婚姻までの道のり
殿は、姫を呼ばれた。
殿の視線は一度止まる。
姫は以前にもまして、美しくなっていた。
「レーラ姫。お呼びして申し訳ない」
殿は気を取り直す。
「勇者殿。レーラとお呼びください」
恥ずかしそうに、しかし真っすぐ殿の目を見て姫は言った。
「そうか。レーラ。でもワシも直と呼んでくれるか」
殿の目元がわずかに緩んだ。
「はい。直殿」
「あぁ、レーラ。少し聞きたいのだが、今当家の予算の話をしておってな。軍のことや、家の運営のことならわかるのだが、その、つまり……」
「我らのお小遣いなどのことですか」
「そうじゃ。言いにくい話であろうが、話しておかぬとな」
殿は手をイロンに向ける。
「こちらはイロンだ。財政を見てもらうことになった」
イロンは立ち上がり、恭しく挨拶をする。
「レーラ姫様、お初にお目にかかります。イロンでございます」
「レーラです。イロン様、よろしくお願いいたします」
「それで私のお小遣いのことですが、私にも領地があるのをご存じですか?」
レーラ姫は、殿を見る。
「いえ。知りません」
「私は自らの領地からの税収をお小遣いにしますゆえ、問題はございません。ですが……」
「はい、なんでしょう」
「お薬の調合を教えていただけませんか?」
殿は少し表情が止まった。
「理由をお伺いしてもよろしいですか」
「はい。私の領地は農家が大半で、冬になると雪が降るため、仕事ができません。冬の間の収入源にと……」
「なるほど。そうか……」
殿は腕を組む。
「殿。殿のお考えでは、当家の収入の一部になさるご予定では」
俺は言った。
「それは、失礼しました。お忘れください」
姫は言った。
「少し待て、レーラの考えは、細々とという考えであるか?」
殿は鼻をこすった。
「そうです。冬の間のつなぎ程度に……」
「レーラ。薬を扱う商会を作ってはどうだ?」
「商会ですか。私は商いの経験はございません」
「イロン。
レーラを商会の顔に据え、薬を扱うのはどうじゃ?」
殿はイロンを見る。
「直殿。妙案でございます。
レーラ様は、慈善事業などもされておられ、慈悲の女神とも称されるお方。
薬の商会の顔役としての価値は、はかり知れませぬ」
イロンは頷いている。
「殿。王族が商売というのは、世論が許さぬのでは?」
俺は尋ねた。
「どうだ。レーラ」
「そうですね。たしかに……、あれこれ言う者はいるでしょう。
貴族が商売をするのは汚らわしい、との考えもございます。
されど妙案が見つかるのでは?」
「レーラは妙案があるか?」
「いえ。
面白いお話ゆえ、私が顔になるのは、問題ございません。
ただ我が領地の民の利益になり、また面目を潰さぬようにご配慮いただければ、幸いです」
「全蔵、なにか言え」
殿は笑った。
「なにか言えとおっしゃっても……」
俺は目を細める。
「あの、姫……。そのお薬の調合を思いつかれたのは、どのような経緯で?」
「それは、もちろんお父様のお身体の件を聞いたからです」
「それで、何と思われました」
「我が領土の民の利益になると……」
「その前です」
「その前……、あぁ、あれほど苦しんでおられたお父様が、回復されるのは、素晴らしい薬だと思いました。そしてそんなに良いお薬なら、世の人々に使っていただきたいと」
「そのお話はどうでしょうか?」
俺は言った。
「なるほど、良い薬だから、世の中の人々に使っていただきたいと、それで自ら動いたと、そういうことですか?」
イロンは言った。
「たしかに、それなら慈悲の女神らしい。
……しかし、あと一押し欲しいな」
殿は言った。
「一押しというと……」
姫は尋ねた。
「商売をする理由だよ」
殿は姫を見た。
「姫は税収をどのようにお使いなのですか?」
イロンは尋ねた。
「大半は慈善事業。特に孤児の世話です」
「それだ。収益の一部は孤児院に使いますというのだ」
殿は言った。
「それは事実ですので構いませんが、それはなぜ?」
「貴族は商いを嫌うが、慈善を嫌う者はおるまい」
「薬を売るのではなく、孤児を養うための事業と見せるのですね。
わかりました。そういたしましょう」
それから、
皆で具体的な案を煮詰めた。
夜も更けたので、
皆で食事を取ることになった。
部屋に食事が運ばれる。
「よろしいのですか、私も」
イロンは言った。
「ワシの国では、主君と配下が飯を食うのは普通のことじゃ。レーラはどうだ」
「王国では少し珍しいですが、私は構いません。侍女ともよくお食事をしますから」
姫は笑った。
「しかし殿。
結婚前というのに、現実的なお話ばかりですね。
もう少し女性好みの風流なことをなされては?」
俺は言った。
「何を言ってる全蔵。
ワシがそんな男じゃないのは、お前が一番知っておろう」
「まぁ、そうですが……」
「あの、直殿と全蔵殿は、長いのですか?」
「あぁ、コイツが赤子の頃から知っておる」
「うちの家は祖父の時代から仕えておりまして」
「ですから、そんなに仲良しで……。
少々妬けます」
「そんな、俺は単なる配下の忍びです」
「忍び……」
「おい全蔵」
「直殿、忍びとは何ですか?」
殿はしばし黙られた。
「音もなく、臭いもなく、知名もなく、勇名もなし、その功天地造化の如し。そういう者たちのことです」
殿は言った。
「音もなく、臭いもなく……、まるで幽霊のようですね」
姫は首を少し傾げた。
「ワシの行ったことの後ろには、全蔵がおる。
しかし全蔵の名が出ることはない。
そういう意味では、たしかに幽霊のようだ。
ただ全蔵の功はワシよりも大きい」
殿は俺の背中を軽く叩いた。
「では直殿には、なくてはならないお方なのですね」
「あぁ、片割れだろう」
「やはり妬いてしまいます。私も直殿に片割れと言われたいですわ」
「そうだな。きっとそんな日もこよう」
殿は笑った。
食事はゆっくりと進んだ。
戦のさなかにあって、
なんの変哲もない静かな時間だと思った。
殿に言われた「片割れだ」という言葉が、
俺の心に刺さって、抜けなくなっていた。
裏切る気持ちなどないが、殿の言葉は俺を確実に縛りつけていた。
「この人たらしめ」
俺は小さく呟いた。
END
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は完結していますが、
反響があれば続編を書く可能性があります。
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