閑話
※外伝的内容です
『クロナーヴィア・デ・ノヴァーリス公爵。※初出はクローヴィアだったと思うのですが。
公爵が住まう指定文化財シュヴァティーン城とその付近は、四季など関係なく常に吹雪く銀の世界だ。
ノヴァーリス公爵。これまでその正体は謎に包まれており、年齢も性別さえも分からない謎多き公爵とされてきた。
だが、ある社交界をきっかけにノヴァーリス公爵の外貌が明らかになる。
容姿端麗、上品な所作、穏やかな性格……ノヴァーリス公爵は非の打ち所がない美青年であった。
莫大な資産を持つノヴァーリス公爵は今や女性の憧れだ。
先日も正義の為に闇オークションの摘発に協力したと噂されている。
勿論、真偽は分かっていない。一部の人間の間では、絶滅危惧種の人魚を落札した鬼畜とも言われている。
正義か、それとも悪か。
いずれにせよ謎に包まれたノヴァーリス公爵の心を射止める女性はいるのだろうか?』
そこまで読んでクロナーヴィア・デ・ノヴァーリス公爵は腹の底から大笑いした。
何という虚偽に満ちたメディア! 勿論それはこのノヴァ王国の第一皇子ディエルケンス・ノヴァと組んでのことだが。そう考えると身分の高い2人が──しかも1人は王族が、情報操作しているというのだから、ある意味でとんだ世の中である。
ノヴァーリスはディルケンスのことを非常に気に入っている。思想、行動が似通っているというのもあるが、考えることが底意地が悪いのだ。あの整った、きれいな顔で平気で人を蹴り飛ばし、エレメンツで圧倒させ、屈辱を与え、相手の矜持を粉々にする。本当に、清々しいほどに悪い男なのだ。しかもそれを自認しているからこそ、尚一層、面白い。
「くっくっくっ……今回も楽しませてもらったぞ、ディルケンス」
最近は架空のノヴァーリス公爵が活躍しているようで、暇をもてあましているクロナーヴィアにとってこういったニュースは大歓迎だ。その為なら名前なんて容易く貸そう。きっと真実を知ったら人々は驚くだろう。ノヴァーリス公爵は絶世の美女だということに。そして強大な水のエレメンツを使役するなど、思ってもみないだろう。闇オークションの摘発では「風のエレメンツ」とあったので、もし水のエレメンツを使役すると知ったら「神子」とも間違えるかもしれない。それを考えるとより一層、笑えた。
クロナーヴィアは長い黒髪をかき上げ、玉座から降りる。クロナーヴィアの顔は険しい。クロナーヴィアは元々人間が嫌いだ。嫌いだからこそ、こうして閉じこもり、物資はディルケンスの「白のエレメンツ」の力で送ってもらっている。だから困ることはない。困ることはないのだが、先日の内部の裏切りと襲撃によりディルケンスにより、2人の騎士が派遣された。
1人はヴィッグ・バルナ。いかにも騎士然とした騎士でエレメンツは風。生真面目で、主に哨戒や諜報を任せている。ヴィッグは淡々とした性格で必要以上のことは喋らず一緒にいても楽だ。
だが、もう1人。
厄介なのが。
「クロナーヴィア様ー!」
時間をずらした筈なのに背後から追ってきた騎士、クウ・ヴァンスティンだ。エレメンツはヴィッグと同じ風のエレメンツ。太陽のような輝くブロンド、青空のような瞳、無駄に整った顔。そして溌剌とした、明るい性格。世話焼きで器用。
──完全にクロナーヴィアが苦手なタイプの人種だった。
クロナーヴィアは仕方なく足を止め振り返る。
「何だ。リク」クウ・ヴァンスティンさんの愛称はリクさんですか?
「クロナーヴィア様。もうお昼の時間ですよ。何か食べなければ」
「必要ない。腹は減っていない」
「そうはいっても……」
困ったように眉尻を下げる。これが、厄介なのだ。捨てられたような子犬のような顔をするのだ。勿論、クロナーヴィアとてリクを適当にあしらうこともできる。だが、罪悪感、というのだろうか。これまでクロナーヴィアが感じたことのない感情がこみ上げてくるのだ。
クロナーヴィアは溜息を吐き出す。
「……分かった。食堂に運んでくれ」
「ありがとうございます! 今日も腕によりをかけて作ったのでお気に召すと良いのですが……」
悔しいことにまたクウの作る料理は絶品なのだ。これまでクロナーヴィアは「食べられるなら何でもいい」と考えてきたが、クロナーヴィアの料理を食べて世界がひっくり返ってしまった。だからこそ、憎い。これまで「不要」としてきたものが「要」となると、無駄が増えることをクロナーヴィアはよく知っている。肉体的にも精神的にもだ。
食事をとっていると、部屋の隅に立っていたクウがニコニコしながらクロナーヴィアを見ていた。クロナーヴィアは眉根を寄せる。
「……何を見ている」
「いえ、クロナーヴィア様がきちんと料理をとっていることが嬉しくて。つい見てしまいました。申し訳ございません」
ふわりとリクは微笑む。一方のクロナーヴィアは鳥肌が立った。どう考えてもこの男とは相容れぬ存在らしい。相手がどう思っているかは知らないが、おそらく頭の中はふわふわでゆるゆるなのだろう。一般的な女子にはモテそうだが、クロナーヴィアは駄目だ。ただでさえ人間が嫌いなのに、こうして距離を詰められると、逃げるのも当然のことだ。
食事が終わると、クロナーヴィアは応接間に行く。だが応接間といっても形だけで、ほぼ使われることはない。ソファに足を乗せてくつろいでいると、リクが声をかけてくる。リクはクロナーヴィアの護衛だ。こうして付きまとわれるのは仕方ない。クロナーヴィアは「何だ」と問う。リクは朗らかな笑顔を浮かべて言った。
「たまには街に降りてみるのは、どうでしょう?」
「……何を言っている」
「世間はクロナーヴィア様を男性と思っています。ならば、街を歩いても問題ないでしょう?」
「……私が街に降りる理由などない」
するとリクは悲しげな顔をする。
「クロナーヴィア様は寂しくはないのですか?」
「寂しい? 私は人間が嫌いだからここにいるのだ。忘れたか?」
ギロリとクロナーヴィアはリクを睨み付ける。けれどリクは退かなかった。
「……僭越ながらクロナーヴィア様は、寂しいという感情が凍てついているように思います。ご自身を守る為に、大切な感情を凍らせているようにも」
その言葉にぴくりとクロナーヴィアの眉が動く。
クロナーヴィアの両親は、自殺した。祖父母も自殺した。その理由はどれも同じだった。
──信じていた人々に裏切られた。
当時20才のクロナーヴィアはそれ以来、心に決めた。人間は裏切るもの。人間は嫌いだ。いつ裏切るかも分からない。だから傍にいくのは最低限でいい。莫大な富を有するクロナーヴィアは、そうした凍った感情を持った。それこそ外に吹雪く大地にように。
だからこそこの、すべてを明るく照らし、溶かすような青年が──憎たらしい。
「……お前には関係ない。そういった憶測で話すな。不快だ」
「憶測でしょうか。私は違うように思います。クロナーヴィア様は本当は人間を愛していると思います。ですから、恐ろしいのです」
クロナーヴィアは、ハッ、と鼻で笑う。
「お前は随分と生意気だな。私が人間を愛しているなど、笑えん冗談だ」
そう言うとリクは悲しげな目でクロナーヴィアを見る。この目が、嫌いだ。
何故この男はこんなことを言うのだろう。余計なことだ。
それなのに──クロナーヴィアの心に浮かぶのは、怒りよりも、突き刺すような心の痛みで。
失った、大切なもので。
──不愉快だ。
痛む心に苛つく。こんな奴に掻き乱される心が馬鹿らしい。これが最初ではない。何度も、こうしてリクはクロナーヴィアの心を乱すのだ。
クロナーヴィアはきつくリクを見据える。
「……出て行け。今すぐだ。」
「……分かりました」
名残惜しそうにリクは出て行く。笑ったり、悲しんだり、心を乱したり──不愉快でならない。どれもクロナーヴィアのこれまでの生活に必要なかったものだ。使用人は機械仕掛けの人形のように動き、クロナーヴィアはディルケンスに報される愉快で、痛快な記事にだけ心を踊らされた。娯楽なんて他にいらなかった。この凍った城の中で、ただ人間を拒み続けた。
それが、どうしてだ。
何故、ディルケンスはリクのような騎士を送ってきた? ディルケンスはクロナーヴィアの性格を熟知している筈だ。だからこそクロナーヴィアの求める、凍てついたような騎士を送ってくると思っていた。
何故だ。
クロナーヴィアには理解できない。目を閉じる。愛した両親、祖父母、そして大切な者の──死。人間なんて信じない。人間なんて嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。この閉ざされた城で、架空のクロナーヴィア・デ・ノヴァが世界で動いていればいい。それだけでいいのに。
──『……僭越ながらクロナーヴィア様は、寂しいという感情が凍てついているように思います』
寂しいという感情が凍てつく? 寂しいと本当は思っているのか? 少なくともリクの目にはそう映るのだろう。あんな無能騎士の癖に、全てを見透かしたよな態度をして。舌打ちしてクロナーヴィアは立ち上がる。その時だった。
諜報のヴィッグから通信が入る。水のエレメンツを通せば、木々に隠れたヴィッグが言う。
『クロナーヴィア様。敵襲です。人数は5人。火のエレメンツが3人、土のエレメンツが2人と少ないものの手練れが揃っています……』
そう言うヴィッグは怪我を負っているのだろう。腕から血が流れていた。すぐにクロナーヴィアは剣を持ち、外套を纏う。5人? 随分と舐められたものだ。クロナーヴィアが外に出るとすぐに護衛騎士のリクも出る。クロナーヴィアは振り返って睨み付ける。
「お前は必要ない。下がっていろ」
「それはできません」
「何?」
リクは青空のような瞳で真っ直ぐにクロナーヴィアを見た。
「私が、クロナーヴィア様の信じることができる、人間になる為です」
「──ッ」
その言葉に息を詰める。守るではない。リクは、クロナーヴィアの力を信じた上で、自分もまた信じることのできる人間だと示したいのだ。そんなことを言う騎士は、初めてだった。仕方ないと、クロナーヴィアはリクに言う。
「ならば行くぞ。風の騎士よ」
「御意」
5人の敵を前に、クロナーヴィアは手を翳し叫ぶ。
「【水のエレメンツ】よ! 凍てつかせよッ!」
瞬時に、土のエレメンツを持つ2人の足が氷り、あっと馬に氷像になる。敵はクロナーヴィアのエレメンツの力を想定していなかったのだろう。エレメンツを交え、武器で攻撃してくる。剣がぶつかり合い、高い音が鳴る。忌々しい。クロナーヴィアは火のエレメンツを持つ男の剣を剣で弾くと、その胸に詠唱する。
「【水のエレメンツ】──貫けッ!」
男の胸に鋭い氷柱が突き刺さり、男は倒れる。残るは火のエレメンツの2人。問題ない。そう思っているとクロナーヴィアは、残る2人によって刻まれた大円陣に気付く。その中央に立ったクロナーヴィアを庇うようにリクが立つ。周囲が炎が燃えがり、吹雪さえも消していく。クロナーヴィアは叫ぶ。
「リク! 貴様だけでも逃げろッ!」
「逃げる? 私はクロナーヴィア様の護衛騎士ですよ?」
振り返ったリクは笑顔で言う。クロナーヴィアの脳裏に悪夢が過る。駄目だ。もう──失いたくない。
それなのにリクは決して逃げない。
決して、クロナーヴィアから、信じるという気持ちを失わせない。
「クロナーヴィア様、私は貴方の騎士です。そして──私を舐めないで頂きたいッ!」
そう言った瞬間、リクの剣が翠の風を纏う。その風はやがて全てを吹き飛ばす轟風になる。リクは構えていた剣を持ち、目を見開き宇。宇のあとに何の言葉が入るのでしょう?
「──翠の風よ、燃え盛る業火を疾風で消し給えッ!」
コール──【呼び起こし】なしにリクは叫ぶと剣を天に向けた。風が轟、と音を立てて周囲の木々を薙ぎ倒す勢いで、吹き荒れた。炎の大円陣は翠の風によって全て消え去り、2人の敵も深い疾風の刃により息絶えていた。
剣を降ろしたリクはクロナーヴィアに振り返って、笑った。吹雪が去った空は青く、リクの瞳と同じ色をしていた。
コール無しのエレメンツの使役。
一体、この男は何者だ。
混乱するクロナーヴィアを前に、リクは跪く。その青い双眸は、強い忠誠心があった。
「改めて申し上げます。私は王立風騎士団長、リク・ヴァンスティン。クロナーヴィア・デ・ノヴァーリス公爵の騎士。我が魂は貴方と共に」
そう告げられて、クロナーヴィアは言葉を失った。最初は名前とエレメンツしか聞いていなかった。
けれど──王立風騎士団長、だと?
クロナーヴィアは言葉を失う。コール無しの使役も納得がいく。王立風騎士団長はつまり、国内で最も強大な風のエレメンツを持つ存在だ。その力は神子の次に強いと言われている。
「お前……何でそんなことを、言わなかった」
跪いたリクが顔を上げて笑う。
「だってそんなことを言ったら、親近感が無くなっちゃうじゃないですか。私は、クロナーヴィアの騎士であり、貴女に寄り添う存在でありたかったのですから。ああ、ちなみに諜報のヴィッグは副団長ですよ」
「……ッ、ディルケンスめ……!」
とんでもない逸材を寄越してきたものだ。
次に通信する際には、何か言ってやらないと気が済まない。
「それよりクロナーヴィア様。上を見て下さい」
「上?」
リクに言われて上を見る。そこには──吹雪が晴れた、青い空が広がっていた。思わず、その青と太陽の光に見惚れる。
そんなクロナーヴィアにリクはくすりと笑って立ち上がる。
「綺麗な青でしょう? 下にある北の町では、こんな青空が見えるんですよ。それを見ないのは、勿体ないと思いませんか?」
リクは楽しげに言う。まるで無邪気な子どもみたいだ。つられるようにしてクロナーヴィアも笑ってしまう。
「……そうだな。この氷った城から、たまには外の青を見るのも……悪くはないかもしれないな」
「クロナーヴィア様。その時は、私も一緒ですよ。おもちゃ屋さんとか回りましょう」
「お前は馬鹿か。……あともし外にでるようなことがあれば、ヴィアと呼べ。私はまだクロナーヴィア・デ・ノヴァーリス公爵という幻で、世間を騙し続けたいからな」
にやりとクロナーヴィアが笑うと、クウは苦笑した。
「その性格はまるでディルケンス様を見ているようです……」
「お前はディルケンスが病弱なんて嘘、知っているのだな」
そう言うとリクは苦々しい想い出を振り返るように言った。
「剣の稽古は、実はディルケンス様につけてもらって……地獄を見ました……」
「……成る程な。お前が騎士団長になった理由が分かった」
「有り難いことなんですけどね。それよりクロナーヴィア様、また吹雪いてきたので城に戻りましょう」
「ああ、そうだな」
そう頷いて、クロナーヴィアはリクと共に城へと戻る。
戻る中でクロナーヴィアは、ディルケンスのことを考える。
──あの男も重すぎる力を持ったことだ。
クロナーヴィアは足を止めて白い雪を見上げる。
そして、その白へと手を翳す。
恐ろしいことよな。
あいつが世界の破滅「有」れと願ったら、おそらく、叶うのだろう。
クロナーヴィアはぐっと白を握りしめる。
ディルケンス・ノヴァ。ノヴァ王国の第一皇子であり、何十年か、何百年かに産まれる神子。
世界樹の異変のことはクロナーヴィアの耳にも入っている。
クロナーヴィアは暗い気持ちになる。
ディルケンスはおそらく、世界樹の異変と関わっている。
勿論、それは憶測でしかない。
だがもし本当にそうだとしたら──待ち受けているのは、間違いなく、悲劇だ。
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