324話〜本当に特区の男か?〜
面倒は見ない。それがいやなら帰れ。
そう言った大野さんは、もう片方の手で掴んでいた物をグイッと蔵人の胸に押し付けて来た。
それは…。
「良いか?天才少年。ここに来た以上は、てめぇのことはてめぇでやれ。掃除、洗濯、炊事、状況次第では買い出しもだ。何でもかんでも、使用人がやってくれた生活はここにはねぇ。口開けてるだけのひな鳥は要らねぇんだ。ここに居てぇなら戦え。分かったか?」
「はいっ!」
「分かったなら、てめぇが散らかした玄関の掃除をしろ!」
「はいっ!」
蔵人が返事をして雑巾を受け取ると、大野さんは「ふんっ」と鼻息を一つ飛ばし、廊下の向こうへと消えていった。
さて、やるか。
蔵人は雑巾を片手に握り、玄関を振り返る。
戦い方に配慮したので、大きく損傷している所はない。だが、至る所に泥汚れが散らばり、靴棚や土間の端に置いていた調度品が倒れたり、転がったりしている。
広い玄関だから、掃除が必要な部分も広くなっていた。
これは、雑巾1枚でチマチマやってられないな。
「大野さん」
蔵人は振り返り、ドアの裏でこっそりこちらを見ていた大野さんに声を掛ける。
隠れているつもりだったのだろう。呼ばれた大野さんは、苦い顔で廊下へ出て来て「なんだっ!」と怒った風な声を張り上げた。
照れ隠しか?
「済みません。雑巾をもっとお借りできないでしょうか?」
「あぁあっ!?」
だみ声で凄む大野さん。
だが、直ぐにリビングへと戻り、その手に雑巾を何枚か持ってこちらへ来た。
「ほらよ。無駄遣いしたらその分、弁償してもらうからな?」
「了解しました」
という事で、蔵人はお掃除を再開する。
雑巾を片手に、その他の雑巾を盾に挟んで床や壁、天井に至るまで拭き上げる。
広い玄関でも、10人分の労働力となる盾達によって、物の数分で綺麗に磨き上げることが出来た。
うむ。やはりこの能力は便利だ。
「流石です。蔵人様」
蔵人が玄関の仕上がりに満足していると、いつの間にか玄関の前に立っていた橙子さんが、無表情ながら感情の籠った言葉を掛けてくれた。
いえいえ。この程度は朝飯前ですよ。
「帰ったか、橙子。誰かに付けられたりしてねぇだろうな?」
大野さんが少し優しい声で問うと、橙子さんはビシッと敬礼を返す。
「はっ!任務中に接近を試みた者は、巻島家当主とその護衛、使用人、それと近所の猫のみでありますっ!」
「おう、分かった。じゃあ、こいつの変装を解け。俺のを掛け直す」
「了解しましたっ!」
橙子さんの魔力が薄くなると、その上から大野さんの魔力が覆いかぶさるように包み込んで来た。
その途端、蔵人の体に変化が現れる。自慢の黒髪は白銀色に染まり、手は枯れ木の様に水分を失って骨ばる。丸みを帯びていた体も弱弱しい細身となった。
靴箱の横にあった姿見で見てみると、60代くらいの初老のお爺さんが、興味深気にこちらを見返していた。
凄いな。面影は残しつつも、本当に老化させたみたいだ。これが、大野さんの力。
「まぁ、こんなもんだろ。おい!お前、早く付いてこい。何時までもジジイの顔で女装してんじゃねえ」
「はいっ」
蔵人は大野さんの後ろを付いて行き、2階にある彼の私室と思わしき部屋へ通される。
そこで、シャツと高級そうなスーツを渡される。
「これぐらいが、無難な色か。そいつはお前にやる。まだ殆ど着てねぇからな。制服みてぇなもんだと思え」
「ありがとうございます」
蔵人がお礼を言うと、大野さんはうるさそうに手を振る。
「口調も変えろ。ここでのお前は巻島蔵人じゃねぇ。それと、名前も偽名にしてもらう。何か呼ばれたい名前があればそれにしてやるが、なるべく愛着があったり、自分の名前に近いもんにしろ。咄嗟に呼ばれてもすぐ反応しねぇとダメだからなぁ。ねぇんだったら、俺が適当に付けてやる」
「(低音)では、黒戸でお願い出来ますかな?」
盾で渋めの声を出すと、大野さんは「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「本当に、盾で声を変えるとはなぁ。器用な奴だよ、てめぇ…いや、黒戸爺さんはよ」
「(低音)恐縮です」
大野さんが褒めてくれたので、蔵人は恭しく一礼をする。
そして、試着をし終えた頃に、階下で「ただいま」という声が聞こえた。
「ああ、ガキどもが戻ったか。丁度いい。行くぞ、爺さん。あいつらと顔合わせだ」
「(低音)承知しました」
蔵人達が1階への階段を降りていると、丁度、蔵人達の目の前を3人の女の子が通り過ぎて行った。
大野さんが声を上げて、3人を止めた。
「おいっ、お前ら。ちょっと待て」
「えっ?なになに?寮長さん」
一番後ろを歩いていた女の子がその場で止まり、くりくりの大きな目をこちらに向ける。
栗毛の長い髪をサイドテールにした小さな女の子だ。言動や身長から、小学生か中学生辺りであろう。
その女の子の後ろで止まった2人の女性も、ゆっくりとこちらを振り返る。
1人は、明るい茶髪を背中まで伸ばした女性。学校の制服らしきものを着ているから、高校生だろう。大野さんとこちらに、冷めた目を向けていた。
「なによ?大野さん。私達今から、学校とバイトの課題をやらないといけないんだけど?」
「ちょっとだって言ってんだろ。寮長の指示は黙って聞きやがれ」
「了解でーす。寮長どの~」
大野さんの凄味にも動じず、茶髪の娘はナメ腐った態度で返答する。
それに、大野さんも「ちっ」と大きな舌打ちをしながら、蔵人の方を親指で示す。
「この前、柏木からも話があったと思うが、今日からこの音切荘に新たな仲間が加わる。家政夫の黒戸だ。ほら爺さん、挨拶だ」
「(低音)黒戸と申します。皆様、宜しくお願い致します」
蔵人が挨拶すると、3者は3様の反応を返してくる。
茶髪の娘は目を細め、「うげぇ」という声が聞こえてきそうな苦い顔をする。
小さな女の子は、興味深げに蔵人を見上げて、そのキラキラした瞳で見回してくる。
そして最後の1人、茶髪の娘と同じ高校の制服に身を包んだ彼女は、切れ長な目を一瞬こちらに向けただけで、直ぐに背中を向けてしまった。ベリーショートの黒髪は、毛先だけが白く染まっている。
エアロキネシスだろうか?剣聖さんを思い出す髪色だ。
随分と熱烈な歓迎だな。
蔵人が奥の2人に視線を送っていると、手前の小さな女の子が、その視線を遮るように手を挙げる。
「はいっ、はいっ!私は美来。菊池美来だよ。よろしくね、黒戸お爺ちゃん」
「(低音)はい。宜しくお願いします、菊池さん」
「美来で良いよ~」
笑顔でそう言ってくれる美来さんだが、目だけは笑っていない。真剣なまなざしで、こちらを見透かそうとしている。
安直だが、彼女の名前からしてプロディクションの異能力者なのかも。だとしたら、俺の未来を見ようとしているのかな?
お互いに笑顔の睨み合いを続けていると、美来さんの後ろから、ため息が漏れ聞こえた。
「はぁ。恵美よ。言っとくけど、家政夫だからって好き勝手歩き回らないでよね。と・く・に!勝手に私の部屋に入ったりしたら、男性だからって容赦しないから」
恵美さんの目は本気だ。本気で、部屋に入られるのを嫌がっているみたいだ。
元々、女性の部屋に無断で入ろうとは思っていなかったが、家政夫だから入らざるお得ない場面も出てくるかもしれない。例えば、大野さんから指示された時とかね。
だが、恵美さんがしっかりと意思表示してくれたから、それはきっぱりと断ろう。
蔵人は心に決めて、しっかりと頷く。
「(低音)承知しました、恵美さん」
「はぁ。どうだか」
全く信用ならないと言いたげに、恵美さんはため息を吐いて肩をすくめた。
と、そんな蔵人の横で、大野さんが吠えた。
「おいっ!レオ。何処に行く気だ?まだ顔合わせ終わってねぇだろうが!」
彼の視線を追うと、こちらに背を向けて、今まさに廊下の向こうへ去ろうとしていた少女の姿があった。
彼女は面倒くさそうに振り向き、半分だけ開いた眠たげな眼をこちらに向ける。
「めんどくせぇ。どうせその爺さん、Cランクだろ?」
「(低音)はい。私はCランクです」
「ほらな。男のCランクなんて根性無しは、また直ぐに辞めちまうだろうよ。顔合わせなんて時間の無駄無駄」
そう言いながら、大きな欠伸をかますレオさん。
それに、美来ちゃんが噛みつく。
「レオ。それは聞き捨てならないよ?男の人でも、強い人はいるんだから。この前の全日本見たでしょ?」
「ああ、黒騎士だっけ?確かに、あれは強そうだったな。あれくらい強い奴の命令なら、俺は幾らでも従ってやるよ。そんなのが俺らの目の前に来たら、だけどな」
「もぉ~。またそんな無茶言って」
「うるせぇ。俺は寝る」
レオさんは後頭部を搔きながら、廊下の向こうへと行ってしまった。
その後ろを、2人が慌てて追いかけて行く。
なんと言うか、個性的な娘達であった。
蔵人が、彼女達の去っていった方を見詰めていると、大野さんが笑いを堪えながら話しかけてきた。
「よぉ。どうだ?うちの悪ガキどもはよぉ。なかなかにイラつかせてくれんだろ?あぁん?」
「(低音)とんでもない。元気があって可愛らしい娘達じゃないですか」
蔵人が微笑みながら返すと、大野さんは訝しそうに蔵人を睨み付ける。
「てめぇ、本当に特区の男か?」
「(低音)ええ。今は特区に住んでいますし、ちゃんと付いてもおりますよ。それとも、女性に対しての態度を問うておいででしょうか?」
大野さんの質問が、女性を怖がらない事を指していると思った蔵人。
だが、大野さんは首を振って、少し気落ちした様子で「着いてこい」と蔵人を手招きする。
彼に連れてこられたのは…キッチンだ。
「今から夕飯の仕込みをする。お前にも働いてもらうが…何が出来る?野菜は洗えるか?包丁を使った経験は?」
「(低音)一般的な料理技術はそれなりに出来るかと」
「あぁん?嘘じゃねぇだろうな?だったら、人参をいちょう切りにしてみろ。厚さは1cmだ」
「(低音)承知しました」
蔵人は手早く命令を遂行する。
人参を洗い、皮を剥き、いちょう切りにしていく。
全てを切り終えると、次は玉ねぎを渡されて、それをくし切りにする様にと指示を受ける。
それが終わると、また次の指示が飛ぶ。
「次はタマネギのみじん切りだ。出来るか?」
「(低音)お任せ下さい」
「ジャガイモはどうだ?任せていいか?」
「(低音)ご安心を。しっかりと芽は取り除きます」
「爺さん、ハンバーグのタネ作りも頼む」
「(低音)玉ねぎの他に、豆腐を入れてもよろしいでしょうか?」
「少しにしてくれ。肉が少ないとレオがへそ曲げる」
「(低音)大豆も畑のお肉なんですがねぇ」
「舌がガキなんだよ。合わせてやってくれ」
「(低音)承知しました。では、ソースにバターを入れてコクを出しましょうか」
「ああ、そいつは良いアクセントだ。きっとあいつら、豆腐入ってんの気付かねぇぞ」
「(低音)それは楽しみですね」
「くっかっか。良い趣味してるぜ、あんた」
夕飯の準備を進めている内に、大野さんと息が合うようになってきた。最初はツンケンしていた彼だが、段々と口調も穏やかになりつつある。
人見知りなのか、はたまたこちらを警戒していたのか。
思えば、特区の男性と言えば、甘やかされて生きてきた人が多い。そんな奴が仮初の家政夫とはいえ、同じ家で働くことになるのだ。そんなヤバい奴が入る前に、テストして弾きたいと思うのは仕方がないだろう。
見てくれで忘れそうになるが、ここは特殊部隊の宿舎なのだ。働かなければ追い出される。当たり前の摂理である。
「よぉし。取り敢えずはまぁ、こんなもんだな。爺さん、配膳を頼む。俺はガキどもを招集するからよぉ」
「(低音)承知しました。お願いします」
「おう」
蔵人は、リビングの中央に設置された長机の上を拭き、料理を並べて椅子の配置を整える。
今日の夕飯はハンバーグとポトフだ。副菜には野菜の盛り合わせも用意して、とてもバランスの良い食事となっている。色合いも良いし、もしかしたら大野さんは、管理栄養士等の資格をお持ちなのかもしれない。
「わぁあ!ハンバーグだぁ!」
蔵人が並べられた料理の様子に満足していると、リビング入口でそんな声が上がり、次いでパタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえた。
美来ちゃんだ。
彼女の後ろからは 、他の3人娘と大野さんが続く。
眠そうにしていたレオさんも、目を光らせる。
「へぇ。良いじゃねえか。肉が食いたかったんだよ、肉」
「う〜ん。私はなぁ…ダイエット中なんだけどなぁ…」
逆に、恵美さんは顔を強ばらせてお腹に手を当てる。
そんなに細身なのに、体重が気になるのだろうか?彼女の胸部装甲は海麗先輩並なので、きっとそいつのせいだと思うのだが。
立ち止まる恵美さんの後ろから、大野さんのだみ声が彼女の背中を押す。
「ほら、文句言ってねぇでとっとと座れ。今日は俺と黒戸爺さんの力作だ。しっかりと味わえよ」
「えっ!この人も手を出してるの?大丈夫でしょうね?指とか髪の毛とか入ってない?生焼けのハンバーグだったりしないでしょうね?」
蔵人の手も加わっていると聞いた瞬間、恵美さんが凄く嫌そうな顔をした。
うん。やはり特区の男性に対して、不信感を抱いているみたいだ。高ランク男子は希少だからと過剰に甘やかす女性がいる一方、彼女の様に厳しい目を向ける人もいる。
いや、厳しい訳じゃない。実際、甘やかされてばかりの男性では、常に努力している女性達には敵わないのだから。彼女の目は、冷静に人間を見ていると言って良いだろう。
蔵人は恵美さんを真っ直ぐに見て、ゆっくりと頷いた。
「(低音)ご安心下さい。調理には細心の注意を払いましたので、一切の不手際はございません。また、調理後は確認もしておりますので、中途半端な品は並べていないとお約束致します」
出来上がったハンバーグは、真ん中を箸で刺して肉汁が出る事を確認済みだ。生焼けなんて出したら食中毒になってしまうからね。蔵人と大野さんのダブルチェックが入っている。
「(低音)それと、もしもお食事のカロリーを気にされているのでしたら、こちらを試して頂けないでしょうか。老いた私でも食べられる様にと、あっさり仕立てにしております」
蔵人はそう言って、恵美さん用にと用意していた皿の後ろに、もう1枚皿を置く。豆腐の混合割合を上げた豆腐ハンバーグだ。ソースも、バターを溶かしていない完全ヘルシーバージョンである。
元々は自分用にと作っていた品だが、恵美さんがこちらを選ぶなら譲ってあげよう。
大丈夫。多めに作ってあるから。
「あっ…えっと…うん。分かった…」
恵美さんは狐につままれたような顔でこちらを見ながら、ゆっくりと席に着く。
そして、席に着くと同時に、大野さんを睨み上げた。
「ちょっと、大野さん!本当にこの人、男の人なんでしょうね?あなたのメタモルフォーゼで、女性を男性に変身させてたりするんじゃないの?何かのドッキリ企画とかで」
「んな事するかよ。黒戸爺さんは正真正銘の男だ。ちゃんと付いてるしな。見てみるか?」
大野さんがニヤニヤしながらそう言うと、恵美さんは顔を真っ赤にする。
「ばっ!何で、そういうデリカシーの無い事言うのよ!あんたのそういうとこ、ホント嫌い!」
「ふんっ。こっちもな、てめぇみたいなガキに好かれようなんざ、1ミリも思ってませんよ〜だぁ」
「ガキじゃないわよ!もう16よ?」
「まだまだガキじゃねぇか」
ああ、食事の前に言い争いを始めてしまったぞ?何処と無く、昔の鈴華と伏見さんを見ている気分だ。
蔵人は、懐かしい気分に鈍い頭痛を思い出しながら、睨み合う2人の間に入る。
「(低音)お2人とも、そこまでにして下さい。折角の食事が冷めてしまいます」
「そーだ!そーだ!」
「喧嘩は後にしろ。腹減ってんだよ、俺は」
席に着いた他の2人からも、援護射撃が加わる。橙子さんも、無言で2人を見詰めている。
それを見て、大野さん達はバツが悪そうに座り直した。
うん。素直でよろしい。
「うん!ハンバーグ美味しい!」
「ポトフも絶品です。黒戸様」
美来ちゃんと橙子さんから、お褒めの言葉を頂いた。レオさんは無言だが、ハンバーグを無我夢中で頬張っている。彼女のその姿だけで、満足しているのが伝わって来る。
食事の前にいざこざはあったが、始まってしまえば、食卓は和やかな空気に包まれていた。
ただ一方、大野さんと恵美さんのラインだけは空気が重い。2人とも自分のお皿ばかり見詰めて、互いに目を合わせないようにしている。
イカンぞ、壁を作っては。
「(低音)恵美さん。豆腐ハンバーグはいかがでしょうか?」
「え?うん。まぁ…普通に…美味しい、です」
照れくさそうに頷く恵美さん。
うんうん。やっぱり恵美さんはツンデレさんだ。大野さんも同じタイプだから、余計に馬が合わないのだろう。
蔵人は笑みを作り、恵美さんに向ける。
「(低音)お口に合って良かった。それは半分が豆腐で出来ていますので、カロリーも普通のハンバーグの半分程なんです」
「へぇ。半分。そうなんだ」
彼女の表情が、幾分か和らぐ。
そこに、蔵人は踏み込む。
「(低音)実はその豆腐ハンバーグ、大野さんから多めに作ってくれとお願いされたんですよ。私は、自分の分だけを作ろうとしていたので、その指示がなかったら今頃、貴女の分は普通のハンバーグになっていました」
「えっと…何が言いたいの?」
「(低音)ああ、回りくどくて済みません。つまり、大野さんは貴女達の事が大切なのです。貴女達の事をしっかりと見て、献立を考えていますから。レオさんには肉が多めの物を。美来さんには、小さくカットされた野菜を。そして、私達にはカロリー控えめな物を」
「おい、爺さん。もう良いだろ」
堪らずに、大野さんが声を上げる。
だが蔵人は、彼に微笑みを向けるだけで話を続ける。
「(低音)皆さんの事を好いているから出来る事です。口先でこう言っていますが、彼の本心ではありませんよ」
「だぁああ!適当な事を言いやがって!」
そう言って、頭を掻きむしる大野さん。
そんな大野さんにも、蔵人は切り込む。
「(低音)大野さんにも分かって頂きたい。彼女達は年頃の淑女なのですから、何時までも子供扱いをされては、自尊心が傷つきます」
「そーだ!そーだ!」
美来ちゃん。援護してくれるのは嬉しいが、君が淑女になるのはもう少し先かもね?
そう思ったのは大野さんも一緒みたいで、抗議する美来ちゃんを見て鼻で笑った。
「ふんっ。何が淑女だ。淑女だったらそれらしく、もっと年上を敬えってんだ」
「なっ、それは大野さんが…」
食って掛かろうとする恵美さんを、蔵人は目で止める。
そして、大野さんに向き直る。
「(低音)先ずは彼女達との接し方を変えて下さい。そうしたらきっと、彼女達も答えてくれますよ」
「爺さんは、こいつらの事を知らねぇからそんな事が言えんだよ」
尚も疑いの目を向けてくる大野さん。
蔵人は力強く頷き、恵美さんの方を手で指し示す。
「(低音)大野さん。常に傍で見ている貴方からしたら、彼女達は若葉に見えるのでしょう。ですが、初めて会った私から見たら、彼女達は今にも花を咲かせようとしている蕾です。折角の蕾に、冷たい風を吹かせては、何時までも花開くことは出来ません。どうか、温かい心で、彼女達の可憐で美しい花が咲くのを見守って頂けないでしょうか?」
保護者という立場で見てしまうと、どうしても子ども扱いをしたくなるのだろう。
だが、何時までも子ども扱いしていると、本当に大人になれなくなってしまう。彼女達はいずれ、軍人になるのだから、余計に気を付けねばならないだろう。
そう思った蔵人に対し、大野さんはため息を吐いた。
「お前もなかなかに、問題児だな」
そう言って、大野さんは机の向こう側を指さす。
そこには、
「きゃー!私にも花が咲いてるって。橙子さん」
「お褒めに預かり、光栄です」
「なっ!何が、美しいよ!そんな恥ずかしいこと、平気で言うなんて…どうかしてるわ!」
頬を染めて喜ぶ美来ちゃんと、無表情でお辞儀してくる橙子さん。そして、顔を赤くしてプイッと横向く恵美さん。
うん。あれだ。
言い過ぎたみたいだ。
悔いる蔵人。
そこに、もう1人の少女が鋭い視線を寄越す。
「へぇ。なかなか面白い爺さんじゃねぇか」
なんか、狙いを付けられた気がするぞ?
5人からの視線に、蔵人は苦い笑いを返すしかなかった。
音切荘の愉快な仲間達と、親睦を深められたのは良い事ですけれど…。
「あ奴の悪い面が出たな」
お爺さんになって、気が緩んでいたんでしょうか?