魔力オーブンの試行錯誤
この世界には、パンを焼く大きな釜や、火の魔石を組み込んだトースターは存在する。
だが、緻密な温度管理や循環を行う「オーブン」や「レンジ」の類は未だ開発されていない。
それらは本来、電気を動力源とするものだ。
電気が発明されていないこの世界では不可能だと誰もが諦めているのだろう。
だが、魔石や秘境の自然素材を組み合わせれば、似た機構は作れるはずだ。
実際、この国では冷暖房や掃除機など、前世の家電に酷似した魔導具が次々と産声を上げている。
中にはそれらを開発して生活水準を劇的に向上させ、貴族の地位を射止めた者さえいるのだ。
本来、錬金術師は「素材」を作るのが仕事であり、製品の組み立ては職人や魔術師に任せるのが通例だ。
だが前世の知識を持つアランにとって、プロトタイプを自作せずに口頭だけで仕様を説明するのは難しい。
かといって「前世の記憶」などと言えば、怪しまれるのが落ちだ。
「テケリ・リ。テケリ・リ」
足元でホテプが音を鳴らす。
この相棒、実は土魔法の使い手だ。
時折、庭で勝手にレンガを作り出し、いつの間にか小さなピラミッドを築き上げていたりするから侮れない。
今回は、ホテプが生成した高品質なレンガを錬金釜へ放り込み、風属性の素材を加えて撹拌・錬成する。
目指すのは、内部で微弱な風を発生させる「通気性熱保持レンガ」だ。
錬金術には、術師ごとに千差万別のアプローチがある。
魔力を流して素材を融合させる伝統的な手法。
前世の化学のように再現性を重視し、論理的に組成を組み替える手法。
あるいは、素材の長所を抽出して別の物質へ付与する手法。
アランは自分のやり方で、この世界に「新しい便利」を実装していくことに決めていた。
「家庭用オーブンを一般に普及させるには、まだ随分と先の話になりそうだな」
家電の軽量化と量産に欠かせない素材といえばアルミニウムだが、あれは「電気の缶詰」と称されるほど、精錬に莫大な電力を消費する。
前世の記録では、アポロロケットに使用されたアルミの電気代だけで、三十億円相当にものぼったという。
電力が存在しないこの世界でアルミを量産するのは、この世界では現実的ではない。
だからこそ、既存の「レンガ」をベースにする道を選んだ。
ホテプの作った高品質なレンガに風の属性を付与し、内部で熱風を循環させる。熱の伝導だけでなく「対流」を利用することで、従来の窯よりも遥かに効率よく、かつムラなく焼き上げる……いわば、異世界版のコンベクション・オーブンだ。
必要な素材、理想の形状、魔力の回路図。
アランは頭に浮かぶ設計案を、ひたすら紙に書き殴り、メモを積み上げていく。
だが、現実は甘くない。錬金釜で練り上げた特殊レンガを並べてみれば、互いの魔力が干渉して打ち消し合い、風が弱すぎたり、逆に強すぎて火を吹き消してしまったりと、失敗の山が築かれていく。中には単純に、錬成そのものに失敗して崩れ落ちたものもあった。
改善点を洗い出し、再びレンガを組成から研究し直す。
気づけば手は土とインクまみれになり、顔にまで炭が飛んでいた。
師匠エミリアがいた頃は、アランが本当に行き詰まった時、こっそりと進むべき道へのヒントを置いていってくれた。
エレナがいた頃は、彼女が論理的に改善点を整理し、根を詰めすぎないよう休憩時間までを精密に計算して管理してくれた。
独りで研究に没頭し、あらためてその難しさを痛感する。
助言をくれる師匠も、支えてくれる婚約者も、もうここにはいない。
それでも。
自分で考え、自分の力だけで答えを導き出す。
成功の栄光も、失敗の責任も、すべてが自分一人の足元にある。
孤独だが、この乾いた自由は、決して悪くないものだった。
といっても、未だに手応えがないのが実情だ。
思考が完全に行き詰まっていた、その時だった。背後で何かが床に落ちる、乾いた音が響いた。
音のした方へ目を向けると、棚の上に置いてあった「カリカリ」の袋が床に転がっていた。そのすぐ傍らでは、ホテプが「あ、見つかった」と言わんばかりのバツが悪そうな顔をして、アランのことを見上げている。
「……飯の時間か。悪い、集中しすぎてた」
アランは苦笑しながら、水精霊鋼でできたホテプ専用の皿に、カリカリを手際よく開けてやる。
ホテプは待ってましたとばかりに、ぷよぷよとした体全体を弾ませながら、勢いよく食事にかきつき始めた。
「……やっぱ、一人だと不便だな」
この工房兼住宅は、師匠が残していった場所だ。
広大な工房と倉庫、そして住居エリアはジャポニスム様式の平屋で、立派な縁側まで備わっている。どこか「異邦人の夢見た日本家屋」といった風貌の、奇妙な、けれど落ち着く空間だ。
本来なら、エレナと結婚した際の新居にするつもりだった。だが、一人で管理するには広すぎた。研究に没頭すれば掃除もままならず、ホテプの世話すらおろそかになりかねない。
空き部屋を貸し出すにしても、水回りは共用だし、何より下町の端にあるこの辺鄙な屋敷に、わざわざ入居を希望する者がいるかどうか。
「ミントなら、来てくれるか……? ここで錬成したそばから彼女に加工を任せれば、効率は跳ね上がるしな」
口に出した直後、アランは激しい自己嫌悪に襲われた。
婚約破棄されたばかりの男が、別の女性を同居させようなど、常識的に考えてどうなんだ。
「そもそも、なんでミントなら良いなんて思ったんだ? 振られたショックで脳がバグってるのか、俺は」
独りだと、どうにも思考が変な方向へ逸れていってしまう。アランがため息をつきながら頭を抱えている傍らで、ホテプは気ままに、だらんと体を踊らせていた。
「にゃる・しゅたん にゃる・がしゃんな」
意味の分からない、けれど妙にリズムの良い音を奏でながら。




