100回目の始まり
あの悪夢から一夜明けて、瑞々しく生き返った世界樹は青空の下、美しく青い枝葉を伸ばしていた。
人々はこれを「奇跡」と呼んだ。その「奇跡」を起こした「救世主」は。
「エルピス。本当に良いのか?」
聖堂の鐘撞き場に忍び込み、ディルはエルピスに尋ねる。神子の力ですっかりディルの身体の傷は治癒していた。
風を浴びながら小さく歌っていたエルピスは首を傾げる。
「何が、ですか?」
「お前が世界樹を浄化し、この世界を救ったということだ」
「ああ……それですか……」
ややうんざりしてしまう。街のあちこちいで聞く。救世主は誰なのか、なぜ名乗らないのか。その理由等など……終いには偽救世主も出てくる始末だ。ディルはつまらなそうに言う。
「世界樹から出てきた俺を見た神官が、神子の俺が救世主などと言う始末だ。神子という点は間違いないがな」
「あはは、この際言っちゃえば良いんじゃ無いんですか? 自分が神子だって」
そう言えばディルにじろりと睨まれる。相変わらず人を殺しそうな目だ。
「俺はこれ以上、何かに縛られるのはご免だ。それに切り札はとっておくべきだろう?」
ディルはそう言うと煙草を吸う。大聖堂の上で煙草なんて、罰当たりだ。それでも神に愛されているというのだから驚きだ。
しかし、とディルが口を開く。
「何故世界樹は命を吸わなくなったんだろうな」
「吸わなくて良いほどの力を得たんだと思います。だから、また何千年か経ったら……」
つい、声音が暗くなる。だがディルがわしゃわしゃと髪の毛を雑に撫でてくる。
抗議しようと見遣れば、ディルがにやりと笑っていた。
「暗い顔をするな。たとえお前がまた黒い神子になったとしても、今度は俺がお前を先に待っている。何千年経っても、約束する」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「そんなに長い間、今度はディルが待ってくれますか?」
「当然だ。そしてまた、死んだお前の命を戻す。容易いことだ」
約束だ、と言われ薬指を出される。言われるがままに指を絡ませ、思わず笑ってしまう。
容易いなんて言って、あんな怪我を負ったくせに。
それでもディルならやってしまうのだろう。いつだってエルピスに手を差しのばして引いてくれる。
「それで話は戻るが、本当にいいのか? 今なら世界栄誉賞が貰えるぞ。相当な金も貰える」
「金とか俗っぽいこと言わないでくださいよ……でもいいんです。救世主は私じゃないので」
素直にそう告げればディルが眉根を寄せる。どういうことだと言いたげだ。エルピスは微笑む。
「世界を救ったのは、私じゃなくディルですから」
「……どうしてそうなる?」
爽やかな風が吹き込む。エルピスは歌うように言った。
「ディルがいたから、私は力を使った。けれどディルがいなかったら使わなかった。──だからディルは救世主なんですよ」
そこまで言うとディルは金色の目を見開いて、思い切り渋面をつくった。
「お前は馬鹿か。何だその奇妙なロジックは」
「間違えていませんよ? あの日あの時、エルピスと名付けてくれた金色の目の人、ディルケンス・ノヴァという人がいなかったら、私は世界なんてどうだって良かった。けれどディル。たった1人、あなたがいたからこそ、世界を救おうと思ったんです。だから私にとっても世界にとっても、救世主はあなたなんです」
そこまで言って笑うとディルは納得したように溜息を吐いた。
「なるほどな。俺無しには世界は救われなかった、と」
「そういうことです」
「……それなら、誰も救世主ではないな。奇跡、と言った方が正しいんだろう。軽々しくそんな単語で片付けようとして気に食わないな」
「? 何で気に食わないんです?」
どうしてそう考えているのか分からず問えば、ディルは舌打ちする。
「勝手に起きる奇跡なんてない。この世にあるすべてに意味がある。そして、奇跡というのは──人間が過酷な運命を己自身で切り拓いたものだ」
煙草を吸いきったディルがエルピスに渡し【無】の力で消す。最近、益々エレメンツのコントロールができている。とはいっても、ただ単にディルがエレメンツを使うような仕事を与えてくれない所為だろうが。
そんなふうに考えていると、ディルが楽しげに言う。
「さて、エルピス」
「何でしょう?」
小首を傾げると、ディルはご機嫌そうに笑う。
「お前とのパートナーは矢張り解消しようと思う」
「えっ!? じょ、冗談ですよね?」
「残念ながら冗談では無い」
言っていることは暗いのに、どうしてかディルの声は明るい。
まさか城から追い出されるのか、とおびえているとディルが額にキスをする。
「不安がるな。ただ、その代わりに新しい職についてもらうだけだ。それにまた、たまにルディナ侯爵や、ノヴァーリス公爵の知人のふりなどはしてもらうがな。今より危険じゃなくなるだけだ」
「新しい職……?」
何かさっぱり分からない。ディルを見る。不敵に笑う。これはとんでもないことを考えている時の笑顔だ。
ディル、とエルピスは名前を呼ぼうとする。
けれどその唇は、あたたかい唇で塞がれる。唇が、離れていく。
ディルの金色の瞳が楽しげに、輝く。
「──俺の妃になることだ」
聖堂の鐘が揺れ、風のエレメンツにのって澄んだ音で鳴る。
エルピスはディルを抱きしめる。決して離れないように。
「永久就職先だが文句はないか?」
ディルがくすりと耳元で笑う。白い鳩が飛んでいく。
エルピスは顔を上げる。涙を浮かべながらも明るい、晴れの日の空のように。
「あなたに預けた命です。どこまでも、あなたについていきます──」
99回、彷徨った孤独。
けれどもう、終わりだ。
100回目の今、この瞬間から、世界は鮮やかに染め上げられる。
ここから始まる。
エルピスの世界は、始まるのだ。
愛しい人と共に。
ここまでお読み下さってありがとうございました……!
需要がなくとも自分が書いていて楽しくて、肩が死にました。
目の次は肩かよ……と思いながらも、ここまでお付き合い頂いた方には本当に感謝しかありません。
次はちょっと賞の為に執筆~と思ったのですが、また書きたいネタが出てきてしまって困っています。
読んで下さる方がいるって本当にありがたいし、嬉しいです。
それではまた!




