My sweet honey - side yellow roses -
────これは学園へ入学する少し前のお話。
今日もローザ様のもとへ伺い、お茶の時間を共にしている。
楽しそうに語るカナリアの話に、僕らは耳を傾けていた。
「ローザ様もご存知の通り、カーマイン様の人気は凄まじいものですわ。
赤薔薇家嫡男としての気品と誇り高さからなるあの圧倒的な存在感────」
…………また始まった。
カナリアの話は周知の事実といったものから、
一体どこから仕入れてきたのかと情報経路を辿りたくなる話まで多岐にわたる。
学園の噂。
騎士団の動向。
──時には、まだ公式に発表されていないような話まで。
「真面目で努力家なお方ですので、一見近づき難いと思われがちですが、困っている方には誰であろうと手を差し伸べるお優しさもお持ちで────」
すごいな……。
カナリアの背後に、無いはずの黒板が見える。
……しかも手には指示棒だ。
「勿論、成績は常に首席。先日行われた剣術大会でも、圧倒的な実力差で見事優勝なさったそうですわ!」
カナリアは得意げに胸を張ると、さらに続けた。
「試合直後、皆がカーマイン様への称賛に走る一方、カーマイン様はそのような称賛に目もくれず、対戦相手の方と熱い握手を交わし、その方の剣技に対して敬意を示していたそうですわ。
そんなお人柄のカーマイン様ですので、男女問わず、常に尊敬と憧れの的になるのも至極当然のことと言えますわね」
本当に、すごい人だと思う。
赤薔薇家の嫡男。
剣術大会優勝。
誰からも尊敬される存在。
………あれ?
胸の奥に感じた、ほんの僅かな騒めき。
ここまでを一息に語り上げ、満足げに頷いたカナリアは、間髪入れず次の話題へ移っていく。
その勢いに押し流されるようにして、先ほど感じた微かな違和感は、一瞬にして霧散してしまった。
「そして続いては、青薔薇家のブル・アシード様ですわ!」
勢いよくそう言うと、カナリアはテーブルに指先をのせ、ずいっと身を乗り出した。
「アシード様といえば、現当主であられるお母様譲りの深い海を思わせるブルーの髪。
そして、どこか儚さを秘めた神秘的なアメジスト色の瞳で────」
語るほどに、カナリアの声はますます熱を帯びていく。
何処かうっとりとした面持ちで空を仰ぐように目を閉じながら話す姿は、さながら舞台女優のようだな…なんて。
「青薔薇騎士団専用の水用甲冑を纏い海を泳ぐお姿は、まるで地上に舞い降りた、人魚の国の王子様だと言われておりますの!」
カナリアは誇らしげに胸を張ると、密やかに秘密ごとを共有するように僅かに声を落とし、頬をほんのりと染めた。
「共に学園の生徒会役員でもあられるお二人のご関係は、生徒達の間でもとても好評で────
時折、カーマイン様がアシード様にだけお見せになる微笑みは、満開の薔薇ですら引け目を感じて恥じらうほどだと言われておりますわ…!」
意気揚々と終始楽しそうに話すカナリア、それに反して再びふわりと忍び寄る仄暗い騒めき。
この場の空気が、今の自分には眩しく感じて、知らず知らずのうちに膝の上に握っていたこぶしをじっと見つめてしまう。
彼らと自分の差を、まざまざと突き付けられたように感じたからなのか。
年長者に対する羨望だけではない、どこか重たいものが腹の奥に落ちてくるような────
「……ミモザ様、ご気分がすぐれませんか?よければ少し休まれますか」
沈みゆきそうな思考が、気遣わしげに囁かれた声に引き戻される。
……失敗した。
「いえ!……平気です。体調が悪いわけではありません。
ただ、自分の未熟さを痛感したといいますか…」
「未熟だなんて…そんな事ありませんよ、ミモザ様は志が高いのです。
…体調が悪いわけではなくて安心しました」
ほっとしたように向けられる微笑み。
申し訳なさを感じると共に、じんわりと染み入ってくるあたたかさ。
取り繕えずに零れてしまった言葉を否定するその声色は、単なる励ましではなく、ただまっすぐな、彼女の本心からの言葉だと分かる。
「…ありがとうございます」
ゆるりと肩の力が抜けて、自然と笑みを返すことができた。
そんな僕らのやり取りに気付く様子もなく、ここからが本題と言わんばかりにコホンと一つ咳払いをするカナリアへと、再び意識を向ける。
「そして、カーマイン様のひとつ下の学年──つまり、今の一年生には、
緑薔薇家のヴェルデ・ニレ様、橙薔薇家のオランジュ・バーミリオン様、灰薔薇家のアルジョンテ・ウィステリアミスト様がいらっしゃいますわ。
そして来年は、ローザ様と、わたくし達。
桃薔薇家のペッシュ・ロータス様が入学を控えております。
────それから、もうひとつ。
ローザ様のお耳に入れておきたい事がございます。
……紫薔薇家のヴィオレ・ベル様について、ですわ」
「ヴィオレ・ベル様…ですか。この方がどうかされたのですか?」
カナリアは、ほんの僅かに視線を落とし、言葉を選ぶように続けた。
「はい…わたくしの口から詳しくお話することは出来ませんが……社交界では、あまりいい噂を耳にいたしませんの。
ですからローザ様、どうかくれぐれもお気をつけくださいませ」
「そう、なのですね」
一瞬だけ、場の空気が静まる。
先程までの賑やかさが、遠のいていくように感じられた。
「とはいえ、ヴィオレ様は来年、最高学年───四年生になられます。
わたくし達との接点は、それほど多くはないかと思われますが────」
「大丈夫です」
カナリアの言葉で、やや空気が和らぎかけた時。
思わず、言葉が口をついて溢れ出た。
「ローザ様には、僕が指一本触れさせませんから。
だから、大丈夫です」
ひと息に言い切ってしまってから、はっとして顔を上げると、二人からの視線がこちらに向いている。
……しまった、唐突過ぎたかもしれない。
「…あ、あの…!」
羞恥も相まって、柄にもなくあたふたとしてしまった。
「───ふふ」
ローザ様は、少し驚いたように目を瞬かせたあと、小さくほころぶように笑いながら、やがてこくりと一つ頷いた。
その様子に、思わずカナリアと顔を見合わせると、くすりと含みのある笑みを浮かべられる。
「さすが、ミモザは頼もしいですわね」
「ええ、ほんとうに」
「……………」
顔が熱い。
揶揄われている訳ではないと分かっている。
それなのに、居た堪れない。
それでも────
この空気が、嫌ではないと感じてしまう自分がいた。
……けれど。
先程の話題のせいだろうか。
ローザ様は、ほんの僅かに視線を伏せていた。
…………気のせい、だと良いのだけれど。
学園には教師もいる。
何か起こるような場所では無いはずで───
どこか拭いきれないものを胸の奥に残して、まだ温かいお茶に口をつけた。
───────
────それにしても、どうして領地にいるはずのカナリア達が、こうして帝都の赤薔薇邸に頻繁に訪れることができるのか。
そのきっかけは、帝都に発つ前に私がジョーヌ家へと送った、一通の手紙だった。
帝都へ出立することが決まってすぐ、私はジョーヌ家へ手紙を送った。
そこには、兄と共に帝都へ移ること、再び会える日を心待ちにしている旨を添えたのだ。
だから、ほどなくして届いたカナリアからのお返事に、
『もちろんわたくしも帝都に向かいます♡』
と書かれていた時には、さすがに驚いてしまった。
……けれど。
カナリアの行動力を思えば、それも不思議ではないのかもしれない。
そういうところも、カナリアらしくて微笑ましい。
そうして、ふと少し前のことに思いを馳せていると、弾けるような声と共に、カナリアがぐいっと身を乗り出した。
「私、今日はローザ様とのお出かけを、とっても楽しみにしてきましたの!」
きらきらとした瞳でそう言い切ると、待ちきれないとばかりに言葉を重ねる。
「お母様にお勧めして頂いた、とっても可愛らしいアクセサリーショップがあるのです!
ぜひご一緒したくて……!」
そこまで言って、カナリアはほんの僅かに視線を逸らし、指先をもじもじと絡める。
「…お揃いのものを選べたら、きっと素敵ですわ」
ほんの一瞬だけ見せられたその表情に、思わず目を瞬かせる。
なんだか、胸の奥がくすぐったくなった。
「ええ、とっても素敵ね。
私も…お揃い、してみたいわ」
そのやり取りを見守るミモザの表情は、どこか柔らかく────ほんの少しだけ、嬉しそうに緩んでいた。
三人を乗せた馬車がゆっくりと動き出す。
「本当に楽しみですわ!」
向かいに座るカナリアは、待ちきれないといった様子で身を乗り出しはしゃいでいる。
その隣ではミモザが穏やかに微笑んでいて、弾むあたたかな空気に、胸の奥まで明るく照らされていくようで…。
思わず、笑みがこぼれた。
窓の外を流れていく帝都の街並みを眺めながら、これから訪れるお店や、先ほど決めたお揃いのことを思い浮かべる。
なんだか…。
今日一日が、きっと特別なものになる気がしていた。
カナリア達に案内され、お母様に勧められたという目的のお店へと辿り着いた。
品のいい雰囲気の店内には、目を惹かれる品々が並んでいる。
たくさん悩んだ末に選んだのは、シンプルながらも可愛らしいデザインのもの。
それがお揃いであることが、とても嬉しい。
完成を楽しみにしながら、私たちは店を後にした。
この日は、まだ少し時間があったので、私たちはそのまま帝都を散策することにした。
しばらく歩くと、広場の脇に落ち着いた雰囲気のカフェを見つける。
ほんのりと疲れた身体にちょうど良い休憩になりそうだと、私たちはそのまま中へと吸い込まれていった。
ミモザが扉を開き、さりげなくエスコートしてくれる。
天窓から差し込む光が、木目の美しい店内をやわらかく照らし、焼きたてのお菓子の香りが、甘くふわりと広がっていた。
店員の女性に案内されるまま席に着き、メニューに目を落とすと、どれも美味しそうで思わず目移りしてしまう。
そんな私を楽しそうに眺めていたミモザが、ふと口を開いた。
「このお店は、クレープがおすすめらしいですよ」
「そうなのね、それじゃあ…ラズベリークレープにしようかしら。カナリアはどうします?」
「私はハニーバタークレープにします!」
「とっても美味しそうね…。ミモザ様はどうされますか?」
「僕は甘い物は少し…。あ、ではこのクレープサレにします」
「それも、素敵ね…」
「今日のローザ様は、なんだか食いしんぼうみたいですね」
「ち、違うのよ……あの、ええと」
「いいじゃないですか」
“もうひとつ頼みますか?”なんて。
ふふ、と楽しげに笑うミモザを前に、どこか落ち着かない気持ちのまま、思わず視線を逸らした。
「ひ、1つで結構ですっ…!」
───────
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、私たちは帰路に着いた。
邸へと到着し、先に降りたミモザがこちらへ手を差し出す。
「さあ、ローザ様。お手をどうぞ」
「ありがとう」
小さくそう告げて、差し出された手にそっと自分の手を重ねる。
いつも一緒に居たからか、今までちゃんと考えたことはなかったけれど、いつの間にか、自分よりも大きな手だった。
馬車を降りた、その瞬間。
重ねていた手が、不意にぎゅっと握られる。
思いがけないことに驚いて顔を上げると、夕陽の光に照らされて、ミモザの頬が淡く染まって見えた。
その表情は、どこかいつもと違っていて───
「…ローザ様」
「はい」
「もし、嫌じゃなかったら…僕の事も様なんてつけないで呼んでくれませんか?」
「え?」
「…いけないでしょうか」
「いけないなんて…そんなはずないわ。…でも」
「…呼んでほしい」
そう呟いたミモザとはっきり目が合い、少ししっとりとした手のひらから、じんわりとした熱が伝わってくる。
「……ミモザ」
「嬉しいです」
思わずこぼれるように微笑むその表情は、幼いころと変わらず穏やかなままで。
───けれど、ほんの少しだけ、胸の奥に淡く残るものがあった。
「ミモザー?ローザ様ー?」
先に降りて、玄関で出迎えてくれた侍女ハンナと話していたカナリアが、こちらに気付いて手を振っている。
「すまないカナリア、今行く。───では、参りましょうかローザ様」
「ええ」
「また、お名前を呼んでいただけるのを楽しみにしていますね」
歩き出そうとした、その時。
そっと耳元で囁かれて、胸の奥がじんわり温かくなる。
「ローザ様と何を話してたの?」
「ナイショ」
「えー、ミモザだけずるいですわ!」
思わず頬がゆるみ、声を押し殺してくすりと笑ってしまう。
興味津々のカナリアに、隣のミモザは少し恥ずかしそうに笑いながらも、安心したように微笑んでいる。
邸先は三人の明るい空気で満たされ、穏やかで賑やかな午後の一幕となった。




