caseA-2
青いラベルの貼られたプラスチックのボトルを取る。持ち運びに適したそれは手の中にすっぽりとおさまった。重さはあまり無いが、傾けるとざらざらと音がする。
「そいつで良いのかい?」
何処かつまらなさそうな声を聞いて、振り返る。
この部屋には窓がない。昼下がりでも蛍光灯が不可欠だ。青白く光る人工の明かりの下、白衣姿の男がデスクに座って−−文字通りデスクに腰掛けて−−いた。資料やら医学・薬学関係の本が積まれてひどく混み合っているが、そんな中に見事に調和している。
男には薬学書のような印象を覚える。知識を食べ尽くし、それ故に身が重く−−体は細身だが−−あまり動かない。それに、本は陽に晒されると傷むのだ。蛍光灯の青白い光に照らされているのが、似合う。
「そんなもん使うとは、お前さんらしくないな」
溜め息混じりに眼鏡の蔓を−−縁のない楕円形の眼鏡が、冷えた知性を象徴して様になっている−−押し上げる手は筋張っていて、指は妙にすらりと伸びていた。薬品を扱う者の手は繊細なものだと言う、彼ご自慢の指だ。
「これを使うのが一番良い仕事なんだ、今回は」
言い訳するようにそう答えると、ふーん…と納得いかなさそうに声を上げたきり、それ以上俺の仕事の話に踏み込んではこなかった。
「助かるよ。あんたの店が一番揃いが良いんだ」
何となく機嫌を取る為に改まって礼を述べながら、棚の戸を閉めて側を離れる。そこには俺が手にしたくらいの大きさと形のボトル達が、色とりどりのラベルを貼られてびっしりと並んでいた。この部屋の壁の四分の三はそんな棚が占拠している。並んでいるボトルのカラフルな外見だけ見れば、菓子売場のラムネコーナーといったところか。
それ自体で完成品のものもあれば、他と組み合わせて初めて効果を発揮するものもある。その本質は、それらの主だけが完全に理解していた。
「お安い御用さ。そいつらも使っていかないと湿気ちまう」
デスクから降り、白衣を揺らしてゆったりと歩いてくる。やはり、動いている姿の方が不自然に見えてしまう。この男はデスクの上で、蓄えた知識を覗き込まれるのをじっと待っているべきだ…そんな気がする。
すれ違いざまに、白衣の胸ポケットに紙幣を二枚差し入れた。
「何年か前は、こいつらももっと日の目を見てたんだがなぁ…」
報酬にさした興味も無さそうに棚に近付き、自慢の指でガラス戸を撫でる。妻を愛撫するような、我が子を慈しむような手つきだ。
「前より客が減ったのか?」
「いいやぁ…」
ガラス戸に指をあてがったまま、白い肩越しにこちらを振り返る。レンズの奥でまだつまらなそうな目をしていた。
「お前さん、さ」
「俺?」
「“ドーベルマン”がお前さんに変わったからだよ。前の“ドーベルマン”はこいつらがお気に入りだったってのに」
つまり、お前さんの所為さ…薬学書はつまらなさそうな目をしたまま、意地悪そうな笑みを浮かべて見せた。
(ドーベルマンか…まったく、お似合いだな)
裏手から出る。
表側の店にはれっきとしたドラッグストアの看板が掲げられているのだ。婆さんが腰痛に効く薬でも買いに来たり、お嬢ちゃんがニキビ直しのクリームでも探しに来たりしてるのだろう。
(そういえば、俺より前に雇ってた奴の話は聞かされないな)
建物の狭間に伸びる裏道から、仰げば遠く、細長く切り取られた空が見える。真っすぐ、きっちりと−−あの写真のように−−囲われた青い風景が、まっさらな陽で彩られいて、ひどく眩しい。
(……俺の知ったことじゃない…か)
顔を下げ、表通りを目指して歩き始める。古本屋で頭を使わないコミックを二、三冊、食品店でソーセージとソーダ水を買って、アパートに戻ろう。
今日はもうそれきり何処にも行かない。
明日は、仕事だ。




