村に招かれた者
明るい陽の光が天より絶え間なく降り注ぐ。
最近では近寄ることの無かった森の入り口に、今は数人の村人達が集まっていた。
平和を約束する筈である太陽の下に佇む人間共の顔は、地獄の入り口を覗いている様な色をなしている。
皆が見下ろす先には、横たわる中年男の死体。
深く裂けた喉の傷が陽光に照らし出されて、他の犠牲者よりも生々しく見えた。
「何で、昼間に吸血鬼が…!」
地面には擦った跡が延々と続いている。
この犠牲者、ジョンという農夫が村からこの森まで引きずり込まれたものであろう。
畑に向かおうと村はずれを歩いていて襲われたと思われる。
辺りには鍬やら背負いカゴが散乱している。
今回は襲われた現場こそ目撃されなかったものの、犠牲者の悲鳴と獣のような唸り声を聞いた者がいた。
「あれは、人間のものの声じゃない。野犬なんかでもない、悪魔のような咆哮だったわ」
そう証言した女は恐怖の余り顔を覆った。
今までの犠牲者は全て、日が沈んでから襲われていた。
だから、逆に言えば日中だけは安全な筈だったのだ。
吸血鬼は生命溢れる太陽の光の下を歩けないのだから。
その安心も破られた。
昼間に闊歩する吸血鬼――!!
戦慄せずにいられなかった。
古来よりの伝承に当てはまらない化け物が、よりにもよってこの森に棲み着いているとは!
だが、村人を安心させる材料は、それでもまだ一つだけあった。
今日中に、吸血鬼退治の専門家がやってくるのだ…!
太陽が西の空を赤く燃やし終えた頃、ひときわ重装備な馬車が村長の家の前に停車した。
御者台までしっかりと鉄で覆い、辺境の村ではお目にかかれない大きくて毛並みの立派な栗毛の馬にも鉄甲がかぶせてある。
その周りを、村人達が夕餉の支度もせずに遠巻きに囲む。
黒づくめの御者が馬車の扉をうやうやしく開き、中からほっそりとした人影が現れると、ざわめきが一層大きくなった。
「女…?」
「しかも若いぜ」
現れたのは、青みがかった長い髪をきっちりと後頭部で結い上げた若い女だった。
美しい顔立ちは、荒くれ者のハンターと言うよりは旅の踊り子の方が遙かに似合っている気がする。
だが、見る者にきつい感じを与える鋭い目は、意志と気の強さを感じさせる。
そして、胸にはバンパイアハンターの必需品、銀の十字架が揺れていた。
娘――エマ=ドルジュという名前のハンターは、自分を見つめている村人達に嫣然とした笑いを見せて、村長宅の門をくぐっていった。
「あれが、村長さんが雇ったっつう吸血鬼ハンター…?」
「あんな娘っこが吸血鬼を退治なんて出来るもんかね」
そんな会話があちこちで飛び交う。
だが、もはや村が依るべきものはこれしかないのだ。
人垣の一番後ろで、ラルクも目立たぬ様にその娘を観察していた。
ラルク自身、何度か吸血鬼ハンターに襲われては撃退してきた経験上、ある程度の情報は知っている。
エマというハンターの名前は、どこかで耳にした。
確か、特殊な術を使うことが出来る……と。
そのラルクの肩をぽんと叩いた者がいた。
振り向くと、見覚えのある若い顔が照れ笑いを浮かべて立っていた。
「よかった、まだ村にいたんだな」
そう言って頭をかいた。
「昨夜はありがとう。俺、あの後気絶しちまったらしいな。家まで送ってくれたの、あんただろう?」
昨夜はハリスを眠らせた後、リュションの遺体とハリスを、村の中で一番大きな家の前に置いてきたのだ。
その後、ラルクは森の奥深くで昼の眠りを過ごした。
昨夜リュションが犠牲になったこともあり、もはや誰一人森に入ろうとする者はいなかったので久しぶりに熟睡できた。
が、例の吸血鬼も結局ラルクの前に姿を現す事は無かった。
「全く、情けないよな。親父には銃を持ち出したことでこっぴどく怒られるし」
ハリスはそこで一旦声を切った。
「リュションは守れなかったし…」
ハリスの暗く沈んだ目を見て、ラルクはふっと昔の光景を思い出した。
柔らかい温もり
初めて知った感情
守りたくて、守れなかった……
「なあ、あのハンターどう思う?」
ハリスの声で、ラルクは回想を打ちきった。
「そうだな…。あの若さで、男でも数少ない吸血鬼ハンターとは珍しい」
魔物の中でも高等な吸血鬼と向かい合う仕事なのだ。生半可な人間では即刻天国行きだ。
生命力、知力、戦闘力はもちろんのこと、自分の親や愛する恋人にすら躊躇せずに胸に杭を打ち込めるくらいの精神力がなければ、耐えられない。
生きて拍動している心臓に太い白木の杭を鎚で打ち込むと、凄まじい悲鳴と鮮血が吹き出し、ハンターの全身を朱に染める。
そんな所業を、常人が耐え続けられる訳がないのだ。
数を重ねる内に発狂するケースは珍しくない。
職業と割り切れる冷徹さを持つ者だけが、真の吸血鬼ハンターと呼ばれる。
エマという娘は、年の頃は23・4くらいであろう。
そんな娘が、歴戦のハンターとは…。
しかし、エマの身のこなしは軽やかで隙が無く、平凡な一般人で無いことだけは間違いない。
そうこうしている内に、再び村長宅の扉が開き、でっぷりと太った貫禄ある中年男がハンターを伴って姿を現した。
ハリスがその姿を見て、小さく舌打ちした。
昨夜、リュションを助けに行くと言いだした時、何も手助けしてくれなかった父親の事を根に持っているのかも知れない。
「皆の者!本日、念願のハンターが到着した」
村人達のざわめきが大きくなる。
「この方は若いながらも歴戦の勇者であり、必ずやこの村を脅かす悪鬼を退治してくれるであろう」
男にしては妙に甲高い声が響き、割れるような歓声と拍手が後に続いた。
それに手を挙げて応えていたエマが、はっとラルクに目をとめた。
ラルクも彼女を見た。
数メートルを隔てて見つめ合った男女は、エマの方から目を逸らして、何事もなかったかの様に再び周囲に笑顔を見せた。
傍らのハリスは壇上の父親を視界に入れたくないのかそっぽを向いていてその様子に気付かなかった。
(ここまでか)
吸血鬼ハンターという輩には独特の嗅覚があり、吸血鬼を見つける事に秀でる者が多い。
この娘も恐らくラルクのことを見抜いた。
まぁ、それでなくてもラルクの美貌は嫌でも目立つものだが。
(…やはりハンターと一緒の村にいるのはぞっとしないな)
討たれる気は全く無いが、無駄ないざこざは避けたい。今からでも村を出た方が良さそうだ。
この村の吸血鬼がどんなやつだったのかは気になるが…。
ラルクが考え込んでいると、ハリスが話しかけてきた。
「そういえば、今朝の話は知ってるかい?」
「…いいや。何かあったのか?」
「俺、昼間、さんざんあんたのこと捜してたんだぜ」
とふくれっ面を見せてから、
「あの森の吸血鬼野郎が、昼間に出たんだよ」
と吐き捨てた。
「ほう…」
太陽の光を浴びて平気な吸血鬼など聞いたことがない。
それは吸血鬼の犠牲者でも同様だ。
ラルクですら陽光を浴びれば無傷ではいられない。
魔に属する者は大抵陽光を嫌うが、一部では平気なものもいる。
もし、村を襲っているのが吸血鬼だとして、強いて可能性があるなら、ダムピール――吸血鬼と人間の混血児くらいのものだが。
「何で、この村があんなに怯えるか、知ってるかい?そりゃ、何人も殺されてることもあるんだけど…」
そう前置きして、ハリスは村人の恐怖の根元を話し出した。
昔、あの森には実際に吸血鬼が棲みついていたのだ。
そいつは下僕を徘徊させ非道の限りを尽くし、村には生贄を差し出す様に命じていた。
この村に立ち寄った吸血鬼ハンターと死闘の末に倒されたが、下僕の屍鬼達は何匹か生き残り、暫くの間村を苦しめたが、そいつらもじきに消えていった……。
「だから、今回のやつは復活した吸血鬼か、生き残りの屍鬼じゃないかって噂なのさ」
それでラルクにはあの森の気配が納得いった。
消えそうな薄い同族の妖気。あれは過去の残滓なのか。
だが、それなら、今跳梁している吸血鬼は…?
本当に吸血鬼が復活したのなら、あんな妖気では済まない。
しかし、屍鬼にしては……あの気配は、違う。
あれは同族のものだった。
「もう、みんなそんな話をすっかり忘れてた。俺だって最近まで知らなかったよ。だけど、最初の犠牲者が出たとき、年寄り達が騒ぎ出してね…」
今、ここにもうひとり吸血鬼がいると知ったら、ハリスはどんな顔をするだろう。
「吸血鬼だぁ!」
演説が終わって解散しようとした時、血塗れの男が一人、叫びながら村長の前に転がり込んできた。
「ジムがやられた…。ありゃあ、化けもんだ……」
そう言って、男は地面にばたりと倒れ込んだ。
手で抑えた首元からどくどくと溢れる血が、みるみる血溜まりを作る。
村人達は騒然とし、彼の手当てどころか蜘蛛の子を散らす様にそれぞれの家へ駆け戻ってしまった。
村長は血相を変えて、傍らのハンターを振り返って叫んだ。
「来たばかりだが、頼むぞ!」
エマは頷くと、黒々とした森へ御者を伴い颯爽と向かっていった。
「ほう…」
その行動が、ラルクには意外だった。
村長に懇願されたせいもあるだろうが、日没後に吸血鬼退治に向かうとは……。
吸血鬼ハンターが狩りを行うのは、早朝から日没までが常套であり絶対の条件。
陽光がある間に吸血鬼の棺を見つけだし、眠る肉体の心臓に白木の杭を打ち込む。
太陽を味方に付けられない夜に、人間ごときが夜の王たる吸血鬼に真っ向から立ち向かえるわけもない。
過去、日没に間に合わず血の洗礼を受けたハンターは数知れず。
陽光こそが吸血鬼を畏れさせ完膚無きまでに滅ぼすことが出来る。
ニンニクや十字架は悪鬼を退けはするものの、滅ぼすまでには至らないのだ。
この若きハンターは、それを補う能力を持っているのか、それとも若い外見通りただ浅はかなだけか…。
ハリスがラルクのコートの裾をくいくいと引っ張っていた。
「行こうぜ!あの女だけじゃ心配だよ!!」
ラルクは頷き、森に足を向けた。
あのハンターが返り討ちに遭おうがどうなろうが興味は無いが、やはり吸血鬼の正体だけは見ておきたかったのだ。
森の入り口に男達の人だかりが出来ていた。
「はい、ごめんよ」
ハリスが先頭に立ってぐいぐいと人垣に割り込んでいく。
「うっ…」
そこには、何かを引きずった跡と、どす黒く変色した地面があった。
血の臭いは夜気に流されてもう殆どしない。
だが、村人達は今にも吐きそうな顔をしていた。
妻や子供を家に避難させハンターの支援をせんと駆け付けた勇敢な男達はそれぞれ銃や棍棒などで武装はしているものの、今、吸血鬼が現れても戦う気力もないだろう。
「呪いだ……」
「みんな、殺されていく…」
呻くような声があちこちで挙がる。
「ハンターはどうしたんだよ?!」
ハリスの声に、死んだ様な顔色の男が地面の跡を指さした。
「こいつを追って、森の中に入ってったよ。あんな娘っこが、化け物を倒せる訳がねえ…」
男の言葉を最後まで聞かず、ラルクはコートの裾を翻した。
躊躇もせずに森の中に入っていく。
「待ってくれよ!」
ハリスは手近な男の手からランプをもぎ取ると、慌ててラルクの後を追った。
危険だと止める者もなく、そこにいた村人達は世にも美しい旅人と、少年の後ろ姿が木々の間に隠れるまで眺めやるだけだった。