第十七話
「終わ...った...?」
京香が靄を両断した後、男ーー父が倒れ込み、その場は一転して、平静を取り戻していた。尤も、車は疎に燃え上がっていたり、人々は健也達の他に一人だっていないが、先程のような危機は過ぎ去っていた。
「終わったわ」
思ったよりも軽い調子で、京香はいった。
「あなたのお父さんも、取り戻すことが出来た」
「...ぁ」
京香が見下ろす視線の先に、父が倒れ込んでいた。
「....」
不思議なことだ。こうして父を取り戻して、命の危機を乗り越えて、殆ど上手くいった筈なのに、あまり喜ぶ気にはなれなかった。
自分が喜んでしまうと、京香があまりにも、哀しくなってしまいそうだったから。いらない感情だ。同情なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
ただ、喜べなかった。
◯
「時間になった。行ってこい。健也」
「は、はい」
病院の駐車場に車を止めてその時を待っていると、岩野真が健也を促した。
健也は車をすり抜けて、病院の前に立つ。意を決すると、やがてエントランスに入り、それから、エレベーター、そして、健也の身体がある部屋へとすり抜けていく。
そこには、健也の身体の横に、丸椅子に座っている女性の姿があった。
「今日、仕事で失敗しちゃって、怒られちゃったわ」
女性は健也に話しかけながら、笑顔で、目を瞑っている。
「まあ、忘れ物しちゃっただけなんだけど、何だかショックでねぇ」
女性の目の下のクマは、濃い。
「きっと、一人だから。寂しくなったのかもねぇ」
健也は健也目掛けて走った、走ってしまった。走らなくてもいい距離だったし、意味はないが、少しでも早く、自分が生きていることを伝えたかったのだ。
「いつか。目が覚めてーーー」
女性ーー母は、目を見張った。
何故なら、当然だろう。約五年間、目が覚めなかった息子が、今、ここで、起き上がったのだ。
「ただいば」
勢いのままに口を開けば、情けなく噛んでしまった。久々の実体だ。たとえ自分の体といえど、口を動かすには慣れが必要なのだ。
そんな健也を、母は瞠目し、放心している。
おかえり。
結局この日は、その一言を言えずじまいだった。代わりに瞳からは滴が溢れ出している。
健也の帰りを、心から望んでいた証拠だった。
◯
それからは、実体の生活が再開した。健也は元の体に戻ることが出来て、京香も、父と決別出来た。みぞれも、何だか前より明るくなった気がする。岩野真が少し喜んでいた。
岩野真に、あんなことが起きた理由を聞いてみた。
ポルターガイスト。通常はさして害もない、少し物が動くだけの現象。それが何故災害とも呼べるような代物になってしまったのか。
健也には、いくら考えたって分かるはずもなかった。
何故ならば、これは帷家の宿命とも言えるものだったから。
「京香が言った通り、霊力を込めた人間同士を掛け合わせ生まれたのが、儂等のような人間じゃ。それは代を連れてより強い霊力を秘めた人間を産むということ。つまり、帷家の霊力は、ある一定の水準を超えてしまった」
「...?」
「配合過多じゃよ」
その一言で、岩野真の言わんとしていることがなんとなく分かってきた。
「帷の家系は、一千年などでは済まされない程に歴史がある。岩野真や他の名家とは比べ物にならん程に。この歴史が連綿と今世まで続いてきた結果、帷は人間に備わってはならないものを手に入れた」
「それが、あの力だと..?」
「現段階では、我々の結論でしかない。じゃが、儂等にも関係のある事柄な以上、これは由々しき事体」
子供は気にするな。そう言って、岩野真は健也の頭に手を置いた。健也はその手の大きさに安堵しながら、とある男を思い出していた。
駐車場で、将真を焚き付けた男。あの男は一体誰だったのだろうかと。
「健也くん」
と、そこで、ドアが開いた。開いた先には、京香、それと、みぞれがいた。
「身体は大丈夫?」
「はい。もう割と。後は、リハビリとかなんやら」
そう、といって、京香は息を吐いた。なにやら、何か言いたげな様子だ。
「実を言うと、私、怖かったのよ」
そりゃあ、そうだろう。怖い筈だ。あんな体験をして、怖くない方が珍しい。かくいう健也だって、今思い返せば身の毛がよだつ程だ。もうあんな思いは、絶対にしたくない。
「お父さんを祓うって、本当は覚悟が決まっていなくて、だから、時間伸ばしをしたくて、あなたを先に助けることにした」
覚悟が欲しかったの。と言って、京香は遂に健也に顔を向けた。
「いや、僕だってーー」
「良い。言わせて」
京香は掌を健也に向けて、健也の言葉を遮った。
それから、憑き物が晴れたような顔で、健也にいった。
「ありがとう。あなたのお陰。感謝してる」
その笑顔は、とびきり、可愛かった。




