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五話 敬語にしないで

放課後。


私はいつもの空き教室へ向かっていた。

この教室へ来るのも、もう五日目。

少し前までは緊張しながら扉を開けていたのに、今日は自然と足が動いていた。

「失礼しま――」

「あっ」

途中で気づく。


そういえば、毎回これを言って笑われるんだった。

少し恥ずかしくなりながら教室へ入ると、星奈さんがこちらを見て微笑んだ。

「今日は最後まで言わなかったね」

「……覚えてました」

「えらいえらい」


子どもを褒めるような言い方に、思わず頬を膨らませる。

「子どもじゃないです」

「ふふ、ごめん」

また笑った。

最近の星奈さんは、本当によく笑う。


初めて会った日の静かな印象は変わらないけれど、私の前では少しだけ表情が柔らかくなっている気がした。

「じゃあ今日も始めようか」

「はい!」

机を寄せ、ノートを開く。

今日は昨日よりも難しい問題。


最初は戸惑ったけれど、星奈が隣で見守ってくれていると思うと、不思議と焦らなかった。

「……えっと、まず移項して」

「うん」

「それから割る……」

鉛筆を動かす。

最後まで計算して、恐る恐るノートを差し出した。


「どうですか……?」

星奈は少しだけ目を細めて答えを見る。

「……正解」

「やった!」

思わず両手で小さくガッツポーズをした。


「もう一人でも解けるようになってきたね」

「えへへ……」

褒められると嬉しい。

数学が嫌いなのは変わらない。


でも、『できた』と言ってもらえることが、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。

勉強が一段落すると、少しだけ沈黙が流れる。

窓の外では運動部の掛け声が聞こえていた。


「陽葵って」

星奈さんが静かに口を開く。

「友達にも、敬語なの?」

「え?」


「さっき廊下で会った子にも『おはようございます』って言ってたから」

「あっ……」

見られてたんだ。

「癖なんです」

「そうなんだ」

「親しい人には少し崩れるんですけど……最初はどうしても敬語になっちゃって」

「なるほど」

星奈さんは少し考えるように頷いた。


そして、少しだけいたずらっぽく笑う。

「じゃあ、一つお願いしてもいい?」

「はい?」

「私のこと、敬語じゃなくて話してみない?」

「えぇ!?」

思わず大きな声が出てしまう。

「む、無理だよ!」

「あ」

私も星奈さんも同時に固まる。


今……。

「敬語じゃなかったね」

「……!」

顔が一気に熱くなる。

「ち、違っ……!」

「今のほうが自然だったよ」

星奈さんはくすくす笑っている。

「『無理だよ』って」

「わ、忘れてください……!」

恥ずかしすぎる。


机に突っ伏したくなる。(一度したことある)

そんな私を見ながら、星奈は優しく言った。

「無理に変えなくてもいいよ」

「でも、少しずつでいいからさ」

「友達になれたら嬉しいな」


その一言に、胸がどきりと鳴った。

友達。

星奈さんが、私と。

「……うん」

気づけば、自然と頷いていた。

「よろしくね、陽葵」


名前を呼ばれる。

それだけなのに、胸が温かくなる。

私は少し照れながら、小さく笑った。

「……よろしく、星奈」


初めて、呼び捨てで名前を呼んだ。

たった二文字。

それだけなのに。

二人の距離が、昨日よりほんの少しだけ近づいた気がした。

次は作品の情報を投稿しようかと。

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