂々とこちらに来ればいいのに。そう思ってマイラに向かってにこりと笑うと、鋭く速い動きで退散していく。経験値を沢山くれる銀色のゼリーを彷彿とさせる動きであった。
なんだったんだ。
そして俺の真横に、俺と似たような服装をしたビジューが恨めしそうな顔をして仁王立ちをしている。
「貴様……」
俺にしか聞こえないように小さく呟く。
ビジューは使い込んだ風の槍と、冗談みたいな規格外の鉄の塊を背負って、手にはドラム缶を串刺しにしたみたいなハンマーを持っている。
うむ、実に重そうである。これでいいのだ。俺は満足を得て秘石を渡す。
主大臣らが用意してくれた旅に必要な荷物、大ぶりな麻袋を受け取り、いつの間にかついて来た何人もの見送り隊を引き連れて城下町を突っ切って、町の外へと向かう。町民から次々に声をかけられたのだが、それが「よっ、頼んだぜ!」とか「頑張ってねー!」とか「元気でなー!」とか。随分と気さくな声援である。
これをビジューに問いたところ、どうやら帝王自ら魔物討伐に行くのは伏せて、単に一般の討伐隊が行く事になっているらしい。町民は帝王を遠目からしか見た事は無く、質素な格好をしている俺が、まさか帝王だとは思うまいと言う事だ。
俺が帝王である事は決して誰にも言うな、と釘を刺される。なにやら大人の事情があるようだ。
王宮にいた頃は帝王ではない事を秘密にしなくてはいけなくて、そこから出たら今度は帝王だという事を秘密にしなくてはいけないのだ。実に滑稽である。
ほどなくして街の門までたどり着く。主大臣は心配そうな表情を。武大臣は誇らしげな表情を。風大臣は胃腸の調子が悪そうな表情を。それぞれが様々な思惑を顔の色に出して、俺達を見送る。
外に出る前に秘石を武器に取り付ける。俺は剣の柄に空いた穴に。ビジューは槍の柄上部に空いた穴に。そのまま付けると鎖が長くて邪魔になるので二周半ほどぐるりと巻いて長さを調節した。
百八十センチはあろうビジューの体躯を包み隠せそうな重剣の柄や、ドラム缶ハンマーの缶と柄の繋ぎ目辺りにもちゃんと秘石を取り付ける為の穴が空いていたがこれを使う事はないだろう。
俺としては使ってみて欲しいのだが。面白そうだから。
「どうか、どうかお頼み申し奉りまする……!」
町民に悟られないように、小声で主大臣は言う。
「うむ。行こうぞ、ビジュー」
俺達は王宮のあった、その町に背を向けて歩みだした。ビジューが前のめりになって必死に歩いている姿を見て大笑いできたのは、町の姿がすっかり見えなくなるまで遠ざかってからだった。
「さあて、なんだか開放された気分だな。もう帝王のフリをする必要も無くなった事だし」
見晴らしの良い平原を歩きながら、伸びをする。
「呑気なものでござるな。偽物が」
「その事を誰にも言ってないだろうな?」
眉をピクリと動かして言った。
「言ったら処刑するつもりでござろう。誰にも言っておらんから安心しろ」
「どうだ? コロナ」
姿を隠す必要が無くなったコロナは俺の襟首から飛び出して、軽く旋回した。
「大丈夫よ。そんな話は全くしてなかったわ」
極秘任務の報告を聞いてビジューは苦い顔になる。
「貴様……ピクシーに見張らせておったのでござるか」
「ぬかりなく、な」
「あくどい奴でござる……」
「誰かに話そうにもビジューってばずーっと一人だったんだもの。友達とか恋人とかいないのね」
コロナは哀れみの視線をビジューに向けた。
「そうだったのか……かわいそうに。俺でよかったら友達から始めましょう」
俺もコロナを真似て哀れむような表情をする。
「き、貴様ら……ふざけおって!」
ビジューは、ぷい、とそっぽを向いて歩き出す。
「でもさ、アンタさあ、良かったの?」
「なにがだ?」
コロナは俺の眼前で羽をパタパタ動かして浮遊している。
「さっきの子よ。カレット、だっけ? 抱きしめて欲しいですー。って言ってたじゃん」
なんだって!
俺は風速で舞い戻って城下町を駆け抜け王宮へ入り階段を三段飛ばしで駆け上がって王室へ行きカレットの元にたどり着いて息を乱したまま力いっぱい抱きしめる妄想をした! くそう! 今更戻れない!
――ああ、俺はなんて失敗を。あの時、俺の耳がもう少しだけでも聞こえていたなら――。
そう思ったらなんだか泣けてきた。涙が止まらない。
「……泣くほどのことか?」
「アンタって、ほんっとーっに! バカなのね!」
「うるさいやい! お前らに俺の気持ちなんかわからないんだ!」
えぐえぐと泣きじゃくって袖を濡らす。
くそうくそうくそうくそうくそう! 次に会ったら絶対抱きしめてやる! だから死ぬもんか。絶対に生きて帰ってきてやる! 帰ってきてラブストーリーするんだい! えぐえぐ。
泣きながら歩く俺。その傍らには呆れ顔になっているだろう大柄の男。そしてケラケラと笑い続ける小さな妖精。
俺達の旅はこうして始まったのだ。
一応これでプロローグが終わりになります。十万文字ちょうどで区切りをつけたかったのですが僕にはそんな腕がありませんでした(涙)
次回からは冒険の始まりです。よろしかったら片手間にでもご覧下さい。




