60 金色の光
まだわずかに赤味の残る西の空を眺め、俺はマントの合わせをかき寄せた。
黒の隔離地を囲む城壁の上は、街より一段、気温が低い。魔法を使っているときはそれほど寒さを感じない──はずなのだが、今日は妙に空気の冷たさが肌に沁みる。
理由は分かっていた。今日は、セラフィナ──キャットがいないのだ。
キャットが管理事務所に待機するのは、青玉、紅玉、石英の日の夕方から夜半まで。それ以外は非番だ。
それでなくとも、彼女は文官と魔鉱細工師という仕事もある。無理はしてほしくないと思う一方、今ここに彼女がいないことに言いようのない寂しさを感じている。情けない。
──セラフィナが転生者であるにもかかわらず、何故か自分の前世がどんな人間だったのか憶えていないと聞いてから、俺は彼女との距離を慎重に詰めることに決めた。
他人、特に異性が背後に立つことを、無意識のうちに徹底的に避ける。その事実だけで、前世に何があったのか、おおよその見当はつく。
この国では、転生者は決して少なくはない。俺が知る限りでも、この領都にはセラフィナ以外に2人いる。だが彼らも、前世のことについては口が重くなり、ひどく苦い顔をしていた。
いっそ全て忘れていたかった──そう呻く声は、疲れ果てているように聞こえた。
転生者であることを隠している者も多い。そう言われているのは、全ての転生者に大なり小なり同じような傾向があるからだ。忘れたい過去を宣伝して回ったところで、いいことはない。
セラフィナも、恐らく忘れたままの方が幸せな過去を持っている。その琴線に俺が触れることだけは、あってはならない。
黒の隔離地は相変わらず殺風景で、デモンを産み落とす黒塊も、今のところは静かなものだ。
──なのに何故、こんなにも心がざわつくのか。
マントの胸元を掴む手が、いつの間にかきつく握り締められていた。手を離してもしわが寄ったままのマントが、まるで今の自分のようだ。
今ここにキャットがいないことが、今ここに自分がいることが、ひどく場違いなように思える。
「…」
見えない何かに急かされるように、俺は黒の隔離地から視線を外し、周囲を見渡した。
今すぐ家に帰って隣のドアを叩き、セラフィナがそこにいることを確かめたい。──そんなことは、できるはずもないが。
「──隊長!」
隣の見張り台に立っていたはずの部下──7番が、焦った様子で駆け寄ってきた。両腕で何かを抱えている。
「…!?」
それが何なのか認識して、息が止まった。
「ウィッカ!?」
《ルーカ…──オウ、ル!》
白と黒の被毛が、魔法道具のランプの光に照らされて鮮やかに浮かび上がる。7番の腕の中で、セラフィナの同居ケットシーであるウィッカが、荒い息をつきながら顔をもたげた。
《お願い…あの子を、探して…!》
どれだけ必死に走ってきたのか、ウィッカは全身で息をしている。ぐったりとしながらも、緑色の目が焦燥を宿して異様な光を放っていた。
あの子。それが誰のことなのかは、聞かずとも分かった。
《いつもの時間に、帰ってこないの! それにっ…ウチに通じる道沿いに、防音、結界と…捕縛魔法のっ…残滓が…!》
「な──」
ウィッカの魔力がぶれ、念話が途切れ途切れに聞こえる。それでも何とか内容を理解して、俺は言葉を失った。
防音結界と捕縛魔法。その組み合わせは──犯罪目的、誘拐や拉致に使われるものだ。
咄嗟に時間を確認すると、領主館の定時から、既に1時間以上経っている。
セラフィナが帰ってこないことに気付いたウィッカは、帰宅ルートを逆に辿りながら領主館まで行ったらしい。
だが道中セラフィナは見付からず、代わりに見付けた魔法の痕跡と、「セラフィナはいつも通り定時に帰った」という文官たちの証言から、何か異変が起きていると判断した。
《私の探索魔法じゃ範囲が狭すぎてらちが明かないし、何かあっても助けられないの! お願いよ、オウル!》
ここまで取り乱したウィッカは初めて見る。頭の隅でそんな場違いなことを考えながら、手足の先が急速に冷えていくのを感じた。
「隊長、行ってください」
ウィッカを抱える7番が、唐突にそんなことを言う。
「誰のことかは聞きませんが、ケットシーがこれだけ言うなら非常事態なのは間違いないでしょう。ここは俺たちだけで何とかします」
「だが……──!?」
反射的に反論しかけた時、夜の帳を金色の光が裂いた。
「なっ…!? 魔力暴走!?」
7番が振り向く先、街の北側に、天に向かって真っ直ぐ噴き出す──魔力の光。
金色の、アウルムの、光。
──この街に、あれだけの魔力量を持つ魔力型アウルムの住民は、恐らく彼女しかいない。
全身から音を立てて血の気が引いた。俺は7番に向き直り、一瞬ウィッカを見遣る。白黒のケットシーが、泣きそうな顔で頷いた。
《あの子だわ…!》
「──すまない、ここは任せる!」
7番の返事を待たず、俺は石畳を蹴った。「お任せください」という声が背中に届いても、焦燥感が胸中を灼く。
「セラフィナ…!」
身体強化を最大にして、屋根を蹴る。
金色の光は、今もなお夜空を貫いていた。
光の発生源は、街の北、高級住宅街の一角だった。
貴族の屋敷ばかりが集まる区画。家に居る者も多いだろうに、不自然なくらい人の気配がまばらだ。
何故、野次馬がいないのか。理由は簡単だった。
目の前、とある貴族の屋敷の門を、騎士団が封鎖している。
重厚な瓦屋根から街路に飛び降り、俺は狩人の仮面とマントを外した。
「こちらは現在、立ち入り禁止です!」
俺の姿を見て、一番近くにいた若い騎士が声を上げる。騎士は総勢5名。1部隊にしては少ないから、恐らく裏門などを手分けして封鎖しているのだろう。
金色の光はその屋敷の敷地内、古びた石造りの倉庫らしきものから立ち昇っていた。
屋根は消し飛び、窓とドアはただの穴になっている。それでも、誰も近付けない。
この距離でも肌を刺す、すさまじい魔力の気配。肉眼で魔力を視認できる時点でおかしいのだが、それだけでなく、物理的な圧力を伴った暴風が吹き荒れている。──これは、まずい。
騎士たちに近付くと、年嵩の一人があっと声を上げた。
「ルーカス様!?」
「そこを通してくれ。中に用がある」
抑えた声で告げると、騎士たちの顔色が変わった。
「いけません、危険です!」
真剣な顔で首を横に振る騎士の言葉は、確かに正しい。
だが。
「──いいからどけ!」
俺はその騎士の胸倉を掴み上げた。
「セラフィナが、中にいるんだろう! 俺の婚約者を見殺しにする気か!!」




