違和感
「オリオン、危ないから離れてくれ」
台所に入るといい匂いを嗅ぎつけたのか、オリオンがふわふわと飛んできた。
火を使うから危ないというと、近くの机の上に降りた。
「ヌシは魔物に好かれるの」
「そうか」
二口ある魔導コンロの上に載っているのは、お湯の沸いた鍋と、熱い油で満たされた鍋。
お湯の鍋にはカイが差し入れてくれた立派な腸詰めを放り込み、油の鍋には小麦粉を丁寧にまぶしたジャガイモを滑り込ませていく。パチパチと心地よい音が狭い調理場に響いた。
「それで、主はレディオ商会と、一から関係をやり直すのかえ?」
鍋の様子を見つめたまま、ミントが不意にそんな問いを投げかけてきた。
アランは手を動かしながら静かに答える。
「商会と、錬金術師としての付き合いはしていくつもりだよ。元々歴史ある大きな商会だし、至る所に伝手もある。ギルドを立ち上げるこっちとしても、助かる話なのは確かだからね」
「――では、今ならエレナとも、やり直すことができるんじゃないかの?」
そう言ったミントの横顔は、思わず肌が粟立つほどの冷徹さを孕んで、ひどく真剣だった。
いつもならニヤニヤと他人をからかって楽しむ彼女の面影はどこにもない。
それは優しさの皮を被った、悪魔の囁きのような『ナニカ』だった。
まるで、自分でも気づかないように心の奥底へ隠していた傷に、指先でふと触れられたような――。
「……俺たちには、最初から恋愛感情なんてなかったよ。形だけの婚約だ。解消された今、そんな風に戻るなんて簡単な話じゃない」
「未練があるわけではない。じゃが、へばりついた『何か』が、今もヌシの心の中に残っておるんじゃな」
ミントの言葉を背に受けながら、アランは思考を巡らせた。
なぜ自分は、こうも割り切った感情でいるのか。前世の記憶があるから、この世界の同年代の女性を恋愛対象として見られないのだろうか。
いや、確かに俺には前世の知識がある。
だがそれは、まるで映画か他人の記録映像をぼんやりと眺めている感覚に近いのだ。
俺は一度、この世界で『アラン』として生まれ、赤ん坊になり、生き物として完全にリセットされた。
よくある物語のように、赤ん坊の姿のまま大人の精神で喋ったり、思考したりしたわけではない。
幼少期の頃は前世の記憶なんて綺麗さっぱり消えていて、精神も魂も、ただの生まれたばかりのこの世界の人間だった。
成長し、脳が発達して頭が良くなるにつれて、器に収まりきる分だけ少しずつ、昔の記憶が染み出すように戻ってきたに過ぎない。
前世の俺、前世の家族、前世の……
それらはもう、あの瞬間に死んだのだ。
俺はあの時から、この世界に生きる『アラン』という一人の人間になった。
だからこそ、心へへばりついたこの奇妙な違和感の正体が、自分でも分からなかった。




