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いきなり婚約破棄

 「錬金術とは黄金の価値を示すための、人間の歩みだ」


 師匠が口にした一言。

 それは、俺が持つ前世の知識にある錬金術とは決定的に違っていた。

 錬金術師は「より高く、より硬く、より黄金に近いもの」を求める。

 その産物が黄金の価値に匹敵する。そうして生活水準を上げていく。

 そう語った彼女の眩しさだけが、今も俺の胸に残っている。


 ――――



 冬が終わり、すぐに夏が始まる二季の国。

 その夏が始まったばかりの頃、アランは婚約者のエレナに呼び出された。


 アランは前世の記憶を持つ転生者だ。

 魔法があり、魔物が跋扈し、多様な文化がパッチワークのように繋ぎ合わされた異世界。

 前世では理系学生として実験に明け暮れていたが、不慮の事故で命を落とし、次に目覚めた時には娼婦から生まれた赤子になっていた。


 特別な勇者になったわけではないが、彼は錬金術師という職業を選んだ。

 金を錬成するのではなく、生活に便利な素材を作り出す仕事だ。

 前世の歴史では聖職者が文明の先端を担うこともあったが、この世界では、錬金術師こそが生活の最先端に立っていた。


 錬金術の工房のある敷地を出ると、嫌でも夏の実感が肌を刺す。

 まぶしい太陽と、乾燥した空気。

 石畳の街路樹の傍らを、多種多様な姿をした人々が歩いていく。


 腕が四本あるウデウデ人の石工が、複数のノミを同時に振るってヘレニズム風の彫刻を整えている。

 その横を、複数の瞳を持つメメ人の鑑定士が、ルーペも使わずに魔石の質を見極めながら通り過ぎる。

 全身が柔らかな体毛に包まれたモフモフ人の宣教師は、この暑さに耐えかねたのか、噴水の縁でぐったりと横たわっていた。


 ここでは、身体の部位の数が違おうが、獣の特徴を持っていようが、誰も気に留めない。

 先祖に一人でも異形がいれば、人間の両親からでも、異形の子が生まれることは珍しくない。

 この国は、そんなバラバラな個性を「パッチワーク」として受け入れることで成立しているのだ。


 アランは、そんな喧騒の中を、足元で跳ねる一匹の「黒い塊」を連れて歩いていた。


「……暑いな、ホテプ。お前、とろけてないか?」


 足元のポヨ猫、ホテプに声をかける。

 スライムのような見た目に、猫耳と尻尾が生え、手足がちょこんとだけ出ていて◉◉(こんな)目をしている。

 たまたま拾った猫?なのだが、いろいろ謎が多い。

 ホテプは「ホテッ」と短く音を鳴らすと、石畳の上で文字通り「ぷにっ」と平べったく伸び、熱を逃がすように形を変えた。



 


 


「君との婚約を破棄させてほしい」


 陶器人形のような白い肌に純金の糸を思わせる細く真っ直ぐな髪、儚げな印象を吹き飛ばすような強い焔色の瞳を持った美少女、エレナ・レディオ。

 エレナに呼び出された喫茶店で、彼女は開口一番そう言い放った。

 普段から人をからかったような口調で話すのだが、今回は真剣だった。

 焔色の瞳に吸い込まれそうなほどなる。

 エレナは両手を組み、顎を乗せているその仕草に目を奪われそうになるほど絵になっていた。


「理由は?」


 アランはなんとかその一言を絞り出した。

 婚約破棄といえば、物語の中の王子様が令嬢に言い渡すものだが、互いに庶民の身の上で、女の方から切り出すのはあまり聞いたことがない。

 どちらかと言えば、これは前世でありふれていた「カップルの別れ話」だった。

 恋人のように過ごしてきたわけではない。

 気の置けない友人、もしくは姉弟のように過ごしてきたから、

 いきなりその関係を破壊するその言葉が胸の奥に深く突き刺さった。


「大手錬金術ギルド『ラムセス』への採用が決まったのさ」


 錬金術師ギルド。

 その名の通り、錬金術師の組合。国家規模の「生産プラント」

 個人経営の工房では作れない巨大な構造物(魔導船の装甲や、巨大な水門など)をギルド所属の錬金術師たちが協力して錬成する。


「だからアランとはもうやっていけないというわけさ。おぉ、悲しいことだ。君にはすまないと思っている」


「ちなみに、俺と婚約者でいるの嫌だったのか?」


「君のことが嫌いになったわけじゃない。ただ、これ以上錬金術師として互いにメリットがない」


 幼い頃、優れた錬金術師であるエミリアに弟子入りし、彼女はアランの養母となった。

 エレナとアランは幼なじみであり、同じ師匠のもとで育った兄弟弟子でもある。

 かつては互いに協力して商会を立ち上げようと約束し、エミリアの勧めもあって婚約者として過ごしてきた。

 だが彼女にその約束を守るつもりはなく、野心のままに大手ギルドへの切符を掴み、こうして別れ話を切り出したのだ。


「俺、君の両親が経営しているレディオ商会の専属をやめることになるがいいのか?」


「別に構わない。両親は両親、私は私さ。これからは互いに自由に進みたい道を選び責任は自分で持つ。それでいいだろ」


「俺は君と結婚できるのなら、それでいいと思っていたんだけどな」


「ほう、良い言葉だ。だが私たちは互いに貴族でもない平民だから自由に動ける。婚約なんて私達には向いてなかった」


 エレナは平民と言ったが、彼女のその優雅な立ち振る舞いは貴族と言っても通じるだろう。

 椅子から立ち上がったら鮮やかな金髪が広がった。

 磁器人形を思わせる白い肌が遠ざかり優雅そのものの仕草でスカートをさばいた。


 チラッと、エレナは視線をポテプに送った。


「相変わらず君は丸いな」


 エイナは軽くしゃがみ、足元で転がって行ったホテプを撫でた。

 いたずらっぽい笑みのまま、エイナは再度口を開く。


「アランを頼んだよ」


 アランに聞こえない程度の小声でホテプに囁いた。

 猫と美少女、麗しい絵面だ。




 その後アランは商業省に向かった。

 そこは錬金術師をはじめとするあらゆる職能者が世話になる場所であり、職の斡旋から特許の申請、果ては取引の仲介に至るまで、オルコット子爵が商売にまつわる全ての利権を掌握している公的機関だ。


 巨大な西洋風の石造り庁舎に、エジプト様式の重厚な円柱が並び、その頂上にはジャポニスムを感じさせる反り屋根が鎮座している。

 それはまさに、この国の「パッチワーク」という歪な文化を最も派手に体現した、奇怪なほどに豪華な建築物であった。


「アランさん。今日はどうなさいましたか?」


 メメ人の受付嬢が駆け寄ってきた。

 彼女は四つの目のうち、普段は二つを閉じ、残りの二つで親しげに微笑んでいる。


「レディオ商会との専属契約を解除したい」


「え……? 本気ですか?」


 レディオ商会はエレナの両親が経営する商会だ。

 エレナとの婚約を前提に専属契約を結んでいたが、独りになった今、未練を残すつもりはない。関係を清算するため、速やかに契約を断つことにしたのだ。

 将来的に身内になるという算段があったせいか、幸いにもアランが不利になるような不当な条項は盛り込まれていなかった。


 受付嬢は驚きのあまり、閉じていた残り二つの目までもカッと見開いた。

 四つの瞳が同時に自分に向けられる様は、なかなか圧巻である。


「……ちょっと、レディオ商会に確認してきます!」


 受付嬢はそれだけ言い残すと、パタパタと慌ただしい足音を立てて、レディオ商会の実務室がある区画へ走っていった。


「まったく、やってくれたな」


 しばらくして会議室に現れたのは、商会長夫妻ではなく、跡取りの長男であるパーザだった。

 眉間に深い皺を刻んだその男は、キリキリと痛む胃を抑えるような仕草をしながら、アランの向かいに腰を下ろした。


「本当にやめてしまうのか」


「はい。互いのためにも、ここで距離を置くのが最善だと思っています」


 正直に言って、この義実家との関係は決して良好ではなかった。

 師匠が存命だった頃は、その威光を借りて彼らも好意的に接していた。だが、師匠が天に旅立った途端、彼らは義理立てする必要がないと判断したのだろう。アランへの態度は、悪い意味で「慣れ慣れしく」変わっていった。


 無理な納期で仕事を押しつけ、そのくせ報酬は出し渋る。

 それでも、師匠から託された縁だったから。師匠がいなくなり、この世界で天涯孤独の身となった自分にとって、ここが唯一の繋がりだったから。アランは今まで、彼らの横暴に従ってきたのだ。


「そっちが師匠がいなくなって義理立てしなくなったと同じく、こっちもエレナと婚約者じゃなくなったから義理立てする必要がないんですよ」


 結局、親まで出てきたことに辟易したのか、パーサはそれ以上アランを止めようとはしなかった。

 もともと役所に届け出をしていたわけでもなく、親同士が口約束を交わしていたに過ぎない。同棲していたわけでも、貴族のような家同士のしがらみがあるわけでもなかった。

 そのため、契約解除に伴って特に罰せられることもなかった。


 ただ、あと数日もすれば婚姻届を出しに行こうという、その目前のタイミングで「自立したいから」と一方的に突き放されたのだ。

 男としても、そして共に歩んできたはずの錬金術師としても、受けるショックはあまりに大きかった。


 何より、周囲の目が痛い。この婚約を知る知人たちは多いのだ。

 結婚を目前にしてフラれたなどと知れ渡れば、向けられるのは同情か、あるいは嘲笑か。

 そう考えるだけで、ひどく気が滅入った。


 正直に言えば、あの美少女と結婚できると聞いて、喜んでいなかったわけがない。鼻の下を伸ばしていた自覚すらある。

 だというのに、結局はこの有り様だ。


「……前世でも今世でも、俺の人生はこんなオチばかりだな」


 アランは自嘲気味に呟き、空を見上げた。

 師匠が旅に立ち、夢を失い、婚約者も去り、独りになったアランの足元で、ホテプが「テケリ・リ」と音を鳴らし静かに寄り添っていた。

 前世から、何事も最後には上手くいかなかった。

 難関の理系大学に入ったところで、結局は不慮の事故で死んでしまう。

 

 自分という人間は、よほど運というものに見放されているのだろう。


「よし。こうなったら、お前と一緒に生きよう」


 ぷにぷにとしたホテプを抱きしめ、アランはそう言った。

 スライムよりもゴムに近い弾力を持つ、不定形の体。

 腹の中には無限に物が収まり、倉庫代わりにもなる。

 伸びたり縮んだり、膨らんだり液状になったりと、それはまさに「這い寄る何か」であった。


 そんな不思議なポテ猫と共に歩む、一人の錬金術師の人生譚がここから始まる。



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