第二章 ①
私が帝都へと移ってきてからというもの、兄は学園が終わると毎日邸に帰って来る日々を過ごしていた。
全寮制の学園では、週末以外の帰宅が認められていないはず…。
然し、今夜もまた食堂のテーブルには2人分の食事の支度がされていた。
(今日もこちらに帰って来てくださるのだわ…。)
もやもやと胸に寄せる気持ちを持て余していれば、クローネから兄の乗った馬車が邸に到着したとの報告を受け、先まで思考を占めていた懸念をひと時振り払う。
帰宅した兄を出迎える為、私は玄関へと急いだ。
一方その頃。
時を同じくして、カーマインもまた妹の顔を一目見ようと帰宅した足でローザの部屋へと向かっていた。
焦る気持ちを抑えながらも、段々と互いの歩幅は広がっていく。
ドンッ!
「きゃ!」
「おっと…!」
ぶつかってしまった衝撃は然程とはいえ、不意打ちに耐えきられず後ろへ倒れそうになった私は咄嗟に伸ばされた兄の腕に背を支えられ事なきを得た。
玄関へと急ぐ私を追う形で追随していたクローネは、突然の事態に慌てながら私の傍へ寄り添うと無事を確認してくれている。
「ローザ…す、すまない大丈夫か?怪我はないか?」
「お嬢様、大丈夫ですか?!カーマイン様、申し訳ございません。」
「私は平気だ。それよりもローザが…」
「…だ、大丈夫です。」
「頬が少し赤いな。」
そう言いながらまじまじと私の顔を見つめてくるお兄様。
我が兄ながら綺麗な顔が至近距離に迫るのは落ち着かない。
(───────顔が近過ぎますっ!お兄様っ!!)
「〜〜ッ平気です!そ、そうだわ、ご挨拶が遅くなりました、おかえりなさいませお兄様。」
「ただいまローザ。」
「……お兄様、そろそろ手を…」
「あ…あぁ、すまない。
この後いつもの部屋でお茶にしようと思っているんだが、ローザも良ければおいで。
私は身支度を整えてから向かうから。」
「はい、それでは後ほどお伺いします。」
───────
半刻程の後、待ち合わせの部屋へと向かう。
そこには、カジュアルでありながらも上品な装いに身を包んだ兄が寛ぐ様にソファーに腰掛け本を読んでいた。
私の到着に気がついた兄は、後ろに控えていた侍女にふたり分のお茶を用意するよう告げると自分の傍らの座面を‘ぽん’とひとつ指先で示すと私に微笑む。
兄に促されるまま隣へと腰掛けた私は、好機逸するべからずと意を決し、ここ数日ずっと疑問に思っていた事を兄に直接尋ねることにした。
「お兄様、僭越ながら1つお尋ねしたい事がございます。
…よろしいでしょうか?」
「ああ勿論。どうしたんだい?」
「私の記憶違いでなければ魔法学園は全寮制だと記憶しております。こんなにも毎日こちらへ帰っていらして、何かあったのでしょうか?私、お兄様の事が心配で…」
もしかして、学園で穏やかに過ごせなくなる様な、何か大変な問題が起きているのではないか、と
ここ数日気が気ではなかった私の心配とは裏腹に、兄はあっさりと「なにもないよ。」と否定した。
「ではどうして…?」
私の杞憂で済んだことに安心するも、連日の帰宅に対する疑問は晴れない。
思わず小首を傾げ呟くと兄は少し寂しそうに眉尻を下げた。
「…ローザは私と一緒に居るのは嫌…だったかな?」
「いいえ!そんな事絶対に有り得ません!!」
「……それなら良かった。」
兄は安堵から嬉しそうに頬を緩めると、外泊については学園長から許可を得ているからなにも問題ないと教えてくれた。
「私、お兄様と共に過ごせる時間がとって幸せです。
…くれぐれもご無理だけはなさらないでくださいね。」
「心配してくれてありがとう。
だが、忘れないでくれ。私にとって、こうしてローザと過ごせるひと時が本当に何よりも心穏やかで幸せにいられるんだ。…出来る事なら、このまま時間が止まってしまえばいいのにといつも願ってしまうくらいにね。」
胸もとで祈るように手を組み兄の無事を願う、そんな私の頬へ優しく手を添えると兄は優しく説くように話してくれた。
忙しい日々の中でも私を気遣い、更にそれすらも幸せだと言ってくれる。そんな兄が時間を割いて毎日一緒に居てくれるのは、帝都に移ったばかりの私を思ってのことだろう。
例えこれが、私が気に病まないようにと言ってくれている方便かもしれなくとも、その優しさに私は思わず胸が熱くなる。
「そうだローザ、次の日曜日は空いているかい?
もし良ければ帝都を案内しようか。まだゆっくりと見て回れていなかっただろう?」
「よろしいのですか?」
「あぁ、勿論。」
「ありがとうございます。とても嬉しいです。」
「良い返事を貰えて良かった。今から週末が楽しみだ。」
「ええ、私もです。」
思いがけない兄からの誘いに私は帝都の街並みへと思いを馳せる。
早くその日が来たらいいのにと思わざるを得ないほど、週末が楽しみで仕方がなかった。
微笑み合う2人の思考回路は僅かにすれ違ったまま。
───────
約束の週末、私は兄のエスコートで帝都を周った。
久方振りに訪れた街並みは、どれもこれも私にとって真新しく映り、兄のおすすめのとても可愛らしい雰囲気のお店で昼食をとった後は、帝都で流行っているらしい店舗を幾つか見繕ってくれたおかげでとても楽しい一日だった。
その日の夕食後、疲れからか長椅子に腰掛けていた私は気付けば微睡みの淵を揺蕩いはじめていた。
どのくらい眠ってしまっていたのだろうか。
既に日は落ち、静寂に包まれる部屋、暖かなオレンジ色の魔道ランプの灯りにゆらゆらと瞼の裏を柔らかに照らされ意識がゆっくりと浮上する。
「──目が覚めた?」
頭上から穏やかな声が掛けられ、その声の先を確かめるようにゆっくりと顔を向けると此方を見下ろす兄と目が合った。
寝起きでぽやりとしていた意識が驚きから急浮上すると、はっきりと今の状況を理解することになってしまう。
(なんてことなの、お兄様のお膝に凭れて眠ってしまうなんて…!)
優しい兄のことだ、起こすまいと身動ぎせず私の目覚めを待っていてくれていたのだろう。
あまりの申し訳なさと、子どものように眠ってしまった己に対する気恥しさに、私はひたすら兄へと謝罪を繰り返した。
兄は気にしないでと言ってくれてもそういう訳にはいかない、とあたふたとする私に微笑む兄は小さな笑い声を零すとふと憂うようにして目許を細めた。
「…お兄様?」
僅かな逡巡の後、兄は少し言いにくそうに口を開いた。
「ローザ、これからしばらく忙しくなりそうなんだ。
すまない、一緒にいてやれなくて。」
申し訳無さにしおれた様子で兄は話してくれるが、むしろ今までの1週間が異例だったのだ。
「気にしないでください。
お兄様は、とてもお忙しい身でございますもの。
帝都に来たばかりの私を気遣ってご無理をさせてしまって…申し訳ございません。」
「…………前も言ったが無理などしてはいない。」
「ええ、承知しております。…ですが、皆がお兄様が戻られるのを待っておられるのも、お兄様が皆の事を気にかけておられる事も知っていますから。」
「……全て私の意志だ。」
「ええ、そうですわね。
お優しいお兄様の意思ですわ。」
「ローザ…。」
「私、お兄様のおかげで毎日本当に幸せですの。
だってこんなにもお優しいお兄様の1番近くに居られるのですもの。
けれど、これ以上私だけがお兄様を独り占めしていては、皆に叱られてしまいますわ。
お兄様もそうお思いだったから、私にお話してくださったのでしょう?」
「………。」
「私は大丈夫ですわ。」
「…分かった。ありがとうローザ。」
「こちらこそありがとうございます、お兄様。」
兄が邸に帰ってこなくなってから1週間ほど経ったある日の朝、クローネが大きな包みを抱えて私の部屋を訪れた。
「失礼いたしますお嬢様。
執事からお嬢様宛てのお荷物を預かって参りました。」
「…私に?」
(誰からかしら…)
身に覚えのない事で不思議に思ったが、クローネの抱えた包みには丁寧に赤いリボンがかけられており、メッセージカードと共に一本の赤薔薇が添えられていた。
送り主を確かめようと添えられていたカードを開くと、馨しいローズの香が鼻を掠める。
たったそれだけで誰からの贈り物なのかすぐ分かった。
そこには、見慣れた美しい字で‘’入学おめでとう 唯一無二の私の愛”と綴られており思わず顔が綻む。
そんなわたしの姿を見たクローネも、送り主が誰なのか見当がついたようだった。
丁寧にカードを傍らに置くと私は贈り物にかけられているリボンをするりと解いた。
箱を開くと中身を守るように上質な薄葉紙で包まれており、その中には入学を控えた学園の制服が入っていた。
更にその上には、こちらも丁寧にリボンのかけられた小さな箱が置かれていた。
中に納められていたのは、黄金色の小さな宝石が散りばめられた可愛いらしい髪留め。
「学園の制服に、それに素敵な髪留めまで…!」
「良かったですね、お嬢様。」
「ええ、私とっても嬉しいわ。」
「…見たところサイズも問題無いようですね。」
「そうね!さすがお兄様だわ。」
声を弾ませ素直に喜ぶ私を横目に少し怪訝な表情を浮かべるクローネ。
(……何故、カーマイン様はお嬢様のサイズをご存知なのでしょうか……いえ、深く考えるのはやめておこう。)
そんな事を思われているとはつゆ知らず、私は幸せな贈り物たちをぎゅっと抱きしめた。
───
───────
ローザと共に過ごした帝都の邸から学園へと戻る馬車の中。
後ろ髪引かれながら束の間の別れを告げた余韻を胸に窓の外を眺めていたカーマインの黄金色に輝く双眸は、常の煌めきとは裏腹な今にも振り出しそうな薄暗い灰色の空を映していた。
日頃の疲れの所為だろうか。瞼が…重い…。
抗えず目を閉じた私は馬車の内張りに身を預け、俯く様に眠ってしまっていた。
───あぁ、そうだ…あの日も今日のような空だった。
今にも降り出しそうな暗い空を背にした鍛え抜かれた厚い体躯。
威圧感を感じる程の風格。
後ろへ撫で付けられた白髪混じりの赤い髪。
金色隻眼は、こちらの本質を見極めるかの様にじっと私を見つめていた。
その鋭い眼差しに、私は強張るほどの緊張を覚えた。
然し不思議な事に、そんな父の視線にはいつになく一瞬の僅かな揺らぎがあった。
そんな父の様子を訝しみながら窺っていると、それに気付いたのか父の表情が決意した様にふと刹那に和らいだ。
「カーマイン。当主として、次期当主となるお前に伝えておかなければならない事がある。」
「なんでしょうか。」
緊張感から父からの言葉を待つ私の喉はゴクリと鳴る。
父は細く息を吐くと一層低い声を潜めて言った。
「…ローザは、私の実の娘ではないのだ。」
「…え?」
「ローザの本当の父親は────…」
───────
────
「───ッは…!」
そこで目が覚めた。
額にはじんわりと汗が滲み、嫌な動悸に息があがる。
心を落ち着かせるように息を吐き出して額を雑に拭いながら、あの日の苦しそうな父の姿を思い出す。
空は嘘のように青く晴れ渡っていた。




