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世界樹


 エルピスの腕と足が完治し、また任務に戻れると張り切ったある日。


「エルピス、今日は世界樹の視察に行くぞ」


 白い外套を身に纏ってディルは言う。


「世界樹……」

「……まさか知らないとでも?」


 出会った時のような刺す視線に慌ててエルピスは弁明する。


「いやいやそうじゃなくて、世界樹はどの世界線でもあるんだなぁと思っただけです。1回目も10回目も99回目も」


 呆れたようにディルが溜息を吐く。


「馬鹿か。世界樹なしに世界はどう維持されている。世界樹の崩壊こそ、この世界の滅亡だ……ということは知っているな?」

「し、知っています」

「知らない癖に知っているような顔をするな。馬鹿の上に惨めさが乗る」


 確かに99回の世界でも、世界樹だけはどの国も攻撃しようとしなかったし、手出しすらしなかった。当時、エルピスはそれを不思議に思っていた。エルピスは世界樹といっても、そのほとりにある水場で、身体を清めた経験しかない。世界樹から流れる清らかな水は、不思議な光が浮かんでは沈み、心地よかった。鉄格子の向こう側にあったのだが、それは誰が空けたのか、子どもくらいなら通れる穴があった。懐かしい、と思う。


「エルピス。お前も早く化粧をして着替えろ」


 ディルは化粧師にどういった化粧を施すか命じると、ぽいっと洋服を投げてきた。それは金糸の刺繍が編まれた白いローブで、上も下も真っ白だった。疑問顔でディルを見れば「何を見ている」と冷たい視線が寄越される。


「修道女さんみたいだなって思ったんです」

「似たようなものだろう。世界樹は神エルによって創造されたものだからな。……知っているな?」

「すみません。知りません」

「良い子だ。それじゃあ早く着替えてこい」


 そう命じられエルピスは薄化粧と衣装を纏うと、大広間へと戻った。白い正装に身を包んだディルは一見すると清く正しい皇子様そのものだった。心優しく、草花を愛でるような、そんな皇子様みたいだ。思わず見惚れていると、ディルが眉根を寄せる。


「……お前、何か今くだらない事を考えていたな」

「すごく今日のディルは皇子様だなと思っていました」

「……『今日』の? それなら普段の俺はどういう皇子が聞かせてもらおうか」


 ディルは穏やかに微笑んで尋ねてくるが、目は笑っていなかった。

 エルピスはぎこちない笑顔を浮かべて答えた。


「いつもと違った印象で格好良いなと思ったんです。今日のディルはいかにも皇子様と、言った、感じで……?」


 顔を背けるディルに違和感を覚える。


「ディル。どうしたんですか?」

「黙れ」


 数秒の後、ディルがちらりとエルピスを見た。


「……お前も……いつもより化粧が薄くて…………」

「そうですね。地味ですが、そう指示をしたのはディルでしょう? 何か可笑しかったですか?」

「いやいい。……忘れろ。ちなみに言っておくが、摘発系の任務以外では黒のエレメンツは極力使うなよ。日常生活では決して使うな」


 ディルの態度がおかしいなと思いながらも、エルピスはディルと共に城から馬車に乗る。ミッション中は富裕層設定で車ばかりだったので、なんだか新鮮で心地が良い。馬車の振動が新鮮で顔を緩ませて小窓から外を見ていると、ディルの鋭い声が飛ぶ。


「あまり頭の悪そうな顔をするな。巫女という設定が総崩れだ」

「あっ、今回はそういう設定なんですね」

「ああ。城仕えの巫女だ。とは言っても突っ立っているだけでいい」


 その言葉にエルピスは首を傾げる。


「それなら私の今回の役目は……?」

「さぁな」

「え」

「見てみないと分からない。俺たちに出来ることかもしれないし、出来ないことかもしれない。俺とお前くらいだからな。おそらく世界に1つしかないエレメンツを持つ存在は」

「成る程……」

「今度は理解している『成る程』だな。進化しているな。良い事だ」

「……ディルは本当に意地が悪いですね」


 エルピスがじとりとした目で見れば、ご機嫌そうにディルが笑う。爽やかなのは見てくれだけで、中身は邪悪だ。

 馬車が世界樹の近くに辿り着くと、すぐに白のエレメンツでディルは完璧にクレイに化けた。ここまで精巧に本人に化けるのは、珍しい。急にディルからクレイになったことに違和感が覚える。


「今日はクレイ様なんですね」

「仕方ない。第一皇子のディルケンス・ノヴァは重い病気に長いこと罹っている……という設定だからな。順番的に第二皇子のクレイが来るのは当然の流れだ。勿論、今日は絶対に人に見つからないよう、あいつにも白のエレメンツをかけたがな」

「ディルはそんなにエレメンツを使って平気なんですか? 以前キョウ様に聞きましたが、複数のエレメンツを使うことは身体と精神を酷使するとか……」


 尋ねれば、ふんと鼻で笑われた。クレイの顔がで馬鹿にされたように見られると地味に傷つく。


「俺がこの程度のエレメンツで揺らぐだと? 神子を舐めるな」

「あれ? でも世界樹のことなら、神子が来てもおかしくないんじゃ……?」

「馬鹿かお前は。神子の存在は明らかになっていない。この広い世界の中で俺が神子だと知る者などごく少数だ」

「あっ、そっか……そうでした」


 ついディルと一緒にいると忘れがちだがエレメンツは1人1つしか持てず、五つ目のエレメンツなどないのだ。1人1つ。それが当たり前なのだ。

 馬車から降りたディルとエルピスを迎え入れた聖王と修道女達は、儀式的な挨拶をした痕、鉄格子の向こうにある世界樹の近くに立った。生命が吸われない、ギリギリのラインを立ちながら、聖王は悲痛な声を上げる。


「ご覧になった通りです」

「……これは」


 世界樹を見上げたディルは眉をひそめる。エルピスも同じように見上げ、顔をしかめた。本来だったら青々とした葉をつけた世界樹が、枯れ始めている。それはまだ僅かな部分だったが明らかな異変だった。聖王は言う。


「葉だけでなく、聖脈の水もきらめきを失いつつあります。詳しく調査したいのですが、世界樹に近寄ることは生命を吸われること。幹に辿り着く頃には命も潰えましょう。ですから、世界樹の異変に対しどこの国も対処ができず……」

「……分かりました。すみませんが少し外して頂けませんか? 試してみたいことがあるので」


 そう言うとディルは聖王たちを馬車に乗せ、見えないように距離を置いた。


「ディル。何か策があるんですか」

「策といえるほど大層なものではない。【白のエレメンツ】。汝、失われつつある生命に再びの生が【有】らんことを」


 そう言ってディルが手を伸ばした先にある葉が、緑を取り戻す。けれどそれは僅かなもので、すぐに茶色く枯れる。ディルは舌打ちをする。


「……だろうな。こんな子供だましの術でどうにかなる訳では無い」

「良くなることはあるんでしょうか……?」

「分からない。神に祈るしかないな」


 その時不意に、エルピスの耳に風にのって音が聞こえた。

 ──呼ばれている?

 ささやかな音の声だがそんな気がした。隣のディルを見るが無感情に、世界樹を観察するばかりだ。その音は絶え間なく、今もエルピスを優しく呼んでいる気がしたが、エルピスは同時にそれに恐怖を怯えた。


 ──気味が悪い。


 繰り返した生死の中で、真夏の夜、世界樹の水に身体を浸した時は、こんな感覚はなかったのに何故だろう。

 この場から逃げ出したい。けれど呼ばれている。

 

「……ディル。何か聞こえませんか?」

「……? 聞こえないな。何かお前は聞こえてるのか?」


 どうやらディルには何も聞こえないようだった。エルピスは迷った末に告げた。


「ディル、無理を承知の上ですが……少しだけ世界樹の方へ歩いてみても良いですか?」

「何を馬鹿なことを言っている。俺はお前の命を預かっているんだ。駄目に決まっている」


 苛立ちを隠さずに言うディルに、エルピスはぎゅっと両手でディルの手を握って言う。


「何か、呼んでいるんです。私を。もしかしたら──何か分かるかもしれません」

「……だが危険だ。生命が吸われるんだぞ」

「2、3歩でいいんです。その程度だったら、大丈夫だと思います」


 エルピスが絶対に引き下がらないとディルは思ったのだろう。溜息を吐く。


「……俺の手が届く範囲だ」

「ありがとうございます」


 エルピスはディルから手を離すと、履き物を脱ぎ、素足で歩き始めた。

 青々とした草花を前に、ごくり、とエルピスは息を呑む。

 

 爪先から、一歩。

 足が草花に歩いた途端、それは枯れて黒くなる。ディルとエルピスが目を見開く。

 

 何だ、これは。

 信じられない気持ちで、もう一歩。

 二歩目も、三歩目も、同じだった

 

 エルピスの歩いた場所は、全て──枯れていた。

 聞こえていた音も、先程より微かに大きくなっていた。どこかで聞いたことがある──音。


「……エルピス、戻れ」


 ディルの声が聞こえた。エルピスは我に返って、ディルの元へと戻る。

 エルピスは自分に起きたことが全く分からなかった。

 何故、枯れたのか。

 それは黒のエレメンツの所為なのか。

 ディルも同じことを思っていたのだろう。


「お前のあれは……無意識にやったことか?」

「……そうですね。でも、どうして……──あ」


 枯れていた場所が、じわじわと、新しい草花が芽吹いていく。

 他より青々としたそれを、エルピスもディルも愕然として見ていた。ぽつり、と。エルピスが言った。


「もしかして……枯れたのは私の所為で、芽吹かせたのはディル……?」

「……有り得ない。俺はただここに居ただけだ」

「でも、ディルの白のエレメンツは【有】。私の黒のエレメンツは……【無】。破壊の、力」


 震えそうになる。もしこの世界樹の異変が自分の黒のエレメンツが原因だったら、と。


「……考えるな」


 ディルがエルピスを引き寄せて、抱きしめる。その温もりだけで、不安や恐怖が霧散していく。


「とりあえず今の俺たちには、どうすることもできないという事だ」

「……はい。そうですね」


 エルピスは苦笑して頷く。分かったふりをしていた。もし世界樹の異変が黒のエレメンツの力と関係していたら、エルピスはある意味で──「魔女」だ。世界を崩壊へと導く魔女。それを考えると、恐ろしかった。

 不意にディルが溜息を吐き出す。


「物わかりが良いフリをするが、どうせお前のことだ。またくだらん事を考えているんだろう」


 正解だ。ディルは暫く考えたあと、急用ができたから先に城に戻ると従者に告げた。

 それから違う馬車に乗り込むと、ディルは城とは正反対の街の方へいくよう指示した。


「あの、ディル。どうしたんですか。お城に戻るんじゃないんですか?」


 そう問うエルピスに、ディルは淡々と答える。


「街に出る」




ここまでお読み下さってありがとうございました。

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