caseA-4
アパートのベッドの上に寝転び、俺は待っていた。
先日買ったコミックは早々に読み終えてしまっていた。想定していたよりはまずまず面白かった。アパートの別室にシングルマザーの母と子が住んでいるのだが、読み終わったコミックはその息子にくれてやることにしている。コミックに対する目が中々厳しいボウズなのだが、この本ならば少しは喜んでくれそうだ。
窓の外はとっぷりと更けている。ごくたまに、車のライトがむさ苦しい部屋を照らすだけ照らして消え去っていく以外は、ブラインドで細切れにされた月明かりが、闇をぼんやりと光らせるだけだ。電球も、小さなボロのテレビも眠っている。
眠って良い状況にも関わらず、シーツに仰向けになっている俺は、ジャケットを羽織ったままで居る。
汚れた天井を見上げて、何となく息を殺していた。
やがて、待っていたものが、人殺しが棲む闇を真っ赤に照らしだす。
それを合図に、俺は飛び起きた。
車道を両側から挟む二本の歩道には、どちらも人影が無いに等しい。その片側を走っていくと、街灯を避けるように闇の中に沈んだ、闇よりも深い黒を捉える。
「−−おや、遅かったですね」
さほど寒くもないのに着込んだコートも、その狭間から覗くいつもの法衣も、足も悪くない癖に手にしているステッキも、全てが黒一色。そのせいか、こちらに向けられる顔だけが、浮き上がったように白く見える。
走ってきた勢いで、俺は街灯の明かりの中へ飛び込んだ。ちょうど人ひとり分のスポットライトに囲われ、何故だかひどく場違いな気分になる。
「早いじゃねえか…」
「薬が効く時間を考えて、少し前から待っていただけです」
にべもなく答えるや否や、白い顔は車道の向こうへ視線を戻す。軽く息を整えながら、俺もそちらを見る。
この町では一番大きな市民病院だ。人命を救うという使命を負っているだけに昼間は頼もしい姿を誇るが、夜闇にひっそりと佇立する外観は何処か不吉で、ともすれば巨大な墓石のようにも見える。
先程アパートの傍を通り過ぎた救急車は既にその役目を終えたらしく、見たところ外観はしんと静まっているようにも見えた。いくつかの窓が緑色の蛍光に染まっている。
「まだ暫らくかかるはずですよ。結果ならば私が報告しても良いですが……待ちますか?」
「待つさ……待つとも」
何時間でも待つつもりだ。
俺のような職種は、自分の仕事が完遂されるのを見届ける必要がある。失敗していれば、また次の手を考えるか、依頼主によっては代償を求めてくるだろう。
感傷だけではなく、自分の目で確認する責任を伴っていると思う。
「仕事熱心ですね」
「…アンタこそ、帰っても良いんじゃないか。後で報告してやってもいいぜ」
「私は神父ですから」
何を今更、と言わんばかりに答える、隣の聖職者をちらりと見る。片手にはステッキを、片手にはロザリオの十字架を握り、背筋を真直ぐに伸ばして佇んでいる。俺の方には目もくれず、ぽつぽつと緑に光る墓石のような建物を見つめている。横顔だけでは、その瞳に浮かぶ感情は計りかねた。
彼もまた、見届ける責任がある職種なのだ。
「…仕事熱心じゃないか、アンタも」
神父は何も答えない。
俺も口をつぐんだ。
今度は二人で待ち続けた。息を潜め、片や闇に沈み、片やライトに閉じ込められたまま。
待っていた時間は、短く感じられた。
ぼんやりと明るい病院の玄関口に、人影が見えた。
男だった。俯いたまま、重々しい足取りで出てきた。すぐに立ち止まり、星のまばらな夜空へ顔を上げる。ややあって振り向き、また玄関口へ戻る。そして、遅れて出てきた女の手を取った。
全身から力が抜け、紙人形のようにひらひらと、立っているのも危うい女の手を、男はゆっくりと引き寄せる。震えているわけでもないのに、女はひどく寒そうに見えた。男にもそう見えたのだろう、細い、頼りなげな肩を、逞しい腕に包み込む。
「終わったようですね」
闇の中で、神父がささやかに、しかし厳粛に宣言する。聞いているのは俺だけだ。
病院から目を逸らすと、ちょうど神父が十字を切っているのが目に入った。
仕事は、終わった。




