秘密の企み - side nine roses -
ロドン城には、皇帝陛下と八名家の当主のみが足を踏み入れることを許された、特別な広間がある。
月に一度、皇帝と当主たちが顔を揃える定例会 ──
それは交流の名を借りた、静かな牽制と探り合いの場でもあった。
ひときわ豪奢に造られた広間の中央には、大きな円卓が据えられている。
その周囲には、それぞれの家の色で描かれた美しい薔薇の意匠が施された椅子が九脚。
赤、青、緑、黄、橙、灰、桃、紫、そして金。
かつて白薔薇聖女から授けられた力の象徴は、沈黙の中で互いを見据えるように並ぶ。
その円環のただ一箇所───
金の薔薇のみが、他の薔薇を統べる頂に在った。
すでに何人かの当主は席についていたが、広間の空気はどこか張りつめて沈黙を守っている。
それは、今日という日がただの定例会では終わらないことを、誰もが予感しているかのようだった。
───その静寂を破るように重厚な扉が開かれる。
珍しく遅れて広間へと姿を現したのは、黄薔薇家当主 ジョーヌ・ヘリオスと灰薔薇家当主 アルジョンテ・クラウド。
然し二人は、自らの空席へ向かわず、至極落ち着いた様相のまま迷いなく、
ただ一人、深く思案に耽るように難しい顔で椅子に腰掛ける赤薔薇家当主 ルージュ・オックスブラッドの元へと歩み寄った。
「…ヘリオス、クラウド」
歩み寄る気配に、オックスブラッドはふと視線を上げた。
静かに落とされた声は決して大きくはない。
だが、その低く落ち着いた響きは、確かに二人の耳へ届いた。
「やぁ、オックス」
「こんにちは、オックス」
ひらりと手を挙げ応えるヘリオス。
その傍らで、クラウドが柔和な笑みを浮かべていた。
「悪いな、こんな日まで任せてしまって」
「気にしないでくれ。君にはいつも世話になっているから。少しでも力になれるのなら嬉しいよ」
「そうそう、ヘリオス君の言う通り。
君はいつも働きすぎなんだから、少しくらい僕達に任せなさい。
その様子じゃ今日だってろくに眠れていないんじゃない? ほら、顔色をよく見せて」
「平気だクラウド。…それでどうだった?何か掴めそうか?」
オックスの問い掛けにクラウドの長い銀色のまつげに縁取られた糸目が隣に立つヘリオスへゆるりと向けられた。
「あぁ。君の言った通り、地中から微かだけど闇の魔力を感じたよ」
「…辿る事は可能か?」
「やれるだけやってみるよ」
「頼んだ」
「ちょっとちょっとヘリオス君!
ここは格好よく僕に任せてって言わないと」
「ははっそうだな。── 任せてくれオックス。」
「ふっ…あぁ、頼んだ。」
「信じたく無いけどさぁ、やっぱり闇の魔力の核がこの国の何処かにある事は間違いないんだよねぇ〜」
「クラウドも、医者の務めも多忙なのに世話をかけるな。」
「なになに、僕の心配してくれるの?嬉しいなぁ〜
でも大丈夫!これは僕の趣味でもあるからさ」
「ああ」
その声が落ちた刹那───
広間の空気を震わせる、ひときわ大きな声が響いた。
「やぁヘリオス遅かったじゃないか!
しかし、三名家の当主よりも遅いお出ましとは…これまた随分と偉くなったものだなぁ?はっはっは!」
円卓の緑薔薇の席から、長身の男がゆったりと立ち上がる。
三人の間に流れていた束の間の静寂を裂いたのは、緑薔薇家当主ヴェルデ・ジェードだった。
(げっ…でたぁ〜)
相変わらずの嫌味ったらしい圧に、内心で辟易しながら舌を出す。
「これはこれは、ジェード様。
お気を悪くさせてしまったのでしたら誠に申し訳ございません。
それにしても、貴方もよく飽きませんね?
毎度毎度ネチネチと絡んできて……あ、さては私の事がお好きなんですか?」
「〜っうるさい!お前のそういうふざけた所が昔から大っっ嫌いなんだ!!」
「私もです。気が合いますねー」
「ジェードってば、そんなに怒るとシワが増えるよ〜?」
「うるさいっ!増えない!もう、お前たちは黙っていろ!
俺はオックスに用があるんだ!」
「……お前達は本当に昔から変わらないな」
「オックス…君が昔から面倒見のいい奴なのは知っている。しかし、良い加減黄薔薇家などとつるむのはやめたらどうだ?
君の隣にいるべきは私だと、以前にもそう言っただろう?」
「……。」
「はいはい、もう話は終わったので席に戻ってくださーい。」
「うるさいっ!お前こそ戻れ!〜っこら押すな!」
「あはは、ジェードほらこっちおいで〜いい子いい子〜」
「クラウド!俺を子ども扱いするな!」
「本当に…彼等は学生の頃から何一つ変わらないですね。」
「サイアニアス。久しいな。」
「お久しぶりです、オックス。」
静かな水面のような気配を纏い現れたのは、唯一の女性当主、青薔薇家 ブル・サイアニアス。
青い髪に似合う涼やかな微笑みを浮かべながら和かに挨拶を交わすと、未だ騒がしい面々をひたと見渡し、背筋を伸ばして手を打ち鳴らした。
「さぁ、そろそろ時間ですよ。貴方がた、いい加減静かになさいませ」
その声音は穏やかでありながら、逆らうことを許さぬ響きを帯びていた。
サイアニアスに叱られ、二人が渋々口を閉ざしたその時───広間の扉が静かに開かれた。
広間へと足を踏み入れた宰相は、円卓に集いし面々を静かに見渡した。
その視線ひとつで、ひとたび緩んだ空気が再び張り詰めていく。
ジェードは小さく舌打ちを落とし、ヘリオスもクラウドもそれ以上は言葉を交わさず、各々の席へと戻る。
笑みも軽口も消え、円卓には当主としての顔だけが残った。
やがて、彼はゆるやかに片手を掲げた。
それは合図だった。
円卓を囲む当主たちが、一斉に席を立ち、深く頭を垂れる。
それは、足音よりも先に聞こえてきた。
静まり返った広間に、微かな金属音が重なっていく。
歩みに合わせて、装飾品が揺れ、触れ合い、まるで旋律のように音を奏でていた。
やがて姿を現したのは、長いマントを床に引きながら歩く一人の人物だった。
布地は過剰なほどに飾られ、宝石と刺繍が惜しげもなく施されている。
細い足元には、高いヒール。
その歩みは決して急がず、然し一歩ごとに、確実に距離を詰めてくる。
音と共に近づくその存在に、誰もが言葉を失った。
目を逸らすことも、見続けることも許されない。
美しく、華奢で、そして──
どこか獲物を前にした蛇のような静かな余裕を湛えて。
「── 皆、顔をあげてくれ」
その一言が落ちた瞬間。
円卓を囲む当主たちは、示し合わせたかのように一斉に顔を上げた。
誰一人として遅れはなく、ただ視線だけが静かに皇帝へと捧げられる。
皆の視線の先に在るその貴人は、ゆったりとした仕草で椅子に頬杖をついて座し、艶を帯びた笑みを浮かべている。
惜しみなく手入れされた美しい髪は、優雅にサイドで束ねられ、緩やかに揺蕩う。
端正な顔立ちの中で、金の瞳が淡く煌めいている。
その姿は、まるで精巧なビスクドールのように美しく、とても彼らと同じ歳とは思えぬほどの威容を纏っていた。
「────では、始めようか」
そう、彼こそがこのロドン帝国の皇帝ルージュ・ロドン・クリムゾンだった。
───────
「ふむ。まとめると、ここ数年魔物の増加が見られなかった赤薔薇領地でも、他領と同様に増加傾向にある、と。
しかし帝都では、ここ数ヶ月減少傾向にあり──直近一ヶ月では一匹も現れていない。そういうことだね?」
「陛下のおられる帝都での出現が無くなったのは良い事ですが、一体何故でしょう。まるで魔物自身が出現場所を選んでいるようですね…」
「確かに…とても偶然とは思えない」
「とはいえ、帝都が必ずしも安穏とは言い難い…騎士の補充は必要不可欠です」
「そうだね。ジェード、サイアニアスはどうだい?」
「オックスに同意です」
「同じく」
「分かった。では各騎士団、直ちに新兵の補充と設備の拡充を進めよ」
「「「 承知いたしました 」」」
「…それにしても、一部の民の間で闇の王の再来などとの噂が出ているらしい……なんとも、馬鹿馬鹿しいことだ」
「我々に出来ることは、薔薇の誇りにかけて、ただ目の前の魔物を確実に排除するために鍛錬するのみです。
命を賭けてこの帝国を守ると誓います。」
「…我が国の薔薇たちは頼もしいね」
───────
定例会を終えたクリムゾンは、誰にも告げることなく、人目を避け、護衛すら伴わずただ一人で城の深部へと向かっていた。
辿り着いた先には、地下へと続く隠し階段がある。
この場所を知るのは、皇帝と、信用のおけるごく一部の側近のみ。
薄暗い螺旋階段を降りきった先に、一枚の扉。
兵士の姿はない。ただ、その前にはガラス製の魔道具が静かに置かれていた。
クリムゾンは慣れた手つきで、魔道具から伸びる鋭利な針へと指を差し出す。
針が皮膚を裂き、高貴な血が一滴、零れ落ちた。
血に呼応するように魔道具が煌々と輝き、やがて重々しい音を立てて扉が開く。
その奥にあったのは──
結晶の中で尊く燃え盛るはずの始まりの炎ではない。
弱々しく灯る小さな炎と、
それを飲み込もうと静かに迫る闇だった。
「あぁ……一体どうすれば良いのだ」
苦悶に俯きながら立ち竦むクリムゾンの背後に、コツリコツリと階段を降りる足音がゆっくりと近づいていた。
「陛下、私です。お呼びでしょうか」
「…見つかったか?」
「…いえ」
「──探せ!帝都だけでなく、地方の街もくまなく。
学園、病院、教会全ての場所で網を張れ。子供も大人も関係ない。見つけ次第直ちに私の元へと連れてこい!
────もう、時間がない」
「必ず、見つけます」
去っていく足音を背に、震える手をきつく押さえつける。
力が入らない。
ゆらり、と視界が揺れた。
縋るように部屋の隅の寝椅子へと身を投げ出す。
拭いきれぬ不安。
己の力ではどうにもならない焦燥。
震える体を抱え込んだまま、静かに涙が零れ落ちた。
そこにあるのは、先ほどまでの気高く美しい皇帝の姿ではない。
ただ、どうしようもなく追い詰められた──ひとりの男だった。




