弥生
雲雀の声とともに私はようやく家に戻ってきた。見慣れた離れの門。やはり出迎えはいない。永らくまとも歩いていないからか乗ってきた人力車から離れまでのほんの何十歩がつらかった。智香子に支えてもらいながら、ようやく縁側に腰掛ける。
「おかえりなさいませ。」
智香子が私の足をすすぎながら言った。
「ただいま。しかし、結構、留守にしたから、まずは片付けからだな。」
智香子は笑って障子を開けた。部屋の中はまるでずっと人が住んでいたかのように綺麗に片付いていた。
「戻った折に、空気を入れ替えておきましたので、それほど、お掃除の必要はありませんかと。では、私はこれで。何かありましたら、五助さんをお呼びください。」
やはり、私の世話は五助がやることになったのか。
私はこのところ考えていた提案をしてみる事にした。
この離れは離れにしては広い。私一人なら、この部屋一室あれは十分だ。もし、嫌でなければ空いている部屋に住めばいいと。
智香子は恐縮したように頭を伏せた。
「しかし、仕事もありますし、第一、私のようなものが個室を頂戴するわけには参りませぬ。」
「無理じゃなくていい。私の世話をしてくれる者は智香子くらいだろうし、それに、いろいろと同輩たちの中で爪弾きに合うことも、気を遣うこともない。もし、その気があるなら、兄上には後でご挨拶した時にでも私から伝えておく。」
智香子は小さな声で覚えていたんですねと言った。私は聞こえないふりをした。
「あの…本当によろしいのですか。」
「よいというより、居て貰いたい。」
智香子は嬉しそうな顔をして頭を下げた。
「9月になったら平賀山にタヌキを見にゆこうか。」
智香子ははいと笑った。




