32.鬼同期は半年経って
その後も仕事中は特に変わりはなかった。
引き続き忙しくて、いちゃつく余裕はないし、私は元々仕事中は感情スイッチオフだし。
それはそれとして、昼は一緒にお弁当を食べることが増えたから、付き合っていることに気づく人もいた。
戸部先輩を筆頭に、丹沢先輩とか秦野ちゃんとか。
紫くんはそもそも昼時に社内にいることが少ないから、気づいているのかどうかもわからない。課長も昼は外に出てることが多いし。
九月の連休は一緒に休みを取った……のに、その直前になって私は風邪を引いた。
「ぐう……いい歳して風邪引くとか……ぜんぜん風邪の時期じゃないのに」
『忙しかったから、疲れが出たんだろ。グランピングは日程を連休の後半に変更しといたし、今日明日休んだらそのまま連休だし、おとなしく寝とけよ』
昼休み、ビデオ通話を繋げてくれた紫月が、画面の向こうで苦笑しながらそう言った。
仕方ない。
連休に向けて仕事は概ね片付けてあったし、午前中に電話とメールで紫月と戸部先輩に引き継ぎは済ませてある。紫月の言うとおり、おとなしく寝ておこう。
『炊飯器の内釜に、「おかゆ」ってメモリがあるだろ? それの通りに米と水入れて炊くとおかゆになるから、作って食え。鮭フレークと塩と海苔があれば美味く食えるだろ』
「炊飯器って便利なんだねえ。炊いてくる」
『そうなんだよ。便利なんだよ炊飯器。じゃあ俺は仕事に戻るから』
「うん、ありがと」
風邪のときに一人で寝てるのは心細いけど、台所から聞こえてくるおかゆが炊けるこぽこぽという音や、ふわっと漂うごはんの匂いに包まれていたら、あっという間に眠ってしまった。
次に目が覚めたらすっかり夜で、枕元のスマホが震えていた。
紫月からメッセージが届いていて、
『仕事終わった。なんか必要なものある?』
ということだ。
「えっと、なにがいいかな」
とはいえ寝起きだし、熱で頭もぼんやりしていてなんにも思いつかない。
素直に「寝てた。熱が上がっててなんにも思いつかない」と送ってから、シャワーを浴びる。
さっぱりしたら少し頭も動くようになったから、炊いておいたおかゆを食べた。
空になったお茶碗の写真を撮って、紫月に
「おかゆ食べた。おいしかった」
と送ったら、すぐに返事が来た。
『そらよかった。こっちは買い物終わって、もうすぐ着く。ドアに飲み物下げとく』
「マジか」
顔を見たいけど、今日は我慢。せめて熱が下がらないとダメだ。
おかゆを片付けていたら、玄関の方からかさかさと袋の擦れる音がした。
今すぐ駆け寄りたいのを我慢して電話をかける。
『あ、気づいた?』
「うん。ありがとう。紫月は頼りになる彼氏だねえ」
『そう言ってもらえると嬉しいけど、ただ早く美颯に会いたいだけだよ。……ていうか、美颯に彼氏って言われるの初めてじゃねえか?』
「そう言われればそうかも。誰かに紹介とかもしないし」
誰かって誰だろう。
会社でわざわざ言うことでもないし、友達も忙しくてなかなか会えないし。
『……紹介してくれていいけど』
紫月が低い声で言った。
「誰に?」
『そっちのご家族とかに』
私の家族に?
「じゃあ、年末一緒に帰る? 前にそんな話しなかったっけ」
『えっ、本当にいいんだ?』
自分で言っておいてなんで驚くのさ。
さっきまでの低い声とは打って変わって、慌てたような声がスマホ越しに聞こえてきた。
「いいよ? でもそっちも実家に顔を出すんじゃないの?」
『出すけど近いから、本当に顔出すだけだよ。年末年始は実家は忙しいし、長居したら手伝わされる』
「あー」
『だから、美颯を紹介するなら年末年始以外だな。悪い、まさか誘ってくれるとは思ってなくてテンション上がっちまった。まだ熱あるんだろう? 早めに寝ろよ』
「……うん。ありがとう。おやすみ」
通話を終えて、玄関の外にぶら下がっていた袋を取ってきた。
中にはスポーツ飲料とゼリー、それからプリンが入っていた。
ゼリーの蓋を開けながら、ふと紫月があんなに嬉しそうにした理由を考えた。
家族に紹介ってことは、たぶん恋人ってだけじゃなくて、その先も考えてのことのはずだ。……紫月は私との将来も視野に入れているんだろうか。
……年末、かあ。
私にはまだ、先のことなんてわからない。
わかんないけど……わかんないまま放っておいちゃダメな気がする。
「まずは風邪を治そう」
熱で茹だった頭じゃ、きっとろくな答えが出てこない。
冷たいゼリーが美味しかった。
***
数日後。風邪を治した私は、紫月と一緒に二度目のグランピングの用意をしていた。
「ご迷惑をおかけしました!!」
「なんも迷惑かけられてねえよ。仕事もちゃんと引き継ぎしてくれたし、そりゃ心配はしたけど、彼氏としてそれくらいさせてほしいし」
「ありがと。嬉しかったよ」
そんな話をしながら、二人でスーパーの売り場を回っていた。
グランピング場には一通りの設備があるから、温めれば食べられるものを中心にいくつか買っていく予定だ。
「いつか自分で鍋を持っていきたいし、飯ごうで飯も炊きたいけど、それは徐々にだよなあ」
「そうだねえ。私はなんでもいいから……」
「美颯のなんでもいいは、マジで『なんでも美味しくいただきます』だもんな。何作ってももりもり食べてくれるから、作りがいがあるわ」
紫月は笑いながら、カゴにレトルトカレーを入れた。キャンプと言えばカレー!ということらしい。ごはんはグランピング場に用意されているものを買う予定だ。
「でも俺もなんか作りたい。というわけで、いくつか調べてきた」
私はカートを押しながら、紫月が楽しそうにキャンプ飯の話をするのを聞いていた。
一通り買い終えたら部屋に戻って、紫月は下ごしらえをするらしい。私の方は自分の部屋に戻って荷造りだけど、一泊分だからすぐに終わる。普段から一泊くらいの短期出張はよくあるしね。
荷造りを終えて紫月の部屋に顔を出したら、そっちもちょうど料理の下ごしらえを終えたところだった。
「よしよし、荷造りも終わったし、あとは飯食って早めに寝るだけだな。あー、あと、その、一個確認したいんだけど」
「なあに?」
「あのさ、同じテント内で寝泊まりするじゃん。グランピングだから、ベッドが用意されてるけど。それで……セミダブルが二台らしくて」
紫月は台所に立ったまま、視線をうろうろとさせながら一気に言った。
それから少し黙り込んで、ゆっくりと口を開く。
「嫌だったら、そう言ってくれていいんだ。でも、俺としては一緒に寝たいんだけど、美颯はどうでしょうか……?」
真剣な眼差しで、紫月は私を見つめていた。
付き合い始めてひと月ほど。手をつないだり、抱きしめ合ったりはあったけど、それ以上に距離が近くなることはなかった。
思わず体の前で指をこねくり回してしまう。
手が汗ばんで、指先がじっとりしてきた。
喉がカラカラになって、言葉がなかなか出てこない。
「……一緒が、いいです」
つられて敬語になってしまった。顔が熱くて、紫月の足元ばかり見てしまう。
「ほんとに?」
「ほ、本当に。あの、至らない点も多いかとは思いますが」
すぐには返事がない。
小さく息を吐く音が聞こえた。
「それは俺もだから……えっと、ありがと」
恐る恐る顔を上げたら、紫月は眉間にシワを寄せ、口をぎゅっとへの字にしていた。
なんだか、昔のキツかったときの長谷川みたいな顔に見えた。でも、そうじゃないって私はもう知っている。
何も言えないまま、互いの顔を見つめ合った。……緊張しているのはお互い様だ。紫月の眉なんて、すっごい下がってるし。
「あのねえ、私、紫月のこと好きだよ」
「俺も、美颯のこと好きだ」
「嬉しい。明日、楽しみにしてるね。夜ごはん食べようよ」
「……そうだな。あのさ、俺、美颯に優しくできてる?」
何を言ってるんだろう。そんなの今さらなのに。
でも返事をする前に、紫月は照れたように笑って口を開いた。
「美颯は何食いたい?」
「困ったな、紫月が作るものはなんでも美味しいから選べない」
お互いに情けない顔で笑い合って、並んで台所に立った。
半年前はあんなに怒ってばかりだった紫月が、今は私の名前を少しだけ不安そうな声で呼んでいる。
これにて完結です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
別サイトのコンテストのため、RTA状態で投稿しまくってて、二度とやらねえ……という気持ちですが、明日から7月。つまり文披です。よろしくね(白目)
***
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