ギャンビット
大阪のとある裏路地。場所に似つかわしくないダンヒル社特製オーダースーツ。
つり上がった奥二重の目つきにアランミクリのキザなデザインの眼鏡はよく似合う。
オールバックに使う整髪料は最近ではポマードでなくジェルとスプレーである。
将棋…ではなく、チェスを指すその手つきはそこそこに経験者らしい。
相対するのは見るからに家なき大人。
空き缶を集めるよりチェスを指してる方が儲けがいいらしいがどっちにしろ割に合わない仕事には違いない。
毛むくじゃらの顔は泥に塗れているし目の光は完全に失われている。
破けたズボンから覗く足首は健常者の手首ほどしかない。
「チェックメイトです。」
「アホが。スティルメイト(ひきわけ)や。」
「えっ!」
柊 勇気は立ち上がったりしゃがんだりしながら盤面をあらゆる角度から覗いた。
「ああっ!しまった!とんでもないミスだ!なんということだ…この私がホームレス風情にしてやられっぱなしとは!!最悪だ!!」
「引き分けなんやから、ええやないか」
「よくもそんな口が訊けるなこの貧乏人め!
ゲーム前によせというのにハンデを与えたのは貴様だ!これでは引き分けても負けたようなものだ!くそーっ!
今のはなんという手だ?教えろ!」
くぐもった笑い声を出しながら松永 幸治は答える。
「ギャンビットや。キングス・ギャンビット。
駒を取らせて犠牲にして、それ以上の得を狙うオープニング(序盤)手法や。」
「ギャンビットか!覚えたぞ幸治!次は負けん。私は仕事に戻る!1万円だったな?次は2万賭けよう!なに?もってない?そんなら私は2万かけるから、お前は2千円賭けろ!無いとは言わせんぞ。今1万円渡したばかりだからな。では、さらばだ!また明日くる!」
「はっはっは。せわしないやつめ。」
柊は営業職である。成績はかなり良く社内での評判もいい。
だがその実、毎日搾取される賭け金と時間を埋めるためには優秀でなくては成り立たないのだった。
「おお、松永、またあんたの勝ちか。」
「あんなんに負けるか。お前もやるか?将棋でもオセロでもトランプでも、ゲームやったらなんでもござれや。」
「ほんならトランプや。他は天地がひっくり返っても勝たれへん」
「なんやなんや、またゲームか、見物してええか?」
「もちろんや。ええやろ、幸治」
「見るのはタダや。口出しはやめろや。」
裏路地のホームレスは、ずいぶん平和である。
柊の落としていった金は、松永が時折運任せのゲームで負ける事によって他のホームレスへ分配される。
そのおかげで、今日も青空の下で野生の時間を楽しめるのだった。
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「柊、今月も最優秀だ。やったな。」
「先輩方とお客様のおかげです。」
「ああ、そうだな。
…お前に、いい話があるんだ」
とたん、柊は嫌な予感がした。部長は自分を密かに嫌っている。いや、恐れていることを知っていた。
「どうだろう。東京へ行かんか。柊。
栄転だぞ。」




