caseA-1
『私は罪を犯します』
俺が身を置く町では、人は罪ではなく恨みを告白し、新たに罪を犯す為に教会を訪れる。
この町に於いて、神父が味方をするのは、真っ黒な恨みを抱えながら自分ではどうすることも出来ないような、哀れで痩せ細った小羊達ばかりだった。
今朝早くにやって来たというその男も、迷える小羊にだけはやさしい神父の許で、ひっそりと恨みを告白したのだった。
男はやはり、深く憔悴していたという。
「浮気だそうですよ、奥様の」
アパートに程近い、昼は喫茶店、夜はバーになる店の隅に席を取り、神父から説法の代わりに殺しの依頼を説〔と〕かれる。
とりあえず俺は、寝癖を撫で付けて髭を剃り、比較的皺の目立たないシャツとベストを身につけて、まあまあ見られる出で立ちで席に着いている。
「よくある話だな」
アイスコーヒーをストローで吸い上げる。冷たい苦みが、やや二日酔いの喉と頭を冷やして心地が良い。
「大概、よくある話ではありませんか」
コーヒーよりも深い漆黒の法衣に身を包みながら、神父が持ち上げる暖かいカップの中身は琥珀色だ。
俺がとりあえずはマシな格好をしているせいか、あれ以上冷たい視線を向けてくることは無い。というか、視線自体それほど向けてこないが。
「まあ、男と女のいざこざ自体がよくある話だな」
「気のせいか、その手のいざこざで駆け込んでくるのは、近頃女性より男性が多くなりました」
「……女は強くなったからな、このご時世」
昨夜それを実感したところである俺は、情けないと思う反面、少しばかり誇らしかった。
あれは本当に、良い夜だった。
「何をにやけているのでしょうね」
我に返れば、たちまち冷水のような眼差しとかち合う。嫌味を言う時にしか俺を見てこないのだろうか、こいつは。
「脱線しました。話を続けても?」
「……ドウゾ」
「奥様はこの方です」
神父はカップを置いて視線を下げると、膝に乗せた聖書を開いてページの間から写真を取出し、テーブルに置いた。
長い髪がふわふわと柔らかそうな、二十代後半と思しき女性が、そこに居た。
「一年程前の写真だそうです。今は髪を切っていると聞きました」
写真を取り上げ、改めてよく眺める。
見れば見るほど綺麗な女性だ。顔つきはとびきり整っているとは言えないが、彼女が纏う雰囲気が−−写真に閉じ込められたものであってさえも−−彼女をとても美しい生きものにしていた。吹けば飛んでいってしまう蒲公英〔たんぽぽ〕の綿毛のように、儚い。
彼女の肩を抱き寄せる腕があったが、腕の持ち主は肩の辺りから写真の外へ追い出されていた。よく見るとその肩の辺りで写真は切り取られている。あまりに丁寧に真っすぐ切られていたので、気が付かなかった。
「そしてこちらが、浮気相手の方」
顔を上げると、既に二枚目の写真が差し出されている。
「もう調べたのか」
「依頼を受けたのは今朝ですよ?どちらも依頼者からいただきました」
「探偵でも雇ったのか、その旦那」
「仕事仲間だそうです」
淡々と告げられたが、その言葉の裏に悲哀が隠されている気がした。神父ではなく、妻を友に奪われゆく夫の。
それは事情に含まれた悲哀、つまるところはその事情に感じた俺の悲哀だ。
二枚目の写真も手に取る。これもまた、一人の男を囲んで周りがきっちりと切り取られ、写真としては小さなものになっていた。数人の身体が途切れて残されているところから見て、仲間内で撮った記念写真か何かのようだ。
先程の女性と同じくらいか、少し年上だろう。最高級とは言えないものの、中流としてはかなり質の良いスーツに逞しい身体を包んでいる。力のある青い目が印象的だ。総合的に見て、男前と言える。
「依頼者が、夫婦間がぎこちないと感じ始めたのは半年前、二人の関係に気付いたのが二ヶ月前という事です」
「二ヵ月前?ちょっと間が開きすぎてやしないか」
「浮気に気付くのが?」
「違う。依頼に来るのが、だ」
人殺しの依頼をするのに尻込みするのは無理もないが、それにしても二ヵ月は長いように思う。
俺の疑問に対して、神父は浅く溜め息を零す。俺に呆れている、という感じでは−−大変珍しいことだが−−なかった。
「……二ヵ月前には、まだ殺意は生まれていなかったんですよ」
そして、俺を見た。
違和感、を覚える。
その言葉に対してではない。
神父が俺を見ていた。その目には軽蔑の色がない。あるのは、悲哀だ。
それは、神父自身の悲哀であるように見えた。
しかし俺の違和感は、続いた神父の一言で、別の感覚に形を変えた−−−