80 婚約のアクセサリー
宝飾品店『月の雫』を出て家に帰ると、玄関にすっかりお馴染みになった靴があった。
《おかえり、セラ》
「ただいま、ウィッカ」
《ルーカスが来てるわよ》
いつもの定位置、玄関ドアの上の窓辺で、ウィッカが寝そべったまま尻尾をぱたりと振る。
分かったと頷いて、私は靴を脱ぐ。
ルーカスは合鍵を持っているし、訪ねてきたら大抵ウィッカが招き入れる。家主不在の状態で中に居ても、全く不思議ではない。
「──おかえり」
「ただいま」
ルーカスはリビングでくつろいでいた。ついこの間持ち込んだ背もたれつきの椅子に座り、ゆったりと小説を読んでいる。
その小説をぱたんと閉じ、紫紺の瞳がこちらを見た。
「納品は済んだのか?」
「うん。2人とも喜んでくれたよ」
アナスタシアたちの結婚指輪には、ルーカスも一枚嚙んでいる。天藍メノウの削り出しもそうだが、ピンクサファイアとエメラルドもルーカス作なのだそうだ。
言ってみれば、あの指輪は私とルーカスの合作。その意味でも、喜んでもらえて本当に嬉しい。
「──で、ね」
対面の椅子に座り、私はバッグから小さな箱を取り出す。漆黒のベルベット地に、金糸と銀糸で縁取りが施された──アイリーンに頼んで専門の職人に作ってもらった小箱だ。
「これ──やっとできたんだ」
テーブルの上に小箱を置く、その手がどうしても震えてしまう。
緊張と、喜びと、恥ずかしさと──アナスタシアとクライヴに納品した時とはまた違う。ただひたすらに、心臓が早鐘を打つ。
ルーカスが軽く目を見張り、小説を端に避けてそっと小箱に手を伸ばした。一瞬ためらったのを見て、開けてみて、と呟く。
「…」
テーブルの上に置いたまま、ルーカスが慎重な手つきで小箱を開いた。
中に入っていたのは、黒い艶やかな絹の上、絹よりなお美しい光を反射する、小さな魔鉱細工が2つ。
「──イヤーカフ?」
ルーカスが呟いた通り、それはどちらもイヤーカフ──耳たぶではなく、耳の上部などの縁を彩るアクセサリーだ。
ミスリル銀製の、一部分開口している円筒形で、側面に宝石が象嵌されている。言わずもがな、片方はタンザナイト、もう一つはインペリアルトパーズ。ルーカスがこのためだけに研磨してくれたもの。
つまりこれは、ルーカスと私の、婚約のアクセサリーなのだ。
「私たち2人とも、手で作業することが多いでしょ?」
私は魔鉱細工師、ルーカスは──趣味レベルと言っていたが──宝石を研磨する職人。その時点で、作業の時に引っ掛かる可能性がある指輪と腕輪は、候補から消える。
「ペンダントは着替える時に邪魔になる可能性があるし、狩人のペンダントと被るし、服装によっては外さなきゃいけなくなる。ブローチはつけ外しが面倒。アンクレットは基本見えないから、婚約のアクセサリーとしては不向き」
「…そうだな」
婚約のアクセサリーは、周囲に婚約者がいることを知らしめる意味もある。見えないのでは意味がない。
「で、ピアスの穴は開いてないし、イヤリングも落ちる可能性がある。あと、小さすぎるし、痛い」
「…なるほど。それで、イヤーカフか」
ルーカスが私の耳を見て、納得の表情を浮かべる。
イヤーカフはピアスなどと比べてマイナーなアクセサリーだが、ピアスなどより表面積を確保しやすく、私の今の加工技術でも何とか作成可能だった。
ルーカスがインペリアルトパーズの方を手に取る。そしてすぐに、気付いた。
「…この周辺の4つは…天藍メノウか」
「うん」
インペリアルトパーズの周囲をひし形に囲う形で配置されているのは、極小粒の天藍メノウ4粒。
それぞれの縁を曲線と直線で構成された彫り込みが囲い、中央のラウンドカットの宝石と合わせて、十文字の文様を描き出している。タンザナイトが象嵌された方も、デザインは同じだ。
この国では、十文字は永遠を象徴する形とされている。小さすぎて流石に内側に文字は彫れなかったので、モチーフにメッセージを託した。
この天藍メノウも当然、ルーカスが研磨したものだ。アナスタシアたちの指輪に天藍メノウの護符を入れたいと相談したら、ルーカスは10個の極小粒の天藍メノウを用意してくれた。
アナスタシアたちの指輪に使ったのはそのうちの2つだが、ポーラに魔法の付与をお願いした時、一緒に残り8個への付与もお願いしたのだ。8個の方は、効果はお任せで、と頼んだのだが──
「護りの魔法が2回分、救命の魔法が2回分、合計4回分の護符…デス」
「……」
ぼそりと言ったら、ルーカスが沈黙する。
護符は基本的に使い捨て。見た目は変わらないが、効果はなくなる。
ポーラは極小粒の天藍メノウ一つ一つに、それぞれ魔法を込めてくれた。こちらも修行中の者の練習に使ったから護符としての加工賃は不要と言われ、それでも申し訳ないと食い下がったら「私からの婚約祝いです。こういう時は笑顔で受け取っておくものですよ」と笑顔で諭されてしまった。
つまり先ほどのアナスタシアたちに対する私の物言いは、ポーラの受け売りである。
「…どうかな?」
ルーカスの表情がいまいち読めない。驚いているようにも、困惑しているようにも見える。まあ護符が4回分ついてるアクセサリーなんてあんまりない気がするから仕方ないだろう、多分。
少々落ち着かない気持ちで膝の上で手を握りしめていると、ルーカスが手の中のイヤーカフを摘まみ──こちらを見た。
「──どのあたりにつければいい?」
「ええと…私がつけてもいい?」
「頼む」
即座に頷かれたので、席を立ち、ルーカスからインペリアルトパーズのイヤーカフを受け取って、横に立つ。
そっと耳に触れるとルーカスはぴくりと反応したが、そのまま待っていてくれる。
耳の縁にイヤーカフの開口を滑り込ませ、少し位置調整した後、耳の縁がきっちり挟まるようにイヤーカフを回す。そして、
「ルーカス、ちょっとイヤーカフに魔力を流してみて」
「…? 分かった」
ふわりと魔力の気配がして、イヤーカフがリン、と微かな音を立てた。
「…貼り付いた…?」
「うん。ミスリル銀って、結晶格子を一定方向に揃える──ええと、魔力が通りやすい方向にミスリル銀の粒子を揃えて整列させると、魔力を流した時に、その魔力の発生源に一定時間吸着するって特性があって」
吸着といっても貼り付いて取れなくなるほどではない。激しい動きをしても、瞬間的に振動を受けても動きにくくなる、その程度の効果だ。
だが、その性質を利用できればアクセサリーが脱落する可能性は大幅に下がる。ウィッカ曰く、一昔前はその性質を極限まで引き出し、『肌に直接つける、針のないブローチ』なども制作されていたそうだ。
諸々の事情であっという間に廃れたらしいが。
「こうすれば、狩人の仕事の時、屋根を走ってても外れないだろうから」
一歩下がってルーカスを眺め、私は頷く。
「──うん。よく似合ってる」
青みを帯びた銀色の髪の下、耳の上縁で存在を主張するミスリル銀の輝き。天藍メノウの青とインペリアルトパーズの金茶が、晴れ渡った青空に輝く太陽のようだ。
そっと自分の耳に手を伸ばし、イヤーカフに触れたルーカスが、何やら納得した表情で立ち上がる。
「つけ方は分かった。──セラフィナ、お前の分は俺にやらせてくれ」
「あ、うん。お願い」
私は素直に頷いて、その場で軽く背筋を伸ばす。ルーカスが小箱から残る一つのイヤーカフを取り、私の耳に触れた。
「……っ」
くすぐったいようなゾクゾクするような──優しい手つきなのに、鼓動が速くなる。
冷たい感触が耳の縁を滑り、上の方でキュッと固定される。いいぞ、と言われて魔力を流すと、イヤーカフに触れた部分だけ、吸われるような感触があった。
……この固定方法が廃れた理由、分かった気がする。場所によるんだろうけど、魔力を流した後の感触が、何か、ヤバい……!
口で吸われる感触、とでも言おうか。いや吸われたことないけど。多分そんな感じだ。
これをさっき、ルーカスにも経験させたわけで……恐る恐る見上げると、とても楽しそうな顔をしたルーカスと目が合った。
これは……分かっててやってる…!
抗議しようにもそもそも自分が最初にやったため、何も言えない。困り果てて固まっていると、ルーカスの目元がフッと緩んだ。
「──よく似合ってる」
さらりと私の髪を梳いた指先が、イヤーカフに触れる。まるで夜空だな、という呟きで、タンザナイトと天藍メノウの色彩から連想したものが同じだと分かった。
ミスリル銀は夜空に浮かぶ月。タンザナイトと天藍メノウは、夜空そのもの。──ルーカスのように。
前世とは少し違う紫紺の夜空は、私にとって、安らぎと平穏の象徴だ。
これから先も、ずっとそこに在ってほしい。
「──ありがとう、セラフィナ」
「こちらこそ──ありがとう、ルーカス」
ルーカスがこのためだけに研磨した宝石を、私が魔鉱細工に仕立てた。
これは、2人揃っていたからこそできたアクセサリー。その事実が、今はただ嬉しい。
「──」
ルーカスが私の頭に両手を添えて、そっと顔を近付けてくる。同じようにルーカスの側頭部に両手を這わせ、私は目を閉じた。
手に触れる、イヤーカフの感触。温かな吐息。重なる唇の柔らかさ。
きっとこれから先、今日この日を忘れることは、決してない。
今でも、悪夢に飛び起きることはある。
それでも、私は私としてここに居ると、知っているから。
──そう教えてくれる人が、そばに居るから。
私の隣に居てくれる貴方が、幸せでありますように。
そしてどうか──幾久しく、共に。
そう、心から願っている。
…というわけで、セラフィナの前世やら何やらに注目した第2章、いかがでしたでしょうか?
何気にマトモなキスシーンを入れたのは初めてですね。作者は悶えながら書いておりました。ニヨニヨしていただけますと幸いです。
…キスなら第1章からやってただろって?
いやいや、魔力譲渡はノーカン、その後の告白(?)シーンのやつはただのルーカスのセクハ…げふん、不意打ちなので。ねっ!
なお、物語はまだまだ続きます。
第3章は来週末、4月11日(土)から開始予定ですので、よろしければお付き合いくださいませ。
例によって、週末まとめて更新の予定です。
それでは以下、読まなくてもいい蛇足です↓
セラフィナがルーカスとくっついた後を描く第2章。
ざっくり説明しますと、
Q. 主人公を精神的に追い詰めるとどうなりますか?
A. 化け物になります。
…というお話です。
そう、この章では、主人公を追い詰めてみる、という作者的には珍しい試みをしておりました。
結果がこのザマです。はい。まあセラフィナなので仕方ないですね。
ルーカスとの仲もちゃんと進展して……たらいいなと思います!(希望)
あと、作者的にはアナスタシアがわりとお気に入りです。
キツい物言いで誤解を受けがちだけど心配性で優しい、見た目悪役令嬢っぽい働くご令嬢。とても美味しい。
ウィッカは言わずもがなですね。第2章ではルーカス(オウル)と狩人の7番に取り乱しっぷりを目撃されています。
情が深いんですよ、師匠殿。モフモフのお腹に顔埋めたら間違いなく力一杯両足で蹴られますけど。そこがまたイイ。
白黒ハチワレの猫は極度のツンデレってイメージがあります(偏見)
ともあれ、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
それではまた、第3章でお会いできることを願って!




