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婚約破棄された令嬢、辺境で「半分を見捨てる決断」をする 〜全員を救えない世界で、彼女は最善を選ぶ〜  作者: 結城ヒナ


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第5話 失われるもの

 昼過ぎになっても、呼び出しはなかった。


 それは異常だった。


 通常であれば、すでに三つは予定が入っている時間だ。

 家庭教師との講義、書簡の確認、社交の準備。


 だが今日は、そのすべてが存在しない。


 ——空白。


 私は机の前に座る。


 背筋を伸ばし、手を組む。


 姿勢は、正しい。


 だが。


 何も始まらない。


 何をするべきか、指示がない。


 ——ならば、自分で決める。


 そう判断する。


 私は引き出しを開ける。


 中には、予定表がある。


 びっしりと書き込まれた、これまでの記録。


 私はそれを開く。


 昨日までのページは、整然としている。


 無駄のない配置。

 過不足のない内容。


 完璧だ。


 だが。


 今日の欄は。


 ——空白。


 何も書かれていない。


 私はペンを取る。


 何かを書くべきだ。


 予定を作る。


 それが正しい。


 だが。


 ペン先が、止まる。


 何を書くのか。


 決められない。


 これまで、そんなことはなかった。


 常に、やるべきことは与えられていた。

 あるいは、自分で計算できた。


 だが今は。


 前提がない。


 王妃候補としての教育。

 その全てが、消えた。


 ——ならば。


 新しい前提が必要だ。


 私は思考を巡らせる。


 自分の立場。

 家の状況。

 社交界での評価。


 その全てを再計算する。


 だが。


 結論が、出ない。


 情報が足りない。


 不確定要素が多すぎる。


 ——非効率だ。


 そう判断する。


 私はペンを置く。


 机の上に視線を落とす。


 何もない。


 いや、正確には。


 “必要なものがない”。


 その時。


 扉が叩かれる。


「エレノア様」


 侍女の声。


「どうぞ」


 私は答える。


 扉が開く。


 彼女は一歩だけ中に入り、頭を下げる。


「……来客がございます」


 来客。


 私は一瞬だけ考える。


 この状況で、誰が来るのか。


「どなた」


「……バルクレイ公爵家の方が」


 名を聞いた瞬間、理解する。


 有力貴族。

 これまで、何度も交流があった。


 そして。


 ——婚約候補。


 過去に、そういう話があった。


「お通しして」


 私は立ち上がる。


 客間へ向かう。


 歩きながら、思考する。


 可能性。


 婚約破棄後の、次の縁談。


 合理的だ。


 私の価値は、まだ残っている。


 それを利用しようとするのは、自然な流れ。


 客間の前で立ち止まる。


 一度、呼吸を整える。


 扉を開ける。


 中には、一人の青年がいた。


 整った顔立ち。

 自信のある姿勢。


 だが、その目は。


 どこか、冷たい。


「お久しぶりです、エレノア様」


 彼は立ち上がり、軽く礼をする。


「本日は、このような状況の中……」


「お気になさらず」


 私は返す。


 定型の応答。


 席につく。


 彼も座る。


 一瞬の沈黙。


 そして。


「単刀直入に申し上げます」


 彼は言う。


「今回の件、誠に残念に思っております」


 言葉は丁寧だ。


 だが。


 そこに感情はない。


 私はそれを理解する。


「ですが——」


 来る。


 次の言葉を予測する。


「我が家としては、エレノア様との関係を見直す必要があると判断いたしました」


 予測通り。


 私は頷く。


「承知いたしました」


 それだけ。


 だが。


 彼は、わずかに眉を動かす。


「……驚かれないのですね」


「合理的ですので」


 私は答える。


「私の価値は、以前と同じではありません」


 事実を述べる。


 彼は、少しだけ口元を歪める。


「……やはり、あなたは変わらない」


 その言葉の意味を、私は分析する。


 評価か、皮肉か。


 どちらでも構わない。


「それでは」


 彼は立ち上がる。


「本日はこれで」


「お時間をいただき、ありがとうございました」


 私は礼をする。


 完璧に。


 彼は一瞬だけ私を見て。


 何か言いかけて。


 やめた。


 そして、去る。


 扉が閉まる。


 静寂。


 私はその場に立つ。


 動かない。


 思考する。


 ——一つ、失った。


 縁談の可能性。


 だが、それは予測済み。


 問題ではない。


 しかし。


 胸の奥で、何かが。


 わずかに。


 引っかかる。


 それは、数値化できない。


 説明もできない。


 ただ。


 “減った”という感覚。


 私はそれを観察する。


 だが。


 結論は出ない。


 私は踵を返す。


 部屋を出る。


 廊下を歩く。


 使用人たちの視線が、また変わっている。


 昨日とも、今朝とも違う。


 距離が、広がっている。


 それを理解する。


 ——信用の低下。


 正確には。


 “価値の再評価”。


 合理的だ。


 すべて、正しい。


 だから。


 これは問題ではない。


 そう、判断する。


 だが。


 足が、わずかに止まる。


 ほんの一瞬。


 理由は分からない。


 ただ。


 進むべき方向が、曖昧になる。


 ——次は、何をする?


 その問いが、また浮かぶ。


 そして。


 答えは、やはり出ない。


 私は、初めて。


 “選択できない”状態にある。


 その事実を、認識する。


 そして。


 ゆっくりと。


 思う。


 ——私は。


 どれだけのものを、失ったのだろう。


 その問いは。


 昨日よりも、少しだけ重くなっていた。

第5話までお読みいただきありがとうございます。


ここで、主人公は初めて「具体的な損失」を経験しました。

しかしそれでも、まだ彼女はそれを“問題ではない”と処理しています。


本当に怖いのは、ここからです。


次話では、さらに明確に「社会からの切り離し」が進みます。

そして主人公は、少しずつ「何かがおかしい」と感じ始めます。


少しでも続きが気になった方は、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


ここから先、彼女は“正しさ”の中で崩れていきます。

ぜひ見届けてください。

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